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2015年3月25日 (水)

北九州の芦屋釜の里、広島の探訪旅行。   糖質制限の実行者の集まりの会に付きまして。

兄の体調が不調の事にて、探訪旅行の日程を短く切り上げました。

芦屋釜の事、

Photo_25

            <芦屋釜の古い時代の逸品です。

                         芦屋町の所蔵。

                     5000万円だそうです>

百聞は一見にしかず、でした。

広島でも、筑前の芦屋でも、思わぬ見聞が広まりました。

さても、九州は自動車では遠かったです、 ですが、さてさての遠くでも行ってみて良かったでした。

               ・

広島は、多家神社(たけ じんじゃ)の参拝です。

記紀の原書のヲシテ文献の『ホツマツタヱ』に、

「チノミヤ」の典拠があります。とても尊習の篤い神社ですね。タケヒト(神武天皇)さまのゆかりの濃厚なお社でありますでしょうね。

Tinomiya

Photo

女房が歩いてます。

多家神社の「たけ」とは、「タケヒト」さまの「タケ」じゃあるまいか?

とは、ベベさんの説です。 あるいは、そうかも知れませんですね。

Photo_2


           <多家神社では、ヲシテ文献を学ぶ、

             多くのお方が、お待ちくださいました。

             片手では勘定が余りました。

             いずれも、直訳ではダメだと、お解かりのお方々>

Photo_12

             <神武天皇さんの腰掛石と伝えられています。

               おそれ多くて、腰掛けは致しかねました>

H25385

         <『定本ホツマツタヱ』で、「ヤマトウチ(神武東征)」の

          道筋が良く解ります。

          ここでも、『古事記』は酷いもので御座います。

          102、103、104からどんと離れて109にと、

          順番がぐちゃぐちゃになってます。

          『古事記』の作者は、地図が解らないのか?

          とにかくも、酷いもので御座います。

          これを正すべきだと、そう、考えないのは、

          愛国者としては?  どうなんでしょうね>

そんな、勉強会の会場のひとつ、 

「ギャラリー・うしだ」さんにも訪問させて頂きました。

 染めのお色がとっても良いです。思わず、マフラーや女房がチョッキを、と、お別け頂きました。帽子も、プレゼントして下さったり、と  …。 夏帽子の事、何か無いかと、悩んでいたところでした。  染めの色合いの事、殊の外にピンクの色がとっても綺麗で、それは、苔の染色だとおっしゃいますのですね。マフラーにも入っています、そのうち、春・秋なんかにはとっても良い雰囲気です。

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ヲシテでの、染め物など、

それも御座います。

また、

原爆の爆心地から2.3kmで無事だった建物でして、凝った床の間です。

夕方は、美味しいカキを頂きました。それより、ヲシテ国学に付いて、少しは踏み込んだご説明も出来ました事を嬉しく思っております。

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翌朝は、明け方の朝日にお参りしてまいりました。

みなさん、ラジオ体操をなさったりと、人通りの多くの賑わいで御座いました。野鳥のイカルが、鳴いていましたのも、こころ和らぐさまの事で御座いました。もちろん、カラスも元気でした。

               ・

さて、高速で、宮島を遠拝致します。

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宮島は、アマテルカミの御(おん)ひめみこ(皇女)さんのタナコさまのご陵所(お墓)なのですから、尊いのですね。『ホツマ辞典』にくわしく記述してます。

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また、『縄文人のこころを旅する』(池田満、展望社)にも、タナコヒメさまの事は触れています。

次は、「サハ」の地です。  ですが、折からのPM2.5の高濃度にて、川面も見えかねます。佐波川のサービスエリアです。

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かつての「ザガいき」も、こんな雰囲気だったのかも知れません。

ホ38-28、下に引用しました3行目です。

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12代の、ヲシロワケ(景行天皇)さんの九州のご遠征の際の事でした。
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              <『ホツマ辞典』297pにて時代が良く解ります>

さて、北部・九州に今回の探訪旅行の第一の目的は、

 

「なへ・かま(鍋・釜)」の詳しいことを探る為でした。

 

それで、筑前・芦屋町です。

 

なぜならば、国宝に指定されている茶釜の9釜のうちの8釜が「芦屋釜」なのですね。

 

どうして、そんなに高い評価を可能とするのか?  不思議な事です。

Photo_8

既に、芦屋町の芦屋釜の里の学芸員さんの新郷英弘さんと、訪問の意図に付きましてお伝えしたり、接触を図っておりましたので、端的に意思疎通が出来ました。

 

はじめは、PM2.5のこのひどいスモッグの事をお聞きしました。

 

それは、珍しき高濃度だそうでした。翌朝の新聞にも珍奇の事として記述がありました。読売新聞の記述ですから、ウソは無いと思います。

 

「芦屋釜の里」は、人口が14000人ほどの小さな町なのに、至って、すごい施設です。なにしろ、芦屋釜を現代に再興させようと言うのです。いもじ(鋳物師)を現代に復活させようと言うのですから、すごい意気込みです。

眼目が、芦屋釜の現代に造る人のその再生なんですね。いもじ(鋳物師)の現代再生です。すでに、八木さんが立派にお出になられてます。

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             <八木孝弘さん(現代の鋳物師)作の芦屋釜>

ヲシテ文献の再生・再構築にも一理同じくする雰囲気があります。

 

日本の大切な伝統の、その、消えたものをどうにかして再興させてゆきたい!

