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2015年6月28日 (日)

京都の会場変更の事。 武野紹鴎さんの大黒庵のいわれの元。  「ヲシテ国学 初めから」53話をUPしました。

京都での、ヲシテ講習会は、盛会でした。(6月27日)
会場が、次回から別の所に変更されます。(9月12日)
次回からは、
さらに、
閑静でご由緒も深い、雰囲気のある場所になります。
お問い合わせ下さいませ。
            ・
 
そんな事もあって、千利休の師匠であった、
武野紹鴎さんの、その、大黒庵の京都の邸宅跡が、
前会場の近くにありますので、参拝に行って参りました。
Kikusui2_2
         <説明の文面です。なかなかの名文ですね。
           700年の長寿を…、云々が、
           名水の「菊水」の井戸だったそうです>
Kikusui
 
わび茶を、完成させ、「日本回帰」に功績著しかったのは、
実に、武野紹鴎さん(たけの じょうおう、しょうおう)だったようです。
ご名跡を継いでおられる、ご子孫筋の武野宗延(むねのぶ)さんのご著書『利休の師 武野紹鴎』(宮帯出版)に感動しまして、拝眉の機会を先日も賜ったところでした。
武野宗延さんは、単なる先祖自慢ではなくて、「日本文明」の正しい理解普及について、こころざしを強くなさっておられます。
我が国を、とても大切に思ってられる訳ですね。
お会いして感じましたことの一つに、私憤と、公憤との、違いが誤解されては困るという思いが、武野宗延さんには強くあってのことと拝察いたしました。 わたくしも、同様の思いが強う御座いますから、良く解るわけで御座います。
さて、室町時代。
武野紹鴎さんの京都の旧宅は、夷社のすぐそばだったので、
夷三郎のこと、それで、夷大黒から「大黒庵」と称したそうでした。
今からしてみましたら、
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』のその深い意味合いの事を、武野紹鴎さんにも、解って貰えたら良かった事だったのに、と、昨日も大黒庵跡の石碑の前で思わず手を合わせて居りました。ワカヒメさまの事が解らずに、クシヒコさんの事が解らずに、「夷大黒」の大黒庵ではさびしすぎると言うもので御座いますねですね。今ならばこそには、明確に判明した事事で御座いますが。  
それにしましても、武野宗延さんに伝わる角釜の尾垂れの大黒釜の、「す」の虫食い状の姿は、「わひ」(ワビ・侘び)の、その一つの大きな具現化のように思います。
H25429_2
武野宗延さんのご著書をご参照ください。
 
 
             ・           ・
 
 10代のミマキのキミ(崇神天皇)の後半部分です。ヲシテ時代の晩期の雰囲気が解ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年6月24日 (水)

「ホツマ」33アヤ、疫病の大流行の時代。どうなさったか? 人皇の10代の崇神天皇さまは?

疫病のパンデミック(大流行)が起きた際に、
ミマキのキミ(崇神天皇さま)はどのように、対処をなさったのか?
それが、「ホツマ」32アヤの詳しい記述です。
Hasu1
             <天龍寺の蓮池です。
 
             それなら、大賀ハスは?
             で、 近くのお寺にハスの花見に行って来ました>
Hasu2
            <つぼみも、もう、咲いてるのもありました。
             清楚にて、やさしく、あたたかな香りです。
             大賀ハス(検見川ハスです)は、
             清楚です。
             さわやか、です>
Hasu4
 
               <さて、
               下の写真は、池に降りて近在の現代品種と、
               自然交配したハナです。
               純粋の弥生時代の遺跡から出土のタネの、
               その大賀ハスとは、違ってとってもゴージャスです。
               香りも、もっと、甘やかです。ハチミツなんかのミツの、
               そこに、誘引される気が致します。
 
