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2015年2月26日 (木)

おウタの事。心敬僧都(しんけい そうず)の氷の論の事。茶道の「わび・さび」の事に関連しまして。

「なべ」「かま」の違いの考察から始まりまして、

茶道の「わび・さび」の事柄にも、考えが及んでまいりましたら、

やはり、和歌の論にも話が至ってまいります。

Tuhaki1

            <織田有楽斎ゆかりのウラクサイの椿です>

なぜならば、

千利休も、藤原定家の和歌の掛け軸を掛けたりもして尊重しているからですね。

そこには、和歌で培われた境地に付いての、尊重が見て取れるからです。

                 ・

さて、

漢字文献を見ただけでも『日本書紀』からはじまり、『万葉集』『古今和歌集』や『新古今和歌集』など、あまたにも、多くの和歌が詠まれ残されていました。時代も遷り変わります。『万葉集』の和歌の風(ふう・風情)と、『新古今和歌集』とでは、随分とその歌風が違ってます。

その後には、段々と連歌にと、また、俳諧にと時代変化が起きてくるわけでした。

Ake

さて、

歌論の事も、古くから多くのモノが記されてきています。

漢字文献を見ただけでも、多いのですが、茶道の「わび・さび」に直接にビビッと響いて思い出されるのが心敬僧都(しんけい そうず)の歌論です。

特に、『ささめこと』『ひとりこと』が注視されるものです。

Photo


『ひとりこと』は、「続・群書類従」の第17輯下の1120pにあります。

その中で、1129pを、上に掲げました。

「群書類従」「続群書類従」「続々群書類従」は、大きな図書館なら置いてありますから、図書館利用をまずはお勧めします。

さて、上掲の心敬さん(しんけい さん)の説ですね。

3行目の下から2文字目から、お読みください。

現代人には多少読み難いかとも思いますので解説を交えて読みゆきますね。

「げにも(如何にも)、水ほど感情深く清涼なる物は無し。 春の水といえば、いとのびらかにて(のどやか・平らか)にて、おもかげも浮かびて。何となく不憫なり。 夏清水の本泉のあたり又ひら寒し。 秋の水と聞けば、心も冷えて清々たり。 また氷ばかり(氷ほどにも)、艶(えん・つや)なるは無し。(氷こそが艶そのものである)   苅田の原などの朝、うす氷。 (雪の)降りたる檜皮の軒などのツララ。 枯野の草木など。 露霜(つゆ・しも)の閉じたる風情。  おもしろくも、艶(えん・つや)にもはべらずや!(あるであろうや!) 」

こんな、雰囲気の事を心敬さんは述べてます。

水が、目にも明らかに物象を変化させて、それが、天地の成り立ちの原理を知らす極みに見えて、それを艶(えん・つや)と表現してるようです。

それは、ひとり、心敬さんが言いだしたことか?  とも、ならないようなのですね。

心敬僧都の『ささめこと』をご覧いただきましょう。「群書類従」正編の17輯の32pです。

Photo_2
心敬さんは、『ささめこと』の中で、上掲の7行目に「先人かたり侍る(はべる、お語りになられました)」として、先人の説にあると、根拠を述べておられます。

ちょっと、現代人に読み難いかとも、思いますので、一緒に読んでおきましょう。

「先人がお述べになられておられます。

水無瀬殿(後鳥羽天皇)の御世にぞかし(の事でした)。

いにしえにも、おさおさ(及ぶべきはか)越えたる歌の仙(名人)、数を尽くしていまそかりける(今に出現した)。さまざまの風(歌風)をしたひ(慕い)塵(多くの)を尽きて道の奥を極め    

  ~   云々   ~ 

かしこき和尚(清巌正徹和尚)の生まれ合いたまいて、いときなき(幼少のとき)より、としたかき(壮年・晩年)まで、ことの葉の林の多くを尋ねて、心の泉の底を尽くして、  水より出でたる氷のごとく、浅きより深きにうつり給えり」