 

その、思いなんですね。

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「芦屋釜の里」入り口には、やまさくら、が、

 

気の早いサクラですね、満開でした。

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この、上が、魚見山と言います。

 

『万葉集』の時代には「あめ霧(き)らう」のウタが詠まれています。

 

寄せる波の、音も、つぶ立つ波頭も、よくよく爽やかなる山です。

 

さて、

 

芦屋釜は、鉄の鋳込みの釜のことです。

 

素晴らしいものですね。

 

現代の現在に、良いお釜が再現されて出来ています。

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八木さんの

 

その、人となりが、実直の、真面目さが、出て来ています。

 

やっと、おおよそ20年来の格闘だそうです。

今だったら、八木孝弘さんの芦屋釜、とても良い出雲の「わずく(たたら精錬の鉄)」を使用しての「こしき炉」鋳込みの本格釜で、しかも比較的に廉価にて、お求めが出来るとの事です。是非、ご検討のほどをお願いいたしたく思います。将来的に値上がりも十分に期待できます。

 

やはり、本物の筋には、ある程度一生懸命に打ち込まないと、到達できない線があるのですね。八木さんには、もう、クリアーのことを、わたくしは思いますですね。

『ミカサフミ ワカウタのアヤ』に「ヰモノシ(鋳物師)」の典拠があります。

Photo_28

「みはしらき ニこころうつす

 うつわもの そのみかたちに

 すすめこふ ふかきむねある

 そめふたお(を) まかせたまわる

 ニフノカミ ここにヒルコ(アマテルカミの御妹君)は

 ヰモノシ(鋳物師)に カナアヤ「に」させ

 あまねくに おしゆるみなも

 わかひるめ ニフのいさおし

 ををいなるかな」

古い、

 

手練れのイモシ(鋳物師)の作品が、

 

浜から上がったそうでした。

 

それを、適当に普段使いに使ってたのを、目のある人が、引き取って芦屋町に寄贈したそうでした。

Photo_12

何は何とも、どう言いますか、

 

目(眼力・認識力)のあるなしの事で御座います。

複雑なる、芦屋釜ですね。

 

 

この、平釜は、すごい資っ値(秘された大きな値打ち)を持った物だと、

なかの、蓋の合わせのしのぎがすごいんだそうです。保存の関係上、拝見は出来ませんでしたが、学芸員の山田さんの解説でした。

そう、

 

わたくしは思いました。  そういうことの、根底には、ヲシテ文献がが、

記紀の原書であると言う、その、

大切な認識の、それが、一の認識過程での、

その、

一番初めの、

 

その事なんですね。

 

 

極めて、びっくりの、

 

その、

 

もとの、本当の定礎に関わるものですから、単純な、観光的なお楽しみ的の事々とも、ちょとだけ違うんだと思います。

 

ちょっとの、ほんの、小さな違いの事ですけども、

 

そこにこそ、永遠の、その、どう違ってゆくか?  の、判明と、その解明の事が判ってくるんだと、   そう、思いますですね。

Photo

芦屋釜の古い時代の逸品です。

芦屋町の歴史民俗資料館にポンと展示されていました。

この釜は、芦屋町は5000万円で購入したそうです。京阪神の所蔵家から。

さて、どうやって? 

 

こんなに、良い釜が作れるのか?

 

遠賀川で砂鉄が採れます。

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芦屋釜の里の新郷さんは、いろいろと、詳しく説明して下さいました。

 

なんでも、新郷さん、江戸時代ごろの破れた釜を浜で拾らったそうでして、ペンチで割って下さいました。

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ピカピカに光った、浜で拾らった江戸時代ころに造られた釜の破断面です。

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300年ぐらいは、経っていて、浜で揉まれていても、中はピカピカです。

その、秘密は、炉にあるとの事です。

こしき炉で、鉄を熔解すると、純度の高い鉄(Fe)になるので、不純物が極めて少ないので海水にも腐食されないとのことでした。芦屋の浜の砂鉄はチタンの含有量が多いのですが、低温の溶解のこしき炉だからこそで、純度の高いクロカネ(鉄、Fe)になるわけでした。チタンなどの不純物が多く混ざると、錆びが早く来るんですね。

その、こしき炉の内部です。

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右の方が、こしき炉の下部になります。

溶けてきて、ガラス化してます。

切り取って、ブローチにしても良さそうなぐらいに、美しいです。

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こしき炉の下部です。

 

備長炭の硬い炭に、鉄が溶けこんでいて、持つと、とっても重たくて持ち重みがします。

 

それで、炭にチタンなどの不純物が吸着されて、溶けだす「ゆ(溶解鉄)」には、高純度のクロカネ(鉄、Fe)が得られるのですね。チタンなどの溶解温度はさらに高温ですから、炭にくっ付いて流れ出なくなるわけです。

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釜の鋳たあとの、あられの文様です。つぶつぶの文様です。

黒いのは、鋳込みの際に鉄が付着しないように炭灰を塗り込めるのです。

緻密に、あられの数は、各段が数が同じです。

 

円周が上部と下部とでは長さが違いますのを、少しずつ調整しつつ、あられのツブツブ文様を押してゆくので、斜めの線がスキッと通るんですね。

 

そういった、手練れの作品です。

 

もう一度、

 

現代の
八木孝弘さんの釜を見ておきましょう。

いもじ(鋳物師)の養成の採用試験の際に、絵心があるかどうか?  立体的なデッサンの能力が試験の項目にあって、20人ほどもの応募者の中から、八木さんがひとり合格したとの事でした。それで、鷺の絵も活き活きしてます。その後の研鑽の事が偲ばれます。

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鋳込む鉄には、出雲のたたらでの「わずく」を使ってるとの事です。

 

それは、値段も高くなるはずです。

 

