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2017年5月22日 (月)

天理市の黒塚古墳の、アフチの花と、秋の展覧会の事。

わが家では、ホトトギスが良い声で鳴いています。
ナツも盛りに差し掛かりました。
京都では、上賀茂神社の葵祭りのあとで、
新緑がさわやかでした。
Kamikamo1
          <結婚式を挙げておられました。お幸せに。>
タラヨウの大樹が、御手洗川(御物忌川)のほとりにありました。
Tarayou
 
その昔、ヲシテ時代の中期以前には「カチ(カヂ)のキ」(梶の樹)と呼ばれていたかも知れません。 わたくしの試論です。
Kati
   『トシウチニナスコトのアヤ』に典拠が有ります。
 
『ホツマ ツタヱ』の8アヤはひとつのアヤとして文章が長くて、
かなり難解でもあり、おつかれさまでした。
ヲシテ時代の理解は、一筋縄では参りません。
でも、安直に簡便にやり過ぎると、わが国の高貴を逸してしまうので、
ここに留意をしなくてはなりません。
                 ・ 
奈良の黒塚古墳のくわしい展覧会が、
今年、H29年(2017)の秋に予定されています。
Kurodukakohunn1
                <橿原考古学研究所、博物館 にて、です。>
発掘から20年で、解明もだんだんと進んできたようです。
Kuroduka5
 
黒塚古墳には、「アフチ」の花が咲き始めていました。
Kuroduka6
 
天理市の、10代の崇神天皇さん(ミマキのキミ)のご陵のすぐそばです。
Mimakinokimi
向かいに、お餅のお菓子屋さんが有って、
美味しいと評判です。
歩いても近くに、
ヌナギヒメさんのお社も祭られてあります。
Nunagihime2
 
Nunagihime1
ヌナギヒメさまのこと、記紀はどうして?
記述が冷淡に過ぎるのか? 大いに不思議でなりません。
Nunagihime
 
いかがでしょうか? 如何にもおかしい恣意的な翻訳です。
どう見ても、記紀など
漢字文への翻訳本は、
明らかにおかしいので御座います。
わが国の歴史は、此処から正してゆかねばならないと、
わたくしは考えております。
結局のところ、
いつでもそうですが、新来の帰化人たちが、
ウソも方便と、やたら、ウソ八百を、
垂れ流しにして来たせいでしょう。
今も昔も、本当に真実を解かって来ると愕然とします。
盗人(ぬすっと)たけだけしいと、のことで、
南京大虐殺は、人口の以上の人数をどうして殺せるのか?
まったく意味不明です。
 
 
すなわちのところ、
外国人が、先導して実行しているのです。それが、悪役の濡れ衣を被せられただけなので、汚名を雪(そそ)ぐ必要に、今、背に腹をかえなくてはならないほど、切迫されてきます所で御座います。
そもそも、考えてみて下さいませ。
わが国振りに於いて、
当たり前のことに、
異常なる、他者を悪人に仕立て上げることは、絶無です。
 
このような、幼稚園児の幼子(おさな)にも、
侮蔑的にわかる話を言い連ねるのが、千数百年来の記紀などの漢訳本の姿でした。
それらを、綺麗に一蹴してしまう必要が御座いますね。
このこころざしの、気が付いての有無が、
どう有るのかどうか?
の事々が大切で御座います。
この感覚が「ヲシテ国学」という事で御座います。
ヲシテ時代からの伝統におきまして。
それが、
韓半島や、China大陸部のそこからの伝因のことに因りまして、
悪風の悪習・悪因が流行って来ますのが、
ヲシテ時代の晩期の頃です。
ここに、反・アンチの外来思想の旗印!  です。
いかに、
物質的には豊かになっても、
キラギラしくも、
豊かになってきていても、
本当の意味ではどうだったのでしょうか?
そこのあたりの経緯を詳しく判別・判定の事々を、
冷静に行ってゆくべきです。
 
それが、
ひとつには、
中世の「わひ、さひ」(侘び・寂び)の、
本来の我が国の情緒の復活の運動でもあるのです。
おかしいと、そういう風に振れていましたら、
何時の時代にも、
揺り戻しの機運の起きて来る。
それが、本当の文明ですね。
 