と、つまり、心敬さんからしましての先人の伝えに拠るわけです。

「水より出でたる氷のごとく」が、キーワードですね。

 つまりは、 おそらく、心敬さんのお師匠の清巌正徹さんの教えからのものだったようです。

でも、清巌正徹さん(せいがん しょうてつ さん)の独創であるかどうか? は、まだ、不明ですね。清巌正徹さんには『清巌茶話』(「続群書類従」第16輯下、921pに所収)が残されていますが、そこには具体的には述べられてはおりません。 水と氷の話の譬えは、もっと、古い時代からのアイデアであった可能性が高いです。

また、心敬さんは、他にも多くの面白いことを言ってますが、そのうちのひとつ。

Photo_3

『ささめこと』下の、「群書類従」17輯の58pです。

10行ぐらいから、世の無常の事を、述べてます。

「わび・さび」のこころの根底には、この心情、世の定めに付いての諦観と、肯定的に受け入れてゆく心情のさとりがあっての事であるかとも、思うのです。

 

                 ・       ・

さて、そのように考えますことが根底にありまして、

茶道においての「わび・さび」の事柄、その心境の事ですが、

千利休にもそうですが、

がちっと、まとめられましたのは、

武野紹鴎さん なのですね。『紹鴎茶湯百首』を、残しておいでになられます。

この書は「続群書類従」の第19輯下の、447pに掲載されています。図書館で見て頂くと良いでしょう。

最後の一首を掲げます。

  習うをは(ば) 塵芥(ちり・あくた)そと(ぞと)

  これを知れ 書物は反古(ほご)

  腰張り(下張りのようなもの)にせよ

と、あります。意味深なもので御座います。不立文字とも言いますか。筆舌に尽くしがたき事々の多いことを思います。武野紹鴎さんのことは、『利休の師 武野紹鴎』をお読み下さいませ。

             ・         ・         ・

さて、

此処までが、漢字文献類でのことですね。

でも、本当の日本の文明は縄文時代や弥生時代にも溯る事は考古学の発掘によって物証的に、誰の目に見ても明らかになってます。縄文・弥生は、我が国の基層の文化・文明だとその理解はもはや動かせないでしょうね。

そこを、ソフトとして文明の姿を理解出来得るのは、記紀の原書としてのヲシテ文献による文献学なのですね。  

どれほどにも大変でも、やっぱり、ちゃんとやって行かねばなりませんです。ヲシテ文献が現代発見・現代研究が進んで此処まで来てるのですからね。記紀の原書の出現なわけなのですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年2月16日 (月)

「ヲシテ」の講習会の事、そろそろ、始めます。

講習会を、

「ヲシテ」のですね、

いろいろな、受講なさいますお方さまの、ご要望に沿って、

いろいろ展開してまいりたいと、思っております。

京都市内での講習会は、5月から開始の予定です。

サイトを、作りました。

Kousyuukai1_2

http://woshite.wix.com/kousyuukai

Kousyuukai3

Kousyuukai5


Kousyuukai6


Kousyuukai7

Kousyuukai8


モバイルでも、見やすいようになりました。今は、進んでますね。

グリーンの縁の文様は「こあおい(小葵)」に致しました。

                ・

と、

申しますのも、

昨日が、生業での最終出勤日でして、

こんな綺麗なお花を頂きました。

Teinenn_2

これからは、

「ヲシテ」に専心できますから、

少しでも、恵みを返そうと、そう思うのでございます。

それで、明け方には、おおよそ新サイトもできまして御座いましてUP致しました。

Photo_3


      あめつちの めくりのままと

      はせゆける みちはひとすち

      めくみかえして

 

このところ、武野紹鴎に、いささか私淑してます。

その、

武野紹鴎の詠んだ和歌と思われます、秀歌を掲げます。

Jyouou2

 

 

                        <野村美術館所蔵の消息(書簡)より。

                               辻玄哉(咲隠軒)あての書状>

 

 

 

 

 

2015年2月10日 (火)

大きな構図の事が、なかなか、理解されにくいことが、御座います。記紀の原書であると、言う、その意味合いの事に付きまして。   追記:京都にて、勉強会を開く機運が出て来ています、ご参加のお方はご連絡ください。

