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2015年3月 6日 (金)

「かす」ちからのこと。5要素の「かせ」のうちのひとつ。 名歌の事。

「かす」と言う言葉が、大きな意味を持ってます。

ヲシテ時代の中期の言葉です。

勿論のこと、漢字国字化時代の以前の事ですね。

『ホツマツタヱ』1アヤの、解り易そうで難解なる個所を見ておきましょう。

Kasu2

Kasu1

この個所での難解さは、「みそひかにかす」の事です。

「かす」とは? どういう意味であるのか?

非常に難しいところなのですね。

ずっと考えて来てまして、

四国の合田さんが、

きのう、名歌を詠まれました。

Photo_2

「に」の働きが、アモトからも齎されてきます。

また、「ヒ」からも「ツキ」からもです。

「かす」とは、はたらいて及ぼしてくるチカラだと、そう考えるのが、

妥当なところだと、そういう考えになってきております。

つまり、

5要素の「うつほ・かせ・ほ・みつ・はに」のうちの「かせ」の働きが、表面的には「風」のようにもありますが、もっと原初的な根元的な理解としては「かせ」なんですね。そして、「かせ」がもっと能動的な状態が「かす」なんですね。「かせ」と「かす」は意味するところが同様の言葉なのです。「かせ」と「かす」とが、極めて近い概念である同類項としての言葉であるとの理解などは、ヲシテ文字の原字原文で読み書きして親しんでいないと、解らない事柄ですね。

総じて言いますならば、「ニ」の働きを、「かす」のが、「ミソヒカ(31日)」の月ごとの巡りだ。  と、それが、『ホツマツタヱ』の1アヤの最後の個所の説明内容なのですね。それで、ハナキネさん(ソサノヲの若い時のころ)も納得したわけでした。もちろんのこと、「アネ」とは、ワカヒメさんの事です。ワカヒメさんは、アマテルカミの御(おん)妹君であらせられます。

基礎的な理解は『ホツマ辞典』を何回かお読み頂けますと解ります。

また、

ワカヒメさまの詳しい事は、平成24年(2012)発見の『ミカサフミ ワカウタのアヤ』 が良く解ります。

             ・            ・

『ホツマツタヱ』の1アヤにも表れている、難解個所の事、

そのことのあたりを、詠んだ、とっても素晴らしい名歌だと思います。

   かす ちから きさし お(を) はこひ

   ひ に  つき に ひとは こよみに

   さいわひ あみて

ヲシテ文献は、記紀の原書の事、

根拠を『定本ホツマツタヱ』、『ホツマツタヱを読み解く』『よみがえる日本語』などの書籍に拠って既に公けに公表してあります。いまだ、面と向かった否定論は提出されていません。もう、認証あるいは妥当であると黙認になりつつある状況に近いですね。

漢字文献類での考慮事項とは、土台を、根幹からの土俵が違うわけですから、お話にも成り得ない訳ですね。

わたくしたちは、まったくもっての、新たなキャンバスに描きゆくのが自然の姿だと思います。漢字国字化時代の以降に積み重なった事々は、参考程度の事になるわけです。決して無視は致すようにもなりはしませんが…、  ですね。 

さて、そのような事々の世俗的なる世間的な事は、どうせ、後世の人にお任せですが、

わたくしたちは、もっと、深く大きなヲシテ時代の真相に真実に迫って解明を進め行くのが仕事です。 それにしましても、合田さんのおウタは名歌だと思います。 



もうひとつ、後半の個所の、「さいわいあみて」は、

もっと、

難しい、現在解明中の事柄になりますので、

どうしても知りたい解ってゆきたいと、

その志のお方は、ご連絡くださいませ。

この、深い真相個所につきましては、ヲシテ文献の理解程度にも勘案しなくてはご説明も正確にしようとしてますので気を使う事の事々でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月 4日 (水)

