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2016年6月23日 (木)

馬野周二先生からの評価のこと。新概念の「トのヲシヱ」の「コペルニクス的転回」のこと。   青山繁晴さん、誹謗中傷への反論の事。緊急書き込み!!

馬野周二先生は、わたくしのことを「第一人者」として評価して下さいました。

それは、『ホツマ辞典』(1999年)を出版して、数年たったころの話に遡ります。

馬野周二先生は、工学を専門とされていました。

ニューヨーク工科大学で教鞭をとっておられました。

でも、外国にて活躍するうちに「日本」に目覚められたのです。

『人類文明の秘宝「日本」 ―世紀破局救済の「使命」その根因を探るー』

        (馬野周二、徳間書店、1991年

は、エーゲ文明から紐解いてゆく「日本」の発見の導入部分は見事だと思いました。

その数年のうちに、

わたくしは『ホツマ辞典』(池田満、展望社、1999年)を上梓します。

そうしましたら、馬野周二先生から「ぜひ会いたい」。

と、

面会を求められました。

わざわざ、東京からお出向き下さいまして、

三重県の湯の山温泉のきれいなお宿で、

ゆっくりお話をさせていただきました。

Photo_2

      <この頃の写真です。

          池田 満 、 比叡山にて>

美味しかったですね、その酒宴の、お料理のこと。

ちゃんとお解りのお方様は、食べ物でも、好みに合うものを、

事前にチェックしていてくださいますのですね

翌日も、朝から昼過ぎまで、あれこれと、

馬野周二先生は事細かにお尋ねになられました。

たしか、わたくしとしての忙しい時間のやり繰りをして、

湯の山温泉のホテルに伺ったのを思い出します。

美味しいお料理と共に、その超多忙な時のことを思い出します。

その結果が、

馬野周二先生は、わたくしのことを「第一人者」として評価して下さいました。

このこと、つまり、噛みくだいて言いましたら、

当時盛んだった鳥居礼や吾郷清彦の直訳の「秀真伝」の、

理解レベルでは、これはダメだ!

ということです。

それが、ヲシテ文献研究の本筋を表した『ホツマ辞典』(池田満、展望社)で、馬野周二先生が解かったという事です。

わたくしの『ホツマ辞典』の出版目的は、

マトモな研究路線の提唱をすることにありました。

これで、目的は果たせたことになります。馬野周二先生が公平沈着な評価を下さいました。

大きな「ヲシテ国学」樹立に向けての、小さな一里塚です。

さらに、

その後のこと、

わたくしは『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社、2001)を、

上梓しました。

そうしましたら、その書評をお寄せくださいました。

それが、下記に掲げます、貴い評価の文章です。

つまり、馬野周二先生は、わたくし池田満のことを、

「第一人者」よりももっと上の、

「歴史家」としてお認めになって下さいましたわけです。

『ホツマ辞典』では、その書籍の性格上、

わたくしの自説を極めて控えめに記すにとどめました経緯もあります。

 

ー以下引用の文章ですー

     ∞     ∞     ∞

   ― 馬野周二 通信 「周真会」報 ―

131122   『ホツマツタヱを読み解く』

 

     日本古代文字が語る縄文時代 

 

   池田 満 展望社 2001.11 発行

 

 

 池田満さんは長い間ホツマツタヱ(秀真伝)を専心研究しておられる方です。

戦後この我が国史の根本文献を発掘された松本善之助先生のかけがえのない

協力者として、この書の復元整備に絶大な貢献をされましたことは、斯界しかいに

誰知らぬ者は居りません。

 

 ですが、これまでの池田さんはいわば文献読解中心の研究者として見られて

きました。わたしもまた軽率にそう考えていました。

 

 ところがこの最新刊を拝読して、この人は今やそんな範囲を遥かに超えて、

本物の歴史家に変身していることを痛感しました。

 

 日本古代史に止まらず、歴史社会学の全スパンを通じて、これだけの深さと

幅をもって数千年の人間活動を分析した人は、少なくとも我が国にはまだ現れて

おりません。

 

