2019年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

最近の記事

おすすめ

最近のコメント

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »

2016年6月23日 (木)

馬野周二先生からの評価のこと。新概念の「トのヲシヱ」の「コペルニクス的転回」のこと。   青山繁晴さん、誹謗中傷への反論の事。緊急書き込み!!

馬野周二先生は、わたくしのことを「第一人者」として評価して下さいました。

それは、『ホツマ辞典』(1999年)を出版して、数年たったころの話に遡ります。

馬野周二先生は、工学を専門とされていました。

ニューヨーク工科大学で教鞭をとっておられました。

でも、外国にて活躍するうちに「日本」に目覚められたのです。

『人類文明の秘宝「日本」 ―世紀破局救済の「使命」その根因を探るー』

        (馬野周二、徳間書店、1991年

は、エーゲ文明から紐解いてゆく「日本」の発見の導入部分は見事だと思いました。

その数年のうちに、

わたくしは『ホツマ辞典』(池田満、展望社、1999年)を上梓します。

そうしましたら、馬野周二先生から「ぜひ会いたい」。

と、

面会を求められました。

わざわざ、東京からお出向き下さいまして、

三重県の湯の山温泉のきれいなお宿で、

ゆっくりお話をさせていただきました。

Photo_2

      <この頃の写真です。

          池田 満 、 比叡山にて>

美味しかったですね、その酒宴の、お料理のこと。

ちゃんとお解りのお方様は、食べ物でも、好みに合うものを、

事前にチェックしていてくださいますのですね

翌日も、朝から昼過ぎまで、あれこれと、

馬野周二先生は事細かにお尋ねになられました。

たしか、わたくしとしての忙しい時間のやり繰りをして、

湯の山温泉のホテルに伺ったのを思い出します。

美味しいお料理と共に、その超多忙な時のことを思い出します。

その結果が、

馬野周二先生は、わたくしのことを「第一人者」として評価して下さいました。

このこと、つまり、噛みくだいて言いましたら、

当時盛んだった鳥居礼や吾郷清彦の直訳の「秀真伝」の、

理解レベルでは、これはダメだ!

ということです。

それが、ヲシテ文献研究の本筋を表した『ホツマ辞典』(池田満、展望社)で、馬野周二先生が解かったという事です。

わたくしの『ホツマ辞典』の出版目的は、

マトモな研究路線の提唱をすることにありました。

これで、目的は果たせたことになります。馬野周二先生が公平沈着な評価を下さいました。

大きな「ヲシテ国学」樹立に向けての、小さな一里塚です。

さらに、

その後のこと、

わたくしは『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社、2001)を、

上梓しました。

そうしましたら、その書評をお寄せくださいました。

それが、下記に掲げます、貴い評価の文章です。

つまり、馬野周二先生は、わたくし池田満のことを、

「第一人者」よりももっと上の、

「歴史家」としてお認めになって下さいましたわけです。

『ホツマ辞典』では、その書籍の性格上、

わたくしの自説を極めて控えめに記すにとどめました経緯もあります。

 

ー以下引用の文章ですー

     ∞     ∞     ∞

   ― 馬野周二 通信 「周真会」報 ―

131122   『ホツマツタヱを読み解く』

 

     日本古代文字が語る縄文時代 

 

   池田 満 展望社 2001.11 発行

 

 

 池田満さんは長い間ホツマツタヱ(秀真伝)を専心研究しておられる方です。

戦後この我が国史の根本文献を発掘された松本善之助先生のかけがえのない

協力者として、この書の復元整備に絶大な貢献をされましたことは、斯界しかいに

誰知らぬ者は居りません。

 

 ですが、これまでの池田さんはいわば文献読解中心の研究者として見られて

きました。わたしもまた軽率にそう考えていました。

 

 ところがこの最新刊を拝読して、この人は今やそんな範囲を遥かに超えて、

本物の歴史家に変身していることを痛感しました。

 

 日本古代史に止まらず、歴史社会学の全スパンを通じて、これだけの深さと

幅をもって数千年の人間活動を分析した人は、少なくとも我が国にはまだ現れて

おりません。

 

 その説くところは高尚にして深刻、万事肯綮こうけいに当たっている。汗牛充棟かんぎゅうじゅうとうの

歴史家達の遠く及ぶところではありません。

 

 この書は今にして広く読まれるべき第一の書です。

 

 どうか必ず一本を書架に備え、熟読されんことを切望します。

 

           平成十三年十一月  馬野周二

http://members3.jcom.home.ne.jp/shishoukaku/05shushinkai/003recommend/131101ikeda.html

 

ー引用、おわりー

その後にも、

わたくしの研究は、充実してさらに進展をしていっております。

『縄文人のこころを旅する』(池田満、展望社、2003年)

では、宗教観・哲学観・世界観のものの見方を新しく提唱しました。

おそらく、「思想家」としての面を強く表せたかと自認しています。

さらに、

ヲシテ時代に遡る国語の理論構築にも、

研究を進めております。

この面は「国語研究家」とも称されてゆくでしょうか?

