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2015年3月25日 (水)

北九州の芦屋釜の里、広島の探訪旅行。   糖質制限の実行者の集まりの会に付きまして。

兄の体調が不調の事にて、探訪旅行の日程を短く切り上げました。

芦屋釜の事、

Photo_25

            <芦屋釜の古い時代の逸品です。

                         芦屋町の所蔵。

                     5000万円だそうです>

百聞は一見にしかず、でした。

広島でも、筑前の芦屋でも、思わぬ見聞が広まりました。

さても、九州は自動車では遠かったです、 ですが、さてさての遠くでも行ってみて良かったでした。

               ・

広島は、多家神社(たけ じんじゃ)の参拝です。

記紀の原書のヲシテ文献の『ホツマツタヱ』に、

「チノミヤ」の典拠があります。とても尊習の篤い神社ですね。タケヒト(神武天皇)さまのゆかりの濃厚なお社でありますでしょうね。

Tinomiya

Photo

女房が歩いてます。

多家神社の「たけ」とは、「タケヒト」さまの「タケ」じゃあるまいか?

とは、ベベさんの説です。 あるいは、そうかも知れませんですね。

Photo_2


           <多家神社では、ヲシテ文献を学ぶ、

             多くのお方が、お待ちくださいました。

             片手では勘定が余りました。

             いずれも、直訳ではダメだと、お解かりのお方々>

Photo_12

             <神武天皇さんの腰掛石と伝えられています。

               おそれ多くて、腰掛けは致しかねました>

H25385

         <『定本ホツマツタヱ』で、「ヤマトウチ(神武東征)」の

          道筋が良く解ります。

          ここでも、『古事記』は酷いもので御座います。

          102、103、104からどんと離れて109にと、

          順番がぐちゃぐちゃになってます。

          『古事記』の作者は、地図が解らないのか?

          とにかくも、酷いもので御座います。

          これを正すべきだと、そう、考えないのは、

          愛国者としては?  どうなんでしょうね>

そんな、勉強会の会場のひとつ、 

「ギャラリー・うしだ」さんにも訪問させて頂きました。

 染めのお色がとっても良いです。思わず、マフラーや女房がチョッキを、と、お別け頂きました。帽子も、プレゼントして下さったり、と  …。 夏帽子の事、何か無いかと、悩んでいたところでした。  染めの色合いの事、殊の外にピンクの色がとっても綺麗で、それは、苔の染色だとおっしゃいますのですね。マフラーにも入っています、そのうち、春・秋なんかにはとっても良い雰囲気です。

Photo_3

ヲシテでの、染め物など、

それも御座います。

また、

原爆の爆心地から2.3kmで無事だった建物でして、凝った床の間です。

夕方は、美味しいカキを頂きました。それより、ヲシテ国学に付いて、少しは踏み込んだご説明も出来ました事を嬉しく思っております。

Photo_4


翌朝は、明け方の朝日にお参りしてまいりました。

みなさん、ラジオ体操をなさったりと、人通りの多くの賑わいで御座いました。野鳥のイカルが、鳴いていましたのも、こころ和らぐさまの事で御座いました。もちろん、カラスも元気でした。

               ・

さて、高速で、宮島を遠拝致します。

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宮島は、アマテルカミの御(おん)ひめみこ(皇女)さんのタナコさまのご陵所(お墓)なのですから、尊いのですね。『ホツマ辞典』にくわしく記述してます。

H25384

また、『縄文人のこころを旅する』(池田満、展望社)にも、タナコヒメさまの事は触れています。

次は、「サハ」の地です。  ですが、折からのPM2.5の高濃度にて、川面も見えかねます。佐波川のサービスエリアです。

Photo_6

かつての「ザガいき」も、こんな雰囲気だったのかも知れません。

ホ38-28、下に引用しました3行目です。

Photo_7

12代の、ヲシロワケ(景行天皇)さんの九州のご遠征の際の事でした。
H25383

              <『ホツマ辞典』297pにて時代が良く解ります>

さて、北部・九州に今回の探訪旅行の第一の目的は、

 

「なへ・かま(鍋・釜)」の詳しいことを探る為でした。

 

それで、筑前・芦屋町です。

 

なぜならば、国宝に指定されている茶釜の9釜のうちの8釜が「芦屋釜」なのですね。

 

どうして、そんなに高い評価を可能とするのか?  不思議な事です。

Photo_8

既に、芦屋町の芦屋釜の里の学芸員さんの新郷英弘さんと、訪問の意図に付きましてお伝えしたり、接触を図っておりましたので、端的に意思疎通が出来ました。

 

