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2018年5月 1日 (火)

葵祭りとタマヨリヒメのこと。神武天皇のご誕生の秘話の事。 もうひとつ前のトヨタマヒメの物語りの事。

京都の葵祭が近付いて来ました。

拝見にという事も、あるようです。

でも、御蔭(みかげ)祭りが先行して挙行されることは、

余り知られていませんが、

実は、神武天皇のご誕生の秘話に属することだったんです。

 

ひどいことに、

ふつうの『古事記』『日本書紀』で見聞きしていた事柄とは、

ガラッと違って、涙ながらの話です。

かいつまんで説明しましたら、

12代のウカヤフキアハセスさんのとき、

お世継ぎのご誕生がなかなかなかったのでした。

そこで、

ヤセヒメさんが、お若くして入内なさって、

ヰツセのミコが誕生されました。

ところが、病を得てヤセヒメさまはお亡くなりになってしまわれました。

緊急にはヰツセのミコのお育てをどうするか?

そこで、

良いお方が居ると、タマヨリヒメが推薦されてきたのでした。

タマヨリヒメは、カモのタケズミさんのご子孫だったのでした。

そして、タマヨリヒメの籠っておられたのが、ミカケのところ、

今に言う、御蔭神社(みかげ じんじゃ)ですね。

そのご縁から、タマヨリヒメが入内なさって、

タケヒトさま(のちの神武天皇)をお産みになられるわけでした。

さて、

『定本ホツマツタヱ』の27アヤのところ、

を見てみましょう。

Tamayori6

Tamayori5

Tamayori4

Tamayori3

Tamayori2

Tamayori1

いかにもごっそりちょん切っていますね。

その切られて、改竄されてしまった結果、

「ワニ」の産んだような変な話にされてしまっています。「八尋の鰐」ですよ、ひどいおとしめの誤訳も、コト至れりです。

ひどい話です。

こんなにひどい貶めをされてディスられていても、

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」で汚染されちゃってる人も、

やっぱり、まだ、幸せなお花畑の状態でしょうね。

この話をだけするだけで、かるく、一日は掛かります。

この『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の真実性を証明する傍証のひとつが、

御蔭神社御蔭祭りにあったわけです。

すごい事ですね。

 

とりあえず、『定本ホツマツタヱ』の27アヤの該当箇所をUPしましたので。

もっと詳しく見たい方は、ぜひ『定本ホツマツタヱ』をお買いもとめ願います。

先日、在庫無くなりのために、

増し刷りをしまして、わが茅屋には在庫がいっぱいになっております。

どうか一冊、お手元に!

『古事記』『日本書紀』との詳細な対比が、

一目で見れます。

            ・

ー 追記 ー

そうそう、

もうひとつ前の物語だった。トヨタマヒメさんの事を書き忘れていました。

『ホツマ ツタヱ』の26アヤに詳しく出ている出来事です。

 

『定本ホツマツタヱ』を見てみましょう。

Toyotamahime1

Toyotamahime2

ここの個所も、思い切ってちょん切られてしまっていますね。

よく見ましたら、ほんと、とんでもないことをされちゃっていました。

わたくしは、歴史を直さねばと思います。

さて、

ザッとかいつまんで説明しますと、

事は、10代アマキミのニニキネさまの時代に遡ります。

水田稲作を、高地の灌漑水田にと革新的な新技術で、

世の中に豊かさを広げられていったのが、10代アマキミのニニキネさまでした。

その、全国巡幸の際、琵琶湖湖畔のシラヒゲさんは、去ってゆく去って行くって言われるんです。

シラヒゲさんは、初代クニトコタチさんの直系のご子孫だと、わたくしは推察しています。

父祖・先祖のお祭りのタケのイワクラ(岳山)の祭祀ももう放擲してまでして去ってゆくと言うんです。

そのことから、ニニキネさんは、

3人の皇子のうち、

2番目サクラギさんと、3番目ウツギネさん(のちの11代のホホテミさん)に、

アワウミ(琵琶湖)の西岸を中心とした、シラヒゲさんの去った後を任せたのでした。

そこで、いざこざが起きて、海幸山幸の物語になる出来事が、起きる訳です。

やがて、2番目サクラギさんは、策略を巡らしていた事がばれて自滅なさってしまいます。

九州のハテカミさんのもとに、援助を求めて行っていた3番目ウツギネさんに、

皇位の継承を定めるミコトノリが出されます、これで11代のホホテミさんのご即位になる訳です。

さて、

ハテカミさんは、アマテルカミの左に侍る程の重臣のカナサキさんのご子孫でした。

九州の統治について、アマテルカミのご名代を任されたお方でした。

 