たたらで出来た中心部分は「たまはがね」と呼ばれて、刀にします。

 

その外側が、包丁鉄になります。

 

さらに外側が、鋳込み鉄になりまして、茶釜の「わずく」です。

用途用途に、タタラ鉄は今にも活かされてます。ですが、分けてもらうのもとっても大変な事だそうです。単なるお商売では認可がされません。芦屋釜の茶釜の復興なら、OKとなったそうです。頒価も、とても高額だという事です。

Photo_9

写真ではよく見えませんが、破断面が、宝石のように光ってます。金属光沢です。

タタラは、ヲシテ文献にも出例があります。

Tatara1
最後の行です。

「タタラ為し フイコ(吹き込み)に練れよ」

タタラの事、ヲシテ時代の中期の用例です。

考古学的の時代把握では、縄文時代から弥生時代にかけての頃です。

その、こしき炉の、

出土に付いて、

新郷さんは、全国各地に呼ばれて説明したり、

現物展示を、来館の考古学者に見せて説明してるそうです。こしき炉の現代再現を実際にしてみて、初めて解った事でした。「芦屋釜の里」の功績は大きいことです。

そのうち、縄文時代ごろのこしき炉が、出土する事でしょうね。

楽しみにして待っております。

Tatara2

タケヒトさんの「ヤマトウチ」に至る、その前夜・前段階の事に、世上が風雲急を迎えます。サルタヒコは、タタラで製鉄をします。この時のタタラの場所はイセ(伊勢、三重県)でのことですね。

たたら製鉄のクロカネ(鉄)は、それ程に、高純度のクロカネ(鉄)です。

さらに、こしき炉にて溶解して「ゆ(溶解鉄)」にする際に、もっと純度がUPするとのこと。鋳込みの後に、毎回、新日鉄さんに協力してもらって、分析を依頼して、詳しい状況を確認して、次回の鋳込みにフィードバックを図ってるそうです。伝統と、現代技術との融合ですね。

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釜場のようすです。右奥に、こしき炉が据えられます。

 

本当に、

そう思いますね、

資金的なうれいが無ければ、あたらしく、茶道の流派を、ヲシテ時代のその根幹からの興隆のひとつの流れの事ですが、それも、アリの事だと思うんですね。

まだまだ、先々の事では御座いますが、そう言った、含みの事もこころの端に置いて頂くとよろしいような事かも知れませんです。

下の写真は、釜場の外観です。

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砂鉄の取れる、遠賀川。魚見山からの展望です。

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 朝日は、また、美しい遠賀川上流の遠望です。

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夕日も美しい。 ですが、PM2.5の中に霞んでまして、150ppmだそうでした。

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ウタを詠みました。

 

北極星が、綺麗にま近に見えました、もう、PM2.5は晴れたのです。

 

    遠賀川 波の音深く 

    きたのほし 手もとに届く 

    魚見の山は

 

    から(漢)霧(き)らい 明けて山鹿の 

    もとつ人 大珠(たま)のミトリ(緑色)に 

    思い集めて

 

「もとつ人」とは、山鹿の縄文時代のたまたま発掘された人骨の事です。

今から、約4000年前のお骨です。

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女性がふたりと、間に、赤ん坊の人骨もあって、3人分が発見されました。

胸のあたり、緑色の、大珠が、のちの「まがたま(勾玉)」になってゆくのですが、

この、緑色大珠が、とっても、印象に強かったです。腕輪の貝の多さにもビックリです。この貝は、今も近隣の海に生息してる種類で、しかしながら、20m以上の深い場所にしか居ないそうです。余程の事に獲るのは大変です。当時には、宝石並みの価値でしょうね。  緑色の大きなタマ(宝石)は、ヒスイにも似てる宝石なのですが、ちょっと材質が違うような? で、今現在は緑色大珠(りょくしょく たいじゅ)と呼ばれています。かなり、ヒスイに近いものです。この展示物は、レプリカですから、なお、ヒスイとの違いは、わたくしには良くは解りませんでした。

そして、不思議な事に、あばら骨などの多くの骨が無いのが、摩訶不思議な事でした。学芸員の山田さんは「アンビリーバブル」と表現していました。

それで、「タマのミトリに 思い集めて」でした。

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             <山鹿貝塚の山です>

縄文時代の、海進の時の様子は、芦屋町の歴史民俗資料館で山田さんが詳しく説明して下さいました。

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緑の立体地図の右上の端っこが山鹿の貝塚のある小さな山です。
今の、低地の平野域は、浅い海面下にあったようです。

海水面が下がってくるに従って、淡水化して芦が茂って来て、「芦屋」と言われるようになり、やがて、田んぼも作られて発展するのが弥生時代ごろからの話です。

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山鹿素行展も、やってました。

山鹿素行は、先祖が、山鹿の土地に由緒があるのですね。

山鹿流陣太鼓の赤穂浪士の討ち入りで有名ですが、

軍学などは、山本勘助流のまた伝えです。ですから、代講のような感じですね。

しかし、『中朝事実』は、山鹿素行の発明が随所にみられるので、思想家としての高い評価はこの著作にあるべきなのです。

我が国の尊さを、しっかり認識したのは、山鹿素行ならではです。

だから、山鹿素行は偉いんです。

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                <岡湊神社です>

帰路には、

開門海峡から、山鹿の方向も眺めました。

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潮の流れが速いです。

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遠い先に山鹿の芦屋町があります。

                   ・

帰宅しましたら、

鞍井桃が、少し、ふくらんでいました。

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フキも一挙に芽吹きました。

「ギャラリー・うしだ」の、お母さんは、103歳まで元気に仕事をなさっておられて、常備菜にフキを食べておられたそうです。女房も、早速に摘んで頂こうと言ってました。

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天地自然の恵みです。

Huki

             <朱に交われば…。

              宅急便より早いと言われる、

              わたくしの性癖に少しづつ染まってか?