はじめは、PM2.5のこのひどいスモッグの事をお聞きしました。

 

それは、珍しき高濃度だそうでした。翌朝の新聞にも珍奇の事として記述がありました。読売新聞の記述ですから、ウソは無いと思います。

 

「芦屋釜の里」は、人口が14000人ほどの小さな町なのに、至って、すごい施設です。なにしろ、芦屋釜を現代に再興させようと言うのです。いもじ(鋳物師)を現代に復活させようと言うのですから、すごい意気込みです。

眼目が、芦屋釜の現代に造る人のその再生なんですね。いもじ(鋳物師)の現代再生です。すでに、八木さんが立派にお出になられてます。

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             <八木孝弘さん(現代の鋳物師)作の芦屋釜>

ヲシテ文献の再生・再構築にも一理同じくする雰囲気があります。

 

日本の大切な伝統の、その、消えたものをどうにかして再興させてゆきたい!

 

その、思いなんですね。

Photo_9


「芦屋釜の里」入り口には、やまさくら、が、

 

気の早いサクラですね、満開でした。

Photo_10


この、上が、魚見山と言います。

 

『万葉集』の時代には「あめ霧(き)らう」のウタが詠まれています。

 

寄せる波の、音も、つぶ立つ波頭も、よくよく爽やかなる山です。

 

さて、

 

芦屋釜は、鉄の鋳込みの釜のことです。

 

素晴らしいものですね。

 

現代の現在に、良いお釜が再現されて出来ています。

Photo_11


八木さんの

 

その、人となりが、実直の、真面目さが、出て来ています。

 

やっと、おおよそ20年来の格闘だそうです。

今だったら、八木孝弘さんの芦屋釜、とても良い出雲の「わずく(たたら精錬の鉄)」を使用しての「こしき炉」鋳込みの本格釜で、しかも比較的に廉価にて、お求めが出来るとの事です。是非、ご検討のほどをお願いいたしたく思います。将来的に値上がりも十分に期待できます。

 

やはり、本物の筋には、ある程度一生懸命に打ち込まないと、到達できない線があるのですね。八木さんには、もう、クリアーのことを、わたくしは思いますですね。

『ミカサフミ ワカウタのアヤ』に「ヰモノシ(鋳物師)」の典拠があります。

Photo_28

「みはしらき ニこころうつす

 うつわもの そのみかたちに

 すすめこふ ふかきむねある

 そめふたお(を) まかせたまわる

 ニフノカミ ここにヒルコ(アマテルカミの御妹君)は

 ヰモノシ(鋳物師)に カナアヤ「に」させ

 あまねくに おしゆるみなも

 わかひるめ ニフのいさおし

 ををいなるかな」

古い、

 

手練れのイモシ(鋳物師)の作品が、

 

浜から上がったそうでした。

 

それを、適当に普段使いに使ってたのを、目のある人が、引き取って芦屋町に寄贈したそうでした。

Photo_12

何は何とも、どう言いますか、

 

目(眼力・認識力)のあるなしの事で御座います。

複雑なる、芦屋釜ですね。

 

 

この、平釜は、すごい資っ値(秘された大きな値打ち)を持った物だと、

なかの、蓋の合わせのしのぎがすごいんだそうです。保存の関係上、拝見は出来ませんでしたが、学芸員の山田さんの解説でした。

そう、

 

わたくしは思いました。  そういうことの、根底には、ヲシテ文献がが、

記紀の原書であると言う、その、

大切な認識の、それが、一の認識過程での、

その、

一番初めの、

 

その事なんですね。

 

 

極めて、びっくりの、

 

その、

 

もとの、本当の定礎に関わるものですから、単純な、観光的なお楽しみ的の事々とも、ちょとだけ違うんだと思います。

 

ちょっとの、ほんの、小さな違いの事ですけども、

 

そこにこそ、永遠の、その、どう違ってゆくか?  の、判明と、その解明の事が判ってくるんだと、   そう、思いますですね。

Photo

芦屋釜の古い時代の逸品です。

芦屋町の歴史民俗資料館にポンと展示されていました。

この釜は、芦屋町は5000万円で購入したそうです。京阪神の所蔵家から。

さて、どうやって? 

 

こんなに、良い釜が作れるのか?

