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2014年5月29日 (木)

 成り行きてある事。良くしてゆこうとの気持ちのこと。 記紀の原書だから、その究明と啓蒙は「本当の国学」だという事。

そもそも、成り行きて、その、グルグルと生り行きてあるその、結果と言いましょうか、原因が起きて、今、その表明・表現が為されてるわけです。

Yamabousi

             <ヤマボウシの花です。

              漢字国字化時代の以前には、

              どう呼ばれていたのでしょうか?

              うつくしいハナです>

更に未来に、もっと、ちょっとでもより良くしてゆこうと、

そう思いましたら、

小さな種のひとつを、

Kurumi

             <クルミの実が育ってきました>

植えて、蒔(ま)いてゆく事が、たったひとつの有効なやり方です。

大きな樹木に育ってゆくべきタネ(種)を蒔いて植えましたら、

雑草などのセイタカアワダチソウなどの繁茂を上手に防いでゆかなくてはなりません。

しかしながら、雑草と、有益な植物とのその差異は何か? 微妙に、迷うようなところも多いのが事実です。

Ine

イネ(ヰネ・稲)は、アワならす(ず)とも言います。

Yokohosi

タネにより、毛色に分つとも言います。

万物は、常に流転してゆき、変化を生じてゆくのが定めです。

Keiro

その移り変わりの中で、少しずつでも、良くしてゆこうと、

その、気持ちだと思います。

旧暦のサツキになります。

Satuki

Kuwa1

この季節は、クワの葉がご馳走です。

  

                  ・

  

ヲシテ文献を、何かと?  一口に言いましたら、

「本当の国学」だという事です。

『日本書紀』および『古事記』の原書なんですから、

当然の事です。

世間的にも、

まあまあ、そのうちには、少しずつは、理解が出来て来てくれることでしょう。

おとしめての安売りにだけは、わたくしは、致しません。

だって、我が国の「縄文文明」は尊いんですから、  。

おとしめてはなりません。

           ・            ・

売国奴になったら、万世のハチ(恥)もいいとこです。

子孫末裔の代々にも、たまたまの近隣の関係ないような人達にも害を及ぼしてしまいます。

   

                  ・

  

変な人たちが、

貶めの「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」をバカみたいに振り撒くから、

正当な評価が、随分と遅らせられちゃったんですね。

だから、「ねずみ男」たちの「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」は、困ったことだと、そう言ってるわけです。

こころが入れ替わって、ちゃんとしたら、協力体制も築けますがね? なかなか、難しいことでしょうね。

特に他意は御座いません。我が文明の根幹にある「縄文文明」を強く尊敬しあこがれ、畏敬しているからの、その成り行きです。

 

             ・          ・

 いくらにものことで、

だってそうでしょう?

ヲシテ文字も読めない人が、どうして? ヲシテについて語る資格があると言うのでしょうか?

2014年5月24日 (土)

もうすぐ、サツキ(旧暦5月)に、至ります。新暦の5月29日が、旧暦のサツキ(5月)の1日です。長梅雨の入りになるかも知れません。   トチの花のこと。 初代クニトコタチさんの「トのヲシヱ」の事。

今年も去年同様に、初夏は涼しい年でした。

涼しさの事を言う根拠に、クワの実の実入りが悪いです。

Kuwa

思い切って、ばっさりと剪定しておいたので、今年は、クワの実が存分に採れるかと期待してました。

ですが、

白実が多くて…、 で、そう、初夏は冷夏だったと言えると思います。

クワの事は、2代目のアマカミのクニサツチのトのミコトさんが、四方にめぐらせておられました。

Kuwa2

『ミカサフミ』は、尊いです。

深い哲理が、縦横にめぐらされています。

他に、クワの用例のことを見ておきますと。リストを全掲します。

Kuwa0

Kuwa1

ヲシテ時代の感覚での、今に応用しましたら、

今年の場合は、

新暦(西暦)の4月29日からが、ナツ(夏)に入っています。つまり、旧暦でのウツキ(4月)のついたちが、新暦(西暦)の4月29日なので、ナツ(夏)に入っていたのでした。ナツに入って、おおかた、ひと月が暮れたと言う感じでしょうか。

