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2018年2月20日 (火)

松山市で出土した古鏡の、ホツマ文字らしきものの事。

あれは、もう27年も前の事かと、
思い出していました。
「ホツマ文字の鏡が見つかった!」
と、ニュースが飛び込んできたのでした。
Woshitemoji  
早速、明日にでもと、
飛び出していったものでした。
さて、割れているところが、微妙でした。
「月刊ほつま」に、掲載の記事を、
上に掲示いたしました。
あれから、もう27年ですが、
まだこれと言った、遺跡・遺物の発見は未だしです。

 
松山市考古館に、伺いまして、
じっと、本物の現物を凝視していました。
松山市考古館は、平成3年の当時は開館したての新しい建物でした。
ロビーのま新しいソファーに座って、小一時間、
これは、漢鏡だと納得しました。
でも、
写真を、ごろうじろで御座います。
写真を見ただけでは、
「ひ」と「は」のヲシテの文字だと、
そう見れますね。
「あ」の文字も有れば、「ん」のヲシテ文字風の形状もあります。
「こ」の文字風もありますね。
ですが、これらは、漢鏡にも見られる文字やデザインの形状です。
「ん」に似ている字は「毋」の字で、「なかれ(無かれ)」の文字ですね。
「毋(無かれ)」の字は「母(はは)」とは違う字ですが、
「ん」のヲシテの文字に似ています。
要するに、漢鏡には良く似た文字も多くあるのでした。
ですので、それらの文字は決め手にはなりませんが、
「ひ」と「は」のヲシテの文字は、漢鏡に出ない文字です。
これが「ひ」・「は」のヲシテ文字ならば、確定的な証拠になります。
 
と、意気込んで、松山市の考古館に辿り着いたのでした。
発掘した人にも話を伺う手筈も付けていました。
それで、現物の古鏡を目の前にして、
じっと見ていましたら、良く、その割れたところが、
とても微妙でした。
結局は、「ひ」だと見えた文字は、「長」の字の上半分だったと判明。
「は」だと見えた文字には、横に二本、尻尾の生えていた跡がうっすらとくっ付いていて、
「は」のヲシテ文字では無かったと判明しました。これは「見」の文字でした。
わたくしは、
大きなため息をついたのでした。
 
その時、
ちょうど、ある商社の広報誌から、
原稿依頼があったので、
それを書く事も念頭にあって、
ヤケ酒方々、宇和島市のビジネスホテルで、
徹夜して書いた原稿は、
結構良かったでした。
わたくしにとって、初めて原稿料を頂きましたものでした。
「変わぬもの、変わるもの」でしたでしたか?
「トのヲシテ」と、他の変わってゆくミチとの、
その区別を書きました。
 
なぜ?
宇和島市か?
宇和島市は、そう、小笠原家です。
『ホツマ ツタヱ』や『フトマニ』の写本をお守りくださっていた、
大切な旧家で御座います。
小笠原長弘さんや、小笠原長武さんなど、
他にも多くの小笠原家の方々の、
ご尽力の賜物です。『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の、
その伝来・伝承の有り得ましたのはです。
特に、長武翁は、真剣に、
研究を長く続けて来て下さいました。
ご挨拶かたがた、お墓参りにと、
松山市から宇和島市まで足を延ばしましたので御座いました。
古鏡からのヲシテ文字発見のご報告が出来なかった事だけが、
残念で御座いました。
 
考古学の発掘の遺物から、
ヲシテ文字が出てきたら、ですね。
 
『ホツマ ツタヱ』のホツマ文字、
『ミカサフミ』なども同じ文字で書かれているので、
総称名でヲシテ文字と、そう、わたくしは呼んでいます。

そうです。
ヲシテ文字が出てきたら、
いっぺんに歴史は塗り替えることが出来るんですけれどね。
わたくしも、そう願う事は、
もう、長年にもなります。
 
今のところは、文献学的な根拠と、
国語学的な根拠を主張できるのみで御座います。
マスコミが本格的に動き出すのには、
誰の目にも、一目で、
目に見える証拠の品が、発掘されてからかも? です。
 
漫然と、この27年間を過ごしてきていた訳では御座いません。
もう、いつでもお応え出来る準備は、
わたくしどもの方では、整ってきております。
掲載記事を依頼してくださいました商社さんは、
ある商社、
そう、住友商事さんでした。
その広報誌に記事を書かせてもらってから、
もう、27年、
文章などの修行は積み重ねて来てまいりました。
 
もはや、私だけでなくて、
青木純雄さんや、平岡憲人さん、斯波克幸さんも、
著書を発表されるまでに、進んでこられました。
仮に、新聞社など数社からの依頼が同時に舞い込んでも、
おおよそ対応が可能です。
 
みなさま、
何か御発見がありましたら、
お知らせ願いたくお願い申し上げます。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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