だって、「国学」の基礎の柱の一つに、「国語」があることは、

当たり前の事実です。

いつまでも、外国から輸入した文法のコピペの焼き直しで、

文明の礎の「文法」をかーるい理解で、自己逃避的な逃げを打っていてははじまりません。

Photo_3

      <この頃の写真です。

          池田 満 鞍居桃とサクラの花に喜ぶ>

天才の青木純雄さんの出現を得て、一挙に、その解明が前進しました。

『よみがえる日本語』(総論編)(青木純雄・平岡憲人 著、池田満 監修、明治書院)

『よみがえる日本語Ⅱ』(助詞編)(青木純雄・斯波克之 著、池田満 監修、明治書院)

として、一般公開できました。

この、ヲシテ時代の国語解明の画期的な序盤の二著作が上梓できましたのも、

平岡憲人さん、斯波克之さんという、強力な理解者の出現も、

大きくその原動力になりました。

つまり、

もう、

わたくしひとりで、やってゆく時代は、終焉を迎えたということにもなります。

 

松本善之助先生の、高いご意志を受け継いで、

私ひとりのねじり鉢巻きから、多数の推進者にと、

花開いてくるまでには、長年掛かりました。

そう思いましたら、

大きな新思想は、

なかなか受け入れることは、容易なことではありません。

あれほどの頭の良い、馬野周二先生でさえも、

私の著書の『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社、2001)

を、読むまでは、その全容のアウトラインも理解できなかったのです。

 

古来、

新思想の転換期には、形容詞として「コペルニクス的転回」

とも、称されます。

コペルニクス (Nicolaus Copernicus 1473 - 1543) は、地動説を唱えました。

アインシュタイン(Albert Einstein 1879 - 1955)は、時間は重力によって曲がることを解明しました。

 

はじめは、だれも、まともに聞く耳を持ちませんでした。

・      ・

ヲシテの事実も、同様だと思います。

松本善之助先生 (1919 – 2003)は、ヲシテ文献が記紀の原書だと唱えました。

わたくし池田満 (1955 )は、「トのヲシヱ」によって縄文建国したことを解明しました。

それで、わたくしは「ヲシテ国学」として、近年に提唱し始めています。

後の世の後年には、「コペルニクス的転回」として言われるのかも知れません。

こういった意味合いを踏まえますと、

「本居宣長の上を行く」と言う表現も、

誇大ではないとご理解頂けますでしょうか

大きな新解明の思想は、その理解と、その受け入れに付いて、

時間が掛かることだと思います。

                ・

「トのヲシヱ」を、

漢字直訳で「瓊の教え」とやっていたら、

「コペルニクス的転回」は、何時になっても起き得ません。

ヲシテ文字のイメージ・概念で考えるからこそ、

「トのヲシヱ」によって縄文建国したことが解明できるのです。

「漢字直訳はダメだ!」 と、わたくしが強く言う理由は、

ここに有るので御座います。

せっかく見つかった、

我が国の「秘宝」が消えて見えなくなってしまうためです。

それは、「売国的行為」そのものと、わたくしの目には映るからです。

だから、「ねずみ男」と呼ぶのもこのためです。

わたくしの、深層的な本心の愛国的な信条の事を、ご理解願います。

さて、

「国士的」なお人は、現代にもおられます。

青山繁晴さんが、参議院議員に比例区で立候補されます。

安倍さんの説得に、ようよう、出馬を決意なさったそうです。

わたくしも、もっと気を付けないといけないと、

よくよく思います。これから、こちらも、大変だと思います。

週刊文春の、貶め記事に、反論が出ています。

ユーチューブの動画です

青山繁晴さん街頭演説です。H28,6,28柏市にて。

 