期待よりも、涼しかったから、初夏の成り物の、クワの実も、サクラの実も、実入りが今一つだったという事だと思います。

             ・            ・

短期的には温暖化はあっても、中・長期的には寒冷化に大きく傾いて来てるかも知れません。

大きな変化としては、ポール・シフトの地磁気の極の逆転現象が起き始めているやにも、観測がなされつつあります。

気候も、世の中も、世界の関わり合いも、刻々と大変化がなされつつあります。

あたかも、

大宇宙の誕生の際から、止めども無く、グルグルと遷り変わって来ていた、そんな成り行きにも似ていると思います。今は、地殻の大変動期に遭遇してますのも、そうですが、人類世界の範疇でも大変革時期に遭遇してます。

その大きなうねりの中でどう間違わないで、

小さなことはしょうがないとしましても、

大局観に於きましては、やっぱり間違わないようにしてゆかねばなりません。

何も、寄るべき縋(すが)るべき単純明快な教科書は、もう、これからは当てに出来るものが既存のモノには無い皆無である と、  そう思うべきかと存じますが、どうでしょうか?

要するに、漢字国字化時代以降の、その汚染物には寄るべきしっかりした根拠も哲学も美しさも見当たらない、と、言う事です。 直訳レベルからの脱却が、スパッと図れてからが、私の言わんとすることに理解が至って来てくださるのだと思いますが。

ヲシテ時代の中期の言葉の「ヰ・クラ、ム・ワタ、ヲ」を、

「五臓六腑」に直訳してご満悦の、幼稚園程度じゃ、しょうがないと思いますね。

恥ずかしいと、、そう、思わないんでしょうかね?  不思議です。

どうして? そうなのか?

そんな、バカみたいなアホな直訳だと、我が「縄文文明」に対しての貶(おとし)めもはなはだしい事だと、どうして? 気も付かないんでしょうかね? どうして、そんなに、ワケも解らずに貶め的な誹謗的言説をなすのか?

一体全体、あなたは、何人なのですか?  どの国籍の人なのですか? 心理的に、道義的に、文化・文明の経緯の伝承に関わっての歴史的な事実からについて、我が国をもっと良くして支えてゆこうとしているのですか? 不思議も、ふしぎです。変な人たちも多いことです。

不思議千万の事で御座います。

                   ・

Sakura

サクラの新芽は伸びやかに朝日に映えています。

明日を、より良くと、そう、伸びているんですね。

やはり、これ程の大変革時期に遭遇しましたのですから、

「縄文建国」の「縄文哲学」の、

「トのヲシヱ」の、その叡智に再び立脚してゆくしか、

他に、選択肢はないと考えています。

Toti

トチの花が咲いていました。

初代のクニトコタチさんの時代には、トチの実が重要な食料の一つだったと想像されます。トチモチなんかにして、近代・現代にも食されてます。

深くしっかりと、我が「縄文文明」に、再度、こうべを垂れてゆくしかないと思います。

 

 

 

                    ・

 

夏目漱石も朝鮮人に生まれてこなかったのでよかったな、と、

言っていたようです。

本当に、そうののような、夏目漱石じゃないですが、今現代の事にも、そうも思います。

結局のところは「ヲヲヤケ」が解らないんだと、さびしすぎるんですよね。

つまりは、

しかるべき、職責に応じた、それは殉じる覚悟のこと、

その事は如何に?  の、究極の選択にあるわけですね。

今の世だけに限っての、その、云々であれば、

千円札がどうしても大切なら、

船長さんもいち早く逃げ出しちゃいます。

吹けば飛ぶ、紙幣なんて、  と、

わたくしは思いますが。

後世の事を、主の柱にと、それを思うから、ここがやっぱり違うのかも知れませんですね。

走狗の奴隷のような立場では、どうしようもない訳でして、

自立的な「ロ」のヲシテの、その、

心つもりがあってこそですね。

 

 

  

 

2014年5月17日 (土)

どの時代に、どんなにひどい時代でも、「ト」と「ロ」の精神からです。    独創の解明、この、苦しみの路程のひとつの事。    藤原定家卿のお墓参りの事。冷泉貴実子先生の『花もみぢ』のこと。   九州の原発再稼働の案件に付きまして。   -追記- 批判的な対峙なのか?   わたくしたちの為しゆきて来た仕事を認めるのか?

