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2016年1月31日 (日)

「ヲシテ国学」は、松本善之助先生のご意志の「新々国学」からの発展形の事。 『ミカサフミ』を説いてゆきます。  追記、今日は旧暦の「おおつごもり」です。

松本善之助先生は、ホツマツタヱなどヲシテ文献の発見から程なくして、
「新々国学」の提唱をなさっておられました。
昭和49年(1974)の9月の「月刊ほつま」誌です。Sinnsinnkokugaku1_2
Sinnsinnkokugaku2_2
一番のこころざしの原点は、「国学」のヲシテ文献による再構築です。
松本善之助先生は、昭和41年(1966)の『ホツマツタヱ』3アヤ分の発見以降でも
早い時期に、 「新々国学」の着想を得ておられたと想像されます。
 
「新々国学」
この提唱に、わたくしは、強い感化を受けました。
そして、ご意志を継いでゆく事になったわけです。
 
数年前から、「新々国学」の発展形の表現として「ヲシテ国学」の提唱をしております。
 
『古事記』『日本書紀』の漢字文への翻訳前の原書がヲシテ文献として立派に発見されました。すなわち、我が「国学」の再構築が出来るようになったわけです。
この正道を進めてゆくことは、真面目な取り組みです。
 
            ・           ・
 
この頃、ちょくちょく見直してます。
ここには、漢字仮名混じり文への直訳文を、さも翻訳文の扱いで多用していました。
ここは、大きな問題点でした。
今に至る禍根を残す事でした。なぜならば、漢字仮名交じり直訳文は、ヲシテ文献の直訳で、これを見たら、江戸時代ごろの創作の文章だという事になってしまいます。それでは、折角の本物に泥を塗ってしまう事です。抵抗勢力に、「偽書」扱いさせる余地を見す見す与える結果となってしまいました。
この後に、
松本善之助先生が、「ルビ無しの本を作るように」と、厳命なさっておられたのは、
歩んでゆく路筋に付いて、疑問を感じられてのことだったでしょう。
 
つまり、
啓蒙を急ぐあまりに、直訳文に頼って理解促進を図り過ぎたばかりに、
解かり易いではあっても、
擬古文のランクから抜き出で得ないので、
「偽書」扱いのままに、「三種の神器」の解説をしたり、「天照大神」の解説をしたりに終始してで、一遍聞いたら「へー ?」の反応の事で終わってしまうからです。何を「偽書」がほざいてるか? の、感想になります。仕方ありません。
これでは「国学」
を、再構築する路線には進み得ません。
 
何が問題か? と問われましたら、
土台も基礎工事も無しに、基礎の杭も岩盤に到達しないで、高層建築を建てましたら、「豆腐ビル」です。数年もしないうちに、大問題が発生してしまいます。これは、ゆゆしき事態を作る、やっつけ仕事のやり方にほかなりません。
わたくしたちの「国学」の基礎を作る仕事に、そんな手抜きは、どうあっても困りものだと、わたくしは思ってます。
 
 
                  ・
 
ルビ無しの本。
つまり、
わたくしは「はじめに」のところに、次の文章を書きました。
Kannjiwokoete_2
 
Wositenohukasa
 
Rousyou
 
「ヲシテ国学」として、基礎を作ってゆくためには、
『ホツマツタヱ』などのヲシテ文献を、土台として、わが古典として、親しんでもらう必要があります。
ヲシテ時代の文字が、ヲシテの文章が、地道に身に付いてきてからが、
母国語的な自分自身の宝物として、
この位置に付いてから、
やっと「ヲシテ国学」への一歩が歩み始める最初になると思います。
 
「秀真伝」の直訳に、どっぷり浸かってては、真の展開に、
一歩が踏み出せないままでしか有り得ません。
結局のところ、「秀真伝」の直訳は、毒まんじゅうの路線そのものだったのですね。「三笠記」なんて言って直訳の劣化を、恥じも感じもし無いのも、同様ですね。
ヲシテ文字の構成の要素の概念から、醸成された「ヲシテ時代の哲学」ですから、
「ヲシテ文字」が読めないままでわかろうはずがありません。
 