わたくしも、同じ心情の持ち主として、些少でも応援したいと願っております。

宣伝カーがひっくり返ったり、

大変な事で御座います。

ぜひぜひ、ご当選の事を、

参議院で、

わが国のために、ご活躍願いたいと願っております。

      ・    ・    ・

この間の、

うちの近所の、「ねずみ男」にも、

わたくしも、真面目に、真摯な心根から、

純真な気持ちのことから怒りましたけれど、

それは、

愛国心と、相手のちょっとでも直れば? の、

その、思いも加味されてでした。

でも、特定日本人的な様な、ちょっと違った目的の場合も多いです。

もっと、早めに、わたくしが気が付く鍛錬・勉強をしてまいります。

とはいえ、

その「ねずみ男」の画策のおかげの事とで御座いました。

ご近所の人々に、わたくしの、

長年掛けてやって来ました、

40年来の仕事の、

その概要の説明のお披露目を、出来ました!  6月29日の事でした。

有り難い事で御座います。

24人定員の部屋が、椅子も無くなる盛況になりました。

こんな、田舎で!  です。

こんな、コマからヒョウタンの出来事も、

「ねずみ男」の、言わばおかげさまでのことでは御座います。

県の研究施設を長年に所長をされておられたご近所の人も、

初めて知ってくださいまして、わたくしの仕事をご評価下さいました。

さすが、真摯なお方には、やっぱり解かるわけです。

そういえば、

過去の成り行きの事も、思い出します。

            ・

吾郷清彦とか、鳥居礼とか、鏑邦男とか、などなど、

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の貶めレベルで、

偽書ありなんとする、その、ひどさに、

憤慨して、わたくしは発奮を致しましたのが、

表現発露してゆく原動力だったことを思い出します。

それは、愛国心からのどうしようもない、おさえがたい、

衝動から来た原動力でした。

まさに、泥の内にこそ咲くとは、言い得ても妙では御座います。

まじめに、記紀の原書に付いて、これから未来に付いて、

どうやって真摯な・真剣な対応をしてゆくか?

その理解に付いて、ちゃんとわかるひと、その場合のその事という事です。

 

ハスの花は、

泥水の中から、

咲きます。

『ホツマ辞典』(池田満著、展望社、松本善之助装丁)で、

決着が付いているのです。

ヲシテ文献研究の路筋は、明らかに決着できています。

馬野周二先生の、評価が、つまりわたくしを「第一人者」だと、

ご判定くださいました。

この事、すなわち、

どう? 評価するか、

どう? 判定のことを出来るか?

よーいドンの走りっこでは、決着の判定は簡単です。

極めて難しいのが、新しい概念についての判定です。

第三者的な、専門家的なお方から判定くださった、

この、馬野周二先生の公平なご判定のこと、と、

わたくしは考えております。

馬野周二先生はニューヨーク工科大学で活躍されて、

後半は、日本に戻られて、故国に定礎を築き直そうと、

こころざされたのでした。

でも、ヲシテ原文に付いて、ここに、研究基礎をと、

再考を、わたくしは、求めました。

ですが、その時、80歳を超えられておられまして、

さすがに、その話は実現には至りませんでした。

でも、

三書比較の書籍に、訂正シールを貼らせてほしいと言う、

その、わたくしの希望は、

馬野先生は、その、わたくしの真面目な気持ちは、

お汲みとって頂けたと、思っています。

六本木の、ご自宅に、訂正シールを持って参上しましたことを、思い出しております。いつもの道具のピンセットも、勿論のこと持参です。

今にも、

どうでしょうか?

評価者として、馬野周二先生の、そこの理解レベルに、

肩を並べ得るお方が、今現在にもおいででありましょうか?

青木純雄さんは、勿論のこと居られますがですね。

  でも、  、

考えてみましたら、

ですが、もう、15年以上もの昔なのに、『ホツマ辞典』の出版は。 です。

まだ、 勉強不足でわからない人も多いもので御座います。

その意味でも、馬野周二先生は秀逸でした、と言うべきでありましょう。

 

             ・         ・

 

つまりは、直訳偽書の秀真伝は偽書つくりであった!!!  この事実は、完璧に決着しています。  知らない人は   、   それはそうですが、

悲しい事には、

まだ、9割もの以上に多くのことも、事実です。

悲しい事ですが。

実情は、そのような事です。

悪く言うひとたちは、おおくあります。

そもそもの目的の違う場合は、どうしても違うのです。

早くに、早期の端緒の時期に、気が付くような、

その、トレーニングが、これから、私に課せられた課題ですね。

 

不勉強の人は、

悲しいかな?

9割を、まだまだ超えている訳のような感じで御座います。

 

それでも、

少しづつは、ちゃんと、着実に、

わたくしの仕事は、真面目な研究の上に、

論を展開していることを、理解くださいますお方は、

増してきています。

そうい言いますれば、

京都の「ヲシテ研修会」で、一年間通いましたから、

何か、それなりのお免状を下さい。

と言われました。

もちろんのこと、その思いには対応したいです。

でも、ヲシテの文章の練習帳、

15文字一行の、ノートです。 を配っていても、

それを開けるのは、勉強会に来た時だけ。

それでは、何とも、わたくしには、つなげて出てくる言葉も御座いません。

そうしましたら、そのお方は『ホツマ辞典』をご購入下さいました。

其処からが始まりですね。

おりょうさんは、やっぱり偉かったと、私は思っています。

未来への、創造的な発信への同志的なその糾合がわたくしたちに、

そこの所の事々で御座います。

明治維新の志士たちの、その活躍の、その、

場面にも、今・現在が重なるわけです。

其処の事情に、どう理解が及ぶか?  です。

やっと、

一歩にもなりました。

何でもそうですが、初めの一歩は、

その踏み出す勇気が、なかなか大変で、

吹っ切りが、勇気百倍にならないと、足が前に進まないものです。

でも、

ほんの一歩、前に踏み出したら、

本当に簡単だったことを、後から思う事は、いつもの事で御座います。

 