我が国の縄文文明のキー・ストーンの、「トのヲシヱ(ヲシテ)」そして「ロのヲシテ」があります。

Sudajii  

           <スダジイ (ドングリの小さい種類です)の花と新芽です>

「トのヲシヱ(ヲシテ)」の事は、松本善之助先生が既に記しておられます。が、「トのヲシヱ」の概念を現代的に表現して「恵民立国」としての捉え方をしたのは、わたくしが初めての事でしょう。 『ホツマ縄文日本のたから』で詳しく述べました。(廃版にした前著の『ホツマ神々の物語』からを含めてです)  この捉え方の感覚は、今現在にも充分に活きてます。

Aokinomi  

           <アオキの実はとてつもなく面白い色で、

            良くよくためしすがめつ見るべきたのしさです>

さて、「ト」と「ロ」の事ですが、

ヲシテ文字の「ト」を、ひっくり返しましたら、

ヲシテ文字の「ロ」の字形になります。

Totoro1

ヒトなるミチには、「ト」(トのヲシヱ・ヲシテ)を用い、て、  その元(基)は「ロ」のテ(ヲシテ)、なんですよね。

多くの人が力を出し合って相乗効果を生むのが「ト」。

それには、

ひとりひとりが、自立していることが前提条件であることが「ロ」。

                  ・

「ト」と「ロ」のこと、

ヲシテ文字で読み書きしてなかったら、この関連性の発見は不可能ですね。

これを発見したのは、わたくしだったでしょうか?  これは、微妙なところがあります。

また、我が国の縄文文明の、もうひとつに「縄文哲学」の捉え方があります。「縄文哲学」の捉え方をしたのは、私が初めてであったと思います。これが、「独創・解明」的な理解と言えます。

つまり、

アマテルカミが、「ウツロヰのヤシロなんかひしいでしまえ」(今風に言えば、ウツロヰの神社の破却を命じられた)と、おっしゃいました。

Utuwo1

この事は、つまり、自然神を下位に見ておられたことが解る根拠です。では、上位のものは何か? 

自然神は、7代アマカミのイサナギさん、イサナミさんの時代から祭祀が始まってます。

Yamasa_2

「ヤマサ」とは、5つの自然神と、3つの護りのカミ(はたらき)です。

自然に対して、ヒトからのコントロールをしようとする試みです。

あるいは、

下々(しもじも)の者が怖れるから自然神を祭ってるような意味合いもありました。

タクミ(宮大工)が怖れるんですね。それで、「カリウツシ(仮り遷し)」をしたわけです。

Utuwo2

自然神よりももっと上位の骨格は何か?

それは、実際は、初代クニトコタチさんからの哲学的把握が根底にあるのです。

それは、現代的にどういう風に表現したらよいか?  それを悩みまして「縄文哲学」の言葉を創ったのでした。 『縄文人のこころを旅する』 で、詳しく案内してます。現代的な概念の「宗教」と言う範疇に含まれると考えると、どうも、違和感があるんですね。ヲシテ時代の中期にも遡ると、あるいはヲシテ時代の草期にまで遡ると、もっと違和感が濃厚なのです。つまり、我が国の根底の世界観は理知的であって「哲学的」把握が根幹にあるのが解ってくるのです。それで「縄文哲学」の新造語を創って提唱をし始めたわけです。これが、『縄文人のこころを旅する』の書籍です。お手に取って頂いて、2~3回お読み頂ければ、理解して戴ける様に製作いたしました。