どう言われても、
ヲシテの原字・原文の尊重あるのみです。「ヲシテ国学」への道は。
 『ホツマツタヱ』だけ、先行してきていましたが、
『ミカサフミ』に接してこそ、わが「縄文哲学」への認識が開くと思われます。
『ホツマツタヱ』だけ読んでても、「縄文哲学」はと、現代に押し開いてゆくべきの、その必要性を実感しにくいからです。
 
『ミカサフミ』を今年からは、さらに、説いてゆこうと考えております。
どう、控えめに見ましても、ヲシテ時代の文章に少しは親しんでから…  、
が、第一歩なのだと思います。 さてさて? わたくしの、この思いは間違っているのでしょうか?  ???
 
                  ・
 
なお、
「解題」のところに、禁止の「な」の用例の解析から、
ヲシテ文献の文章は、平安時代以前にあること、
つまり、西暦の780年ごろよりも、もっと古い時代であること、
奈良朝の終わる、西暦780年ごろよりも、
もっと古い文章であることを、
立証して解説しています。
p377あたりをご覧ください。
この論証からも、江戸時代ごろの偽作説は、根拠を失うわけです。
ヲシテ文献の、真書の証明根拠は、『日本書紀』と『古事記』との原文比較から得られた前後関係が大きくあります。これは、『定本ホツマツタヱ』『ホツマツタヱを読み解く』などにて論証してあります。
さて、
ここまでは、入り口の序の口です。
ヲシテ国学に極めて製錬して研ぎ澄ましてゆきますことが、さらに求められます。
そこを、わたくしは、ずっと、この先に付いても取り組んできている訳で御座います。
 
つまりまして、申し上げるべきのところ、
わたくしたちは、松本善之助先生の本当のおこころざしを尊重するべく、
「ヲシテ国学」に進んでゆくべきなのです。
松本善之助先生を尊ぶならば…  、のことです。
もちろん、本当の「日本」を尊ぶことにも同意義になります。
直訳の「秀真伝」や「三笠記」を強いてわたくしに強要してくるのは、現代における「ハタレちゃん」だと、私は思うんですね。  なぜならば、せっかくに、松本善之助先生のお志を継いだわたくしたちが、此処まで、ちゃんと進めて来つつあるのに、無視するのは間違っていると思うからです。わたくしたちとは、青木純雄さんもいますし、平岡憲人さんもいますし、斯波克幸さんなど、もっと多くの賛同者がすでに現われてきて下さっているからです。わたくしだけの、ひとりごとではないからです。
 

    ・      ・       ・       ・      ・    
 
今日は、
旧暦の、おおつごもりです。西暦の2月7日です。
漢字表記では、大晦日です。
「つきごもり」のことです。
明日のハツヒを、楽しみにしています。
さてさて、
あたらしく、構えてまいりましょう。
古いことは、スパッと忘れて。
明日のこと。
未来に向けての事に、
すべて、焦点を定めてまいりましょう。


 
やっとのことで、わたくしも、
40年来にて、ダンスの方も音楽を感じてステップを踏めるような感覚を少し持ち得てきました。何事も、簡単では有り得ません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年1月27日 (水)

お葉書の「ヲシテ」文字の美しいこと。 京都の御所のこと。  橘守部、天武天皇の事。イワツクワケさまのこと。

広島のお方から、お葉書を頂きました。ヲシテ文字が使い慣れて美しいことに、とっても喜んでいます。 ヲシテの慣れが、第一番ですね。

一昨日は、京都の講習会でもヲシテ文字を書き取りして写してもらいました。
Kyouto1
いつも、美しく、お花を活けて下さっています。
御所のすぐ近く。
ヲシテの文章の読み書きが、アマテルカミに、おそばに近付く第一歩だと思います。
なれたら、ヲシテ文字は段々と綺麗になって来ます。
               ・
早めに到着したので、御所の休憩所で読書をしていました。
Nakatatiuri2
御所は、静かです。
本当は、こちらが「ミヤコ」だと、京都で言ってましたら、やっぱり、皆さん共感をなさいます。
Nakatatiuri1
中立ち売りの御門の内側です。
もうひとつ南に蛤御門(はまぐり ごもん)があります。
中立売門の北の休憩所にはストーブが焚かれています。
落ち木などを燃やしていて、いつも温かです。
ちょっと、時間のある時など、読書に最適な場所です。
 