女房が「おウタ」を詠み始めるにも、

何やかんやと言って、

敷居が高かったのですね、

おおよそ、20年はかかりました。

そのようなことで、長いスパンに、何でも見るべきだと思っています。

ソサノヲさんでも、相当に大変でした。

 

 

ー追記終わりますー

 

     ・     ・ 

さて、

わたくしの場合には、状況が、いささか異なります。

この世においてもっと為し行かねばならないことは、

まだまだ、多く残っております。

未知の未来の永劫の彼方に、託してゆく事ごとが、

多くになるのは致し方ない事だと悟っております。

でも、

現代に、現在に見切りを付けたわけではありません。

今の、世間にお解り下さる努力をすることも、

勿論のこと、

そのひとつの、大切な仕事です。

ですが、相手のあることは、わたくしがどう頑張っても、

時流の波が来るまでは、所詮は、蟷螂の斧です。

その時流の波が来るまでは、

研究と解明に、主に、努力を為し行くことにしています。

要は、まともなレベルでの普及だけには尽力します。

ですが、貶めレベルの普及には、

どうしても、その貶めにつきましては一端であっても、

担ぐことも、

関わることも拒否して行くこと、

これがわたくしのスタンスです。

愛国者の心情からしましたら、

当たり前のことだと、そうは思われませんでしょうか?

              ・

また、また、

そうは申しましても、

ヲシテ文献への理解には、

その段階には、

長くて大きな階段が延々と続いていることも事実です。

           ・     ・

生業の定年を迎えまして、時間的にも、

世間の風も、従前よりは、良い状況になってきております。

世間にお解り下さる努力にも、このところ、

傾注をし始めております。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月17日 (金)

富士山の「御師(お し)」の旧家の本庄家のこと。 富士山の静穏をお祈りしてみませんか?  骨董の真贋のお話。

富士山の「御師(お し)」の旧家の本庄家で、「日本」の原風景を体験してみませんか?

 

富士山の「御師(お し)」の本庄家(梅谷、うめや、あるいは梅屋にも書きます)で、

祭礼の体験や、宿泊もできるようになります。

「御師の家 梅谷」ホームページ

宿泊の体験は、平成28年(2016)7月から開始の予定です。

       ・      ・

これまで、あんまり、見て貰いもしませんでした。

女房とわたくしの、共通項の趣味の骨董です。

Photo

ここに飾ってあるのは、女房とわたくしの愛玩品の、

おおよそこれらは持ち主が半々です。

       ・

この、写真のは、大陸由来品関係が多いです。 

陶器の関係での技術は当時、あちらが、進んでいました。 

でも、?  社会組織的にはどうだったのでしょうね? 

江戸・幕末・明治の時代の西欧文化の導入時にも同じでした。 

より良いモノ・技術は導入すべしです。 

でも、 

わが国には、とっても大切な、 

世界に誇る「トのヲシヱ」があったのですね。 

それが、 

「トのヲシヱ」の新発見は、 

ここ、ほんの極最近の数十年前に新発見でした。

これほどの重要事項がです!

 そして、わが国語「日本語」の大原理の、

「なかれき」「およくき」の概念の発見は、

平成24年(2012)の新発見でした!!

それが、富士山御師の梅谷の本庄家で、でした!!

        ・

外国文化の研究の事、

此れも、やっぱり大切です。

 

でも、技術は活かすものです。

わたくしたちの、こころの根幹は、社会組織的な根幹は、

「トのヲシヱ」の新発見にあったり、

「なかれき」「およくき」の概念の新発見にあったり、

ソフトの面の見直しがあってこそだと思うのです。

       ∞      ∞     ∞

骨董のことでは、

ふたりで一緒に共同でお金を出して買ったのもあります。

Murasakisikibu4

         <ムラサキシキブの花です>

うつくしいと言う、その感動に、生きてきた、

破れ鍋に綴じ蓋の、むちゃくちゃなデコ・ボコ夫婦です、か。

いわば。私ども夫婦は。

深いところでの、話の共有が、

価値の共有が、わたくしども、

破れ鍋に綴じ蓋夫婦の、そんな、共通項なのでしょうか?

Murasakisikibu3

           <近付くと、はっきり見えます>

「ヲシテ国学」にきちっと進めてゆく、

この、わたくしのこころざしに、

理解をしてくれるのは、

稀有な事であると思っています。

このことは、何事にも代え難いです。

美しさの追究、何を為してゆくかのその追求です。

骨董には、真贋入り混じって、

其処の見極めが、勉強になります。

幾つか失敗して、段々、良し悪しの筋が見えてくる、

 

此れも勉強です。

思うところはあっても、

 

現実世界は、厳しいですよね。

Photo_3

          <山野のムラサキシキブです。

           左上は、自生種のクリの花です>

         ・       ・

さて、

時は、現代です。

わたくしども、

真贋の見極めの勉強をしてきた、デコ・ボコ夫婦でした。

その、勉強費を払いつつ真贋の区別の目を養ってきたから推奨できる、

富士山の御師の本庄家です。

本当の「日本」の伝統体験が「梅谷」で可能になります!