もっともっと、更に更に深い、根幹のディープの理解に向かって、毎日、日夜励んでいます。なにしろ、アマテルカミのご叡慮についての事々であります。その、それは、辿ってゆく、エベレスト登山よりも、ある意味においては困難至極の試みの仕事ですから、極めて困難で大変です。

日夜の格闘・奮闘のこと、登山の苦労にも如(し)かず、  と、そうは思う事はしばしばです。

「コ・ホシ」の概念や、「ヨソヤ」の音韻理解と、世界の哲学的理解の更なる深奥にです。

少しづつ、もっと詳しく深くに融きほぐれて来ています。

ですが、 『縄文人のこころを旅する』 に記した内容は、今でも十分に活きています。

                    ・

 

漢字国字化時代の以前に遡って、ヲシテ時代を理解してゆきまして、それを、現代的にどう説明したら良いのか? それを、考えてゆくのが大きな流れです。

  

             ・              ・

 ひとつの、解明に向けてのやり方には、

ウタ(和歌、やまとうた)を、実際に詠(よ)んで、ヲシテ時代に身を置いてゆく事が大切かと思っています。

この意味で、おウタの勉強で、藤原定家卿は先人として尊重してます。多くの重要な書物の写本を残して下さいました功績も、何にも代えがたく讃えるべしです。老眼に苦しみながら悪筆だと嘆きつつの、ご努力の事、いたみいります。

わたくしも、ヲシテ文献の写本の修復や複本製作やスキャンして各地に保管など、定家卿に見習って仕事をしてまいりました。

今日は、そんな事を偲びつつ定家卿のお墓にお参りしてまいりました。

Teikakyou3

       <これは、厭離庵さんにあるツカ(塚)です>

Teikakyou4

       <厭離庵は、定家卿の嵯峨野のいおりの時雨亭があるところです。

        定家卿は、遊心のこと、養心のことを、

        良くよくするべしだと、言っておられたそうです。

        冷泉為人さんがおっしゃってました。おそらく「明月記」あたりの

        典拠かと思われます>

Teikakyou2

         <今は、お訪ねしても、拝観がほとんど難しいです。

          冷泉さんに連れて行ってもらったので、拝見できました。

          昔は、ここ厭離庵さんで、法要をさせてもらってのことでしたが…

          時は経て、時は流れゆきます。

          また、今は法要の参列のお方も増えたので、

          厭離庵さんには入りきれなくなっても居りますでしょうか?>

電池切れで、厭離庵さんの途中からは解像度の低いカメラだけが使えました。 すみませんです。

Teikakyou5

               <時雨亭の天井です>

Teikakyou1

           <時雨亭の月見をする縁台です。

            今日は、旧暦のウツキの19日です。

            モチから、少しだけ小さく、また美しいです>

Teikakyou12

             時雨亭のトコ(床)です。

             お抹茶を、昔、此処で戴いた事も有りました>

と、言いますのも、藤原定家卿の法要で、参拝させてもらいました。

今年の会場も二尊院さんです。

Nisonnin

            <二尊院の総門は薬医門でした。

              薬医門のことは、富士山御師の本庄家と

              ご縁が出来て初めて意識理解が深まりました>

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           <法要の後は、献歌をささげての披講です。

            献歌のお題は「鵜河(鵜飼いの河)」でした >

Teikakyou8

          <二尊院のサクラに、実が成ってました

             今年は、実入りが良くありません。

            それでも、サクラノミには何かしらホッとします>

Sakuranomi_2   

         <さくらのみ あたたまりてに

          ほのやかか ふれれはたれつ

          あめのひかりお(を)

Teikakyou6

           <定家卿のお墓の遥拝所です。

             丸い穴から、小倉山を拝してお参りします。

             厭離庵さんのすぐ下も手にあります。        

             ですが、寄る年波に、家居が混み立って、

             今年には、もう小倉山は見えなくなってました>

Teikakyou10

             <清凉寺(釈迦堂)から拝します小倉山です>

冷泉貴実子先生にお聞きしましたら、

とっても良いご本の 『花もみぢ』 のご著作が、

まだ、いっぱい残ってるそうです。

大切な写本を守る信念が、如実に解る書籍です。

是非一度、ご覧願いたいと思います。この本を読んで、初めて参加しました、と、金沢からおいでになられたお方も居られました。綺麗に着物を召されて、「皆さん、お着物かと思ってました」と。冷泉貴実子先生も、エヘっと答えられてました。

