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2015年8月28日 (金)

近況のご報告。パソコンを更新しました。 津市・松阪市、糸川ダンス教室のこと。

すっかりと、朝夕は涼しくなってまいりました。

わたくしは、パソコンの使い方が荒いせいか?

また、壊れそうな兆候が表れました。

ゴロゴロと異音が発生です。完全故障してからだと大変です。
そこで、中古品を求めました。9万円程度でした。
Pasokon1
習うより慣れろで、今回は、載せ替え作業を、一日余りで完了できました。
同じく、「ウィンドウズ7」にしました。バージョンがUPしていて、使い易さが向上していました。
大きめの表示器を、外付けして使うと目に優しいです。
キーボードも、外付けして使うと、これまた便利です。壊れやすいのは、キーボードですから、買い替えも安価です。
 
              ・            ・
 
定年をきっかけに、社交ダンスを再開しました。
良い先生に巡り会えました。 
あれこれと感謝です。
津市・松阪市を中心に活動なさってる、糸川雅朗・孝子先生の教授方法・内容がとっても勉強になります。
Itokawadansu1
ダンスは音楽を聴いて、楽しみ踊るわけです。 が、社交ダンスは、ここで、一歩他とは違いがあります。
最大の、特徴のことに、
二人で踊るわけです。
音楽を聴いて踊る楽しさを共有することで、楽しさが倍増するのですね。
これは良い面です。
でも、
実に、難しいところもあります。
二人で踊るのですから、リードの方法を上手くしなくちゃいけません。
また、フォローもしやすいように、と、心掛けをするべきです。
さらに、リ・フォローもしなくてはなりません。
それが、広い意味での「人間関係」を築いてゆくための教養になります。
人生勉強の、とっても大切なステップにもなるわけです。
                    ・
そしてまた、わたくしに取りましては、文章を書いてゆくための、より一層の勉強になります。
こういった意味で、運動にもなり、姿勢も直せます。健康寿命の増進になります。
 
ホームページをボランティアで作りました。
 
 
                   ・

 
女房も
秋の展覧会に向けて、
新作の仕上げに掛かってます。
涼しくなって、はかどります。
Minori
女房は、昔の名前で出してます。

森みの里 です。

新匠工芸会は、富本憲吉さんの主唱して組織された、伝統ある団体です。今年で、70周年になります。

三重県陶芸協会は、設立して、今年で約20年になります。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月25日 (火)

坂東忠信さん『中韓に食い物にされるニッポン』

昔からの知り合いで、坂東忠信さんが、最新刊です。

もう9冊目だそうです。
Bandousan_2
 
時代が、
やっと、
我が国の事を大切に思う気持ちを、
表現しても、大きな違和感に受け取られないで済むようになりました。

ですが、
まだまだ、
先は長い事で御座います。
漢字国字化時代に出来た、常識について、
これを、問い、
そして、見直しを掛けてゆくまで…、
まだまだ、先の長い事ですね。

 
 
「イサナギ」さまと、わたくしは表記をしております。
どうして「イザナギ」と「ザ」に濁音にしているのを避けるか?

それは、『古事記』が、「伊邪那岐命」と、
」の文字を使って、貶めしているイメージを、払拭したい意味も含んでいるわけです。
どうですか?
どうして? 「伊邪那岐命」なんて、わざわざ「」の「よこしま」の意味の漢字を当て付けるのか? 『古事記』は!  また、此処でも、ディスってると、貶めですね、これを目論んでるんだと、わたくしの目には映ります。
ちなみに、『ホツマツタヱ』など、ヲシテ文献では勿論のこと、「イサナギ」の「サ」は清音です。
つまり、「邪」の文字を当て付けたいから、「ザ」で「邪(よこしま)」に漢字翻訳したのでありましょう。此処に、悪意を、わたくしは感じてしまうのであります、『古事記』筆者の悪意ですね。今の、反日の人たちにも通じるものかも知れませんです。

何故をもって、このように言えるのか?
それは、『ホツマツタヱ』などヲシテ文献が、記紀の原書であるからです。
つまり、
『古事記』『日本書紀』の原書を土台にして、モノを言ってるわけですね。
そんじょそこらの、偽書の「神代文字」の類いと一緒にされたら、困ったことで御座います。我が国を貶めるようなものと一緒にしてはいけません。
 