Photo_4

        <クリの花の構造が、

         やっと理解できました。

         花穂の根元のところに、

         メ・バナがひとつ付くのですね。

         赤いのは、アセビの新芽です。

         ハナのようにも見えます >

             ・

白川神道など、

中世・近世の歴史を歴然と体験させてくださいます事が、

やっと実現します!!

それは、富士山の御師(おし)の

現代版の再興です!

良いご決断をなさって下さいました。

本当に平安時代からの伝統に由緒の深い、

河口湖の御師の本庄元直さまが、

御師の伝統復活をして下さいます。

ご子息のイギリス留学も長く、

英語の母国語のイギリス人のお嫁さんも、

そのうちには、戦力に繋がるかも知れません。

みなさま、

応援の事を、深く、

お願い申し上げます。

上手く回ってゆく事が、

本当の、「日本」の正しい文化・文明の世界発信になります。

何も、世界征服をしようなんて、

たたくしたちは、全然思ってもいはしないのです。

その、本当の、すばらしい「トのヲシヱ」に基づいていた、

わが国のありのままを、

わたくし達は再確認したいです。

その感動を、

諸外国の人達にも、

解かってもらいたいですね。



 

      ・       ・

 

   すごい、旧家のこと

 

富士山の「御師(お し)」の旧家の本庄家は、

とっても、すごい、旧家なのです。

 

「今」の意味の「いま」とは?

どうしてこの言葉が出来てきたのか? 

言葉の原理が「ヲシテ」の文字の概念で説けゆき解かります。

その秘密が解き明かせたのが、

富士山御師の旧家の本庄家から発見された『ミカサフミ』の一冊でした。

まさに、我が国の国語の基礎であり、縄文哲学の根幹を形造る土台が、

富士山の「御師(お し)」の旧家に保存されていました。

ヲシテ文字の母音の意味の明瞭な理解です。

つまり、原理からの解明です。

アマテルカミのお言葉の中にありました。

わが国語「日本語」の大原理の、

「なかれき」「およくき」の概念です。

これ程にも重要な、

まこと、「国宝」に指定すべき宝物です。

国語の根本原理の書かれた古典が、此処に、残されていたのです。

『ミカサフミ ワカウタのアヤ』が発見されたのは、

平成24年(2012)の暮れの事でした。

国宝とすべき宝物の発見ですから、緊急出版をさせて頂きました。

『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ

  -新発見! ミカサフミワカウタのアヤ-』

(池田満、展望社)

 

『ミカサフミ ワカウタのアヤ』を保存して下さっていましたのは、

本居宣長の婿養子の本居大平からの書状もお持ちである、

富士山の河口湖の御師の本庄家でした。

本庄家は、河口浅間神社の祭礼に、

古くからご奉仕されてきていました。

 

 

 

  河口湖の北側の浅間神社

 

そもそも、

河口湖の北側に富士浅間神社がお祭りされたのは、

平安時代にさかのぼります。

50代の桓武天皇(践祚・ご即位781年、ご退位806年)が、

京都盆地に遷都されまして、平安京となります。

それで、平安時代に入るわけでした。

 

ですが、平安の時代とは、名称の穏やかさとは裏腹でした。

現代と同じく、地殻の大活動期に当たっていました。

富士山の火山活動のその沈静化を主目的に祭祀されたのが、

河口湖の北側の浅間神社でした。

今現在は、河口浅間神社の名称で呼ばれています。

『延喜式』の「神名帳」に記載されている神社であると考えられます。

 

地震や、火山噴火の災害は、

平安時代と、現代と、似通った状況があります。

 

745年 美濃の大地震(M7.9程度)

781年 富士山が噴火(天応の噴火)

818年 関東諸国で大地震(M7.5以上)

827年 京都の地震(M6.5~M7)

830年 出羽・秋田の地震(M7~M7.5

841年 信濃の地震(M6.5ぐらい)

841年 伊豆の地震(M7ぐらい)

850年 出羽の地震(M7ぐらい)

863年 今の富山県から新潟県にかけ大地震

864年 富士山、阿蘇山が噴火(貞観の噴火)

貞観7年(865年)12月9日八代郡に浅間神社の創祀の勅。

(『日本三代実録』)

868年 いまの兵庫県で大地震(M7以上)

869年 貞観地震

871年 鳥海山が噴火

878年 関東地方で大地震

887年 南海地震(M8.08.5

 

現代も、地殻の大活動期です。

 

