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2017年4月 6日 (木)

森神逍遥さん『人生は残酷である』(桜の花出版)の出版のお祝い。 「ヲシテ国学」の学位の事。   森神逍遥さん、純粋さなること。

敗戦後の、進駐軍のコントロールのもとや、
シベリア抑留帰りの苦労なさったお方々など、
恣意的な偏執的思想の流行があったのを、
いよいよ、挽歌によって送る本です。
Zannkoku
おもしろいです。
書き初めの文句に、またしびれました。
「人生は残酷である。 …  地上の生命たちはみな、死にかかった途端に周囲の生物から餌として扱われ、アリやハエなど小さな生物たちが集(たか)りはじめ、あるいは鳥や小動物や猛獣に食べられてその一生を終えるのである。」
森神逍遥さんとは、
前著の、『侘び然び(わびさび)幽玄のこころ』(桜の花出版)
Photo
からのお付き合いで、
「あなたは日本人として「侘び」と「然び(さび)」について明瞭に語ることが出来ますか?」の謳い文句に、ビビッとしびれたのでした。
かなりのことに、ビレビレになっちゃいました!
それから、事あるごとに、ご縁が開けました。
今回は、女房にも一冊お贈り下さいました。
こんな椿事は初めてで、女房も、お礼を書く!
と、張り切っております。
と言いますのも、女房の陶器展(旧姓からの、森みの里)に欠かさずおいで下さっているのです。
やはり、評価をなさって下さっていますからですね。
でも、
まだ、お会いしたことが無いのも事実です。
そのうちには是非に! とも、思って居ります。 
森神逍遥さんは、
10歳で、自分の自立萌芽が起きたとのこと、すごいと思いました。
(p36、日記)
そういいましたら、
私の祖先には、源満仲がいまして、生きるの死ぬのと言うようなその切羽詰まった時代も何とか生きながらえて来てくれたので、今の私の生存もある訳で御座います。生命の不思議は、いつも感じます。

         ・       ・
 
敗戦後の偏執的な思想とのお別れの後に、
わが国の本当の真実に向き合う、
「日本回帰」への欲求が起きて、
そうこうして、遡ってゆきますね。時代を真面目にですね。
私たちの本質の本物にですね。
そして、
ある人は、「仏教」、「禅」に行き着いたりします。
更にも遡ったら、漢字や漢文に来たりもします。白川静さんのあたりです。
また、「神道」にも行き当たりもします。でも、考えてもみて下さいませね、「神道(しんとう)」の読み方からしても、ご想像にも堅くないように、重箱読みでして新・旧とアチャラとコチャラの概念のゴッタ煮の混ぜ混ぜです。「しんどう」だったら、筋は通ります。ですが、それやダメだと、言うわけです。そうして「しんとう」と読めと言うわけですね。頭のキレのもう一つの私には、重箱読みは、釈然としないので御座います。どっちにしても、いわゆる「神道(しんとう)」も、また「古神道」でも同じで、漢字渡来以降の産物です。やっぱり、きちっとしたよすがには成り得ません。根底が漢字読みでやってるからには、どうしても時代落ちもいいとこで御座います。
どっちにしましても、千数百年来、漢字渡来以降の我が国は、文化・文明のその事からしましたらサンドバックに幾らにでも叩き据えられたのです。ひどい話で御座います。このこと、まったく、現代のわたくし達は知らないままだったのでした。唖然とします。
 
そうしたなかに、
その後に、現代研究が、随分と進展しました。
もう、「ヲシテ国学」の旗揚げにも、準備に不足が無くなって来つつあります。
そこで、
「日本ヲシテ研究所」で、「ヲシテ国学」の認証制度を設けていっても良いか?
とも思いつつあります。
「博士相当」の認定。
「修士相当」の認定。
「学士相当」などなどの認定です。
服部幸應さんの免状の騒動が有りましたが、
わたくしは、認証側のサイドじゃないかと思うので御座います。
無位無官で、その方が、今の現状を見渡してスパッとしていると思うんですね。
そのうちに、国家主体の研究所にと作り替えてゆくイメージです。
どうしても、今現在、わたくしは無位無官がそぐわしいです。
なぜならば、まだ、それなりのマトモな評価に付いての一端のはしくれも、頂いたような事は御座いませんからです。
絶対評価におきまして、わたくしたち「日本ヲシテ研究所」が、最高の評価集積団体であるような事ですね。
 
そう申しまして、考えてみましたら、現在の時点で、
「博士相当」の認定の候補は、東京の青木純雄さん、大阪の平岡憲人さん、東京の斯波克幸さん、四国の合田静江さま。
「修士相当」の認定の候補は、和歌山の小池さん、東京のベベさん、など多数。
 
と、言うような事でよろし御座いましょうか? 記入漏れが有るようでしたら、お知らせ願います。
「学士相当」のお方の認定の候補作成には、皆さまの、お力が必要になって来るのかと思います。
要するにのところ、
「ヲシテ国学」の樹立に向けて、
土台は整って来つつあります。
さて、その、大きな構想に向けて、
どう言った構造を構築してゆくのが、
今現在の諸実情に照らし合わせてベストなのか?
この、問いに対して、真面目に考えてゆくべきだと、
そういう思いで御座います。
何はともあれ、わたくしは、無位無官がスキッとしていると、
そのように思っています次第で御座います。
千年三千年のうつくしさをこそ、が、
わたくしのたっての信条で御座います。
 
おかしげ蓮舫さんの言い草でもないですが、「一番でなくちゃいけない」
と言うわけでもないのですが、
わが国の伝統は、お軽ーいナショナリズムに浮かされる訳でもなくて、
すごいのですね。
そこを、Chinaの人達は訳が解かららないので責め立てて来るのですけれど、
全然、意味も為さない袖違いです。
文化と言いますか、文明と言いますか、根底が違うと、
余りに違う世界ですから困惑です。
蓮舫さんも、美人だったと思っていましたが?
一体全体のところ何人なんでしょうかね?
其処が、一番の注目度に成っちゃいましたですね。
それなら、
真実を明瞭につまびらかに明かして説明してもらいたい処で御座います。  ですがね…  。    ? 。 
 
 
               ∞        ∞
 
―4月7日追記― 
 
森神逍遥さんのこと、
実に、今、発見した感じが有りました。
今、二回目を読んでおります。
前著では其処まで私の理解は至りませんでしたが、
何かしらの、強いビビッと感を覚えました。
今回の新著には、
国家感の純粋さを、本当に美しい、珠玉のように見ました。
どんな宝石よりも、美しいです。
美しさとは何か? ですね。
 
女房も、
読み始めたという事で、
こんな純粋な人!!
と、
それは、驚いていました。
 
本当のうつくしさとは、ここに有ると思うのです。
 
所謂俗人の横行するなか、
うつくしいひと、晴れ晴れとした思いで御座います。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

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