 
                                       ・
 
 
姿勢を直すには、社交ダンスが有効です。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月20日 (木)

ヒオウギの花、ねぢれの事。   『よみがえる日本語Ⅱ(助詞編)』のこと。

ヒオウギが此のところ良く咲いてくれます。

Hiouugi1
 
「アイフヘモヲスシ」の深い意味が、やっと、理解が深まったので、記したヲシテ書です。額にしました。
ヒオウギは、この写真では小さめで見にくいでした。
拡大的に撮りました写真は、
Hiouugi2
ヒオウギは、朝の8時ごろに咲きまして、
夕方の5時にはしぼんでゆく、一日花です。
開いてるときは、パシッとしてる花です。
夕方の写真はこれです。
これから、
しぼんでゆく花が、また、ねぢれて、風情があります。
 
しぼみのねぢれです。
Hiougi1
 
H25488
 女房と、合作のウタです。
 
                 ・
 
『よみがえる日本語Ⅱ』で、
ちょこちょこ読書感などお寄せ頂いたりしています。
「ヲシテのコーナー位、出来てもいい」と、
そうおっしゃって下さいますお方も、
出て来て下さっています。
それはそうですね、
記紀の原書なんですからね。
それを、
バナナの叩き売りの如くにやっつけをしてしまってたのが、悪い行為なんですね。
そのこと、
徐々にと…  。
「ねぢれゆくほど  … 」 の事々で御座いましょうか?
           ・           ・
まだまだ、
お暑う御座います、
健康管理には、お気を付けくださいませ。
 
わたくしも、今夏の蒸し暑さでのダメージを直す為、西原克成先生のご著書を再読しておりましたところで御座います。 
 
 
運動のため、
ジジ臭さが減ったと、女房の曰くです。
何事も、前向きの…    。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月12日 (水)

『ホツマツタヱ』などヲシテ文献の事に付きまして、基本的な考え方の事。

書籍でも、出来るだけ解り良いようにはご説明して来てますが、
大きな枠組みは、ちょっと、説明してもむつかしいもので御座います。
あらためて、ひとこと。
                 ・
『ホツマツタヱ』などヲシテ文献は、
『古事記』あるいは『日本書紀』と比較をしてみて、
それから、どう評価できるのか?
 
と、言う話になります。
 
 
『古事記』『日本書紀』を、
記紀と、簡略に良く呼びます。
『古事記』のゴンベンの「記」と、
『日本書紀』の糸篇の「紀」と、で、「記紀」と略します。
記紀は、『古事記』『日本書紀』は、
我が国の、もっとも、古く基礎の書物だとそう信じられてきたわけです。
8世紀ごろに出来たわけで御座います。
 
まさしく、
記紀の『古事記』や『日本書紀』が無かったとしましたら、
我が国の天地開闢以来の、「神話」も、
まったく忘れ去られてしまって、
酷い事でありました。
 
この意味では、記紀は、とっても有り難き書物とも申せます。
 
          ・          ・
 
ところが、
ほぼ50年ほどの前に、
松本善之助先生が、
記紀の原書の発見をなさいましたのです。
 
記紀の原書と言う意味に付きまして、
この事実は相当に大きな事柄です。
我が国の、天地開闢以来の歴史の真実を此処に知り得る事が出来るのです。
 
つまり、歴史を直す事が出来るのです。
 
 
このような事を、
松本善之助先生以来、わたくしは大きな使命を感じて進めてまいっております。
 
 
記紀には、
翻訳前の原書たる、『ホツマツタヱ』などヲシテ文献と、
比較して詳細に比べましたら、
翻訳劣化の個所が随分と多く目立ちます。
記紀は、その記述は、とても翻訳劣化が酷いもので御座います。
そのような事を踏まえまして、
我が国の未来を考えますと、
翻訳劣化の個所を直し、正して、本来の我が国の尊さを此処に実現してゆくべきであると考えます。
『定本ホツマツタヱ』にて、詳細比較の提示をしております。
 