1891年 濃尾地震(M8.0

1896年 三陸沖地震(M8.2

1897年 宮城県沖地震(M7.7

1909年 宮崎県西部地震(M7.6

1911年 喜界島地震(M8.0

1923年 関東大震災(M7.9

1933年 三陸沖地震(M8.1

1944年 東南海地震(M7.9

1946年 南海地震(M8.0

1952年 十勝沖地震(M8.2

1964年 新潟県沖地震(M7.5

1968年 十勝沖地震(M7.9

1978年 宮城県沖地震(M7.6

1983年 日本海中部地震(M7.7

1993年 釧路沖地震(M7.6

1993年 北海道南西沖地震(M7.7

1994年 北海道東方沖地震(M8.3

1994年 北海道はるか沖地震(M7.7

1995年 阪神淡路大震災(M6.9

2003年 十勝沖地震(M8.3

2004年 新潟県中越地震(M6.6

2008年 岩手宮城内陸地震

2009年 浅間山噴火

2010年 桜島噴火

2011年 新燃岳噴火

2011年 東日本大震災(M9.1

2016年 桜島噴火

2016年 熊本大地震

 

今から、約千年前の平安時代も、地殻の激動時代で、良く似ています。

現代には、観測体制が濃密に整えられて、詳しいデータが出てきました。

余程の大きなものだけを、上掲致しました。

 

 

  平安時代との違い

 

本州の真ん中の美濃の地震が起きて、100年余で、

おおよそ近くの激動期の終息してきたのが、

平安時代であったと認識できるかと思います。

今回の現代にも、濃尾地震が起きてから、100年余程度の近くで、

激動期の終息ならば、

もう、そろそろ終息期も近くになってくるとも予想できます。

平安時代と、現代と、

大きく違うのは、現代は富士山噴火を伴っていないことです。

ひょっとしたら、平安時代に河口浅間神社を創建してお祭りして、

これが、功を奏してくれているのかも知れません。

あともう少し、富士山噴火の起きるのを待って欲しいと思います。

地質学的な、「もう少し」の期間の順延を願うわけです。

つまり、あと、300年ほど。

現在の富士山の火山活動の、

観測のデータがここに公表されています。

なお、低周波地震の震動が、

マグマの位置に相当していると言われています。

つまり、低周波地震の発生の深度が上昇してきたら、

要注意という事です。

 

富士山の火山活動に少しでも沈静化をもたらすのは、

ひょっとしたら、現代にも、富士山御師による祭祀を精勤にやれば、

効果があるのかも知れません。

その意味で、本庄家のお祭りに実体験参加をなさると、

少しの寄与が出来るかも知れません。

富士山の火山活動のその沈静化を主目的に祭祀されたのが、

他にも論社はありますが、河口湖の北側の浅間神社でした。

今現在は、河口浅間神社の名称で呼ばれています。

お祭りの伝統を、今に濃厚に伝えて下さいますのは、

河口の御師で、江戸中期の御師の屋敷が残るのは、本庄家(梅屋・梅谷)だけです。

地質学的には、300年なんか、ホンのひとときですから、

次の機会に噴火して貰えたら、300年後になります。

その時には、防災の対策も、もっと向上していると思われます。

 

 

  富士山の御師のこと

 

富士山の「御師(お し)」とは、

祝詞の奏上もなさって下さいます。

処々の案内を丁寧にして下さいます、

有り難いお方さまです。

現代で言うと、神主さんに近い雰囲気でもあり、

またある意味で「添乗員」さんのように、

お世話もして下さいますお方さまです。

事細かに、案内や説明をしてくださるのが「御師(お し)」でした。

それも、

鎌倉時代からの記録を辿ることが出来るのが、

旧家の、本庄家です。

本庄家は、屋号を梅谷(うめや)、あるいは梅屋とも言います。

 

 

 

  「日本」の原風景を体験

 

わたくしのように、漢字以前の「ヲシテ国学」に、どっぷりつかっていると、

飛鳥時代や、奈良時代や、平安時代、鎌倉時代などは、もう「近世」のように感じてしまいます。

みなさまは、飛鳥時代や、奈良時代や、平安時代、鎌倉時代を、「古代」とか「中世」だと、

お感じになられておられますでしょうね。

そこに、

ひとつのギャップがあります。

 

そこで皆様、

世に、中世や、近世に思われています時代の雰囲気を、

実体験なさってみませんか?

Hotaruhukuro_2

          <ホタルブクロが咲きました。

           今年の、ウメ(ムメ)もほぼ漬かりました。

           もう少しで、塩が全溶解になります>

きっと、目から鱗の剥がれ落ちること、

その、大きなことがポロポロが有ります事でしょう!