さて、ウツギネさんは、

皇位の継承を定めるミコトノリを受けて、

急ぎの舟で、ミヤコのミツホのミヤ(野洲市の服部遺跡だったと思われます)に、

戻られることになります。

ウツギネさんのおキサキだった、トヨタマヒメは、

妊娠中の身重だったので、ゆっくりの舟にてツルガ(敦賀)に行く事になさいました。

ところが、

あにはからんや! より安全なはずのゆっくり舟は、難破してしまったのです。

何とか助かった、トヨタマヒメは、途中から、早や舟でツルガに向かったので、

思いの外に早期の到着になりました。

産屋がまだ、屋根の葺(ふ)かれていない状態で、

ご出産という事になりました。

それで、タケ・ウカヤ・フキアハセスのミコトと言うお名前が付けられたのでした。

ウカヤとは、産屋(うぶや)の意味です。当時は、別棟の産屋を建てて出産をするならわしでした。

さて、トヨタマヒメは、

産屋で涼んでいたら、

ウツギネさんが覗いたようだったのでした。

それを、トヨタマヒメははずかしいと、

九州の実家に戻ろうと、なさるのです。

キフネのところ、今の貴船神社のところまで行かれたところで、

ウツギネさんの急遽使わした使者の説得によって、とどまってもらう事になりました。

そばに付いていっていた弟のタケツミさんに面倒見てね、という、ニニキネさんのおこころがありました。

それで、

カモのところ、今の上賀茂神社を中心とした、

かつて、ニニキネさんが新田開発をなさった土地を任せられる、

運びになりました。京都の盆地の北の方ですね。

このことから、下鴨神社にはカモタケツミさんが祭られているわけです。

さて、ところがです、

トヨタマヒメは、長い日々、

ミヤコにのぼって来てくれません。

どうしても、恥ずかしいと、言うわけです。

そこで、

ニニキネさんは、

説得のために、トヨタマヒメのもとに赴かれます。

その際に、お示しになられたのが、

アオイの葉と、カツラの葉です。

アオイは、ヲ(温かさの季節)の象徴、男性の方のことも言います。

カツラは、メ(寒い季節、実になる季節)の象徴、女性の方のことも言います。

その、ニニキネさまの教導の御幸(みゆき)が、

葵祭りだったわけでした。

あー、なんて深い話だったんでしょうか!

詳しくは、

『縄文人のこころを旅する』にも、

書いておきました。ご覧ください。

『ホツマ縄文日本のたから』にも、

書いておきました。きっと、感動を覚えて頂けることだと思います。

わが国の、漢字以前の伝統って、本当は素晴らしかったんですよ!

 

トヨタマヒメの物語があって、

そのあとに、

タマヨリヒメの物語が、

積み重なっているのでした。

「八尋の大鰐」なんて、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」のどこにもない、

吐き気をもよおすほどのひどい話をでっち上げるのが、『古事記』『日本書紀』のやり口だったんですよ! みなさん!

やられっぱなしの、1300年間でした。本当の歴史を取り戻しませんか!

もう、そろそろ、本気で!!

 

 


 

 


 

 

 

 

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コメント

下鴨神社の葵祭と、その前の御蔭祭に行かれるご計画との事で、
私も丁度27アヤを読ませていただいておりました。

ちゃんと読もうと思うと、慣れないとなかなか難解でしたが、
御蔭神社・河合神社・下鴨神社・上賀茂神社の関係が、
とてもよく分かるアヤですね。

この27アヤの中で気になったのは、タマヨリヒメの白羽の矢の事なのですけれど
ちょうど4年前に、初めて下鴨神社へ参拝に行かせていただいた時に、
式年遷宮に際しての特別拝観がありまして、色々中へ入らせていただいて
説明を受けていた時に「丹塗の矢の伝承」というものを聞かせて頂きました。

その下鴨神社に伝わる「丹塗の矢の伝承」というのは、いかにも不思議な話でした。

何でも、豊玉姫が川遊びをしているときに、丹塗矢が流れてきて、それを家に持ち帰り
床の間に飾っておいたら、子供を孕んで産みました。そして、その子が大きくなった時に
皆で酒を飲んでいて、「お前の親と思う人にお酒を差し上げなさい」と言われて、
その子は、屋根瓦を突き破り、天に飛んで行ってしまった!・・というようなお話です。

ずっと、この話の意味は分からないでいたのですが、
この話は、ホツマツタヱのトヨタマヒメの白羽の矢の話だったのかな?と思いました。

ーーーーー
(下鴨神社のHPより)
タマヨリヒメの 丹塗矢の伝承

玉依日賣、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。
乃(すなは)ち取りて、床の邊に插し置き、遂に孕みて男子を生みき。
人と成る時に至りて、外祖父(おほぢ)、建角身命、八尋屋を造り、八戸(やと)の扉を堅(た)て、
八腹の酒を醸(か)みて、神集へ集へて、七日七夜楽遊したまひて、
然して子と語らひて言(の)りたまひしく、「汝の父と思はむ人に此の酒を飲ましめよ」とのりたまへば、
やがて酒杯(さかずき)を挙(ささ)げて、天(さき)に向きて祭らむと為(おも)ひ、
屋の甍を分け穿(うが)ちて天に升(のぼ)りき。乃ち、外祖父のみ名に因りて、
可茂別雷命(かもわけいかつちのみこと)と號(なづ)く。
謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神(ほのいかつちのかみ)なり。
ーーーーー