 

遠賀川で砂鉄が採れます。

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芦屋釜の里の新郷さんは、いろいろと、詳しく説明して下さいました。

 

なんでも、新郷さん、江戸時代ごろの破れた釜を浜で拾らったそうでして、ペンチで割って下さいました。

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ピカピカに光った、浜で拾らった江戸時代ころに造られた釜の破断面です。

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300年ぐらいは、経っていて、浜で揉まれていても、中はピカピカです。

その、秘密は、炉にあるとの事です。

こしき炉で、鉄を熔解すると、純度の高い鉄(Fe)になるので、不純物が極めて少ないので海水にも腐食されないとのことでした。芦屋の浜の砂鉄はチタンの含有量が多いのですが、低温の溶解のこしき炉だからこそで、純度の高いクロカネ(鉄、Fe)になるわけでした。チタンなどの不純物が多く混ざると、錆びが早く来るんですね。

その、こしき炉の内部です。

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右の方が、こしき炉の下部になります。

溶けてきて、ガラス化してます。

切り取って、ブローチにしても良さそうなぐらいに、美しいです。

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こしき炉の下部です。

 

備長炭の硬い炭に、鉄が溶けこんでいて、持つと、とっても重たくて持ち重みがします。

 

それで、炭にチタンなどの不純物が吸着されて、溶けだす「ゆ(溶解鉄)」には、高純度のクロカネ(鉄、Fe)が得られるのですね。チタンなどの溶解温度はさらに高温ですから、炭にくっ付いて流れ出なくなるわけです。

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釜の鋳たあとの、あられの文様です。つぶつぶの文様です。

黒いのは、鋳込みの際に鉄が付着しないように炭灰を塗り込めるのです。

緻密に、あられの数は、各段が数が同じです。

 

円周が上部と下部とでは長さが違いますのを、少しずつ調整しつつ、あられのツブツブ文様を押してゆくので、斜めの線がスキッと通るんですね。

 

そういった、手練れの作品です。

 

もう一度、

 

現代の
八木孝弘さんの釜を見ておきましょう。

いもじ(鋳物師)の養成の採用試験の際に、絵心があるかどうか?  立体的なデッサンの能力が試験の項目にあって、20人ほどもの応募者の中から、八木さんがひとり合格したとの事でした。それで、鷺の絵も活き活きしてます。その後の研鑽の事が偲ばれます。

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鋳込む鉄には、出雲のたたらでの「わずく」を使ってるとの事です。

 

それは、値段も高くなるはずです。

 

たたらで出来た中心部分は「たまはがね」と呼ばれて、刀にします。

 

その外側が、包丁鉄になります。

 

さらに外側が、鋳込み鉄になりまして、茶釜の「わずく」です。

用途用途に、タタラ鉄は今にも活かされてます。ですが、分けてもらうのもとっても大変な事だそうです。単なるお商売では認可がされません。芦屋釜の茶釜の復興なら、OKとなったそうです。頒価も、とても高額だという事です。

Photo_9

写真ではよく見えませんが、破断面が、宝石のように光ってます。金属光沢です。

タタラは、ヲシテ文献にも出例があります。

Tatara1
最後の行です。

「タタラ為し フイコ(吹き込み)に練れよ」

タタラの事、ヲシテ時代の中期の用例です。

考古学的の時代把握では、縄文時代から弥生時代にかけての頃です。

その、こしき炉の、

出土に付いて、

新郷さんは、全国各地に呼ばれて説明したり、

現物展示を、来館の考古学者に見せて説明してるそうです。こしき炉の現代再現を実際にしてみて、初めて解った事でした。「芦屋釜の里」の功績は大きいことです。

そのうち、縄文時代ごろのこしき炉が、出土する事でしょうね。

楽しみにして待っております。

Tatara2

タケヒトさんの「ヤマトウチ」に至る、その前夜・前段階の事に、世上が風雲急を迎えます。サルタヒコは、タタラで製鉄をします。この時のタタラの場所はイセ(伊勢、三重県)でのことですね。

たたら製鉄のクロカネ(鉄)は、それ程に、高純度のクロカネ(鉄)です。

さらに、こしき炉にて溶解して「ゆ(溶解鉄)」にする際に、もっと純度がUPするとのこと。鋳込みの後に、毎回、新日鉄さんに協力してもらって、分析を依頼して、詳しい状況を確認して、次回の鋳込みにフィードバックを図ってるそうです。伝統と、現代技術との融合ですね。

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釜場のようすです。右奥に、こしき炉が据えられます。

 

