天理市の黒塚古墳の、アフチの花と、秋の展覧会の事。
わが家では、ホトトギスが良い声で鳴いています。
ナツも盛りに差し掛かりました。
京都では、上賀茂神社の葵祭りのあとで、
新緑がさわやかでした。
<結婚式を挙げておられました。お幸せに。>
タラヨウの大樹が、御手洗川(御物忌川)のほとりにありました。
その昔、ヲシテ時代の中期以前には「カチ(カヂ)のキ」(梶の樹)と呼ばれていたかも知れません。 わたくしの試論です。
『トシウチニナスコトのアヤ』に典拠が有ります。
『ホツマ ツタヱ』の8アヤはひとつのアヤとして文章が長くて、
かなり難解でもあり、おつかれさまでした。
ヲシテ時代の理解は、一筋縄では参りません。
でも、安直に簡便にやり過ぎると、わが国の高貴を逸してしまうので、
ここに留意をしなくてはなりません。
・
奈良の黒塚古墳のくわしい展覧会が、
今年、H29年(2017)の秋に予定されています。
発掘から20年で、解明もだんだんと進んできたようです。
黒塚古墳には、「アフチ」の花が咲き始めていました。
天理市の、10代の崇神天皇さん(ミマキのキミ)のご陵のすぐそばです。
向かいに、お餅のお菓子屋さんが有って、
美味しいと評判です。
歩いても近くに、
ヌナギヒメさんのお社も祭られてあります。
ヌナギヒメさまのこと、記紀はどうして?
記述が冷淡に過ぎるのか? 大いに不思議でなりません。
『定本ホツマツタヱ』(池田満、展望社)から、引用します。
いかがでしょうか? 如何にもおかしい恣意的な翻訳です。
どう見ても、記紀など
漢字文への翻訳本は、
明らかにおかしいので御座います。
わが国の歴史は、此処から正してゆかねばならないと、
わたくしは考えております。
結局のところ、
いつでもそうですが、新来の帰化人たちが、
ウソも方便と、やたら、ウソ八百を、
垂れ流しにして来たせいでしょう。
今も昔も、本当に真実を解かって来ると愕然とします。
盗人(ぬすっと)たけだけしいと、のことで、
南京大虐殺は、人口の以上の人数をどうして殺せるのか?
まったく意味不明です。
すなわちのところ、
外国人が、先導して実行しているのです。それが、悪役の濡れ衣を被せられただけなので、汚名を雪(そそ)ぐ必要に、今、背に腹をかえなくてはならないほど、切迫されてきます所で御座います。
そもそも、考えてみて下さいませ。
わが国振りに於いて、
当たり前のことに、
異常なる、他者を悪人に仕立て上げることは、絶無です。
このような、幼稚園児の幼子(おさな)にも、
侮蔑的にわかる話を言い連ねるのが、千数百年来の記紀などの漢訳本の姿でした。
それらを、綺麗に一蹴してしまう必要が御座いますね。
このこころざしの、気が付いての有無が、
どう有るのかどうか?
の事々が大切で御座います。
この感覚が「ヲシテ国学」という事で御座います。
ヲシテ時代からの伝統におきまして。
それが、
韓半島や、China大陸部のそこからの伝因のことに因りまして、
悪風の悪習・悪因が流行って来ますのが、
ヲシテ時代の晩期の頃です。
ここに、反・アンチの外来思想の旗印! です。
いかに、
物質的には豊かになっても、
キラギラしくも、
豊かになってきていても、
本当の意味ではどうだったのでしょうか?
そこのあたりの経緯を詳しく判別・判定の事々を、
冷静に行ってゆくべきです。
それが、
ひとつには、
中世の「わひ、さひ」(侘び・寂び)の、
本来の我が国の情緒の復活の運動でもあるのです。
おかしいと、そういう風に振れていましたら、
何時の時代にも、
揺り戻しの機運の起きて来る。
それが、本当の文明ですね。
考古学でもそうですが、
発掘から、その解明には、相当の努力と期間を必要とします。
掘っただけでは、どうしようもないのです。
ヲシテ文献で言えば、
1、その発見の後に、
そして、
(他写本との照合による、文字や文章の確定の作業。校合のことです。)
そのあとに、
その後に、
ヲシテ文献の場合、
5番目の、諸事の考察に進んでいます。
何と申しましょうか?
