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2015年7月 2日 (木)

我が国の、本当の基礎を定礎を定めること。ヲシテ国学、記紀の原書の事。

ヲシテ国学の事、強い信念にて、この樹立を提唱してまいりましたら、

やっと、
この意味に付きまして、御解り下さいますお方さまも、出て来ておいでです。
有り難い事で御座います。
しかし、どうしても理解の前提として、
「記紀の原書の事」の根拠ありのこと、
他の「神代文字」の類は偽書である事。
真書のヲシテ文献でも、漢字仮名交じり直訳文にしたら、やっぱり「偽書」になってしまうこと。
このあたりの事情が、
はっきりわからないと、
しょうがないことになります。
それは、鳥居礼クンや、鏑邦男などなどの、直訳偽書の「秀真伝族(しゅうしんでん)」です。それらを、「ねずみ男」と呼ぶと、近い表現ですと、私は思っています。
苔むした雰囲気のある、苔寺の灯ろうに、ペンキを塗りたくって、さも自慢する連中です。ペンキが綺麗だろう!  と。 ですね。
 
                  ・
 
そんな類(たぐい)とは、遠くに距離を置くべきです。
 
 
            ・           ・
 
 さて、真面目に、ヲシテ国学の事ですね。
『ホツマ ツタヱ』や『ミカサ フミ』など、
本当に、これから、私達が大切にしてゆくべき、
その、
ヲシテ国学です。
まずは、
『ホツマ ツタヱ』について、
おおよその、ざっとした理解で良いわけですが、
これを、
なさって下さいませ。
『ホツマツタヱ』や『ミカサフミ』の1~3アヤ程度の読み書き暗唱です。
これは、
どうしても、なさって下さいませ。
アマテルカミのお気持ちに近づくには、
アマテルカミのお使いに遊ばされておられた、ヲシテ文字・ヲシテ時代の文章が、読み書き出来て当たり前です。
 
また、導入的な解説は、
ユーチューブで「ヲシテ国学 初めから」など、
解説をしてます。こちらは、
『ホツマ ツタヱ』40アヤの完結まで、あと少しです。
をUPしました。
漢字国字化時代になる前の、
本当の我が国の姿を、
是非ともに、見知ってもらうことが、
ヲシテ国学樹立への、大切な大切な、一歩です。
諸外国との外交が緊密になりますと、
今現在なら、もっともっと必要性はさらに高いかも知れませんですね。
それには、
我が国の特質を、的確に正しく理解してゆくことが、
本当の所、とっても大切なのです。 
 
           ・             ・
 
これ程に、我が国の根幹の事が、
どうしても必要になってきた時代は、
何千年来に於いて、初めての事でありますでしょう。
 
ヲシテ文献、記紀の原書ですよ、
此処に、定礎を定めずして、いかが、我が国の先行きは?
さらに、
全世界の、先々も、 此処に掛かっているのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年6月28日 (日)

京都の会場変更の事。 武野紹鴎さんの大黒庵のいわれの元。  「ヲシテ国学 初めから」53話をUPしました。

京都での、ヲシテ講習会は、盛会でした。(6月27日)
会場が、次回から別の所に変更されます。(9月12日)
次回からは、
さらに、
閑静でご由緒も深い、雰囲気のある場所になります。
お問い合わせ下さいませ。
            ・
 
そんな事もあって、千利休の師匠であった、
武野紹鴎さんの、その、大黒庵の京都の邸宅跡が、
前会場の近くにありますので、参拝に行って参りました。
Kikusui2_2
         <説明の文面です。なかなかの名文ですね。
           700年の長寿を…、云々が、
           名水の「菊水」の井戸だったそうです>
Kikusui
 
わび茶を、完成させ、「日本回帰」に功績著しかったのは、
実に、武野紹鴎さん(たけの じょうおう、しょうおう)だったようです。
ご名跡を継いでおられる、ご子孫筋の武野宗延(むねのぶ)さんのご著書『利休の師 武野紹鴎』(宮帯出版)に感動しまして、拝眉の機会を先日も賜ったところでした。
武野宗延さんは、単なる先祖自慢ではなくて、「日本文明」の正しい理解普及について、こころざしを強くなさっておられます。
我が国を、とても大切に思ってられる訳ですね。
お会いして感じましたことの一つに、私憤と、公憤との、違いが誤解されては困るという思いが、武野宗延さんには強くあってのことと拝察いたしました。 わたくしも、同様の思いが強う御座いますから、良く解るわけで御座います。
さて、室町時代。
武野紹鴎さんの京都の旧宅は、夷社のすぐそばだったので、
夷三郎のこと、それで、夷大黒から「大黒庵」と称したそうでした。
今からしてみましたら、
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』のその深い意味合いの事を、武野紹鴎さんにも、解って貰えたら良かった事だったのに、と、昨日も大黒庵跡の石碑の前で思わず手を合わせて居りました。ワカヒメさまの事が解らずに、クシヒコさんの事が解らずに、「夷大黒」の大黒庵ではさびしすぎると言うもので御座いますねですね。今ならばこそには、明確に判明した事事で御座いますが。  
それにしましても、武野宗延さんに伝わる角釜の尾垂れの大黒釜の、「す」の虫食い状の姿は、「わひ」(ワビ・侘び)の、その一つの大きな具現化のように思います。
H25429_2
武野宗延さんのご著書をご参照ください。
 
 
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 10代のミマキのキミ(崇神天皇)の後半部分です。ヲシテ時代の晩期の雰囲気が解ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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