松本善之助先生は、ヲシテ文献の取り組みの位置付けとして、

「新新国学」と、お名付けになられていた事もありました。

つまり、

江戸時代ごろに興った、『日本書紀』『古事記』など『万葉集』なども含めて基にした「国学」が先行しました。

思い出されますのが、契沖さん、そして、賀茂真淵さんや塙保己一さん、

それから、

あんまり大勢言ってもなんですので、ビッグな処だけに留めましたら、

谷川士清さんや京都の富士谷成章さんなど、

その他にも、ホントに大勢居られますね。

 

                        ・

 

さて、その後に、昭和の大敗戦になってのあと、

民俗学が台頭してまいりました。「常民」の暮らしの内にこそ、国家を見出すべきであるという考え方です。これが「新国学」としての考え方です。

               ・                ・

ですが、如何ほど、現在に有効の事があるのか?  はなはだ疑問なのですね。

何故ならば、記紀の原書が発見されて、ここまで現代研究が進んで参りましたのでございますのが、現状の事です。

                       ・

敗戦後のその、焼け跡的な状況とは、随分と違って来ております。

江戸時代ごろに戻ってみても、どうでしょうか? 「国学」を再起動する要因がはたしてあり得ましょうか?  わたくしは、そこには、100%無いと申し上げたいと思います。『万葉集』はもとより『古今和歌集』や、はては百人一首すらぶった切っての、それが「常民」の立ち位置ですからね、あまりにも、嘆かわしいと思いますですね。

奈良時代には、一般人の防人の歌も『万葉集』に収録されています。昔の方が、文化度が高いのでは? と、そう、思いますね。

そう言った見地からしまして、大きく枠組みの事を見直すべきであると、わたくしは新見地を提起する為に、骨身を削って書籍を出版しております。

つまり、ヲシテ文献が記紀の原書であるから、此処に、新たに「国学」を再構築してゆくべきですね。

和歌の、本来の伝統は、ヲシテ時代の草期から萌芽が興り、ヲシテ時代の中期には5・7調の確立がおこなわれたと、その判定が出来ますのです。

『源氏物語』を尊ぶことも重要ですが、その根底には、ヲシテ時代の草期・中期からにおいての蓄積がモノを言ってるわけですね。ヲシテ文献で明らかになりました、深淵な套大なる我が国の漢字以前の文化・文明を再び思い起こすことからがとっても重要なのですね。ヲシテ時代の草期とは、考古学での時代区分で言えば縄文時代の前期の頃です。ヲシテ時代の中期とは、考古学の時代区分に当てはめて言いましたら弥生時代の始まってくる頃に相当します。 如何に我が国の文化・文明が古い時代から大きく興っていたか! と、驚嘆なのです。

と、言う考え方で御座います。

我が国の、その、文化・文明のありようを、過去にどう遡って正しく見出してゆくか? この、定礎をきちっと間違わないように為しゆきましょうと、わたくしは何十年と奮闘してきております。また、これからも、命ある限り奮闘してまいります。

何時? 世間的に理解してもらえるのかは?  もはや、慮外の事にて、何十年と進めて来ておりますし、 今後も、いささかも変わりは御座いませんです。

 

 

         ・            ・            ・

それは、

理解には、なかなか大変では御座いますけれども、

やっぱり、どうしてもやってゆかねばならないと、

そのように、わたくしは確信いたしております次第で御座います。

                    ・

京都にて、

勉強会の機運が出てまいっております。

ご参加に、前向きにお思いのお方様、ご連絡をコメント欄にお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年2月 7日 (土)

「さいあいへし」の斑竹のこと。追記:「さいあい」の語意の事。   ユーチューブ「ヲシテ国学 初めから」44話「ホツマ25アヤ」の「2」に修正して再UPしました。 2/8の朝方の放射能測定値のピークに付きまして。

めずらしい、マダラ竹のこと。

いよいよ、還暦になりまして、お祝いを頂いたりしました。

Madaratake_2

http://www.taketora.co.jp/special/ta0003.html

虎斑竹(とらふ たけ)と言うそうです。

右端のは蓋置になりますね。あと、何に使うか? 考え中です。

                 ・

思い出しますね。

アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)の「サイアイヘシ」の事です。

Saiaihesi

わが身の潔白を命を懸けて、ウツムロにお入りになられたアシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)さんは、