考古学でもそうですが、
発掘から、その解明には、相当の努力と期間を必要とします。
掘っただけでは、どうしようもないのです。
 
ヲシテ文献で言えば、
1、その発見の後に、
そして、
(他写本との照合による、文字や文章の確定の作業。校合のことです。)
そのあとに、
その後に、
 
ヲシテ文献の場合、
5番目の、諸事の考察に進んでいます。
 
何と申しましょうか?
1の事項はまだしも、
2か、3からの事項から、
わたくし達の進めてゆく「ヲシテ国学」と、
そうではないオカルトの類(たぐい)の人達との、
その路別れが生じて来るのです。
これは、目的とするところの違いですので、
仕様の無い区別になります。
要は、早い目に、
目的の行き着く理想のユートピアに付いて、
諸人のおこころを理解してゆく事に尽きる事であります。

         ・        ・         ・
 
そもそも、文献学と言うものは、
本質的に、
考古学よりも、もっと何十倍も困難さを包含しています。
なぜならば、素人目には、
一見には、区別が、その良し悪しに気が付いては行かないからです。
 
たとえば、「マカコのヤシリ」がヲシテ文献に典拠が有ります。
Makakonoyasiri
Makako
「キタワセ(鍛える)」ですから、鉄の刃金製であると考えると、
妥当であります。
つまり、実物として、
黒塚古墳での「鉄鏃」に相当することが、
やっと解かって来ました。下の写真は、レプリカです。良く出来ています。
Kuroduka1
天理市の黒塚古墳展示館に展示してあります。
が、さて? 「マカコ」の意味は何か?
それは、黒塚古墳での「鉄鏃」の出土物の分析と解明が、
もっと進むと、ヲシテ文献での典拠の用例の言葉の意味の解明に、
繋がってくるのかも知れません。
 
黒塚古墳の、ツルギも掲示します。レプリカだそうです。
Kuroduka3
 
Kuroduka4
 
黒塚古墳からは、鏡が多く30面以上も出土しています。
Kuroduka7
 
鏡面のくわしい解析によって「魔鏡」になっている事が解かったそうです。
墓室に付いても、くわしいレプリカが、制作・展示されています。
何でも、二上山の石質に近い長野県の更埴市から取り寄せて、
出来るだけ忠実再現をしたそうです。
なお、鎌倉時代頃の盗掘の後も再現してあって、
もう10cmも掘ったら、あやうく破壊された寸前にあったとの事。
黒塚遺跡が残ったのも、奇跡でした。
Kuroduka2
中央部には水銀朱の赤を塗り、
棺の周囲にはベンガラの赤を塗ってあったとの事です。
ツルギふた振りと、カガミの一面が棺の中に添えられてあって、
外部に、多くの鏡が立て掛けてあり、
ニシキの袋に二重に入ってあったカガミもあるそうです。
ニシキの織り方再現も進んできているそうです。
漢字渡来以前の、本来の我が国の文化・文明の解明です。
ヲシテ文献の記述との合一・吻合が、
またまた、新たに明らかになることでしょう。
さて、
秋の展覧会が楽しみです。
ヲシテ時代の高貴さ、その後期・晩期の実情が解かります。
本当の我が国の精神的な独立なのです。
 
これで、
またひとつ、帰化人たちのついた嘘を晴らせます。
千数百年前、漢字が来てから、「日本」に文化が出来たという、
真っ赤なウソです。
かれらは、ディする貶めが習い性なのですね。
京都人になるには、3代住まないととも申します。
わが国振りになるには、何世代かの時間が必要なようです。
 
黒塚古墳の、
アフチの樹の花の咲きはじめを、UPにしてみます。
Kuroduka7_2
 
 
 
今日は、女房が、
ホトトギスを、その姿を見たと言っていました。
鳩よりは、ちょっと小さ目ですが、
スズメよりももっと大きくて、
ヒヨトリよりもやや大きいような、
で、
今日は、夕方とても元気に、すぐそばで鳴いていました。
何か良い事が、あったのでしょうか?
うるわしい事で御座います。
本当に、うるわしい良い声で御座います。
朝もそうですが、
ホトトの声を聴いていると、
気持ちが晴れます。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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