               時代は、本当に、進みゆくもので御座います。
               この時代、これから先の時代へ向けて…>
Hasu3

ヲシテ時代は長いので、

いつも、アマカミの表を参照して頂くようにしております。
『ホツマ辞典』(池田満・展望社)掲載の表です。
2_3
                             ・            ・

 
 
京都の「ヲシテ講習会」も、
何とか、続いてゆくような感触も御座います。
先々の事に付きましては、
まだまだ、先が長い事で御座います。此の所だけは、宣長の意見に全面的に賛成です。「倦まず弛まず」の、その地道な心掛けしか何千年来の厚い暗黒の黒雲を打ち払って行くべき手段とて、他にはあり得ないものなので御座います。
わたくしの、目的と致します所は、記紀の原書による「国学」の再構築です。
これしか、このミチにしか、
今後の我が国もそうですが、
全地球的な観点からも、「トのヲシヱ」の再興こそしか、他には、まったくの所期待出来得るものはないと私は思いますのです、このわたくしの認識は、間違いであるので御座いましょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年6月21日 (日)

「ホツマ」32アヤ、富士山の名称のいわれの事、「白人・胡久美」の内実とは? 小倉山会、定家卿のご命日の献歌の披講のこと。

『ホツマツタヱ』32アヤの、説明をUPしました。 ちょっと修正を2回しまして、枝番が「3」になりました。

 『日本書紀』『古事記』に翻訳削除の重要な事項の記述が、

「ホツマ」32アヤに載せられてあります。

Nemu
            <ネムの咲き始めです>
旧暦もサツキ(サのころ・旧5月)に入りました。
サミタレです。 梅雨と聞くと、うっとうしい思いが強いですが、
サミタレのヲシテ時代の中期には、もうちょっと、良いイメージの方が濃厚です。
雨が降ってこそ、草木は葉を茂らせ、木の実を成らせる養分を作り出せます。
降り過ぎては、水害になるのも困りますが、降らなくては干上がってしまいます。
 
                  ・
 
昨日は、
小倉山会で藤原定家さんの法要でした。
珍しく天龍寺さんで開催でした。
二尊院さんが瓦の葺き替え工事のために変更でした。
昔は、厭離庵さんで開催してたのですが… 、 
庵主さんの… ご健康が気掛かりです。
厭離庵が藤原定家の別荘で、
100回以上来ているのだ、と、調査した結果を教えて下さった事もありました。
厭離庵近くから、小倉山が遠望して遥拝できます。
小倉山に藤原定家のお墓があると伝えられています。
 
天龍寺さんの賑わいには驚きました。
天龍寺は後醍醐天皇さんをお祭りしているそうです。
美術史上に大きな位置を占める天龍寺でして、
美術史をやって居られる冷泉為人さんは、
とても、思い出深いお寺だとおっしゃっておいででした。
Tennryuuji1
         <お庭が世界文化遺産になったそうで。
          外国人の来訪が特に賑わっての事だそうです>
Hikou
               <献歌の披講です>
 
外国人のお客さんがとても多かったようでした。
帰り道に、錦市場に所要があって寄りましたら、
ここも、外国人のお客さんでごった返していました。
一頃前と、随分と時代が変わってきていますことを、
こんな事でも、実感いたします。
 
 それだけに、
わたくしたちの国家の根底の再構築、
ヲシテ文献による「ヲシテ国学」の樹立の事が、
喫緊に急がれる事項になってきていると、
感慨を深めております。
 
 
 
 
 
 

2015年6月18日 (木)