 
そのような事々で御座います。
 
 
記紀を、決して、けなしたいわけでもありませんが、
記紀の原書が見つかり、研究もここまで進んできました。
詳細に比べてみると、漢字文に翻訳した際の、翻訳劣化がひどいんですよね。
そこで、
どうしても、
記紀の翻訳劣化を糺して、
我が国の本当の素晴らしさを、取り戻したい。
ヲシテ文献で、記紀の原書のその素晴らしさを知ったならばです。
こういう観点で御座います。
本当に、我が国は、漢字渡来以前にすごく素晴らしい文化・文明の国家だったのです。
 
 
アマテルカミの事も、実に大切な事が記紀には抜け落ちてしまい、翻訳の大間違いが為されています。
そんなままに、ほっといて良いのでしょうか?
酷い話だと思います。
そもそも、我が国の建国に付きまして、
初代クニトコタチさんの事が、抜け落ちています。ここを直さなくてはならないと、
そのように、強く思っております。
 
それは、
我が国のことを、本当に大切に思うからの事で御座います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月 8日 (土)

「ヰ・クラ」と「ム・ワタ」の、特に「ヰ・クラ」につきまして。

ヲシテ時代の中期、つまり、

アマテルカミのご存世のあらせられての時代のことです。
「ヰ・クラ」の哲学用語の理解は、
現代人には、難解です。
 
「ヰ・クラ」の言葉を哲学用語だとも気が付かない人も、中には多いものです。
 
         ・        ・
 さて、
拝見して良く思うんです。
ヲシテ時代の中期に、
こんな哲学が、解明されてたんだと。
 
              ・
 
「ヰ・クラ」はこころの働きで、
「ココロハ・ミヤヒ・タマ、シヰ・シム」の5つつが、その内容です。
『ホツマ辞典』に掲載しております。
「ヰ・クラ、ム・ワタ」を、「五臓六腑」に直訳したら大間違いですよ。
と、私は力説致しております。
何故ならば、「五臓六腑」の「五臓」は、臓器であって、こころじゃないですからね。
記紀の原書のヲシテ文献の発見・研究から解りましたこと、それは、「ヰ・クラ」とは、こころのはたらきの詳細な哲学的理解のための高度な専門用語だったという事です。つまり、端的に申しまして哲学用語です、「ヰ・クラ」はです。
「こころ」と、「臓器」、それは、まったく違いますですよね。 
目に見えない「こころ」を表す哲学用語の「ヰ・クラ」の高度な言葉が、漢字直訳されると臓器の「五臓」に格落ちさせられてしまいます。
なぜ? 格落ちなのか?  
それは、目には見えない形而上の概念は、子供には解りにくいです。だから、目に見える臓器のような即解できる物に置き換えてしまうんですね。これがそもそも、誤訳と言うもので御座います。解り易さを過度に追い求めて、本質を見失なってしまう事象です。本人は善意であっても・気が付かなくても、結局はディスってた事になっちゃうんですね。
かかる、大陸思想の、わが高度文明を劣化・貶めさせてしまう汚染が、『古事記』『日本書紀』の至る所に存在もしていました。わたくしは、漢字翻訳前の原書が発見されて、さらには研究がここまで進んだことから、本当の意味での我が国の尊さを復活させたいので御座います。
すでに、国語のヲシテでの解明も進みまして、
助詞の成り立ちの源流が、その意味が、ヲシテの文字のイメージから説明出来ちゃうのです。 この事実は、わが国語の縄文時代発生と、ヲシテ文字の縄文時代での実在を証する根拠たり得る事実になります。さらに、わが国語学力を飛躍的に増強させる根幹の柱になります。今後数千年以上もの未来への宝物ですね。
わが国語の、未来への大きな発展のその定礎です。
その位置が『よみがえる日本語』です。
 
             ・
 
アマテルカミの当時、ヲシテ時代のすぐれた文化・文明を、正当に評価するのが、我が国を本当の意味でただしく尊ぶ道だと思っています。
『古事記』『日本書紀』に漢字文への直訳をされて、大陸思想に汚染される前の、本当の我が国の尊さがヲシテ文献でやっと明らかに出来ます。
今度こそ、
漢字直訳なんかで、ディスらずに、尊い我が国の本当の文化・文明を再構築してゆきたいもので御座います。 