今東光の事。今で言えば村上春樹か?  私の若い頃の思い違いの事。 記紀の原書として、その、しっかりした理解が出来得るのかどうか? 原文のたいせつさの事『万葉集』にも。   ユーチューブ、ホツマ26アヤをUPしました。

普通には、そう思います。

 

流行りの小説家なんかに、取り上げさせたら、

 

一挙にグッと広まる筈だ。  と。

 

わたくしも、若い頃にはそう思ってました。

Mume2

松本善之助先生のところに、今東光(今で言えば村上春樹さんのような感じ)の秘書が、題材を求めてやって来たと小耳にはさみました。流行作家の、その筆に、期待したんですね、若いころの私は。 そこで、松本善之助先生に、その後はどうなったのか? と、しつこく、お聞きしていましたものでした。

 

どうせ、今東光の秘書なんか、ちょっとだけ、かじって聞いてもう放棄です。この題材ではやっつけの商売にはならないと。そういうことですね。

これからも、同様です、きっとそうでしょう。

 

                 ・

 

それから、20年・30年・40年になります。

そんな流行作家気取りの人たちなどから、片手では足りないぐらいのような幾人もの幾人もの接触はありました。

 

ですが、やっぱり無理なんですね。

 

字が読めなくっちゃ、ヲシテがですね、

 

それは、ハナから無理な事なのでありますのですね。

 

Mume1

                 <オオテマリの枝に、枝垂れウメです。

                   オオテマリに梅は継げ得ません>

例えましたら、

 

お茶の、茶道の指導にも、そこまでゆかなくても、茶道の説明にも、お茶が好きで常日頃から親しんでる人でないと、まともな茶道の説明も初心の人に関してさえ無理な事です。

いわば、茶筅とは? 見たことも触ったことも無い人が、お茶をたてるのは無理なわけですね。ヲシテ文字も読めなくて、ヲシテ時代の文章も読めなくて、どうして? 『ホツマツタヱ』などの我が国の大切なヲシテ文献を語れるというのでしょうか?

ホツマなどを語る最低限度に必要な素養としては、ヲシテ文字の読み書きと、ヲシテ時代の文章の読み書きですね。それで、お茶で言いましたら、茶筅を扱うことが出来る程度として、納得されましょうね。

やっぱり、茶筅を触ったことも無い人が、茶道の説明はどうしても無理だと思うんですね。

さて、その前に、

お茶が好きで、おいしい。 健康にもいい、と。その認識が無いと、お茶は勧められません。

 

 

 

ヲシテ文献で言いましたら、

 

アマテルカミのお使いであらせられました、ヲシテ文字・ヲシテ時代の5・7調の文章が、スラスラ読み書き出来なかったら、それは、初心の人にも簡単説明してもらうのも、困った事象に当たります。字も、ヲシテ時代の文章も、読み書きできないのは、所詮は、ボランティアにての解説者のランクにも不適な事であると、わたくしは思いますです。 

 

『万葉集』にも、

原文ならではの添意のこともあります。この頃、ちょくちょく見てます。

1699番 澤瀉万葉集から掲げます。

『万葉集注釈』澤瀉久孝(中央公論社)

H25376


この、「伏見何田井尓」の原文には、伏見稲荷の「カタ(荷田)」さんの事が掛けて詠んでますね。

ですから、直訳の「伏見が田ゐ」だけにしちゃいますと、余韻が切られてしまうわけですね。ついでに、解説のページも見ておきましょう。

H25377

 

          ・            ・

 

ユーチューブ「ヲシテ国学 初めから」45話の

          「ホツマ26アヤ」の朗読をUPしました。

トヨタマヒメへの、お諭しの教え「ミ・イキ」が、イニキネさまに説かれます。古くトヨケカミの伝来の教えだったのですね。

https://www.youtube.com/watch?v=8Ql-b9jyIRk&feature=youtu.be

 