冷泉貴実子先生は、当代きっての、古今風・新古今風のおウタ詠みの名手だとご尊敬申し上げております。

わたくしたち、ヲシテ文献流からしましたら、今様にほど近いのが古今風・新古今風なんですけど、どれほど割り引いても、やっぱり尊さは格別です。

現代においての他に唯一の高貴なる風雅な詠みだと思いますです。 漢字国字化時代以降においては、です、ね。

勉強になる事が、如何に多いかと思います。

 

 

 

                   ・

 

九州の原発の再稼働での、火山噴火の場合の予測が出されてます。

Sendaigenpatu1

http://www.nsr.go.jp/activity/regulation/tekigousei/data/0095_04.pdf

九州電力の報告です。

桜島の大噴火の場合です。

この予測では、うまいこと、原発立地の川内の場所を火砕流・噴石などが避けてくれてますけど、実際はどうなんでしょうか? ホントに、川内だけ避けて通ってくれるんでしょうか? 人間側の希望通りに?

この他にも、霧島山も、大噴火の可能性があります。この際は、ほとんど遮(さえぎ)るものが無いようですから、直撃のようですね。小~中規模噴火で、下のブログ記事のような感じでした。

http://www.bo-sai.co.jp/shinmoedakehunka.html

近々の、火山活動観測は、下記アドレスに詳しいです。

http://www.tenki.jp/bousai/volcano/information-10511.html

火山灰で道路も通行止め続出になったとしても、原発の安定維持作業が本当に可能なのでしょうか?  当然に、飛行機は飛べませんしね。ヘリコプターで持って行ける冷却用燃料なんか多寡が知れてます。

偏西風に乗って、川内原発の深刻事故の際は、九州・四国・本州の大部分が居住不可能になりますね。

 

ここでも「ロ」のヲシテが、はっきりしてないと、怖ろしい限りですね。

                   ・

「トのヲシヱ」は、大きな概念ですから、この場合その場合での捉え方の角度の違いから幾つもの見え方が異なりますので、その都度の見方の角度の場合に合わせて、現代的の表現には、上手くそれなりの微妙な変化が必要です。

 

例えば、500円玉でも、

丸い方から見れば、「丸い」です。

ですが、横から見ましたら、ギザギザの薄くて細長い棒状に見えますね。

持ち重みでも、1万円札と比べたら、はるかに重い500円玉ですが、どっちか進呈しましょうと言ったら、100人中の99人は、軽い方の1万円札を選びますね。光モノが好きなカラスが見てても、猫が見てても、ヒトは変な事やってると、そう思って見てる事かも知れませんですね。

  

ちゃんと、アマテルカミのお考えで有らせられた、ヲシテ文字の概念のイメージに起因する「ト」の本来の理念に立ち返りましょう。

さらに、もっと、根源的な、初代のアマカミのクニトコタチさまの時代での「ト」の理念にと立ち返りましょう。

これが、大切な事ですね。

現代になって今まさに、もう一度「恵民立国」の理念の思い出しを為しゆかねばならないと、そうしてもらうべき事象が多く発生していると思います。我が国の、建国の当初からの本当の精神は何処(いずこ)にかある? の、再認識です。

「トのヲシヱ(ヲシテ)」を「恵民立国」としての現代理解の表現は『ホツマ縄文日本のたから』の書籍に表しました。(廃版にした前著の『ホツマ神々の物語』から記述しています。)

                  ・

 

今日、先ほど、ホトトギスの初音がやっと聞こえました。

夜中の2:40でしたです。

今年は、随分と、遅かったですね。

 

 

            ・           ・

 