本当に、

そう思いますね、

資金的なうれいが無ければ、あたらしく、茶道の流派を、ヲシテ時代のその根幹からの興隆のひとつの流れの事ですが、それも、アリの事だと思うんですね。

まだまだ、先々の事では御座いますが、そう言った、含みの事もこころの端に置いて頂くとよろしいような事かも知れませんです。

下の写真は、釜場の外観です。

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砂鉄の取れる、遠賀川。魚見山からの展望です。

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 朝日は、また、美しい遠賀川上流の遠望です。

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夕日も美しい。 ですが、PM2.5の中に霞んでまして、150ppmだそうでした。

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ウタを詠みました。

 

北極星が、綺麗にま近に見えました、もう、PM2.5は晴れたのです。

 

    遠賀川 波の音深く 

    きたのほし 手もとに届く 

    魚見の山は

 

    から(漢)霧(き)らい 明けて山鹿の 

    もとつ人 大珠(たま)のミトリ(緑色)に 

    思い集めて

 

「もとつ人」とは、山鹿の縄文時代のたまたま発掘された人骨の事です。

今から、約4000年前のお骨です。

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女性がふたりと、間に、赤ん坊の人骨もあって、3人分が発見されました。

胸のあたり、緑色の、大珠が、のちの「まがたま(勾玉)」になってゆくのですが、

この、緑色大珠が、とっても、印象に強かったです。腕輪の貝の多さにもビックリです。この貝は、今も近隣の海に生息してる種類で、しかしながら、20m以上の深い場所にしか居ないそうです。余程の事に獲るのは大変です。当時には、宝石並みの価値でしょうね。  緑色の大きなタマ(宝石)は、ヒスイにも似てる宝石なのですが、ちょっと材質が違うような? で、今現在は緑色大珠(りょくしょく たいじゅ)と呼ばれています。かなり、ヒスイに近いものです。この展示物は、レプリカですから、なお、ヒスイとの違いは、わたくしには良くは解りませんでした。

そして、不思議な事に、あばら骨などの多くの骨が無いのが、摩訶不思議な事でした。学芸員の山田さんは「アンビリーバブル」と表現していました。

それで、「タマのミトリに 思い集めて」でした。

Photo_18

             <山鹿貝塚の山です>

縄文時代の、海進の時の様子は、芦屋町の歴史民俗資料館で山田さんが詳しく説明して下さいました。

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緑の立体地図の右上の端っこが山鹿の貝塚のある小さな山です。
今の、低地の平野域は、浅い海面下にあったようです。

海水面が下がってくるに従って、淡水化して芦が茂って来て、「芦屋」と言われるようになり、やがて、田んぼも作られて発展するのが弥生時代ごろからの話です。

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山鹿素行展も、やってました。

山鹿素行は、先祖が、山鹿の土地に由緒があるのですね。

山鹿流陣太鼓の赤穂浪士の討ち入りで有名ですが、

軍学などは、山本勘助流のまた伝えです。ですから、代講のような感じですね。

しかし、『中朝事実』は、山鹿素行の発明が随所にみられるので、思想家としての高い評価はこの著作にあるべきなのです。

我が国の尊さを、しっかり認識したのは、山鹿素行ならではです。

だから、山鹿素行は偉いんです。

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                <岡湊神社です>

帰路には、

開門海峡から、山鹿の方向も眺めました。

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潮の流れが速いです。

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遠い先に山鹿の芦屋町があります。

                   ・

帰宅しましたら、

鞍井桃が、少し、ふくらんでいました。

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フキも一挙に芽吹きました。

「ギャラリー・うしだ」の、お母さんは、103歳まで元気に仕事をなさっておられて、常備菜にフキを食べておられたそうです。女房も、早速に摘んで頂こうと言ってました。

Photo_27

天地自然の恵みです。

Huki

             <朱に交われば…。

              宅急便より早いと言われる、

              わたくしの性癖に少しづつ染まってか?

              女房が、フキを早速に摘んでました。

              松本善之助先生のお仕込みが、

              タッタカやる性癖なんですが… >

恵みの事、それ天地自然からと、ご先祖の人々の山鹿の貝塚の時代からの、営々たる積み重ねの、恵みです。クニトコタチさまからの、その恵みです。

それを、今わたくしたちは、どう享受して、どう、還してゆくか?

なお、夏井睦先生の、

糖質制限の推進の事も、ひとつの考えかも知れません。

糖尿病に悩む人を減らし、透析患者を減らしてゆく事は、国益になるのだとも思います。

オフ会があります。オフ会とは、夏井睦先生はおいでになられない、会、の意味です。

http://www.wound-treatment.jp/

Tousituseigen2

わたくしは納豆の食べ方の伝授に赴きます。

Tousituseigen

 

 

 

 

 

 

 

 

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