              女房が、フキを早速に摘んでました。

              松本善之助先生のお仕込みが、

              タッタカやる性癖なんですが… >

恵みの事、それ天地自然からと、ご先祖の人々の山鹿の貝塚の時代からの、営々たる積み重ねの、恵みです。クニトコタチさまからの、その恵みです。

それを、今わたくしたちは、どう享受して、どう、還してゆくか?

なお、夏井睦先生の、

糖質制限の推進の事も、ひとつの考えかも知れません。

糖尿病に悩む人を減らし、透析患者を減らしてゆく事は、国益になるのだとも思います。

オフ会があります。オフ会とは、夏井睦先生はおいでになられない、会、の意味です。

http://www.wound-treatment.jp/

Tousituseigen2

わたくしは納豆の食べ方の伝授に赴きます。

Tousituseigen

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月19日 (木)

鴨長明のウタの事。 人と人との、関係は、基本がイーブンである事が重要事項です。

これまで、ゆっくりと見れないままの、

見たい書籍を読んだりしていましたら、

こころに打つ書物も多く有ります。

鴨長明の言いたいことも、

こころに響きますですね。

Photo


解説が、必要なほどには、難解な文章ではないかとも思います。

でも、読み下しを掲げます。

「(鴨長明が)(後鳥羽天皇のおわします)御所に朝に夕にと侍りし(はべり、出入りして、なに彼と御用をおおせつかっていた)時。 常にも似ず、珍しき(普通はそんな事も無いような珍しいこと)御会ありき。

『6首の歌に、皆、すがたを詠み変えて奉(たてまつ)れ』

とて、(後鳥羽天皇が)おっしゃいますのでした。(深い和歌のおもむきの、さらに、深淵の事にと、追及をなさいましてのご深慮を後鳥羽天皇はお巡らしになられますので、御座いました)

さて、その、くわしいおもむきは、

『春秋は、ふとく・おほきに。

秋冬に、ほそく・からび。

恋や、旅は、えん(艶)にやさしく。

つかうまつれ(詠んで、提出してみなさい)』

もし、思うように、詠みおほせずば(詠めなければ)、その由をありのままに申し上げよ。歌のさま(風体)知れるほどを、ご覧ず(ご賢覧に具したい、見たい)と、おおせになられにあそばしましければ、

いみじき(とっても大切にして、大変なる事)大事にて、かたへ(大方の人)は辞退す(多くの人々は、詠んで提出する事は出来なかった)。

こころ、にくからぬ人をば、また、もとより召されず」

そう言ったことから、ちゃんと、6首・3様の詠み分けが出来ない人は、もとから、お召しになられるお心が無かったわけで御座います。結局のところ、6人だけが、この「珍しき御会」に召されて参集したわけであったのでした。

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この、鴨長明のウタの、

6首は、それぞれに、趣深いものだと、感じ入っての事で御座いました。

殊の外に、最後から2首目の、「しのばしよ」は、グッときましたです。

鴨長明は なかなかの苦労人のことで、偉いと思います。

7難8苦こそが、玉にするとは、よく言ったことだと思います。

               ・

何よりも、

初代クニトコタチさまの「トのヲシテ」にしましても、

「ト」を、その高度な関係を構築しますには、イーブンの立場での相互関係の立ち位置が絶対条件ですね。

其処の処が、

漢字文化の流入から千数百年経て、さらに、難解になって来ていてしまってる事が、今現代にあります。ま、ヲシテ時代の中期にも、ソサノヲさんの大錯誤の思い違いの事も有ったわけですから、むやみに、現代の時代風潮を卑下するのも間違いですが。

そう言った、

いわゆる「支配」とか「コントロール」とか何かと言ったような、構造的な思い間違いの強圧的な関係は、どうせ、長続きしないんですね。相手が機械だったら、「コントロール」が基本的なスタンスになりますがね。

相手がヒト(人間)ならば、 基本的なベースが、機械相手とはまったく違うという事を認識せねばなりませんですね。よくよくソサノヲさんも悩まれたことで御座いましたですね。

本当の意味の

リーダーシップとは何か? 

それは、お互いがイーブンの立場に立って、創意工夫をしつつ、より良くプラスを作り出してゆく事で、其処のあたりの導き方のサポートをするのが、本来の「トのヲシテ」の実現・成立に向けてのリーダーシップの有りようなのですね。

                 ・           ・

詳しくは、

『ホツマで読む ヤマトタケ物語』(池田満、展望社)にて、お読みくださいますと、はっきりと、理解が出来るように作って御座います。

これでもって、現代人にもちゃんと解る、本当の意味での、

「トのヲシテ」を説明する書籍を作れたと、自負しております。

 

 

                    ・

ダンスでならとても良く解る事なんですが、

リズムを感じていて、お互いに、イーブンに動いてるわけですが、

次の動作にどう移るかのまでの際には、微妙なやり取りがあるわけですね、そして、

そのしかるべくのタイミングの際にはどちらかが最終決定を下さねばなりませんです。ダンスの場合は最終決定は男性の役目になってます。そこに至るまでには、イーブンの立場でのお互いのやり取りがあるんですね。 此処こそが、それが、リード、リーダーのあるが姿の根幹と言うものです。だから、リーダー(この場合は男性)の頭の後ろに目が付いてなくても、他人にぶつかって当たる事は、上手な人には無い訳ですね。  それが高次元での「トのヲシヱ(テ)」の素晴らしい効力です。 後ろに目が付いてないのに? どうしてぶつからないの?   が、どうして? 優れているのか? 「支配」や「コントロール」の次元の感覚とはだいぶ違うという事をお解り戴かなくてはなりません。それが、我が国の本来的なる「トのヲシヱ(テ)」の存立条件の基礎成る処の重要な事項です。

現代でも、ほとほと、理解が難しいのですから、ソサノヲさんも大変だったはずですね。 

       ・          ・          ・

どうして?