1の事項はまだしも、
2か、3からの事項から、
わたくし達の進めてゆく「ヲシテ国学」と、
そうではないオカルトの類(たぐい)の人達との、
その路別れが生じて来るのです。
これは、目的とするところの違いですので、
仕様の無い区別になります。
要は、早い目に、
目的の行き着く理想のユートピアに付いて、
諸人のおこころを理解してゆく事に尽きる事であります。
・ ・ ・
そもそも、文献学と言うものは、
本質的に、
考古学よりも、もっと何十倍も困難さを包含しています。
なぜならば、素人目には、
一見には、区別が、その良し悪しに気が付いては行かないからです。
たとえば、「マカコのヤシリ」がヲシテ文献に典拠が有ります。
「キタワセ(鍛える)」ですから、鉄の刃金製であると考えると、
妥当であります。
つまり、実物として、
黒塚古墳での「鉄鏃」に相当することが、
やっと解かって来ました。下の写真は、レプリカです。良く出来ています。
天理市の黒塚古墳展示館に展示してあります。
が、さて? 「マカコ」の意味は何か?
それは、黒塚古墳での「鉄鏃」の出土物の分析と解明が、
もっと進むと、ヲシテ文献での典拠の用例の言葉の意味の解明に、
繋がってくるのかも知れません。
黒塚古墳の、ツルギも掲示します。レプリカだそうです。
黒塚古墳からは、鏡が多く30面以上も出土しています。
鏡面のくわしい解析によって「魔鏡」になっている事が解かったそうです。
墓室に付いても、くわしいレプリカが、制作・展示されています。
何でも、二上山の石質に近い長野県の更埴市から取り寄せて、
出来るだけ忠実再現をしたそうです。
なお、鎌倉時代頃の盗掘の後も再現してあって、
もう10cmも掘ったら、あやうく破壊された寸前にあったとの事。
黒塚遺跡が残ったのも、奇跡でした。
中央部には水銀朱の赤を塗り、
棺の周囲にはベンガラの赤を塗ってあったとの事です。
ツルギふた振りと、カガミの一面が棺の中に添えられてあって、
外部に、多くの鏡が立て掛けてあり、
ニシキの袋に二重に入ってあったカガミもあるそうです。
ニシキの織り方再現も進んできているそうです。
漢字渡来以前の、本来の我が国の文化・文明の解明です。
ヲシテ文献の記述との合一・吻合が、
またまた、新たに明らかになることでしょう。
さて、
秋の展覧会が楽しみです。
ヲシテ時代の高貴さ、その後期・晩期の実情が解かります。
本当の我が国の精神的な独立なのです。
これで、
またひとつ、帰化人たちのついた嘘を晴らせます。
千数百年前、漢字が来てから、「日本」に文化が出来たという、
真っ赤なウソです。
かれらは、ディする貶めが習い性なのですね。
京都人になるには、3代住まないととも申します。
わが国振りになるには、何世代かの時間が必要なようです。
黒塚古墳の、
アフチの樹の花の咲きはじめを、UPにしてみます。
今日は、女房が、
ホトトギスを、その姿を見たと言っていました。
鳩よりは、ちょっと小さ目ですが、
スズメよりももっと大きくて、
ヒヨトリよりもやや大きいような、
で、
今日は、夕方とても元気に、すぐそばで鳴いていました。
何か良い事が、あったのでしょうか?
うるわしい事で御座います。
本当に、うるわしい良い声で御座います。
朝もそうですが、
ホトトの声を聴いていると、
気持ちが晴れます。
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