『 ホツマ ツタヱ 』の、そのヲシテ時代中期ごろまでの、

我が国の本来の雰囲気は、26アヤには濃厚に感じられます。

でも、

直訳して、何段階もコピペされてゆくと、何だか、何処かがおかしくなってきちゃうんですね。

『万葉集』で言いましたら、

「澤瀉万葉集」の段階だと、それほど変でもないのですが、原文の部分をちょん切られたりしまして、直訳文だけが独り歩きされて、澤瀉訳文だと、ですね。そうして、独り歩きが始まったら、「カタ(荷田)」さんの事を思いを込めてた余韻がちょん切られちゃって軽薄浮薄になってゆきます。

それが、重要な「トのヲシテ」の事がちょん切られるようなことが起きるのが、ヲシテ文献の場合です。だから、直訳にと、独り歩きしてもらっては困るという事なのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月 1日 (日)

時代の事、Mr.スポックのこと。 大きな任務と、その、義務の遂行に拠って生じる問題や心理的な葛藤についての、問題解決のプロセスの事。

ひとつの時代を開いたという点で、こちら日本からも、Mr.スポックの事は、そのお亡くなりの事を悼みます。本名はレナード・ニモイさん。もう、今年には83歳だったそうです。思えば、相当に昔になりましたですね、当時には深夜の放送を、いささか無理をしても良く見ましたものでした。

Mrsupoku
ヲヲヤケを背負いつつの、その、精神的に強靭なバックボーンが、人々のこころに強烈に共感を齎したのだと思います。
米国放送に接触の無い人には、Mr.スポックなんて? とは?
の事ですね。
今日も、ウチに来宅のお客様には、お若いからですね。 今東光のことも、話も聞いたことないとのことでした。  時代ですね。
それは、そうでしょうね。
お若きことは、ムベなるかな! 良い事です!
でも、
Mr.スポックの事は、もうちょっと大きな存在だと思います。
新しい時代に向いてゆく方向での、大きな発露なのだと思います。
米国ドラマでのその後のいろいろは、Mr.スポックの存在無しでは語れないような事になってます。
大きな任務と、その義務から生じる精神的な葛藤に於いて、Mr.スポックは、その持って生まれたロジックに超過しての論理的一辺倒過ぎる考慮の性格から必要以上の大きな葛藤を抱いて苦悩するのです。その、心理的な難問解決プロセスが、見ている人の共感を得るのですね。
苦悩と、葛藤、そして、どう解決に結び付けてゆくか?
この事は、
今も、そうですし、
これからも、大きなテーマであるからです。
人格性を持つ一神教の、その根元的に内包するモノから原因する処々のトラブルも、この、Mr.スポックの苦悩に拠って多くの解決に向けてのヒントが得られるのではあるまいか?  と、わたくしは、思っております。
 
                   ・
 
あと、
これから、わたくしも、
10年、 20年、  さらには、    40年、あるいは、60年にも、
そのように、インパクトを残せるようにと、是非とも
仕事に打ち込んでまいります。
Mr.スポックに見習いまして。
さて?
Mr.スポックのように、耳が尖ってきますかどうか?
大切な事々は、
背骨に位置する考え方のその大きさ、
その、
軽い重い、小さい大きいの事、
この一点こそが、後の評価に最も大きな決定打となりゆくのでしょうね。
それで、背骨をしっかり作る事こそが、最重要事であると、認識すべきです。
さて、
わたくしの、その、第一重要事項の任務とは、
勿論のことに、記紀の原書たるヲシテ文献に依る、本当の国学の再構築の事です。
Hondana
                                    <うちの、ごちゃごちゃ本棚です。
                  カオスの中から、どう生み紡いでゆくか?
                  カオスの中にこそ、タカラはあるんですからね>
こんなに、大きな任務の事が他にあり得るのでありましょうか?
とも、 常に思っておりますことで御座います。
出来得るだけの事を、着実に進め行くばかりの事で御座います。
そこには、やはり、大きな葛藤とのもがきの事がスタートレックならではに御座います次第で御座います。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 

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