中世の和歌の事にまで広げて思考をしようとするのか?

それは、

ヲシテは記紀の原書ですから、

ヲシテ文献での「ヲシテ国学」の樹立をしてゆくためです。

ウタの歴史は、

従来考えられていたよりも、ずっと長い訳ですから、

その、中世にも至る歴史も見ておこうという事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月18日 (水)

京都のヲシテ講習会の事。 H27、5月なか頃です。 

京都での「ヲシテ講習会」の日程が決まりました。

平成27年(2015) 5月中頃

         13:30~ です。

ヲシテ文字の読み書きから…、

古典に接する王道を、進める会です。

http://woshite.wix.com/kousyuukai

http://woshite.wix.com/kousyuukai#!services/cihc

会場は、四条からほど近くの公共施設です。

ご連絡くださいましたら、詳しいご案内を致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月16日 (月)

一期一会のこと、一座建立の事。武野宗延さん『利休の師 武野紹鴎』。    夏井睦先生の「豚皮揚げを食べる会」のこと。

茶道では「一期一会」の言葉をよく耳にします。

        (いちご いちえ)

「いちご」のファンドの名称にもなっていたりと、結構、現代にもにぎやかに活きてます。

前から、思っていた事なのですが、 

どうも、

 

「一期一会」の言葉は、寂しい響きがあると、寂寥感とも言えますでしょうか?

 

そこのところが、合っ点したのが、

 

武野宗延(むねのぶ)さん『利休の師 武野紹鴎』(宮帯出版)です。

                         (たけの じょうおう)

Photo

さて、「一期一会(いちご いちえ)」の言葉は、茶道の精神的な基盤の出来始めた初期には、形容詞的な意味で使われていたことが、武野宗延さんの解説で良く解りました。

 

本来的な意味では「一座建立」(いちざ こんりゅう)の言葉が主体的な意味合いを持っていました。

それは、「一期一会」の言葉の感触よりも、もっと、前向きで明るいのが「一座建立」の考え方だと思うんですね。 能動的にやってゆこうと言う心持が、「一座建立」の言葉には色濃くあると、私は思います。何となれば、健康増進の有力な効果のお茶に付いて、それを一つの種として、より良い人間関係を此処に加えて、どうやってこれから未来に向けて…   。  の思い、 だと思うんですよね。

「一座建立」、その会に顔を合わせての人々は心を合わせて、より良き会になるようにと、気持ちを尽くすと言う意味です。 詳しくは、武野宗延さん『利休の師 武野紹鴎』(宮帯出版)をお読み下さい。示唆に富む記述が満載の書籍ですから、買っておいてしばらくは座右に置いて決して損にはならないと思います。

ただ、余りにも正しいことを主張しても、当時の人々からの反発も有ったりで、「当時きらわれ候」の事態にも遭遇することは、いまもむかし、ですが。

「一座建立」の考え方が主であるのことが解りました。反発が起きたので、ちょっと引いて、形容詞的な意味合いに控えての再主張が「一期一会」の言葉だったと、そのような理解にわたくしは思うので御座いました。そうしましたら、 それで、「一期一会」の言葉だけを野放図にこのままにしてほっといて良いものなんでしょうか? と言うような展望にも心が動き始めますですね。 国家の未来、民族の未来を思いますと、薄っぺらなままの理解で終わらせて見過ごすのは、愛国者魂に棘が刺さると言うものだと思うんですね。

 

こう言った、ブレーン・トーキングに近いことを言ってましたら、

また、青木純雄さんから、わたくしの言ってる事々は、解りにくい文章だと、そう言う、クレームも頂くような事でしょうね。  でも、芭蕉の  その、繊細な感触は、まだわたくしには理解が未だ及ばないので、 そのあたりのことも、これからの勉強・解明の其処に向かうスタンスとしてご理解願いたいと思っています。

さて、 

そんな、そんな事から、忙しさにまぎれていた事由にもあって、

中世など置き去りにしていた事々も御座いました。やっと、ここにも理解の輪を広げ行くことが可能となって嬉しいことの限りで御座います。そんな事の、成り行きも御座いまして、

武野紹鴎さんの時代ころからの由来の、

 

「一座建立」の考え方を、やっとのことで、私は勉強し得ましたので御座いました、です。遅きにと、お叱りの事、申し訳なきことだと、まことに恐縮いたしますばかりの次第で御座います。

 

― 追記 ―

いろいろ、お聞きしたくて、

武野宗延さんにお会いしてまいりました。

実際に、お話を伺いますと、

あれこれと、氷解することが多いもので御座います。

 

 

          ・       ・       ・

  

話は変わりますが、

 

一昨日は、夏井睦先生の「豚皮揚げを食べる会」に参加させてもらいました。

 

糖質制限を実行している人々の情報交換会です。

 