 その説くところは高尚にして深刻、万事肯綮こうけいに当たっている。汗牛充棟かんぎゅうじゅうとうの

歴史家達の遠く及ぶところではありません。

 

 この書は今にして広く読まれるべき第一の書です。

 

 どうか必ず一本を書架に備え、熟読されんことを切望します。

 

           平成十三年十一月  馬野周二

http://members3.jcom.home.ne.jp/shishoukaku/05shushinkai/003recommend/131101ikeda.html

 

ー引用、おわりー

その後にも、

わたくしの研究は、充実してさらに進展をしていっております。

『縄文人のこころを旅する』(池田満、展望社、2003年)

では、宗教観・哲学観・世界観のものの見方を新しく提唱しました。

おそらく、「思想家」としての面を強く表せたかと自認しています。

さらに、

ヲシテ時代に遡る国語の理論構築にも、

研究を進めております。

この面は「国語研究家」とも称されてゆくでしょうか?

だって、「国学」の基礎の柱の一つに、「国語」があることは、

当たり前の事実です。

いつまでも、外国から輸入した文法のコピペの焼き直しで、

文明の礎の「文法」をかーるい理解で、自己逃避的な逃げを打っていてははじまりません。

Photo_3

      <この頃の写真です。

          池田 満 鞍居桃とサクラの花に喜ぶ>

天才の青木純雄さんの出現を得て、一挙に、その解明が前進しました。

『よみがえる日本語』(総論編)(青木純雄・平岡憲人 著、池田満 監修、明治書院)

『よみがえる日本語Ⅱ』(助詞編)(青木純雄・斯波克之 著、池田満 監修、明治書院)

として、一般公開できました。

この、ヲシテ時代の国語解明の画期的な序盤の二著作が上梓できましたのも、

平岡憲人さん、斯波克之さんという、強力な理解者の出現も、

大きくその原動力になりました。

つまり、

もう、

わたくしひとりで、やってゆく時代は、終焉を迎えたということにもなります。

 

松本善之助先生の、高いご意志を受け継いで、

私ひとりのねじり鉢巻きから、多数の推進者にと、

花開いてくるまでには、長年掛かりました。

そう思いましたら、

大きな新思想は、

なかなか受け入れることは、容易なことではありません。

あれほどの頭の良い、馬野周二先生でさえも、

私の著書の『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社、2001)

を、読むまでは、その全容のアウトラインも理解できなかったのです。

 

古来、

新思想の転換期には、形容詞として「コペルニクス的転回」

とも、称されます。

コペルニクス (Nicolaus Copernicus 1473 - 1543) は、地動説を唱えました。

アインシュタイン(Albert Einstein 1879 - 1955)は、時間は重力によって曲がることを解明しました。

 

はじめは、だれも、まともに聞く耳を持ちませんでした。

・      ・

ヲシテの事実も、同様だと思います。

松本善之助先生 (1919 – 2003)は、ヲシテ文献が記紀の原書だと唱えました。

わたくし池田満 (1955 )は、「トのヲシヱ」によって縄文建国したことを解明しました。

それで、わたくしは「ヲシテ国学」として、近年に提唱し始めています。

後の世の後年には、「コペルニクス的転回」として言われるのかも知れません。

こういった意味合いを踏まえますと、

「本居宣長の上を行く」と言う表現も、

誇大ではないとご理解頂けますでしょうか

大きな新解明の思想は、その理解と、その受け入れに付いて、

時間が掛かることだと思います。

                ・

「トのヲシヱ」を、

漢字直訳で「瓊の教え」とやっていたら、

「コペルニクス的転回」は、何時になっても起き得ません。

ヲシテ文字のイメージ・概念で考えるからこそ、

「トのヲシヱ」によって縄文建国したことが解明できるのです。

「漢字直訳はダメだ!」 と、わたくしが強く言う理由は、

ここに有るので御座います。

せっかく見つかった、

我が国の「秘宝」が消えて見えなくなってしまうためです。

それは、「売国的行為」そのものと、わたくしの目には映るからです。

だから、「ねずみ男」と呼ぶのもこのためです。

わたくしの、深層的な本心の愛国的な信条の事を、ご理解願います。

さて、

「国士的」なお人は、現代にもおられます。

青山繁晴さんが、参議院議員に比例区で立候補されます。

安倍さんの説得に、ようよう、出馬を決意なさったそうです。

わたくしも、もっと気を付けないといけないと、

よくよく思います。これから、こちらも、大変だと思います。

週刊文春の、貶め記事に、反論が出ています。

ユーチューブの動画です

青山繁晴さん街頭演説です。H28,6,28柏市にて。

 