本当のところ、

原体験として、実体験をすることが、目を見開いてゆく切っ掛けだと思います。

わたくしは、那智大社の火祭りを拝見することで、目が開きました。

ヒトには、それぞれです。

ケースバイケースで、

本当の「日本」の本筋への、路筋が、あるいはその人にとって、

ひとつに、

富士山「御師(お し)」の家での体験で、

はじめて解かることであると、そう、思います。

 

この意味で、

本庄家の、富士山「御師(お し)」の、

常におこなって来ておられました、伝統は、

まさに、貴いモノであるとわたくしは考えております。

 

このたび、

本庄家の当代のご当主の本庄元直さまが、

伝統の行事のやりかたに付きまして、

一般に、公開をして下さいます。

有り難いことです。そういう、運びになさってくださいました。

 

ひとつ思うに、

本当のわたくしたちの、まともな伝統に接する、

大きな展開の恵みだと思います。

時代の機運が、本当の我が国の伝統のエスプリを求めて来始めたのでしょうね。

本当に有り難いことだと、感謝のお礼を尽くしたいです。

本庄元直さま、本当に有り難うございます。

我が国の、根拠の定かなる定礎のひとつです。

 

鎌倉時代から、江戸時代あたりの、

原体験を、なさってみられますと、

目から鱗のことで御座いましょう。

本庄家の伝統が、現在、最も適切だと私は思っております。

さてさて、

「日本」の歴史は、

本当に長いもので御座います。

まずは、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、からずっと降って、江戸時代。

そうして、

そのもっと前に、

漢字以前の「ヲシテ時代」の歴史があります。

この歴史に、

ちゃんと遡及するから、「ヲシテ国学」に成り得るので、成立できます。

そういった意味で、

 

鎌倉頃から江戸頃まで、

実体験の原風景のこと、

どうしても、

本庄家の、富士山「御師(お し)」の、

常におこなって来ておられました伝統が貴重なわけです。

此処での体験が重要な未来へのカテになります。

飛鳥時代、奈良時代、平安時代、から降って、江戸時代。

ここを、さらに、さかのぼるタイムマシーンは、

富士山「御師(お し)」の、本庄家にひとつがあります。

富士山の噴火の起きるのを、次の機会に順延の事、

みなさま、本庄元直御師の祭祀に参加して頂きまして、

お祈りもして下さいませんか?

富士山が、300年これから静穏であることに、

寄与できるかも知れません。

「日本」の原風景のひとつを体験もすることも出来ます。

「御師の家 梅谷」ホームページ 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

2016年6月 5日 (日)

津市での講演会のこと。追記:部屋の変更です。そもそもが、不純な動機だったと、理解が出来ました。    いよいよ「サツキ(5月)」です。

時代が、動きつつあります。

『古事記』『日本書紀』の原書の、

その求められる時になりつつあります。

三重県の津市にても、

講演会をしようと、話が持ち上がりました。

    ポスターが、こちらです。

これが、最新版です。(H28,6,9, 14:04

1_2

時代の動きを実感するこの頃です。


- 追記 -  H28,6,9


部屋が、研修室2に変わりました。

少し小さめの部屋になりました。

 

部屋の変更に付きまして。

くわしい事情のご説明を致します。

それは、4月頃からの話に遡ります。

 

近所の人から、会をしたいという事でした。

そこで、

10人ぐらい集まるなら、講義の開催を引き受けます。

と、答えました。

それで、

初めは、「ヲシテ」ではむつかしいから、

日本文化の江戸時代頃に焦点を当てたもので組みましょうか?

と、

内容のアレンジも提案しましたが、

「イヤイヤ、先生の求めたいところに進めて下さい」という事でした。

でも、田舎じゃ…  、 10人は集まりませんよ。


と、言って居ているうちに、

そのうちに、話だけが先行しちゃいました。


で、

ふたを開けてみたら、

全然上手く運んでいないのでした。

2か月もあったのに、

幾ら何でも、

もうちょっと、お勉強が進んでいたら?

と、思いました。

ヲシテの文章も、またさらにヲシテ文字も、読めない人が、

何を言うのか?

まったくお話にもなりません事でした。


直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」はダメでしょう!

と、

これだけ、私が主張をしているのに、

それを、無視するのは、

お話にも、100%なり得ません。


つまり、迎合し過ぎの、

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」を求めているんですね。

せっかくの真書を、直訳して偽書に貶める行為です。

セットしようとした人が、それもその筈で、ヲシテの文章も、

ヲシテの文字も読めないのに、

プロディ-スしようとすること自体がムリ筋でした。

「秀真伝(しゅうしんでん)」に絡(から)められてしまいます。

それでは、

「ねずみ男」にやられちゃう構図です。

『記紀原書ヲシテ』の「はじめに」にも書きましたが、

漢字国字化時代の初めごろの間違いを、

また現代に再犯してしまう愚を重ねてはなりません。

せっかく、記紀の原書の発見が此処に起きたのにですよ!

 

今回は、わたくしは、

依頼者の表面的な幻惑に惑わされてしまいした。

間違いました。

言い訳もできません、大きな間違いでした。

逆な面では、

良い勉強をおかげさまで、させて頂きました。

何よりのたからであると思います。

            ・

うつくしく苔の乗った灯篭に、

事もあろうことか!

苔をはがして、黄色いペンキを塗る行為です。

せっかくの真書を、直訳して偽書に貶める行為です。

        ・        ・

此処で問題なのが、

50万円も出した上等の良い雰囲気の床柱!