くわしい報告は、江部康二先生のブログに掲載があります。

 

http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-3312.html

  私の持ち込み品は、リストの初めの(一番下) 自然栽培のラム酒と、

                    ピーカンナッツなど無添加厳選ナッツ、

                    それと、

                    リストの 殆ど最後の、「お抹茶」です。

   結構に、美味しいと、お抹茶を喜んでくださいましたで御座いました。

               お湯が無かったので、冷水仕立てでお茶をたてました。

               会場がみなさんの熱気で熱かったので、氷手前が、

               成り行きでも良かったようでした。

               ちょっと濃いめに立てると、

               さすがの柳桜園さんの「初昔」香りが立ちます。

               はじめて、お抹茶の立てだしの香りに接した人は、

               相当に驚かれておいでのようでした。

               百聞は一見にも如かず、です。

 

                   ラム酒も思いの外に、好評でした。 

                    上等のワインも押しのける勢いでした。

                        (ここは、極めて、私評)  

さて、 

3回目参加ですとか、4回目参加ですとか、 

そんな猛者の多かった会でしたが、

 

「一座建立」の武野紹鴎さん由来の教えを得ていたわたくしは、

 

その精神から、心を尽くしておりました。

 

そうしましたら、夏井睦(なつい まこと)先生から、初めての参加で、一体全体、あの人はどうしてそんなに此の会に溶け込んでいるのだろう?!!  と、言われるような事でした。

 

そう言った事々が、

 

「一座建立」が精神の主体を表していて、

 

「一期一会」は、その、期するところの気持ちの状態を表しているのだと、改めて思う事にとなりました次第で御座いました。

               ・

ついでながら、

夏井睦先生と、江部康二先生との、おふたりは、

ウグイスの友の鳴き声を響き合わせるような、うるわしさを感じました。

    ひとふたり 友ウクイスの

    梅の香の 為得や(しえや)新し

    苑(その)も広がる

糖尿病の早期根絶を目指して、

ご尽力の事、ご声援申し上げたいと思っております。

 

 

             ・          ・

さらに、しつこいようですが、

もう一言、

ご説明をしたいと思いました。

「一期一会」と、「一座建立」との違いの事で御座います。

簡単な、少しの違いに、一見はそう見える事なのですが、

ずいぶんと、違う趣だと、そのようにわたくしには感じています。

「一期一会」だと、あとは、もう無い事に付きまして、切迫感を、強いるような心持ちだと思うんですね、いわば、脅迫的な、切迫感とも申せましょうか?

ですが、

「一座建立」の言葉には、そのような切羽詰まらせてての、責めてどうすると言った、厳しいような事々は御座いませんですね。出来得ることを、それなりに、持ち寄り、力を合わせてゆく、   …     と言った、 初代のクニトコタチさんの精神にも合致しての、そのような雰囲気であると、そのようの事だと、わたくしは思っています。

ダンスでもそうですが、

1年前から始められたお人には、1・2・3の断定的なリズムこそが、解るんですよね。わたくしは、その人となりに合わせてゆきます。

それで、道路の譲り合いのようなギクシャクは、いっつもあるわけで御座いますが。それは、そのような事で御座います。2分割のリズムや、4分割のリズムの解る人には、そういうようにフィットしまして参ります。

それよりも、何よりの事に、ご相手のいかに楽しんでもらえますことを!  と、その事だけに付きますですね。123、あるいは、1234のリズムが基本ですからですね。

そこのところには、

複雑な、微妙な1/4分割にも細分化しての詳しいことのリズムには説明も難しいことなんですね。 あんまりにも複雑怪奇な事は最低必用限にとどめて、本来的にはどう楽しむことが出来るか? に、主目的を建てるべきですね。  あれこれと、いろいろと、考えなくてはなりませんです。何でも、勉強の事で御座いますです。 さすがに、昨日は2時間半をお水を飲む間もほとんどない状況でしたから、足も、こたえましたでした。 今日には、もう回復しました。

文章の上達・訓練には、ダンスはとっても役立つものだと思っています。お茶の修養も同様の事だと思っております。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月 9日 (月)

親しかったお人、お世話になりましたお方さま、身近だったお人、訃報にと接しまして。

このところ「わひ」とか「さひ」の事に付きまして、中世頃の感覚を調べています。

と、いろいろと、解ってきましたのでした。

                    ・

そう言う日々を過ごしていましたら、人の世の常として、

お世話になって来ていましたお方や、身近なお方の近親のお方など、

訃報に相次いで接しました。

如何ともすることのあたわぬ、アメのミチの成り行きで御座います。

もはや、悼むことしかすべもありません。

Photo

明日、明後日のお見送りにと、

残念でさびしいこと限りなしで御座います。

      ひさかたの ムメ(梅)の花見に

      至るれど 今みまかり(ご逝去)の

      さび(み)しさを思う

そう、

想いますれば、アマテルカミのご違勅の事を思い出さずにはおれませんです。

Kaesinotouta

『ホツマツタヱ』28アヤ41ページの、この個所は、至って、とっても重要な個所です。

こころ真っ直ぐに素直で有れば、また直ぐにこの世に生まれ変わってこれることが出来るのです。これこそが、生きる上での理想なんですね。漢字国字化の時代の以前はですね。アマテルカミの 「かえし ノト ウタ」 をお唱え申し上げております。 この事に終止をいたしておりますのみで御座います。 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月 6日 (金)

「かす」ちからのこと。5要素の「かせ」のうちのひとつ。 名歌の事。

「かす」と言う言葉が、大きな意味を持ってます。

ヲシテ時代の中期の言葉です。

勿論のこと、漢字国字化時代の以前の事ですね。

『ホツマツタヱ』1アヤの、解り易そうで難解なる個所を見ておきましょう。

Kasu2

Kasu1

この個所での難解さは、「みそひかにかす」の事です。

「かす」とは? どういう意味であるのか?