わたくしも、同じ心情の持ち主として、些少でも応援したいと願っております。

宣伝カーがひっくり返ったり、

大変な事で御座います。

ぜひぜひ、ご当選の事を、

参議院で、

わが国のために、ご活躍願いたいと願っております。

      ・    ・    ・

この間の、

うちの近所の、「ねずみ男」にも、

わたくしも、真面目に、真摯な心根から、

純真な気持ちのことから怒りましたけれど、

それは、

愛国心と、相手のちょっとでも直れば? の、

その、思いも加味されてでした。

でも、特定日本人的な様な、ちょっと違った目的の場合も多いです。

もっと、早めに、わたくしが気が付く鍛錬・勉強をしてまいります。

とはいえ、

その「ねずみ男」の画策のおかげの事とで御座いました。

ご近所の人々に、わたくしの、

長年掛けてやって来ました、

40年来の仕事の、

その概要の説明のお披露目を、出来ました!  6月29日の事でした。

有り難い事で御座います。

24人定員の部屋が、椅子も無くなる盛況になりました。

こんな、田舎で!  です。

こんな、コマからヒョウタンの出来事も、

「ねずみ男」の、言わばおかげさまでのことでは御座います。

県の研究施設を長年に所長をされておられたご近所の人も、

初めて知ってくださいまして、わたくしの仕事をご評価下さいました。

さすが、真摯なお方には、やっぱり解かるわけです。

そういえば、

過去の成り行きの事も、思い出します。

            ・

吾郷清彦とか、鳥居礼とか、鏑邦男とか、などなど、

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の貶めレベルで、

偽書ありなんとする、その、ひどさに、

憤慨して、わたくしは発奮を致しましたのが、

表現発露してゆく原動力だったことを思い出します。

それは、愛国心からのどうしようもない、おさえがたい、

衝動から来た原動力でした。

まさに、泥の内にこそ咲くとは、言い得ても妙では御座います。

まじめに、記紀の原書に付いて、これから未来に付いて、

どうやって真摯な・真剣な対応をしてゆくか?

その理解に付いて、ちゃんとわかるひと、その場合のその事という事です。

 

ハスの花は、

泥水の中から、

咲きます。

『ホツマ辞典』(池田満著、展望社、松本善之助装丁)で、

決着が付いているのです。

ヲシテ文献研究の路筋は、明らかに決着できています。

馬野周二先生の、評価が、つまりわたくしを「第一人者」だと、

ご判定くださいました。

この事、すなわち、

どう? 評価するか、

どう? 判定のことを出来るか?

よーいドンの走りっこでは、決着の判定は簡単です。

極めて難しいのが、新しい概念についての判定です。

第三者的な、専門家的なお方から判定くださった、

この、馬野周二先生の公平なご判定のこと、と、

わたくしは考えております。

馬野周二先生はニューヨーク工科大学で活躍されて、

後半は、日本に戻られて、故国に定礎を築き直そうと、

こころざされたのでした。

でも、ヲシテ原文に付いて、ここに、研究基礎をと、

再考を、わたくしは、求めました。

ですが、その時、80歳を超えられておられまして、

さすがに、その話は実現には至りませんでした。

でも、

三書比較の書籍に、訂正シールを貼らせてほしいと言う、

その、わたくしの希望は、

馬野先生は、その、わたくしの真面目な気持ちは、

お汲みとって頂けたと、思っています。

六本木の、ご自宅に、訂正シールを持って参上しましたことを、思い出しております。いつもの道具のピンセットも、勿論のこと持参です。

今にも、

どうでしょうか?