            ・          ・
 
 有性生殖が始まってもう何億年だそうです。
社会性のその優位性を認める基礎理論は、
個性の変化違いと・選択、
 
つまりのところ、
違いを尊ぶ、
審美眼の事(何が好きか?)、
そういった、分化と個性、それと、選別のこと、どう選んでゆくのか?  そういったプロセスが自然な成り立ち、なんだのかな?  と、そういう風にも思っております。
 
個性の生じ。  そして、別れて行くこと。  すなわち、分化。  これも大事です。
何が好みか? (いわゆる、審美眼、好き嫌い)

結局は、この二つの事に、選別発展の道行の原理があるのではなかろうか? と、思っても居ります。


1、自立。

2、協力。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月 7日 (金)

書籍の流通の複雑さの事。『ホツマツタヱを読み解く』の在庫切れに付きまして。

お暑う御座います。

もうそろそろ、
残暑のお見舞いになってきそうです。
Kuwa5
                  <クワ(桑)の葉のむこうに、
                    少しだけ秋っぽさの雲です>                                
書籍の流通は複雑です。
注文した書籍がなかなか来ない、とか、
いろいろあります。
そこには、複雑な流通のことなどが絡み合っています。
 
              ・

先日も、大手の出版社さんでの打ち合わせの際に出ました話でしたが、
何部在庫があるのか? と、言うことが、
はっきりつかみにくいという事なのです。
そもそも、書籍は、取り次ぎさんの、日販さん・東販さん・大坂屋さん・太陽社さんなどを経由して、各書店さんやアマゾンさん・楽天さん等にわたって行きます。
そこには、ダイレクトに売れて行くだけの一方通行だけでなくて、還流の返品の流れも生じてきます。
特に、各書店さんへ流した書籍は、3~6割などの高い率で返品が起こります。
それが、半年ぐらいは、書店に置いとくようなものですから、いつ帰ってくるのか?
また、返ってきた書籍は、クリーニングしてから出す必要も有ります。
そんな事から、
出せる在庫の部数把握が、正確には至って困難なのです。
帳面上は、40部ぐらい残ってそうでも、すぐ出せるのはゼロとか、
複雑です。
帯が取れててもいいですから欲しい、とかの希望には、すぐ答える事が出来る在庫は十分あっても、書店ルートの正式発送が出来ない場合も多いのです。
それが、出版点数が1000冊もあるような大手さんでしたら、正確な即納が可能の在庫数量は、把握するにも困難も極まると言うことだそうでした。
 
               ・
さらに、
さらに、
此の所の人手不足からか、 還流品の再発送が、なかなか思うようにしてもらえないと、展望社で嘆いてました。委託の倉庫会社に頼み込んで、拝み倒しても、再発送が進まないそうです。
 
          ・          ・
 
そのような事情があります。
アマゾンさんの日本ヲシテ研究所の窓口は、
出来るだけ切らさないように、わたくしの方で管理をしております。
『ホツマツタヱを読み解く』の在庫切れは、増し刷りの必要性があって、刷ろうともしておりますが、帳面上はまだ在庫があるのですね。
もうちょっと見極めつつとのことでした。
ご迷惑をおかけしまして、まことに恐縮で御座います。複雑な流通の事情の事が御座います、どうかご理解のほどをお願い申し上げます。  
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

2015年8月 4日 (火)