            ・        ・
所要で、三重県朝日町に行くことがありました。
桑名市の南側に隣接しているのが、朝日町です。
萬古焼(万古焼)の、草創期のふるさとでもあるとの事です。
江戸中期ごろ、沼波弄山(ぬなみろうざん)が元文年間(1736〜1740)に始めたのが、万古焼の草創期だそうです。
当時の、東海道の幹線の道筋でした。
ついでに、
橘守部(たちばな もりべ)の生誕地に寄りました。
大きな石碑で讃えられています。
Moribe
佐々木信綱が、献歌をささげています。
国学の先学に対して、尊敬の念です。わたくしも同感です。
  くちせぬ名を 国つ学の道の上に 残せる大人(うし、偉人の尊称)は この里ぞ生みし
   橘守部翁生誕の地
   時じくの かぐのこのみの かぐはしき たかき名仰がむ 八千とせの後も
   後学 佐佐木信綱 
  (碑裏)わが朝日村小向は国学の大家橘守部翁の生まれたれし誉のある地なればそれを永遠に記念せまほしく
     同じく北勢の出身なる佐佐木博士に讃歌を請ひたるなり
     昭和二七年九月  飯田源兵衛  飯田さ加栄  芳翠  松本英一書
 
 
橘守部も、江戸中期ごろからの人物です。天明元年4月8日(1781年5月1日) - 嘉永2年5月24日(1849年7月13日))。
万古焼の草創期とも重なります。
 
橘守部のこと、ヲシテ文献の発見・研究以前の事ですから、学問的には割り引かざるを得ませんですが、本居宣長よりは上だと、私は思っています。
さて、朝日町とは、桑名の南に隣接します。この朝日町に付いて、天武天皇の事績から地名が起きているのだそうでした。
Moribe2
中程より下に、橘守部の由緒地が記されています。
天武天皇の記事を見てみましょう。
『日本書紀』です。
Tennmu1
当時、反体制側であった、のちに40代にご即位なさいます天武天皇は、反乱軍として、体制側から追われる立場にありました。
その彷徨のさなか、朝明郡の今の朝日町の朝明川にて、天照大神を拝したのでした。
朝明川、『日本書紀』天武天皇前紀では「迹太川」の表記に記されています。
迹太川の「迹」の漢字は珍しい字です。
そう言えば、26代目の継体天皇のお名前は男大迹王(をほどのおおきみ)でした。
我が国の国風を守ろうとする側と、そうでない側とにも区別をしてみると解かりやすいのかも知れません。
26代の継体天皇さんの記事を『日本書紀』に見ておきましょう。
Ooto
国政が乱れた際に、
遠い、皇孫から、26代の継体天皇さんが迎え入れられたのには、ワケがあるのでしょう。そして、40代の天武天皇さんも、ここを、ご祈念なさったのではなかったか?
そう言うような事に、思いをはせた次第でした。
 
神武天皇さんから、12代降って景行天皇さんまでがヲシテ文献の記載の時代です。それから程なくして、漢字の国字化時代を迎えます。
14代降った、26代の継体天皇さんの時に、世が乱れたので、それで、継体天皇さんが迎えられます。さらに、14代降った、天武天皇さんの時代も動乱を迎えたわけです。今現代は125代に至る、とっても長いのが、我が国の歴史です。さらに、ヲシテ文献の発見・研究で、神武天皇さんの以前に、12代の先行しての我が国の建国の歴史があったことが判明したわけです。
 
ちなみに、
継体天皇さんの始祖は、イワツクワケさまです。
つまり、美人のカマハタさんと、11代のイクメのキミ(垂仁天皇)との間に生まれたのが、イワツクワケさんです。『ホツマツタヱ』37アヤに詳しくあります。
Iwatukuwake1
 