火を付け焼け死のうとなされたのでした。

ミネ(富士山)のコノシロイケのタツが、消火にあたってくれて、幸いにイノチながら得ることが出来たのです。

Saiaihisi_2
                 <幸菱文様のいろいろです>

Hisimonn
            <菱文のいろいろです。

                有職文様にちゃんと残ってます>

                 ・           ・

さて、この故事を、記紀では解りませんが、

記紀の原書のヲシテ文献で解れば、斑竹の命名には、もっと、目出度い名称が良いようにも思います。
2


        うつむろの ほのほをうつす

        アヤしれは さいあいへしの

        タケとなつけん

Photo_2

               <女房作の茶碗です>

さて、  追記します。

「サイアイヘシ」とは、深い意味合いが込められてあるようです。

「サイ」の関係の言葉を調べてみます。

Photo

Photo_2

上記での、「サイワ」や「サイハ」の用例が優勢に出例があります。

下記には、「サイア」や「サヒア」の用例ですが、僅かにての出例です。

Photo_3


Photo_4

さて、

どう考えるか?  の事になりますが、従前でしたら、筆記の乱れであろうか?

として、表記の統一を図ってゆこうとして考えていってましたが、そうではないようなのですね。 つまり、大きな語彙の範疇には「幸せ」の意味があることは承知の上に、「サ」の「イ」(さわやかさ・罪の無い事・温かさ)を、「ア」の「ヒ」や「イ」(天下に晴れて・世論の承認を得て)の意味合いを重ね込めてあるのが、ホ27-11、ミ2-7、ホ2-7の用例での詳細な語意であったと見るべきなのでした。掛け言葉・重ね言葉の表現の高度なやり方だったわけでした。  本当に、我が国の大文明の奥深さを如実に理解しうる重要なポイントだったわけでした。 深謝・感謝・再拝でございます。

だからの事でありますから、「サイアイ」「ヘシ」と表記が為されていたわけで御座いました。

全体の「幸せ」の語彙の概念を理解して、その上でアレンジの重ねてのバリエーションで、この場合は、「サ」の「イ」(罪の無きこと)、「ア」の「イ」(世間に天下に意が通って)の「ヘシ」(天下に晴れて、天下御免)を得た、と、いう意味になります。なにしろ、ミネ(富士山)のコノシロイケのタツも助けてくれたんですからね。

  四国の合田さんから、新発見の読み取りが来ましたり、と、触発されて、いろいろ考えたりで、日夜漸次深化を進めてます。有り難き事で御座います。

さらには、「マタラ」にも、ヲシテ時代中期頃か、もっと古い時代からにも遡及できそうな深い意味合いも込められてあるようです。用例を掲げときましょう。

Matara

特に、ミ6-17「マタラナス」が興味津々ですね。ホ21アヤの用例もひょっとしたら、疑問が解け行くかも知れません。

       ・       ・        ・

あけぼのが冴えます。

Ake

ユーチューブ「ヲシテ国学 初めから」44話「ホツマ25アヤ」UPしました。

『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の発見の年を、平成24年の所、2012と勘違いして、誤記をしてました、修正して、「2」を付けました、すみません。 訂正後が下記です。

https://www.youtube.com/watch?v=WCPfEIUVdNA&feature=youtu.be

 

 

                                                  ・

なお、

なおの事で、忘れがちな事の一つですが、

放射能の測定値で、

三重県のわたくしの在住の近くでの事にては、

今朝のピークがどうも、奈良県あたりからの流出の様子です。

Narakenn

この程度でしたら、大した事ではありませんが、

ちょこちょこ、チェックをする事が必要な時代になりつつありますようです。

ご油断召されませぬよう。

全国的なデータは、

こちらの下記のサイトがとても便利です。

http://new.atmc.jp/

Photo


良く調べましたら、

大陸由来の可能性が強そうでした。燃料として多く使っている石炭に含まれてる場合があるとの事ですから、その場合は単にセシウムだけじゃありませんから、もっと気を付けなくてはならないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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