それを、

黄色いペンキで塗りたくられて、

有り難うと言えるのかどうか?

ここが、

分かれ目なのだと思います。

  やっぱり、どうしてもね。

        ですね。

ヲシテの場合は、常識との、

千数百年来の常識に、どれだけ、叛骨的な気概の自立の自負があるかどうか?

其処をちゃんと確かめないといけませんね。

よくよく勉強になりました。

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」はです。

しっとり落ち着いた床柱を、

サンドペーパーでザリザリやって、

また、黄色いペンキを塗る行為です。

それが、

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」です。

それと、

「ヲシテ国学」の樹立に向けて進んでゆくわたくしたちの、

路線とは、方向性が違うわけです。

       ∞       ∞      ∞

このごろは、「ねずみ男」で持ちきりです。

公私混同とか、はした金をくすねる程度の「ねずみ男」は、

大した被害も将来に及ぼしませんが、

わが国の、せっかく見つかった大文明を、

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」に貶めて

偽書として、流布するのは、

もっともっと大きな罪になりますね。

不勉強から、そんな、売国的行為をするのは、

わたくしは、絶対に拒否です。

ヲシテの学力が、幼稚園のレベルより下の人に、

何やかんやと、進め方を指図されても困っちゃうのです。

ヲシテ文字も読めない、

ヲシテ時代の文章が読めない、

それは、

幼稚園レベル以前のお話です。

これは、学力レベルの比較対比のお話です。

誹謗中傷ではありません。

ちゃんと、勉強したら、ヲシテの学力は上がります。

幾ら何でも、

ヲシテ文字も読めない人に、

あんたはどうのと、

指図されても困っちゃうのですね。

おおやけの、わが国を大切に思うこころからの、

いきどおりです。

不勉強から、売国的行為をする人への、

いきどおりです。

そもそもの、話のはじまりの動機が、

不純だったと思います。

箱モノの文化施設に閑古鳥の鳴いているのを、

何か穴埋めしたい、というのです。

不純な動機からは、真面目な運営は不可能だと思いました。

            ・

それで、こちらから話を断りました。

とは言え、成り行きから、講演をしないわけにもゆかないので、

小さな部屋に場所を移したと言う経緯です。


これからも、多々このような事は起きると思います。

まずは、早めに、わたくしの方の選別眼を鍛えておくという事です。

今回は良い勉強になりました。

いろいろと、ご迷惑もお掛けしたり、

恐縮に存じます。

つまるところが、

「ねずみ男」に噛まれそうになったのを、

思ったより早くに、危険回避が出来たという話でした。

本当は、もっと、早期に危ういと気が付くべきでしたのが、

わたくしの悔悟です。



― 追記、終わり ―



―再追記― H28,5,13

 結局は、我が国の事を大事に思うのか?

そうでない、そういった思いの変わった人達の事も、

あれこれと、ワサワサやってきます。

このあたりが、喫緊の問題になってきています。

 

で、わが国とは?

いかなるものなるか?

という、本来的な問いに対して、

ちゃんと、正解を模索してゆく、真面目な努力、

記紀の原書のヲシテ文献の現代発見があったからこそです。

此処に始まった、

これが「ヲシテ国学」です。

 

抵抗勢力も多いです。

また他にも、貶め族がワンサカやって来ます。

でも、

わたくしの信念はいささかも変わりませんし、

年を追うごとに真面目な協賛・賛同の同志のお方たちも多くなって来てくれています。

もう、

ひとりで、背負ってゆかなくては!

という、切羽詰まった感覚からは、

おかげさまで抜け出ることが出来ました。

そのせいで、ツルツルだった頭にも、

髪の毛が、カゲロイ(カケロヒ)のように、

産毛の程度には生えてきたのかも知れません。

女房も、毎日、わたくしの髪の毛をつまんでは遊んでいます。

 

もっと、もっと、明るく、

先行きの展開・展望に思いを馳せています。

きょうは、ホ6アヤの助詞の分類精査の作業をしていました。

大体終わりましたので、

作業終了に致したいと思います。

目も、チカチカで疲れますよね。

でも、

ちょっと、ひらめいた事もあったり、

愚直に真面目に作業をしていましたら、

思わぬ発見があったりします。

何でも、こつこつ努力です、これが肝心ですね。


ついつい、

ホトトギスが元気に鳴いているので、

再追記を、

書いてみました。

        -平成28年6月13日-

                   ・

 

今日から、

旧暦の「サツキ(5月)」

です。

Satuki

「つゆをなめん」でして、

うるわしさを言い表しています。

この場合の「かみ かたち」の「かみ」とは、

「メ」の季節のヲシテ文字のイメージの説明になります。

 

志摩市の富山さんの「縄文カレンダー」をご覧ください。

富山さんのネットの記事はこちらです。 

 

 

 


 

 


 

 

 

 


 

 

 

« 2016年5月 | トップページ | 2016年7月 »