解明段階・探求の先端を目指すと、

そう、振れ込んできた人には、そういう対応をします。

対等の関係を、対峙的に主張してこられましたら、それならと、一応わたくしは真面目に尊重します。

それは、

わたくしも至りませんので、教えて頂ければ有り難いからです。

                 ・

と、

そう言って、

批判を掲げて、対峙的に言ってこられる割には、

なんだか、基礎的な事項の理解もいまだしだったり…、  だと、

がっかりですね。

批判的に・対峙的に事を構えようと言うような振れ込みで、

そんなようにと、

そう言うなら、こんなことぐらいの基礎理解程度の事は、知ってて解ってて当たり前でしょ。 の感じですね。

だって、研究成果は、秘匿したり・隠匿したりせずに、書籍に刻んでせめて後世に伝達をと、無い資力を傾けて、長年に渡って一生懸命に注力し続けて来ています。

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」は、ダメでしょう! の、この事すら解らないでは、救いがたしのレベルです。

当然の事、過去の研究の歴史は、見てるのは当然ですよね。

だって、解明・探求に同列にして意見して言うのですのですものね。

研究・解明のレベルだと、

そう、

大上段に言ってこられましたら、

それは、

それなりに、尊重します。

当面のしばらくは、です。

でも、

何だか、そういう大上段の振れ込みに、しくは無し、のようでしたら、

えー? ちょっと、 と、

何年か、様子を見るという事でしょうか?

そう言う事ですね。

松本善之助先生も、「批判の事は、具体的に言って下さいと」、そう、声高に何回もおっしゃっておられましたのを、見聞きしてますですね。 間違いは正してゆきたいですが、勉強も・調査もろくすっぽしないで他人否定のためだけに言うようなこじつけの批判攻撃には、松本善之助先生もほとほとお困りになっておられました。

対等に、あるいは私のほうを見下したように批判もしていただいて、意見もびちっと言うなれば、それは、わたくしは謙虚に聞く耳を持つようにしてます。

ですが、

それなりの裏付けが果たしてあるのかどうか?

ほんとかな? 数年は、様子見になります。

    

                ・

 

でも、

教えて下さいと、そういう接触の仕方だと、

それなりに対応を致しますですね。

読むべきだと思えます書籍を、お贈りしたり。  など。

それなりには、いろいろ、無い頭を一生懸命にめぐらして、対応してます。

わたくしの至らない頭の巡る範囲ではありますけれど。

で、

難しい対応に、接するの余りに、  毛が薄くなっちゃうんですかね?

でも、

やっぱり、主力の、

あと40年ぐらいでしょうか に、

どうしても、残しときたいものは、

もっともっと、深いヲシテ時代のそれも草期から中期にかけての大きな思想遍歴なのですよね。

他にも、余りにも、やり行かねばならない事が多すぎます。

それで、ヒート・アップしちゃうんですね。わたくしの脳は。

無い能力に、すべき仕事が多過ぎのオーバー・ロードです。

今までの所、ヒート・アップ防止策がお酒だったような感じでしょうか?

きちっと仕事が運んで行くようなら、1ccのお酒も要りませんですね。

そう思いますですね。

 

 

 

 

 

 

  

2014年5月 8日 (木)

私文庫や秘蔵の文献のこと、その閲覧の許可の事など。

現代では、公的な図書館が、随分と拡充しました。

デジタル公開も進んで、隔世の感があります。

Natu

             <近くの白山神社の山です>

            ・

岡山の大坪併治先生も、石山寺に定宿を取って長期間通われたそうでした。わたくしも、若いころ、酒造蔵の私文庫に見たいものがあって閲覧申し込みをしました事がありました。 が、その酒造蔵の私文庫の公開はなかなかに慎重で「信用できる人の紹介を取ってから」とのこと。

