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2015年6月10日 (水)

還暦の祝いを淡路島で、伊弉諾神宮の正式参拝。  土御門天皇さまのご陵の参拝の事。  -写真の追加をしました-

還暦になりまして、祝いをして下さいました。

感激です。
新たに解ってきました概念の「ニのこころ」についての、
新解釈を、話させてもらいました。国家論にどう結び付くか?
 につきまして。
Photo_3
            <ニューアワジの明けです> 
小池さんの、「ツツウタ」の新解釈も、とっても良い新解明でした。
おおよその所、もっと頑張るようにと、
カツを入れて頂きました次第でした。
とにかくにも、まだまだ、これからですから。
 
              ・
 
伊弉諾神宮にては、正式参拝で、
還暦祝いをして頂きました皆様のおちからで、
古式舞も奉納させて頂きました。
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の新発見のご報告と、
感謝を捧げるためです。途轍もなく、重要なアヤでした。
Photo_4
             <伊弉諾神宮のサンゴジュ>
本名宮司(めずらしいお名前で、ほんみょうさん)さんが、
明治の改築の際の事情を、新しい資料を見付けられて、
調査して下さっての最新の解明の事項も、
ご説明くださいまして、
明治以前に残っていた、
ヲシテ時代の雰囲気を如実に感じる事が出来ました。
 
          ・          ・
 
 さて、
合田さんを、徳島駅にお送り方々、
徳島城博物館に、「辻が花」を見に行きました。
産着だけの展覧の時期でしたが、ハフタヱ(ハフタエ・羽二重)の産着の
雰囲気は良く見れました。
天守跡の山の石積みの麓に、大きなクスノキがありました。
Photo_5
               <倒れても、なお、大きく繁ったクス>
何があろうと、
このクスのように、しっかりやって行かねばなりません。
 
還暦のウタです。
Kannrekiiwai
         ひとめぐり うるはしうけて
         ふためくり 「ニ(ニのこころ)」を生まんとて
         日(ひと、人)をつき(築き)、夜(世・代)をつき
             (32音の、字余らせウタは、
              魔除けの願いを込めています。
              31日の31音より、一日多いと、
              月と月との間がギチギチで、
              マモノが入り込めないからです)
 
            ・         ・
 
大麻比古神社に参拝しました。
大きなクスが樹皮だけで、枝を張らせていました。
Photo_6
      <クスから生命の気が出ているのか?
           ピントがボーっとしてます>
ドイツ橋のドイツ捕虜の話や、ベートーベンの第九のこと、
どうして? 捕虜の扱い方で、そんなに、協力的になってきて、
感謝をされたのか?  まさしく、「ニのこころ」そのものです。
宮守りのお方がお詳しくて、
話し方もとってもお上手で、大いに勉強になりました。
写真を撮っておけば良かったですね。その、宮守りさんの。
動画の方が良いかも知れません。
              ・
フクロウとアオバズクの争いの事も珍しい話でした。
フクロウは大型の猛禽類で、アオバズクは小型です。
アオバズクの親鳥と、フクロウの雛鳥が、だいたい同じ大きさとか。
Photo_8
   <大きなスギの木の左に真っ直ぐに立ってるムクの木があります。
    真ん中の当たりに、穴が三っつあって、
    縦長の穴がふたつと、その上に、丸穴がひとつ、
    今はアオバズクの巣穴になってます。
    メスが今、中に居てて子育て中で
     オスはちょっと離れたクスの木に居てました。
    昼でも、獲物を見付けたら、サッと舞い降りてくるのだそうです>
 
             ・        ・
 
大麻比古神社の近くには、
土御門天皇さんの御陵(ごりょう・みささぎ)がお祭りされています。
(つちみかど)
Photo_7
 土御門天皇さんのおん父君の、後鳥羽天皇さんの、その時代には、
大きな動乱・混乱が起きていました。
藤原定家の時代です。
『明月記』は、有名な定家の日記ですが、
その名前の由来は、自邸が戦火で燃えて、
燃え盛るさまを父の藤原俊成と眺めていて、
満月が、煌々と照らしている、
その明るい月も眺めて、 それで『明月記』だそうです。
思えば、凄惨な事で御座いました。
土御門天皇さまも、大変な事であらせられた事、
おしのび申し上げさせて戴きました。
同じ境内の阿波神社のパンフレットから、転載させて頂きます。
Tutimikadosama2
Tutimikadosama1_2

また、
御陵の実測図があります。
Tutimikadosama
       <昭和3年の測量図です。
        『陵墓地形図集成』宮内庁書陵部
        大きい書籍なので、スキャンはウチでは無理でした> 
 
             ・
 
国家を、整えてゆくことが、
大切な事で御座います。
それには、
記紀の原書にての、ヲシテ国学の樹立が、これから未来に向かって
欠かすことが出来得ない事で御座います。

         ・        ・

 
写真を追加いたします。
      (H27,6,17)
まずは、記念講演の様子です。
Awajisima1
どうでしょうか?
ほんの少しだけですが、髪の毛が、モヤシのようにホヤホヤ少しだけ。
               ・
次いで、赤いチャンチャンコです。
また、こころを新たにしてまいります。
Awajisima2
 
伊弉諾神宮にて、正式参拝へ。
Awajisima3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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