非常に難しいところなのですね。

ずっと考えて来てまして、

四国の合田さんが、

きのう、名歌を詠まれました。

Photo_2

「に」の働きが、アモトからも齎されてきます。

また、「ヒ」からも「ツキ」からもです。

「かす」とは、はたらいて及ぼしてくるチカラだと、そう考えるのが、

妥当なところだと、そういう考えになってきております。

つまり、

5要素の「うつほ・かせ・ほ・みつ・はに」のうちの「かせ」の働きが、表面的には「風」のようにもありますが、もっと原初的な根元的な理解としては「かせ」なんですね。そして、「かせ」がもっと能動的な状態が「かす」なんですね。「かせ」と「かす」は意味するところが同様の言葉なのです。「かせ」と「かす」とが、極めて近い概念である同類項としての言葉であるとの理解などは、ヲシテ文字の原字原文で読み書きして親しんでいないと、解らない事柄ですね。

総じて言いますならば、「ニ」の働きを、「かす」のが、「ミソヒカ(31日)」の月ごとの巡りだ。  と、それが、『ホツマツタヱ』の1アヤの最後の個所の説明内容なのですね。それで、ハナキネさん(ソサノヲの若い時のころ)も納得したわけでした。もちろんのこと、「アネ」とは、ワカヒメさんの事です。ワカヒメさんは、アマテルカミの御(おん)妹君であらせられます。

基礎的な理解は『ホツマ辞典』を何回かお読み頂けますと解ります。

また、

ワカヒメさまの詳しい事は、平成24年(2012)発見の『ミカサフミ ワカウタのアヤ』 が良く解ります。

             ・            ・

『ホツマツタヱ』の1アヤにも表れている、難解個所の事、

そのことのあたりを、詠んだ、とっても素晴らしい名歌だと思います。

   かす ちから きさし お(を) はこひ

   ひ に  つき に ひとは こよみに

   さいわひ あみて

ヲシテ文献は、記紀の原書の事、

根拠を『定本ホツマツタヱ』、『ホツマツタヱを読み解く』『よみがえる日本語』などの書籍に拠って既に公けに公表してあります。いまだ、面と向かった否定論は提出されていません。もう、認証あるいは妥当であると黙認になりつつある状況に近いですね。

漢字文献類での考慮事項とは、土台を、根幹からの土俵が違うわけですから、お話にも成り得ない訳ですね。

わたくしたちは、まったくもっての、新たなキャンバスに描きゆくのが自然の姿だと思います。漢字国字化時代の以降に積み重なった事々は、参考程度の事になるわけです。決して無視は致すようにもなりはしませんが…、  ですね。 

さて、そのような事々の世俗的なる世間的な事は、どうせ、後世の人にお任せですが、

わたくしたちは、もっと、深く大きなヲシテ時代の真相に真実に迫って解明を進め行くのが仕事です。 それにしましても、合田さんのおウタは名歌だと思います。 



もうひとつ、後半の個所の、「さいわいあみて」は、

もっと、

難しい、現在解明中の事柄になりますので、

どうしても知りたい解ってゆきたいと、

その志のお方は、ご連絡くださいませ。

この、深い真相個所につきましては、ヲシテ文献の理解程度にも勘案しなくてはご説明も正確にしようとしてますので気を使う事の事々でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月 4日 (水)

今東光の事。今で言えば村上春樹か?  私の若い頃の思い違いの事。 記紀の原書として、その、しっかりした理解が出来得るのかどうか? 原文のたいせつさの事『万葉集』にも。   ユーチューブ、ホツマ26アヤをUPしました。

普通には、そう思います。

 

流行りの小説家なんかに、取り上げさせたら、

 

一挙にグッと広まる筈だ。  と。

 

わたくしも、若い頃にはそう思ってました。

Mume2

松本善之助先生のところに、今東光(今で言えば村上春樹さんのような感じ)の秘書が、題材を求めてやって来たと小耳にはさみました。流行作家の、その筆に、期待したんですね、若いころの私は。 そこで、松本善之助先生に、その後はどうなったのか? と、しつこく、お聞きしていましたものでした。

 

どうせ、今東光の秘書なんか、ちょっとだけ、かじって聞いてもう放棄です。この題材ではやっつけの商売にはならないと。そういうことですね。

これからも、同様です、きっとそうでしょう。

 

                 ・

 

それから、20年・30年・40年になります。

そんな流行作家気取りの人たちなどから、片手では足りないぐらいのような幾人もの幾人もの接触はありました。

 

ですが、やっぱり無理なんですね。

 

字が読めなくっちゃ、ヲシテがですね、

 

それは、ハナから無理な事なのでありますのですね。

 

Mume1

                 <オオテマリの枝に、枝垂れウメです。

                   オオテマリに梅は継げ得ません>

例えましたら、

 

お茶の、茶道の指導にも、そこまでゆかなくても、茶道の説明にも、お茶が好きで常日頃から親しんでる人でないと、まともな茶道の説明も初心の人に関してさえ無理な事です。

いわば、茶筅とは? 見たことも触ったことも無い人が、お茶をたてるのは無理なわけですね。ヲシテ文字も読めなくて、ヲシテ時代の文章も読めなくて、どうして? 『ホツマツタヱ』などの我が国の大切なヲシテ文献を語れるというのでしょうか?