では、「具体的に紹介者が誰だったら良いんでしょうか?」

その答えは一切なしで、「わたくし(館長・オーナーさん)の信用できる人」ですと。言う事でした。

それで、頓挫してしまいまして 、  2~3年たったら、そんなに強烈に見ておくほど出ない事が判明しました。

私文庫の閲覧には、とにかく敷居が高いです。

Hitotubatago2

               <なんじゃもんじゃ、とも、言います。

           ヒトツバタゴの樹です。

           ほのかなちょっと青くさわやかな感じの花の香りです、

           初夏のさわやかさです>

         ・         ・

あんまりにも、敷居が高すぎては、志のちゃんとした人に嫌気の冷や水をさしてしまう。   

そんな事も有りまして、わたくしに、初めてアクセスした方には出来るだけ懇切丁寧な対応を心掛けてます。

Hitotubatago1

            <ヒトツバタゴは、近くで見ると、

               細いやさしい花びらです>

              ・   

かと言って、わたくしたちはヲシテ文献の発見に拠りまして、今般に新たに「国学」を再構築しようとしてます。

オカルトがらみに貶められてはなりません。

難しいところです。

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の族も、入門時にはどうしても洗礼を負うようなことが発生します。

それで、入門時などの初心からの初期には、

しばらく様子をうかがうような事にと、成り行き上に経緯してます。

 

           ・         ・

 

研究の、本筋の進展には、 

どうしても必要な資料にはアクセスしてゆかねばなりません。

それには、

ケース・バイ・ケースでして、写本・文書をお持ちのお方の、その、おこころに適う事が重要です。

静嘉堂文庫で閲覧をする際には、自著を前もって贈呈しておきました。いろいろな心遣いが必要な事柄です。

目的は何か?  ヲシテ文献が発見されたから、ちゃんとした「国学」、つまり「ヲシテ国学」を構築してゆきましょう。 という事です。

          ・      ・     ・

どうのこうのと言いましても、

オカルト族に貶められては、最も困ることです。

オカルト族と、一視同仁にされては、

最も困ることです。

どこもかしこも、門を閉ざしてしまいます。当たり前な事です。

この、

大切なところが解って来て初めて、   です。

オカルトの人達と、一緒に見られたら、終わりですよ!

  と、  いうことですね。

          ・            ・

オカルトに

どっぷりの、そんな人も、見る聞くたびに多くて残念至極なところですが、

それは、絶対の100%忌避の対象です。

   ちょっとでもの、容認のできるものではありません。

あと、さらに、気を付けなくてはならないのが、

入門段階には、「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」にも陥ってしまうのが99%の割合であるのが現実です。 そこから抜け出て、「ヲシテ国学」にと、大目的に目覚めてもらうように導いてゆくのが、わたくしの大変な大きな仕事のひとつです。

記紀の原書ですよ!  この、大切さについて、ちゃんと理解して、真面目に取り組んでゆこう、と、の、仕事なのです。

オカルトまがいとは、全く違うのです。

そして「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の段階では、まったくの、貶め段階でしか過ぎないのです。足引っ張りの。

  

                 ・

誰が何と言って来ようとも、わたくしの、このスタンスの変わることは有り得ることが、有りようも無いです。何故ならば、松本善之助先生の壮々期の、立派な見定めの理念であるからです。松本善之助先生の、このおこころざしを受け継ぐとは、この事です。

壮々期のあと、松本善之助先生は、脳梗塞やら、大腸ガンやらで、大病をなさりましたので、壮期のおこころざしは、晩年には矛先が随分と丸くなってしまわれてたんですね。丸くなり過ぎた鉛筆では、直径1mmの点も指せなくて覆うっちゃう事になります。

わたくしも、脳梗塞にだけはならないようにと、

気を使ってます。 わたくしが、この、大切な線を崩したら「ヨイヨイ」になっちゃったとして、きちっとした志を継ぐ人が天命をもってバトンタッチして下さい。 ひとつの遺言です。

2014年5月 4日 (日)