国立公文書館の企画展の事。   「フトマニ」の「ア・ヌウ」の項目をUPしました。

上京する用事がありました。
ついでに寄りました、国立公文書館の、企画展がジンときました。H25456_2
最も、ジンときましたのが、「開戦の詔書」でした。
もちろん、「終戦の詔書」もそうでしたが、
戦端を開くにあったっての、その端緒のこと「開戦の詔書」は、
このたび、本当にジンときました。
中華民国政府と、その、内紛状態のこと、
まさに、あざなえる縄状態だったようです。
そこに、外国勢力が付け込んでさらなる混乱を助長させようとしていた訳です。
そのようなグチャグチャ状態に、
首を突っ込んだのが、そもそも、荷が重すぎたのであったようです。
                ・
昭和天皇さまの、その、当時の、みこころのそのあたりが、まさに、ジンときますのでした。我が国側の親切心が、裏手に取られてしまう。その、無念さの事で御座います。
ご「詔書」の本物の現物をじっくり目にさせて頂きますと、深く感じます。本物の実物は、「終戦の詔書」と、同じ体裁で手書きです。レプリカでも本物を目にすると、やはり、ドシット来ます。  どう、ジンと来たかは、その目的と時代の切羽詰まった状況の事です。
H25457
そんな事を、ジンジン感じて、公文書館の前のあたりを歩いてましたら、
初老のご夫婦から、
靖国神社はどっちでしょうか?
と、聞かれました。
それは、こっちの方にまっすぐ行って、15分程度です。
と、答えました。
靖国神社に、おまいりは、大切な事だと思いますです。

                 ・
 
なお、
「年中行事」のことなど考えて、
国立国会図書館で『大日本史料』を見てましたら、
係りの人に、コピーするのはどうのこうのと、
聞いてる人が居ました。
何だか、そんなにも沢山コピーするの? コピーだけで、何十万円も掛けるの?  
と、はた目にもびっくりして、すぐ、そばだったので、何の気なしに耳に入りきました。
すごい人だな!  と。 思いました。
 
しばらくしてから、
その二人連れの人たちが「ちょっと、お尋ねして、いいですか?」と、
わたくしに声を掛けて来られました。
いろいろ、聞かれるのですが、
初め何が聞きたいのか?
わたくしには、良く解りかねていました。
 
それで、しょうがなくて、
国史は、  
『日本書紀』から始まって、
    (本当は、その前に『ホツマツタヱ』などヲシテ文献があり…、
     の説明をしたかったところでしたが… )
『続日本紀』(しょくにほんぎ)
それらの、
六国史(りっこくし)の…、
それから、また、
『大日本史料』の…。
と、わたくしは、概略の説明してたのですが、
どうも、歯車が合ってないと、うすうす気が付きました。
始めの印象が「すごい人だな!」と、ありましたから、変にバイアスのかかった状態だったのでしょうね。
つまり、『日本書紀』が何なのか? 六国史が何なのか?
かかるお人は、其処が解ってなかったのだ、と、後で気が付きました。
 
でも、
こっちも、
そんなに暇でもないので、
そこそこで説明を切り上げておきました。
後で思いましたら、
喫茶室にでも行って、
ちょっとだけ、レクチャーしてあげといた方が良かったかな?
とも思いました。
筆談を交えたら、説明も歯車があってきそうな感じに、あとで、思いました。
 
「りっこくし」が、どうのこうのと、口で言ってても何のことやら? ですね。
国史の成立の流れの事が、
解ってないと、何のことやら?? の、状態なのでしょうね。
要するに、口頭での「りっこくし」の言葉と、『日本書紀』からの6連の国史書の「六国史」とが、繋がっていないと言う、そのような事例の事でした。

女房にも、よく言われてますが、いつもニコニコしないといけないと、  と。
ちょっとは、
図書館でも、こんな風に、尋ねられたりするような雰囲気にもなってきたのかな? 道でも、道順を聞かれる雰囲気にもなってきたのかな?  それは、ほんの少しは、時間的余裕が身に備わってきたからなのでしょうか? 定年後は、ちょっとの時間にギスギス感は感じなくなりましたです。
そんな成り行きもあり、少しは常にの心掛けの努力の成果として、自分でも評価できる出来事でした。

さて、
気が付いてきたときには、こちらは、次の大事な、今回の上京の主目的の用事の時間が、迫ってきてるのでした。  前回、道に迷って遅刻した経緯もあって、予備的に、どうしても早めに到着しなくてはならないと、強く思いましたので御座いました。
ちゃんと、定刻以前に到着できました。
とは申しまして、携帯電話を忘れて、いろいろ、不都合もこれ有りましたことをお詫び申し上げます。  通常に持ち慣れないものは、ご縁が薄い事で御座います。
 
           ・       ・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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