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2016年1月27日 (水)

お葉書の「ヲシテ」文字の美しいこと。 京都の御所のこと。  橘守部、天武天皇の事。イワツクワケさまのこと。

広島のお方から、お葉書を頂きました。ヲシテ文字が使い慣れて美しいことに、とっても喜んでいます。 ヲシテの慣れが、第一番ですね。

一昨日は、京都の講習会でもヲシテ文字を書き取りして写してもらいました。
Kyouto1
いつも、美しく、お花を活けて下さっています。
御所のすぐ近く。
ヲシテの文章の読み書きが、アマテルカミに、おそばに近付く第一歩だと思います。
なれたら、ヲシテ文字は段々と綺麗になって来ます。
               ・
早めに到着したので、御所の休憩所で読書をしていました。
Nakatatiuri2
御所は、静かです。
本当は、こちらが「ミヤコ」だと、京都で言ってましたら、やっぱり、皆さん共感をなさいます。
Nakatatiuri1
中立ち売りの御門の内側です。
もうひとつ南に蛤御門(はまぐり ごもん)があります。
中立売門の北の休憩所にはストーブが焚かれています。
落ち木などを燃やしていて、いつも温かです。
ちょっと、時間のある時など、読書に最適な場所です。
 
            ・        ・
所要で、三重県朝日町に行くことがありました。
桑名市の南側に隣接しているのが、朝日町です。
萬古焼(万古焼)の、草創期のふるさとでもあるとの事です。
江戸中期ごろ、沼波弄山(ぬなみろうざん)が元文年間(1736〜1740)に始めたのが、万古焼の草創期だそうです。
当時の、東海道の幹線の道筋でした。
ついでに、
橘守部(たちばな もりべ)の生誕地に寄りました。
大きな石碑で讃えられています。
Moribe
佐々木信綱が、献歌をささげています。
国学の先学に対して、尊敬の念です。わたくしも同感です。
  くちせぬ名を 国つ学の道の上に 残せる大人(うし、偉人の尊称)は この里ぞ生みし
   橘守部翁生誕の地
   時じくの かぐのこのみの かぐはしき たかき名仰がむ 八千とせの後も
   後学 佐佐木信綱 
  (碑裏)わが朝日村小向は国学の大家橘守部翁の生まれたれし誉のある地なればそれを永遠に記念せまほしく
     同じく北勢の出身なる佐佐木博士に讃歌を請ひたるなり
     昭和二七年九月  飯田源兵衛  飯田さ加栄  芳翠  松本英一書
 
 
橘守部も、江戸中期ごろからの人物です。天明元年4月8日(1781年5月1日) - 嘉永2年5月24日(1849年7月13日))。
万古焼の草創期とも重なります。
 
橘守部のこと、ヲシテ文献の発見・研究以前の事ですから、学問的には割り引かざるを得ませんですが、本居宣長よりは上だと、私は思っています。
さて、朝日町とは、桑名の南に隣接します。この朝日町に付いて、天武天皇の事績から地名が起きているのだそうでした。
Moribe2
中程より下に、橘守部の由緒地が記されています。
天武天皇の記事を見てみましょう。
『日本書紀』です。
Tennmu1
当時、反体制側であった、のちに40代にご即位なさいます天武天皇は、反乱軍として、体制側から追われる立場にありました。
その彷徨のさなか、朝明郡の今の朝日町の朝明川にて、天照大神を拝したのでした。
朝明川、『日本書紀』天武天皇前紀では「迹太川」の表記に記されています。
迹太川の「迹」の漢字は珍しい字です。
そう言えば、26代目の継体天皇のお名前は男大迹王(をほどのおおきみ)でした。
我が国の国風を守ろうとする側と、そうでない側とにも区別をしてみると解かりやすいのかも知れません。
26代の継体天皇さんの記事を『日本書紀』に見ておきましょう。
Ooto
国政が乱れた際に、
遠い、皇孫から、26代の継体天皇さんが迎え入れられたのには、ワケがあるのでしょう。そして、40代の天武天皇さんも、ここを、ご祈念なさったのではなかったか?
そう言うような事に、思いをはせた次第でした。
 
神武天皇さんから、12代降って景行天皇さんまでがヲシテ文献の記載の時代です。それから程なくして、漢字の国字化時代を迎えます。
14代降った、26代の継体天皇さんの時に、世が乱れたので、それで、継体天皇さんが迎えられます。さらに、14代降った、天武天皇さんの時代も動乱を迎えたわけです。今現代は125代に至る、とっても長いのが、我が国の歴史です。さらに、ヲシテ文献の発見・研究で、神武天皇さんの以前に、12代の先行しての我が国の建国の歴史があったことが判明したわけです。
 
ちなみに、
継体天皇さんの始祖は、イワツクワケさまです。
つまり、美人のカマハタさんと、11代のイクメのキミ(垂仁天皇)との間に生まれたのが、イワツクワケさんです。『ホツマツタヱ』37アヤに詳しくあります。
Iwatukuwake1
 
Iwatukuwake2
 
そして、イワツクワケさまをお祭りしているのが、
三尾の別業(おなりどころ)だったといわれる、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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