Iwatukuwake2
 
そして、イワツクワケさまをお祭りしているのが、
三尾の別業(おなりどころ)だったといわれる、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年1月16日 (土)

落ち葉の季節です。そこには芽吹きの準備がありました。「シワス」の月の名前の意味のこと。 京都の1月24日講習会が近付いてきました。

今年は、ムメ(梅)が早く咲きました。
Mume2
そこで、
書初めと、ムメの花です。良い香りを、連想して頂けましょうか?
Mume1
 

もうすぐ、旧暦のシワス(師走)の弓張りになります。ちょっと前の写真ですが。

Otukisama1
今年は、発展的に、ヲシテの進展もいろいろ実ると良いです、ね。
これまでの蓄積の上の事です。鞍居桃の芽も、少し、ふくらんできています。
新芽の事を詠んだウタです。
Miwataseha1_2
      上は女房です。 下は、わたくしです。
Miwataseha2
文字の美しさは、女房が「勝ち」です。
Kuromoji1
クロモジのつぼみです。ヒカゲカズラも美しいです。ビロードのような柔らかさで、感触がとってもやさしいです。触っていて気持ちいいので、ずっと触っていたい。そんな感じです。アオイマツリ(葵祭)もこの植物です。
いよいよ、旧暦のシワスです。
フユの、木々のよそおいです。
Huyu1
朝の、あけぼのです。
Asa1
 
この頃、
シワスの意味が、説明できるほどに理解が深くなりつつあります。
漢字の「師走」では、まったくダメなことは、当たり前なことですが、
ヲシテのイメージで説明できるように、 と。
これが、本当の、ヲシテ時代遡及です。ヲシテ国学への歩みです。
 
あとまだ、
他の多くの月名にも、ヲシテ時代にまで遡及して、理解を進めてゆかなくてはなりません。
そのうち…  には。
Siwasu2
Siwasu1
 
                    ・
 
準備も、あと、もう少し、してゆかねばなりません。
ご参加のご希望のお方様、
未連絡のお方さま、ご連絡をお願いいたします。
詳しい場所などをご案内いたします。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年1月 6日 (水)

『ホツマツタヱ』など、 ヲシテ文献の判定と価値の事。「ホツマ文字」のお札の事。

「ホツマ文字」のお札を見つけた、と言う、連絡を頂きました。

そこには、

判定をどうするか?

此処が重要です。

 

江戸時代ごろに、平田篤胤のお弟子さんたちが、自分の神社にお札として有り難さに訴えて流布しようとしていた時代がありました。
そういった、お札の類は、漢字以前のヲシテ時代に遡れるのかどうか? それは、無理と言うものですね。

江戸時代に創作された亜流のモノを見てもしょうがない、と言うところですね。
 
                   ・
それが、
いまのところの、私の感覚です。
平田篤胤の流れからのコピペの類も、幾つか目にはしてきております。
でも、ヲシテ文献の本文中の文章を伴っていないのですね。ヲシテ文献の文章が無ければ、しょうがないわけです。ヲシテ文字で書かれていても「あかさたな」じゃ、しょうがないです。ヲシテ時代由来なら、当然の事に「あかはなま」の並び順でしか有り得ないわけです。京都の陽明文庫にある50音図の表ですが、これは、とって付けた「あかさたな」のコピペそのもので、かえって、ヲシテ文献やヲシテ文字の貴さを削ぎ落とす何物でもありませんものね。
ヲシテ文字で書かれていても「あかさたな」じゃ、しょうがないです。
ヲシテ文字と言うよりも、文字形もその形状が崩れた感じですから、見るにも気持ち悪いものでした。幼稚園児の子供さんが初めて書いた文字のようですから… 。
そのようなことです。
少なくとも私の、過去目にしてきていたところの事例では、お札の類では、江戸時代をさらに遡るものは皆無です。 
 