疲れて疲れて、考えに疲れて…、 やっと、納得できる成果を見い出せたことに付きまして。

つかれて、

疲れて、無い頭を絞るからなんですが。
ようやく、今やってる仕事におおよそのメドが付いた思いが致しました。
Sumomo1
そうしてましてたら、
朝、女房が呼ぶのでした! 「スモモが成ってる! 」  と。
それは、
本当に、驚きの事実で御座います。
スモモの樹の本体は次のような状態です。
まさに、樹皮の皮ヒトヘリです。
Sumomo2
いささか、不思議です。こんな樹に? どうして実が成るの?
毎日出入りしてます勝手口のスモモでした。
逆に言えば、ここまで、生命の危機に至ってこそ…  。
これこそが、
まさに、「わひ(侘び)」の精神のそのものとも申せましょうか?
この、スモモはすでに20年は優に経(た)ってます。
Sumomo3
ここまで、生命の危険を感じてこそ、
実も成るのかな?  の、感慨でした。
それならば、  こそですが、
もはや、
今年こそには、
また、あらたなる写本の発見を見れる年ではあるまいか!
 その実現を、願ってます。
未発見の『ミカサフミ』の一部か?
また、
未発見の『カクのミハタ』の一冊など、   それが、
ひょっとして、今年には、また出現して来るのでは?
と、ひそかに、
女房ともども祈念致しております。
伊弉諾神宮の桃の絵馬にも記して飾っています。
伊弉諾神宮の、其処での祈願とも、御礼とともに。
やはり、
未発見のヲシテ文献の出現が待たれますです。
どんなに、私なんぞがねじり鉢巻きしても、
未発見のアヤが、
ひとアヤ見つかれば、ビックリするほどの、
解明の進展がありますから。
ちゃんとした未発見のヲシテ文献の出現があれば、どれ程の大きな研究・解明の進展があるか?
 
                  ・
 
長い間に、無視され続けてきていた、我が国の本当の文明の文献学以上にきっちりした掘り起こしです。是非とも、関連のそれらしいと思われる資料のご発見の際には、わたくしにご一報をお願い申し上げます。ご所蔵家のお気持ちを重要視することを主眼点に置き、最適にして、誰がどう考えても適切な対応を取らせて頂きます。
それは、我が国の事を、つねにとっても大切な事だとそう思ってるからのことで御座います。 
今発見したヲシテ文献の写本は、
現時点では、大した評価の値段も付きませんが、
わたくしに、見せて頂き、価値判断をさせて頂きましたら、石か? 玉か? 、
その判定もさることながら、
宝石ならば、
我が国の未来の光輝にも大きく関与します。
大きな事ですよ。
ヲシテ文字・ヲシテ文字で書かれた文章をご発見なさいましたら、
迅速なるご一報をお願い申し上げます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年6月13日 (土)

ヲシテ文字の書き方に付きまして。  『日本書紀』と『古事記』とでは、どっちが尊いか? 

ヲシテ文字(俗にはホツマ文字とも言います。ですがホツマ文字とは極めてラフに過ぎる貶め的な言い方です)、

この、わが文明の大発見です。

この重要事項、ヲシテ文字の大切さに気が付いて下さいますことが、本当に、前提必須の条件です。

わが、ヲシテ文字を愛するところからでないと、本当の愛国心にはつながらないと思うのです。アマテルカミのお使いであらせられた文字ですよ。此れが尊くなければどうしますか?

さて、

それには、基本が、読み書きです。

此れがクリアーできないと、何十年やってても、結局は堂々巡りのお楽しみ族から抜け出せません。

わが大文明の、この大発見に、その価値が解らないままでは、悲しいものですね。

                     ・

そうではなくて、

ちゃんと、読み書きから手順を飛ばさずにやってゆこうと、

その、正道をゆくべきのお気付きのお人が出て来ておられます。

そこで、

書き方の事、ご説明いたします。

書き順は

「子音を先に、母音を後に」

この事だけが、私のご説明のキーポイントです。

『記紀原書ヲシテ』の見開きに、掲げておきました異体文字のリストの表を掲示いたします。

Itaimoji1

Itaimoji2

ヲシテ時代が終焉を迎えて、

漢字国字化時代が始まります。

それからの時代を「ヲシテ伝承時代」と、呼んでおります。

「ヲシテ伝承時代」に、付加された「外二点濁点」や「数詞ハネ」・「同音記号(踊り字)」などは、元に復した方が良いという考え方も御座います。

今現状にては、ヲシテ文字・ヲシテ時代の文章の一般への流布の方を、これ、務めるべきだと強く考えますので、多少極めの不十分のそしりを受けないではないですが、このような事情から、現代人にも読み易さも考慮して、かく『記紀原書ヲシテ』にまとめました次第で御座います。

