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2014年5月17日 (土)

どの時代に、どんなにひどい時代でも、「ト」と「ロ」の精神からです。    独創の解明、この、苦しみの路程のひとつの事。    藤原定家卿のお墓参りの事。冷泉貴実子先生の『花もみぢ』のこと。   九州の原発再稼働の案件に付きまして。   -追記- 批判的な対峙なのか?   わたくしたちの為しゆきて来た仕事を認めるのか?

我が国の縄文文明のキー・ストーンの、「トのヲシヱ(ヲシテ)」そして「ロのヲシテ」があります。

Sudajii  

           <スダジイ (ドングリの小さい種類です)の花と新芽です>

「トのヲシヱ(ヲシテ)」の事は、松本善之助先生が既に記しておられます。が、「トのヲシヱ」の概念を現代的に表現して「恵民立国」としての捉え方をしたのは、わたくしが初めての事でしょう。 『ホツマ縄文日本のたから』で詳しく述べました。(廃版にした前著の『ホツマ神々の物語』からを含めてです)  この捉え方の感覚は、今現在にも充分に活きてます。

Aokinomi  

           <アオキの実はとてつもなく面白い色で、

            良くよくためしすがめつ見るべきたのしさです>

さて、「ト」と「ロ」の事ですが、

ヲシテ文字の「ト」を、ひっくり返しましたら、

ヲシテ文字の「ロ」の字形になります。

Totoro1

ヒトなるミチには、「ト」(トのヲシヱ・ヲシテ)を用い、て、  その元(基)は「ロ」のテ(ヲシテ)、なんですよね。

多くの人が力を出し合って相乗効果を生むのが「ト」。

それには、

ひとりひとりが、自立していることが前提条件であることが「ロ」。

                  ・

「ト」と「ロ」のこと、

ヲシテ文字で読み書きしてなかったら、この関連性の発見は不可能ですね。

これを発見したのは、わたくしだったでしょうか?  これは、微妙なところがあります。

また、我が国の縄文文明の、もうひとつに「縄文哲学」の捉え方があります。「縄文哲学」の捉え方をしたのは、私が初めてであったと思います。これが、「独創・解明」的な理解と言えます。

つまり、

アマテルカミが、「ウツロヰのヤシロなんかひしいでしまえ」(今風に言えば、ウツロヰの神社の破却を命じられた)と、おっしゃいました。

Utuwo1

この事は、つまり、自然神を下位に見ておられたことが解る根拠です。では、上位のものは何か? 

自然神は、7代アマカミのイサナギさん、イサナミさんの時代から祭祀が始まってます。

Yamasa_2

「ヤマサ」とは、5つの自然神と、3つの護りのカミ(はたらき)です。

自然に対して、ヒトからのコントロールをしようとする試みです。

あるいは、

下々(しもじも)の者が怖れるから自然神を祭ってるような意味合いもありました。

タクミ(宮大工)が怖れるんですね。それで、「カリウツシ(仮り遷し)」をしたわけです。

Utuwo2

自然神よりももっと上位の骨格は何か?

それは、実際は、初代クニトコタチさんからの哲学的把握が根底にあるのです。

それは、現代的にどういう風に表現したらよいか?  それを悩みまして「縄文哲学」の言葉を創ったのでした。 『縄文人のこころを旅する』 で、詳しく案内してます。現代的な概念の「宗教」と言う範疇に含まれると考えると、どうも、違和感があるんですね。ヲシテ時代の中期にも遡ると、あるいはヲシテ時代の草期にまで遡ると、もっと違和感が濃厚なのです。つまり、我が国の根底の世界観は理知的であって「哲学的」把握が根幹にあるのが解ってくるのです。それで「縄文哲学」の新造語を創って提唱をし始めたわけです。これが、『縄文人のこころを旅する』の書籍です。お手に取って頂いて、2~3回お読み頂ければ、理解して戴ける様に製作いたしました。

もっともっと、更に更に深い、根幹のディープの理解に向かって、毎日、日夜励んでいます。なにしろ、アマテルカミのご叡慮についての事々であります。その、それは、辿ってゆく、エベレスト登山よりも、ある意味においては困難至極の試みの仕事ですから、極めて困難で大変です。

日夜の格闘・奮闘のこと、登山の苦労にも如(し)かず、  と、そうは思う事はしばしばです。

「コ・ホシ」の概念や、「ヨソヤ」の音韻理解と、世界の哲学的理解の更なる深奥にです。

少しづつ、もっと詳しく深くに融きほぐれて来ています。

ですが、 『縄文人のこころを旅する』 に記した内容は、今でも十分に活きています。

                    ・

 

漢字国字化時代の以前に遡って、ヲシテ時代を理解してゆきまして、それを、現代的にどう説明したら良いのか? それを、考えてゆくのが大きな流れです。

  