評価者として、馬野周二先生の、そこの理解レベルに、

肩を並べ得るお方が、今現在にもおいででありましょうか?

青木純雄さんは、勿論のこと居られますがですね。

  でも、  、

考えてみましたら、

ですが、もう、15年以上もの昔なのに、『ホツマ辞典』の出版は。 です。

まだ、 勉強不足でわからない人も多いもので御座います。

その意味でも、馬野周二先生は秀逸でした、と言うべきでありましょう。

 

             ・         ・

 

つまりは、直訳偽書の秀真伝は偽書つくりであった!!!  この事実は、完璧に決着しています。  知らない人は   、   それはそうですが、

悲しい事には、

まだ、9割もの以上に多くのことも、事実です。

悲しい事ですが。

実情は、そのような事です。

悪く言うひとたちは、おおくあります。

そもそもの目的の違う場合は、どうしても違うのです。

早くに、早期の端緒の時期に、気が付くような、

その、トレーニングが、これから、私に課せられた課題ですね。

 

不勉強の人は、

悲しいかな?

9割を、まだまだ超えている訳のような感じで御座います。

 

それでも、

少しづつは、ちゃんと、着実に、

わたくしの仕事は、真面目な研究の上に、

論を展開していることを、理解くださいますお方は、

増してきています。

そうい言いますれば、

京都の「ヲシテ研修会」で、一年間通いましたから、

何か、それなりのお免状を下さい。

と言われました。

もちろんのこと、その思いには対応したいです。

でも、ヲシテの文章の練習帳、

15文字一行の、ノートです。 を配っていても、

それを開けるのは、勉強会に来た時だけ。

それでは、何とも、わたくしには、つなげて出てくる言葉も御座いません。

そうしましたら、そのお方は『ホツマ辞典』をご購入下さいました。

其処からが始まりですね。

おりょうさんは、やっぱり偉かったと、私は思っています。

未来への、創造的な発信への同志的なその糾合がわたくしたちに、

そこの所の事々で御座います。

明治維新の志士たちの、その活躍の、その、

場面にも、今・現在が重なるわけです。

其処の事情に、どう理解が及ぶか?  です。

やっと、

一歩にもなりました。

何でもそうですが、初めの一歩は、

その踏み出す勇気が、なかなか大変で、

吹っ切りが、勇気百倍にならないと、足が前に進まないものです。

でも、

ほんの一歩、前に踏み出したら、

本当に簡単だったことを、後から思う事は、いつもの事で御座います。

 

女房が「おウタ」を詠み始めるにも、

何やかんやと言って、

敷居が高かったのですね、

おおよそ、20年はかかりました。

そのようなことで、長いスパンに、何でも見るべきだと思っています。

ソサノヲさんでも、相当に大変でした。

 

 

ー追記終わりますー

 

     ・     ・ 

さて、

わたくしの場合には、状況が、いささか異なります。

この世においてもっと為し行かねばならないことは、

まだまだ、多く残っております。

未知の未来の永劫の彼方に、託してゆく事ごとが、

多くになるのは致し方ない事だと悟っております。

でも、

現代に、現在に見切りを付けたわけではありません。

今の、世間にお解り下さる努力をすることも、

勿論のこと、

そのひとつの、大切な仕事です。

ですが、相手のあることは、わたくしがどう頑張っても、

時流の波が来るまでは、所詮は、蟷螂の斧です。

その時流の波が来るまでは、

研究と解明に、主に、努力を為し行くことにしています。

要は、まともなレベルでの普及だけには尽力します。

ですが、貶めレベルの普及には、

どうしても、その貶めにつきましては一端であっても、

担ぐことも、

関わることも拒否して行くこと、

これがわたくしのスタンスです。

愛国者の心情からしましたら、

当たり前のことだと、そうは思われませんでしょうか?

              ・

また、また、

そうは申しましても、

ヲシテ文献への理解には、

その段階には、

長くて大きな階段が延々と続いていることも事実です。

           ・     ・

生業の定年を迎えまして、時間的にも、

世間の風も、従前よりは、良い状況になってきております。

世間にお解り下さる努力にも、このところ、

傾注をし始めております。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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