「ホツマツタヱ」での話は、池田先生の意訳から転載させて頂きますと、

ーーーーー
(池田先生の意訳より)

またある日、タマヨリヒメはワケツチカミ(上賀茂神社)のヤシロに
詣でてミソギ(禊ぎ)をするのでした。そうしましたら、
白羽の矢が軒 に来て刺さっているのが見つかります。
タマヨリヒメはオケ(月経)の 止まるのでした。
思わずに、タマヨリヒメは男の子を産みます。
この男 の子は3歳になった時に、軒のヤ(矢)を指して「チチ(父)」と言い
ましたらば、このヤ(矢)は飛び上がって空高くに上って行きました。
どこからともなく「ワケイカツチのカミ」であるぞと、
響き渡ってくる のでした。不思議な事です。
ーーーーーー

「ホツマツタヱ」にしましても、どうも、マリヤさまの処女懐胎のような、
不思議な話ではありますが、矢が飛び立ったというのですから、
子供が天に飛び立ったという話よりも、まともな気が致します。


また、丹塗矢の伝承は、古事記にもありました。
古事記では、下鴨神社の伝承よりも、もっと酷いお話になっていますね。
大体こんなような話になっていると思います。

「三輪大物主の神が、美人な娘に惚れて、その娘が大便をする時に
丹塗矢になって、トイレに入り、その美人のホトを突き刺した。
娘は驚いて、立ち走り水ですすいで、その矢を家に持って行って
床の間においたら、忽ち立派な男性になった。
そして、その娘に産ませた二人の子が、〇〇の神である。」

古事記は、大便とかホトとか好きですね!
ヤマトタケさんの話でも、お兄さんがトイレで大便とかしているとき
菰で包んで捨てたとか、サイテーの改竄がしてありますね!

(因みに、この話は、旧約聖書の英雄、ダビデの話に似ていますね。
こんな話でした。
ダビデが自分を殺そうとするサウル王に追われている時です。
あるとき、洞に隠れていたら、
幸運にもサウル王が、大便をしよとその洞に入ってきました。
ダビデとしては、逆に、殺すチャンスに恵まれたのですが、
自分の主人であるサウル王に手をかけることは、神の前に
許されないと、それをしなかった。
これが、神に褒め称えられた!・・という話です。

ですから、古事記のヤマトタケさんは、英雄ダビデの話の反対になりますね!
明らかに、旧約聖書を知っている者の改竄のような気がします。)

やっぱり、これを国の基本の書とするには、本当におかしいです。

それにしましても、古事記・日本書紀の原書の「ホツマツタヱ」の話で
読ませて頂きますと、鴨神社の歴史がよくわかり、姫君様たちにも
深いドラマを感じまして、心にしみます。
御蔭祭に葵祭、拝見してみたいものです。

 
いまだに、詳しい事情がよくわからないで居ます。
「シラハのヤ」ですから、何の事だか?
それにしても、
『古事記』『日本書紀』の記述は、その貶めのレベルが尋常ではありません。
わたくしは、書籍でも、わかるように説明をしておりますので、
神社の方から、解説をしてくれと頼まれたら、
行きもしましょうが、
今のところ、『古事記』『日本書紀』を中心の世界にどっぷりだったら、
お祭りに行くのも、わたくしは、遠慮のところです。

もう一つ話を複雑にしているのが、
『ホツマ ツタヱ』31アヤ7ページのあたりの、
ユリヒメさんのことと、ごちゃ混ぜにしてしまっている!
この変てこな漢文への、翻訳でした。

こんなにも、こんがらがった、凝り玉を、
うまく解きほぐして、説明するのは、
容易ではありません。
記紀の、その改竄のごちゃ混ぜ具合についてには、です。
俯瞰的な、批判程度が私には精いっぱいなあたりです。
今のところ。
 
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」での素晴らしい内容については、書籍にて説明をしてあります。

また、 
『ホツマ ツタヱ』34アヤ14ページの、モモソヒメの話も不思議です。
 
まだ、解けません、この謎も。
ひとつ、試案がそこそこになるかも?
で、
福井の方に足を延ばすことにしています。
 
兎にも角にも、
元気で長生きをして、
世代の移り変わりを、
ゆっくりと拝見させてもらいつつ、
このまっとうな、
「ヲシテ国学」への王道の推移の順進の運び具合について、
見定めを為しつつ、
また、
見落としていたりする、
開明的なアイデアの発掘に、
日々、日夜に、努力してゆく事だけが、
やってゆくべきミチです。わたくしに取りまして。
トシの衰えは、足腰からですから、
とにかく足腰鍛錬を今やっております。
オオタタネコさんや、ヲヲカシマさんの、
あの、ご長寿に、
せめて、少しでも近づかねばなりません。

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