                      ・
 
我が国の、本当の国学を、
記紀の原書が見つかったから、
真面目に取り組んでゆこう。
ということ、このスタンスが私の立場です。
従いまして、
平田篤胤など、ヲシテ文献を見てもいない人からの
さらに、
またのまたの、そのまたの、亜流も亜流に流れが降ってのコピペの類のような、お札などは、
百害あって一利なしですから、遠ざけたいモノそのものですね。
世間が「偽書」扱いにしたくってしょうがないわけですから、
こちら側は、今のところ、区別・峻別をちゃんと付けてゆかざるを得ない立場に追い込まれているわけです。
こういった意味で、区別を付けて言うなれば、
所謂、ねずみ男の類に近いわけです。傍流の方の流れに付きましては、残念なことですが、区別せざるを得ない苦しさをご斟酌願います。今のところはですね。
ヲシテで国学を構築してゆく、まじめにです。これが私のスタンスですから、傍流は出来れば遠ざけたい、という事になってしまっています、わけですね。
 

               ・            ・
 
 
私の謂う根拠は、
『古事記』『日本書紀』との原文での対比して厳密な比較による、
記載の内容の前後の比較にあります。
どうぞ
『定本ホツマツタヱ』を、よく、ご覧願います。
図書館にもありますから、お手に取って見て下さい。

ヲシテ国学に、ちゃんと進めてゆこう、
そう思う事は、
本当の愛国心だと思うんですね、わたくしは。
 
 
 
                     ・
 
漢字以前の時代、
ヲシテ文献のヲシテ時代にさかのぼれる、
本物が見つかったならば、
夜を日を徹して、また、
烈火のごとくに、
世に残すべく、生を時を刻み惜しんで、
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の発見時のように、
気が狂ったように邁進をいたします。
はた、
それが、またあれば、
どれほど、ときめく事でありましょうか?
『ワカウタのアヤ』の内容は、本当に、すごいものでした。
 
 
また、
それまで、
また、
地道にあれこれと、一生懸命にこなしてまいります。
今現状に、出来得ることを。

 
やはり、
カミヨの方が、優れているのでしょうかね?
わたくしだけの思いでしょうか?
 
 
 
この実感こそが、アマテルカミを敬愛する、深くですね、
その、根幹だと思うんですね。
さらに、クニトコタチさまへの敬慕ですね。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年1月 1日 (金)

明けましておめでとう御座います。 「トのヲシヱ」とシナジー・レベルの事。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

Sakuranome
                      <サクラの新芽です>   
旧年中は、私事の事ですが、還暦祝いをして頂きましたり、感激でした。
これからの生活習慣をどうしてゆくか? 安定に向けての取り組みもおおよそ終えることが出来ました。
本年から、また、初心に立ち返って進んでまいります。
Isenoumi
                      <イセのウミ> 
 
ヲシテを学んでゆくお人も、徐々に増えてきてくれています。
もちろん、原字原文の貴さを、基準に置いてくださっての事です。
そうでなくては、松本善之助先生のご遺志に沿わないことは明白です。
そこに、シナジー効果(相乗効果)をどう及ぼしてゆけるか?
要は、シナジーを共有するレベルが大切です。
シナジー・レベルは、「トのヲシヱ」の共有レベルと、表現した方が良いかも知れませんです。これから、未来にかけての私の希望は、です。
原字原文のヲシテの文章を重んじてゆくことは、欠かせません。
 
ほんの一言のご挨拶で、
恐縮です。
今、アサヒを拝みました。
これから、また作業に掛かってまいります。
 
 

私の取り組んでおりますのは、
我が国をさらに、縄文文明に基付いて、もっと貴さについての認識を、さらに押し広めて啓蒙してゆく仕事です。
何故ならば、それは、ヲシテ文字、ヲシテ時代の中期ごろまでの、あの高度な哲学に基付く歴史が揺るがせ出来なくも実在してあるからです。これは、当たり前の事なのですね。ちゃんと、その時代に、しっかりしたモノが実在していた、我が国の、その貴さの如実さです。真実の事なのですから、決して、ねつ造の部類ではないのが極めて大切なことです。

 
根拠をちゃんと定礎にと礎えに、定めつつ、
進め行くことが、
とっても重要なことです。
何故ならば、我が国の国家樹立の根底の精神に付いて論究してゆくのが、私達の仕事になりますからです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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