             ・              ・

 ひとつの、解明に向けてのやり方には、

ウタ(和歌、やまとうた)を、実際に詠(よ)んで、ヲシテ時代に身を置いてゆく事が大切かと思っています。

この意味で、おウタの勉強で、藤原定家卿は先人として尊重してます。多くの重要な書物の写本を残して下さいました功績も、何にも代えがたく讃えるべしです。老眼に苦しみながら悪筆だと嘆きつつの、ご努力の事、いたみいります。

わたくしも、ヲシテ文献の写本の修復や複本製作やスキャンして各地に保管など、定家卿に見習って仕事をしてまいりました。

今日は、そんな事を偲びつつ定家卿のお墓にお参りしてまいりました。

Teikakyou3

       <これは、厭離庵さんにあるツカ(塚)です>

Teikakyou4

       <厭離庵は、定家卿の嵯峨野のいおりの時雨亭があるところです。

        定家卿は、遊心のこと、養心のことを、

        良くよくするべしだと、言っておられたそうです。

        冷泉為人さんがおっしゃってました。おそらく「明月記」あたりの

        典拠かと思われます>

Teikakyou2

         <今は、お訪ねしても、拝観がほとんど難しいです。

          冷泉さんに連れて行ってもらったので、拝見できました。

          昔は、ここ厭離庵さんで、法要をさせてもらってのことでしたが…

          時は経て、時は流れゆきます。

          また、今は法要の参列のお方も増えたので、

          厭離庵さんには入りきれなくなっても居りますでしょうか?>

電池切れで、厭離庵さんの途中からは解像度の低いカメラだけが使えました。 すみませんです。

Teikakyou5

               <時雨亭の天井です>

Teikakyou1

           <時雨亭の月見をする縁台です。

            今日は、旧暦のウツキの19日です。

            モチから、少しだけ小さく、また美しいです>

Teikakyou12

             時雨亭のトコ(床)です。

             お抹茶を、昔、此処で戴いた事も有りました>

と、言いますのも、藤原定家卿の法要で、参拝させてもらいました。

今年の会場も二尊院さんです。

Nisonnin

            <二尊院の総門は薬医門でした。

              薬医門のことは、富士山御師の本庄家と

              ご縁が出来て初めて意識理解が深まりました>

Teikakyou7

           <法要の後は、献歌をささげての披講です。

            献歌のお題は「鵜河(鵜飼いの河)」でした >

Teikakyou8

          <二尊院のサクラに、実が成ってました

             今年は、実入りが良くありません。

            それでも、サクラノミには何かしらホッとします>

Sakuranomi_2   

         <さくらのみ あたたまりてに

          ほのやかか ふれれはたれつ

          あめのひかりお(を)

Teikakyou6

           <定家卿のお墓の遥拝所です。

             丸い穴から、小倉山を拝してお参りします。

             厭離庵さんのすぐ下も手にあります。        

             ですが、寄る年波に、家居が混み立って、

             今年には、もう小倉山は見えなくなってました>

Teikakyou10

             <清凉寺(釈迦堂)から拝します小倉山です>

冷泉貴実子先生にお聞きしましたら、

とっても良いご本の 『花もみぢ』 のご著作が、

まだ、いっぱい残ってるそうです。

大切な写本を守る信念が、如実に解る書籍です。

是非一度、ご覧願いたいと思います。この本を読んで、初めて参加しました、と、金沢からおいでになられたお方も居られました。綺麗に着物を召されて、「皆さん、お着物かと思ってました」と。冷泉貴実子先生も、エヘっと答えられてました。

冷泉貴実子先生は、当代きっての、古今風・新古今風のおウタ詠みの名手だとご尊敬申し上げております。

わたくしたち、ヲシテ文献流からしましたら、今様にほど近いのが古今風・新古今風なんですけど、どれほど割り引いても、やっぱり尊さは格別です。

現代においての他に唯一の高貴なる風雅な詠みだと思いますです。 漢字国字化時代以降においては、です、ね。

勉強になる事が、如何に多いかと思います。

 

 

 

                   ・

 

九州の原発の再稼働での、火山噴火の場合の予測が出されてます。

Sendaigenpatu1

http://www.nsr.go.jp/activity/regulation/tekigousei/data/0095_04.pdf

九州電力の報告です。

桜島の大噴火の場合です。

この予測では、うまいこと、原発立地の川内の場所を火砕流・噴石などが避けてくれてますけど、実際はどうなんでしょうか? ホントに、川内だけ避けて通ってくれるんでしょうか? 人間側の希望通りに?