ホツマなどを語る最低限度に必要な素養としては、ヲシテ文字の読み書きと、ヲシテ時代の文章の読み書きですね。それで、お茶で言いましたら、茶筅を扱うことが出来る程度として、納得されましょうね。

やっぱり、茶筅を触ったことも無い人が、茶道の説明はどうしても無理だと思うんですね。

さて、その前に、

お茶が好きで、おいしい。 健康にもいい、と。その認識が無いと、お茶は勧められません。

 

 

 

ヲシテ文献で言いましたら、

 

アマテルカミのお使いであらせられました、ヲシテ文字・ヲシテ時代の5・7調の文章が、スラスラ読み書き出来なかったら、それは、初心の人にも簡単説明してもらうのも、困った事象に当たります。字も、ヲシテ時代の文章も、読み書きできないのは、所詮は、ボランティアにての解説者のランクにも不適な事であると、わたくしは思いますです。 

 

『万葉集』にも、

原文ならではの添意のこともあります。この頃、ちょくちょく見てます。

1699番 澤瀉万葉集から掲げます。

『万葉集注釈』澤瀉久孝(中央公論社)

H25376


この、「伏見何田井尓」の原文には、伏見稲荷の「カタ(荷田)」さんの事が掛けて詠んでますね。

ですから、直訳の「伏見が田ゐ」だけにしちゃいますと、余韻が切られてしまうわけですね。ついでに、解説のページも見ておきましょう。

H25377

 

          ・            ・

 

ユーチューブ「ヲシテ国学 初めから」45話の

          「ホツマ26アヤ」の朗読をUPしました。

トヨタマヒメへの、お諭しの教え「ミ・イキ」が、イニキネさまに説かれます。古くトヨケカミの伝来の教えだったのですね。

https://www.youtube.com/watch?v=8Ql-b9jyIRk&feature=youtu.be

 

『 ホツマ ツタヱ 』の、そのヲシテ時代中期ごろまでの、

我が国の本来の雰囲気は、26アヤには濃厚に感じられます。

でも、

直訳して、何段階もコピペされてゆくと、何だか、何処かがおかしくなってきちゃうんですね。

『万葉集』で言いましたら、

「澤瀉万葉集」の段階だと、それほど変でもないのですが、原文の部分をちょん切られたりしまして、直訳文だけが独り歩きされて、澤瀉訳文だと、ですね。そうして、独り歩きが始まったら、「カタ(荷田)」さんの事を思いを込めてた余韻がちょん切られちゃって軽薄浮薄になってゆきます。

それが、重要な「トのヲシテ」の事がちょん切られるようなことが起きるのが、ヲシテ文献の場合です。だから、直訳にと、独り歩きしてもらっては困るという事なのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年3月 1日 (日)

時代の事、Mr.スポックのこと。 大きな任務と、その、義務の遂行に拠って生じる問題や心理的な葛藤についての、問題解決のプロセスの事。

ひとつの時代を開いたという点で、こちら日本からも、Mr.スポックの事は、そのお亡くなりの事を悼みます。本名はレナード・ニモイさん。もう、今年には83歳だったそうです。思えば、相当に昔になりましたですね、当時には深夜の放送を、いささか無理をしても良く見ましたものでした。

Mrsupoku
ヲヲヤケを背負いつつの、その、精神的に強靭なバックボーンが、人々のこころに強烈に共感を齎したのだと思います。
米国放送に接触の無い人には、Mr.スポックなんて? とは?
の事ですね。
今日も、ウチに来宅のお客様には、お若いからですね。 今東光のことも、話も聞いたことないとのことでした。  時代ですね。
それは、そうでしょうね。
お若きことは、ムベなるかな! 良い事です!
でも、
Mr.スポックの事は、もうちょっと大きな存在だと思います。
新しい時代に向いてゆく方向での、大きな発露なのだと思います。
米国ドラマでのその後のいろいろは、Mr.スポックの存在無しでは語れないような事になってます。
大きな任務と、その義務から生じる精神的な葛藤に於いて、Mr.スポックは、その持って生まれたロジックに超過しての論理的一辺倒過ぎる考慮の性格から必要以上の大きな葛藤を抱いて苦悩するのです。その、心理的な難問解決プロセスが、見ている人の共感を得るのですね。
苦悩と、葛藤、そして、どう解決に結び付けてゆくか?
この事は、
今も、そうですし、
これからも、大きなテーマであるからです。
人格性を持つ一神教の、その根元的に内包するモノから原因する処々のトラブルも、この、Mr.スポックの苦悩に拠って多くの解決に向けてのヒントが得られるのではあるまいか?  と、わたくしは、思っております。
 
                   ・
 
あと、
これから、わたくしも、
10年、 20年、  さらには、    40年、あるいは、60年にも、
そのように、インパクトを残せるようにと、是非とも
仕事に打ち込んでまいります。
Mr.スポックに見習いまして。
さて?
Mr.スポックのように、耳が尖ってきますかどうか?
大切な事々は、
背骨に位置する考え方のその大きさ、
その、
軽い重い、小さい大きいの事、
この一点こそが、後の評価に最も大きな決定打となりゆくのでしょうね。
それで、背骨をしっかり作る事こそが、最重要事であると、認識すべきです。
さて、
わたくしの、その、第一重要事項の任務とは、
勿論のことに、記紀の原書たるヲシテ文献に依る、本当の国学の再構築の事です。
Hondana
                                    <うちの、ごちゃごちゃ本棚です。
                  カオスの中から、どう生み紡いでゆくか?
                  カオスの中にこそ、タカラはあるんですからね>
こんなに、大きな任務の事が他にあり得るのでありましょうか?
とも、 常に思っておりますことで御座います。
出来得るだけの事を、着実に進め行くばかりの事で御座います。
そこには、やはり、大きな葛藤とのもがきの事がスタートレックならではに御座います次第で御座います。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 

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