                      ・

始めの一歩が、

大きな一歩となります様に、

ここに、

異体文字表を掲げました。

 

ヲシテ時代の文章を、お書き下さいませ。

『ホツマツタヱ』1アヤからの読み書きを、お奨め致します。

 

「奉呈文」も良いですが、「フソムのアヤに」(26のアヤ(章)に)、

と言う内容もあり、しょっぱなからだと、意味が通じにくいところがあるためです。

このため、わたくしは、1アヤ・2アヤのヲシテ時代中期の、

極めて名文からの読み書きを奨めているわけです。

 

 

ユーチューブにもテキストがあります。

一旦停止を掛けながらやってくと、読み書き用にも使えます。

『ホツマツタヱ』1アヤ

https://www.youtube.com/watch?v=L9zwlYw5apU

 

             ・                ・ 

 

また、

記紀との比較対比の事にて、

一言述べます。 

 

おおよそ、

『万葉集』にてもそうですが、

漢字文献類と言うものは、本質的に劣化が起きているものです。

何故ならば、外国語(飛鳥・奈良朝時代ならほとんど外国語です)の漢文に翻訳してあるからです。

近頃の、ネットの自動翻訳のレベルはかなり向上してきています。

15年前に買った翻訳ソフトの時代は、今もって見ると、低いレベルでした。

何万円もしたんですけれど… 。

              ・           ・

そういう事を思いますと、

『日本書紀』と『古事記』とを比べて、

『日本書紀』の方が断然良い。

と、その議論も、

ヲシテ文献を知る私達には、ウツロに聞こえます。空虚な議論なんですね。

記紀も、勿論、程度の差の事では、『日本書紀』がマシである事は、

私も認めます。

でも、それは、所詮の所「目くそが鼻くそを笑ってる」ような、

そのような事なのです。

ヲシテ文献を、原字原文で『ホツマ辞典』をたよりに読み進むから、この大切な事柄がはっきりわかってくるのです。ヲシテ文字を読めないような人の解説文なんて、それは?  何なんでしょうね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年6月10日 (水)

還暦の祝いを淡路島で、伊弉諾神宮の正式参拝。  土御門天皇さまのご陵の参拝の事。  -写真の追加をしました-

還暦になりまして、祝いをして下さいました。

感激です。
新たに解ってきました概念の「ニのこころ」についての、
新解釈を、話させてもらいました。国家論にどう結び付くか?
 につきまして。
Photo_3
            <ニューアワジの明けです> 
小池さんの、「ツツウタ」の新解釈も、とっても良い新解明でした。
おおよその所、もっと頑張るようにと、
カツを入れて頂きました次第でした。
とにかくにも、まだまだ、これからですから。
 
              ・
 
伊弉諾神宮にては、正式参拝で、
還暦祝いをして頂きました皆様のおちからで、
古式舞も奉納させて頂きました。
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の新発見のご報告と、
感謝を捧げるためです。途轍もなく、重要なアヤでした。
Photo_4
             <伊弉諾神宮のサンゴジュ>
本名宮司(めずらしいお名前で、ほんみょうさん)さんが、
明治の改築の際の事情を、新しい資料を見付けられて、
調査して下さっての最新の解明の事項も、
ご説明くださいまして、
明治以前に残っていた、
ヲシテ時代の雰囲気を如実に感じる事が出来ました。
 
