2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

おすすめ

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』のこと。  追記、継体天皇のおキサキさまのご陵参拝の事。 | トップページ | ご陵巡拝のこと。「なら 記紀・万葉」プロジェクトのこと。 ハシツカ(箸墓)のこと。 »

2017年5月 4日 (木)

木下武司さん『和漢古典植物名精解』の事など。タラヨウのこと。

キリ(桐)の花見に誘われてもありました。
良い香りです。
Kiri2
ですが、事情もあって女房が膝痛(ひざいた)で、
病院に連れてゆく際に、そのおまけに、キリの花見でした。
Kiri4
膝痛のことは、ダンスで勉強した事が役に立ちました。
女房に、骨格や筋肉などの身体の構造を説明しましたら、
膝痛の根本の対策になったようです。
ダンスで培った、身体基本構造の理解が役立ったようです。
Kiri3
基礎の、根幹の理解が、一番大切です。
何でも勉強であります。
当面のことは対症療法が必要ですから、整形科での受診です。
月曜日の話でした、もう、今日には、かなり回復に向かっているようです。
人体は、精密な生理構造によって維持されていますから、
本当に複雑で、分子生物学の新分野の視点からでも、
まだまだ良く解からないことだらけのようです。
ダンスで勉強した人体の構造的な仕組みの、骨格と筋肉なども、
本当に、一つ一つを見ても、吃驚する程に繊細で大胆で、かつ、合理的です。
分子生物学を草創期から注視なさっておられた三石巌先生の思いも、
何となく解かるような気がします。
               ・
さて、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」での「キリ」の用例です。
Kiri

そう言う事からも、
人々は、有用植物に、注目するはずです。
冶金への利用で、「シロカネ(銀)」の製錬に使用していたと思われます。
 
私たちの先祖は、偉い人がたくさん出ているはずです。
特に、植物の生態数のバリエーションのすばらしく花開いているのが、
わが国なのです。そう、日本列島です。
寒冷期の氷河時代でも、四回を海に囲まれて、そのおかげ、
温暖さは、周囲に秀でていました。
それで、多くの絶滅危惧種が、わが国には残ったのです。
つまり、わが国は、何万年何十万年レベルでの、
絶滅危惧種の宝庫であったのです。
やっと、
この事実に、
考古学の発掘からも、
解かって来ました。
漢字に幻惑されて、China渡来説にかぶれての大間違いを、
ここで、直してゆかねばなりません。
さてさて、
文化・文明の発生の後にと、話題を移しましょう。
ヲシテ時代の始まりは、
最低に少なく見積もっても、6000年前はあります。
その根拠は、三内丸山遺跡での「クリ(栗)」の品種改良を伴った栽培植栽に定礎を据える事が出来ます。
このことは、
『古事記』『日本書紀』の原書の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、
その典拠を見ることが出来ました。
詳しくは『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)をご覧ください。
しっかりと纏めております。
ヲシテ時代にも、古くから、薬草や有用植物への利用の知恵は相当にあったようです。
キリ(桐)もそのひとつです。
登呂遺跡から、弥生時代のキリ(桐)材によって作られたコト(琴)が出土しています。
Kiri1
http://kiri-life.com/column03

そして、
ヲシテ時代中期にも、キリ(桐)の冶金の利用の用例があります。
そうしましたら、キリ(桐)は古い時代から我が国のものであった、と言えます。
ところが、
明治以降からの植物学では、大陸渡来思想に覆われたままでした。
最近になって、鳥浜貝塚や三内丸山遺跡などの発掘から、
やっと、本当の我が国の文化・文明も現物の出土物から紐解かれつつあります。
ですが、哲学や世界観は、文献や言葉でしか詳しいことは解りません。
                 ・
この、大きな出来事に、
即さの理解を求めようとは、
わたくしは考えてはおりません。
ゆっくりと、じっくりの、マトモな理解を希求してきております。
従前の「神代文字」のレベルとは、隔絶の区別がなされなくては成りません。
何故ならば、記紀つまり、『古事記』『日本書紀』の原書である証明を、
既に済ませて公開出版しているからです。

つまり、
12代景行天皇56年までの、国史は、
『古事記』『日本書紀』から、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、変更されるべきである。と言う、当たり前の主張をしています。
Amakami
この事は、
松本善之助先生はじめ、
わたくしや、青木純雄さんなど強く主張している訳で御座います。
ここを、どうして解除してゆくか?
が、
長い千年来のわたくしたちのクリアーにしてゆくべきこれからのテーマです。
ここは、真面目に考えたら、外す事は出来ません。
これで、記紀の原書の発見と、真面目な研究によって、
やっと、本当の我が国の文化・文明も精神的なことが判るようになりました。
でも、漢字に置き換えられて2000年近く経ってしまったのです、
漢字訳によって、随分と変容してしまいました。
豊かで温かい、また勁い我が国本来の文化・文明は、現代語で表現するのは、
現代文への直訳では、決して上手くゆきません。
それはそうです。
Chinaは、我が国の事を「倭人(こびと)」だと、
根っから貶めて言わんとしていたのです。
やっと、「日本国」と書き始めたのは、
天武天皇のころになってからでした。
ほんとうに、バカにされっぱなしだったのでした。
『魏志倭人伝』の時代から、わが国は、やられっぱなしもいいとこでした。
今でも歴史は繰り返す、のように、「小日本」とか「日本鬼子」とかと、
畔せせりのように突っ掛ってきて、バカにしようと企むのが彼らのようです。
性癖なんでしょうかね?
こちらとの差異は、
「トのヲシヱ」の基礎構造が6000年来にも有るので、
わが国の伝統とは、
大陸も半島も、心理的な基礎構造が違うようです。
地政学の理解から現代にもわたくしたちにも辿って行ける路スヂが見えて来るかとも思っています。
 