この他にも、霧島山も、大噴火の可能性があります。この際は、ほとんど遮(さえぎ)るものが無いようですから、直撃のようですね。小~中規模噴火で、下のブログ記事のような感じでした。

http://www.bo-sai.co.jp/shinmoedakehunka.html

近々の、火山活動観測は、下記アドレスに詳しいです。

http://www.tenki.jp/bousai/volcano/information-10511.html

火山灰で道路も通行止め続出になったとしても、原発の安定維持作業が本当に可能なのでしょうか?  当然に、飛行機は飛べませんしね。ヘリコプターで持って行ける冷却用燃料なんか多寡が知れてます。

偏西風に乗って、川内原発の深刻事故の際は、九州・四国・本州の大部分が居住不可能になりますね。

 

ここでも「ロ」のヲシテが、はっきりしてないと、怖ろしい限りですね。

                   ・

「トのヲシヱ」は、大きな概念ですから、この場合その場合での捉え方の角度の違いから幾つもの見え方が異なりますので、その都度の見方の角度の場合に合わせて、現代的の表現には、上手くそれなりの微妙な変化が必要です。

 

例えば、500円玉でも、

丸い方から見れば、「丸い」です。

ですが、横から見ましたら、ギザギザの薄くて細長い棒状に見えますね。

持ち重みでも、1万円札と比べたら、はるかに重い500円玉ですが、どっちか進呈しましょうと言ったら、100人中の99人は、軽い方の1万円札を選びますね。光モノが好きなカラスが見てても、猫が見てても、ヒトは変な事やってると、そう思って見てる事かも知れませんですね。

  

ちゃんと、アマテルカミのお考えで有らせられた、ヲシテ文字の概念のイメージに起因する「ト」の本来の理念に立ち返りましょう。

さらに、もっと、根源的な、初代のアマカミのクニトコタチさまの時代での「ト」の理念にと立ち返りましょう。

これが、大切な事ですね。

現代になって今まさに、もう一度「恵民立国」の理念の思い出しを為しゆかねばならないと、そうしてもらうべき事象が多く発生していると思います。我が国の、建国の当初からの本当の精神は何処(いずこ)にかある? の、再認識です。

「トのヲシヱ(ヲシテ)」を「恵民立国」としての現代理解の表現は『ホツマ縄文日本のたから』の書籍に表しました。(廃版にした前著の『ホツマ神々の物語』から記述しています。)

                  ・

 

今日、先ほど、ホトトギスの初音がやっと聞こえました。

夜中の2:40でしたです。

今年は、随分と、遅かったですね。

 

 

            ・           ・

 

解明段階・探求の先端を目指すと、

そう、振れ込んできた人には、そういう対応をします。

対等の関係を、対峙的に主張してこられましたら、それならと、一応わたくしは真面目に尊重します。

それは、

わたくしも至りませんので、教えて頂ければ有り難いからです。

                 ・

と、

そう言って、

批判を掲げて、対峙的に言ってこられる割には、

なんだか、基礎的な事項の理解もいまだしだったり…、  だと、

がっかりですね。

批判的に・対峙的に事を構えようと言うような振れ込みで、

そんなようにと、

そう言うなら、こんなことぐらいの基礎理解程度の事は、知ってて解ってて当たり前でしょ。 の感じですね。

だって、研究成果は、秘匿したり・隠匿したりせずに、書籍に刻んでせめて後世に伝達をと、無い資力を傾けて、長年に渡って一生懸命に注力し続けて来ています。

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」は、ダメでしょう! の、この事すら解らないでは、救いがたしのレベルです。

当然の事、過去の研究の歴史は、見てるのは当然ですよね。

だって、解明・探求に同列にして意見して言うのですのですものね。

研究・解明のレベルだと、

そう、

大上段に言ってこられましたら、

それは、

それなりに、尊重します。

当面のしばらくは、です。

でも、

何だか、そういう大上段の振れ込みに、しくは無し、のようでしたら、

えー? ちょっと、 と、

何年か、様子を見るという事でしょうか?

そう言う事ですね。

松本善之助先生も、「批判の事は、具体的に言って下さいと」、そう、声高に何回もおっしゃっておられましたのを、見聞きしてますですね。 間違いは正してゆきたいですが、勉強も・調査もろくすっぽしないで他人否定のためだけに言うようなこじつけの批判攻撃には、松本善之助先生もほとほとお困りになっておられました。

対等に、あるいは私のほうを見下したように批判もしていただいて、意見もびちっと言うなれば、それは、わたくしは謙虚に聞く耳を持つようにしてます。

ですが、

それなりの裏付けが果たしてあるのかどうか?

ほんとかな? 数年は、様子見になります。

    

                ・

 

でも、

教えて下さいと、そういう接触の仕方だと、

それなりに対応を致しますですね。

読むべきだと思えます書籍を、お贈りしたり。  など。

それなりには、いろいろ、無い頭を一生懸命にめぐらして、対応してます。

わたくしの至らない頭の巡る範囲ではありますけれど。

で、

難しい対応に、接するの余りに、  毛が薄くなっちゃうんですかね?

でも、

やっぱり、主力の、

あと40年ぐらいでしょうか に、

どうしても、残しときたいものは、

もっともっと、深いヲシテ時代のそれも草期から中期にかけての大きな思想遍歴なのですよね。

他にも、余りにも、やり行かねばならない事が多すぎます。

それで、ヒート・アップしちゃうんですね。わたくしの脳は。

無い能力に、すべき仕事が多過ぎのオーバー・ロードです。

今までの所、ヒート・アップ防止策がお酒だったような感じでしょうか?

きちっと仕事が運んで行くようなら、1ccのお酒も要りませんですね。

そう思いますですね。

 

 

 

 

 

 

  

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