          ・          ・
 
 さて、
合田さんを、徳島駅にお送り方々、
徳島城博物館に、「辻が花」を見に行きました。
産着だけの展覧の時期でしたが、ハフタヱ(ハフタエ・羽二重)の産着の
雰囲気は良く見れました。
天守跡の山の石積みの麓に、大きなクスノキがありました。
Photo_5
               <倒れても、なお、大きく繁ったクス>
何があろうと、
このクスのように、しっかりやって行かねばなりません。
 
還暦のウタです。
Kannrekiiwai
         ひとめぐり うるはしうけて
         ふためくり 「ニ(ニのこころ)」を生まんとて
         日(ひと、人)をつき(築き)、夜(世・代)をつき
             (32音の、字余らせウタは、
              魔除けの願いを込めています。
              31日の31音より、一日多いと、
              月と月との間がギチギチで、
              マモノが入り込めないからです)
 
            ・         ・
 
大麻比古神社に参拝しました。
大きなクスが樹皮だけで、枝を張らせていました。
Photo_6
      <クスから生命の気が出ているのか?
           ピントがボーっとしてます>
ドイツ橋のドイツ捕虜の話や、ベートーベンの第九のこと、
どうして? 捕虜の扱い方で、そんなに、協力的になってきて、
感謝をされたのか?  まさしく、「ニのこころ」そのものです。
宮守りのお方がお詳しくて、
話し方もとってもお上手で、大いに勉強になりました。
写真を撮っておけば良かったですね。その、宮守りさんの。
動画の方が良いかも知れません。
              ・
フクロウとアオバズクの争いの事も珍しい話でした。
フクロウは大型の猛禽類で、アオバズクは小型です。
アオバズクの親鳥と、フクロウの雛鳥が、だいたい同じ大きさとか。
Photo_8
   <大きなスギの木の左に真っ直ぐに立ってるムクの木があります。
    真ん中の当たりに、穴が三っつあって、
    縦長の穴がふたつと、その上に、丸穴がひとつ、
    今はアオバズクの巣穴になってます。
    メスが今、中に居てて子育て中で
     オスはちょっと離れたクスの木に居てました。
    昼でも、獲物を見付けたら、サッと舞い降りてくるのだそうです>
 
             ・        ・
 
大麻比古神社の近くには、
土御門天皇さんの御陵(ごりょう・みささぎ)がお祭りされています。
(つちみかど)
Photo_7
 土御門天皇さんのおん父君の、後鳥羽天皇さんの、その時代には、
大きな動乱・混乱が起きていました。
藤原定家の時代です。
『明月記』は、有名な定家の日記ですが、
その名前の由来は、自邸が戦火で燃えて、
燃え盛るさまを父の藤原俊成と眺めていて、
満月が、煌々と照らしている、
その明るい月も眺めて、 それで『明月記』だそうです。
思えば、凄惨な事で御座いました。
土御門天皇さまも、大変な事であらせられた事、
おしのび申し上げさせて戴きました。
同じ境内の阿波神社のパンフレットから、転載させて頂きます。
Tutimikadosama2
Tutimikadosama1_2

また、
御陵の実測図があります。
Tutimikadosama
       <昭和3年の測量図です。
        『陵墓地形図集成』宮内庁書陵部
        大きい書籍なので、スキャンはウチでは無理でした> 
 
             ・
 
国家を、整えてゆくことが、
大切な事で御座います。
それには、
記紀の原書にての、ヲシテ国学の樹立が、これから未来に向かって
欠かすことが出来得ない事で御座います。

         ・        ・

 
写真を追加いたします。
      (H27,6,17)
まずは、記念講演の様子です。
Awajisima1
どうでしょうか?
ほんの少しだけですが、髪の毛が、モヤシのようにホヤホヤ少しだけ。
               ・
次いで、赤いチャンチャンコです。
また、こころを新たにしてまいります。
Awajisima2
 
伊弉諾神宮にて、正式参拝へ。
Awajisima3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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