                 ・
 
 
昔の悪口の蔑称が「倭人(こびと)」だったのでした。
つまり、
『魏志倭人伝』と言うのは、明らかに悪口におとしめのための本で、
毀誉褒貶の悪いバイアスだけが掛かっていたと言えます。
『魏志倭人伝』は、揚げ足取りに徹した書物です。
こんなものを、マトモに取り上げるのが、間違っています。
すでにして、漢字渡来の以前の時代から古墳時代に入って、
やがて、
世界でも最大級の仁徳天皇のご陵を作ったりしているのが我が国です。
漢字渡来の王仁(わに)が来た頃の話が、仁徳天皇の時代ですよ。
それが実現しているのには、
縄文時代の前期頃からの長い、世界に冠たる高貴な歴史が、
わが国に、すでに実存していたからなのです。でないと、話のつじつまが合わないでしょう?
ですから、
我が国本来の文化・文明は「縄文日本文明」と呼ぶと解かり易いでしょうか?
それは、文献学で記紀の原書の、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に拠って初めて解明されるのです。
『ホツマ辞典』(池田満、展望社)に、広範な基礎知識を詰め込んでありますので、
ご覧ください。
『縄文人のこころを旅する』(池田満、展望社)には、解かり易くヲシテ時代中期に遡る道筋を記しました。
初見に、全体の雰囲気を掴んでもらうためには、
松本善之助先生から絶賛の賛辞を頂戴した本です。
       ・        ・         ・  
さて、
はじめのころ、
ヲシテ文字をどう書いていたのか?
ヲシテ文献には「ソム」の表現が多くあります。
Somu1
Somu2_2

「シルシテ」の表現もあります。
Sirusu1_2
 
Sirusu2
 
Sirusu3

これらの実物は、おそらく、「キヌ(シルク)」などの布に染めたものであったと推察されます。
これらは、ヲシテ時代中期に遡る頃の用例です。
つまり、考古学で言うところの、縄文時代の晩期から弥生時代の初めごろの事に成ります。
 
では、もっと古くには、どうだったのでしょうか?
ヲシテ時代の草期にも遡る、考古学での縄文時代前期はどうだったのか?
ヲシテ文字は何に記していたのか? が、
ヲシテの文字の醸創期の時代への遡及に欠かせない考察になります。
そういったことから、
タナハタ(7月7日)の「カヂ(楮の一種)」に「ヲシ」の用例は注目されます。
Katiniosi
「カヂ(カチ)」の葉に「オシ(ヲシテ)」を記したと、
見て取れます。
𣑥(タク)や、梶の樹あるいは楮の樹の種類の事を詳しく調べますと、かなり、ややこしいので御座います。
木下武司さんの、『和漢古典植物名精解』(和泉書院)および『万葉植物文化誌』(八坂書房)がとても役立ちます。漢籍の調査から、専門の薬学の視点が面白いです。
それらの中で、
簡易な筆記方法として、今わたくしの試案として、
「タラヨウ」が考えられます。
主幹のそばの葉は、丸みを帯びてズングリ型です。
枝先に行くと、スマート型になります。
Tarayou1
「タラヨウ」は、漢字由来での今の呼び名ですが、
わが国に古くから自生していたようですから、
メモする樹の葉、として、活用されていたかも?
と、考えられます。 木の枝で文字が書けるのです。
それで、7月7日には、「タラヨウ」や𣑥や、梶の樹あるいは楮の樹の代表として、
「(カチ)カヂ」を主のお供え物として、「タナハタ」のお祭りに供したと考えて良いかも知れません。ヲシテ時代の「タラヨウ」の呼び名には、何か別名があったのかも知れません。つまり「カチ」と呼んでいたかも? とも、思ってみても良さそうなのですね。
漢字渡来後の用語の変遷については、
『和漢古典植物名精解』140ページ参照。
 
「タラヨウ」の花が咲きました。
Tarayou2
UPしてみます。
アリンコも来てました。
Tarayou3

漢字表記が2000年来にも国字として為されていますので、
殊更にも、混乱がひどくなったわけでしょう。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」が忘れられてしまったことも、
大きな原因です。
漢字以前の時代の我が国の大哲学を理解するには、
漢字流に、また「小日本」流に流されてしまいます。
 
「タチバナ」のこと、
日本に原産としたのは、『万葉植物文化誌』(木下武司、八坂書房)で、
(327ページ)評価できます。 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

« 三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』のこと。  追記、継体天皇のおキサキさまのご陵参拝の事。 | トップページ | ご陵巡拝のこと。「なら 記紀・万葉」プロジェクトのこと。 ハシツカ(箸墓)のこと。 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/76499/70461557

この記事へのトラックバック一覧です: 木下武司さん『和漢古典植物名精解』の事など。タラヨウのこと。:

« 三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』のこと。  追記、継体天皇のおキサキさまのご陵参拝の事。 | トップページ | ご陵巡拝のこと。「なら 記紀・万葉」プロジェクトのこと。 ハシツカ(箸墓)のこと。 »