『カラス なぜ遊ぶ』杉田昭栄さん。カラスの事は、ヲシテ文献に多くの用例があります。  追記、キリ(桐)の花見の事。「タノシ、カナシ」の書軸の事。

「カラス」のこと、

身近なトリですが、良く知らないでいます。

カラスには、肺が5つもあるそうです。

杉田昭栄さんが、詳しく調べて下さってます。

H25135

Karasu3

ヒトの 身体とは、随分と違います。

目もとっても良い作りで、近くも、遠くも、自由自在な構造だそうです。

わたくしなどは、小学一年生からメガネのお世話になってまして、もうかれこれ50年ですが、カラスは尊敬に値する目を持ってますね。

それで、また、かなり長寿なトリだそうです。

                ・

と言いますのも、

ヲシテ文献に、「カラス」のこと、用例が多くあって、

まだ解けない文脈の幾つかが、いつも、心に引っ掛かってますので、「カラス」本をその辺に置いといて、暇を見てはちらっと読み返したりしてます。

「カラス」の用例を掲げます。

Karasu1

Karasu2

ホ8-67の用例も難しいです。

                  ・

「カラスなぜ鳴くの?」 の「七つの子」の意味は、

野口雨情のお孫さんの野口不二子さんが、言っておられたそうです。

野口雨情の、職探しに出る際に、息子さんの7歳の雅夫さんを強く抱きしめたことがあり、この気持ちを込めた歌だったとの事でした。『カラス なぜ遊ぶ』のP65に詳しいです。

 

            ・            ・  

トリの事と言いましたら、もうすぐ、ホトトギスが来るかと、

こころ待ちにしてます。

いっつも、夜中の2時か3時頃に初鳴きしてますね。

今年はどうでしょうか? 

それにしても、ヲシテ文献にホトトギスが記載無いのは不思議です。ウクイスも記載無しです。不思議な事は多いですね。 

ホトトギスと言えば、

『源氏物語』の絵鏡に、その姿が描かれていたのを思い出しました。

筒井ゆみ子さん『墨場必須 源氏物語 -紫式部がつづる美しい日本-』(天来書院)に、おウタの主要なピックアップがあって、便利です。平安時代の雰囲気が如実にわかってきます。

H25137

『源氏物語』は、長いので、

ピックアップのモノも、それはそれで有効ですね。

ヲシテでも、同じことは言えるような事になるのでしょうね。将来的に。今の喫緊のテーマは、もっと奥深いとこまでの解明・究明でしょうね。

                  ・

さて、表具屋さんから、出来たとの知らせで、受け取りに行ってきました。

指定してたキレ(布)が幅が取れなくって、それで、有職文様の菱文などのような雰囲気のものでと、頼んでおきました。もう、何年もお付き合いがありますので、今回も勉強して下さって、手に入る妥当な金額の程度のキレを選んで下さいました。

Tanosikanasi

来年の春に、生業が定年になるので、記念して女房の大阪・寝屋川の実家で展覧会をしようと、その用意です。

「タのシ・カなシ」の春と秋のその意味からきてる言葉だったという発見は、たしか昨年の事でした。今も、女房としゃべってたのですが、この「たのし・かなし」がキツサネの「た」と「か」だったと気が付いたのは。ホントに近々のことだったのです。

それで、記念して書軸にしました。風袋付きの本表装に、キバリました。

丸表装に比べたら、やっぱりいいですね。

 

                 ・ 

 

津観音では、キリの花の花盛りでした。

Kiri4

香りがいいんですね。キリは。

女房もウタを詠みました。

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此処まで詠めれば、直し無しです。

わたくしは、

H25139

と思って見ましたら、

津観音も、アマテルカミゆかりの事も有るんだそうです。

Tukannnonn2

天橋立でもそうでしたが、文殊堂はアマテルカミゆかりなんですよね。

早い時期に、仏教臭に取り込められちゃった事例は多く有ったのでは?

これも、ひとつ、重要な解明テーマです。

Tukannnonn

キリの香りに、ひらった落ち花に、車の中で楽しんでます。

Kiri5_2

根っこからの、キリの芽吹きの芽は、美しいものでした。

Kiri3

Kiri2

キリの香りに笑顔になりますね。

わたくしは、良い写真になりませんでした。寝不足でしたかね? ホトトギスのせいかも知れません。

              ・

        カキの原種の樹がアオハ(青葉)です。

    今年は、良い実が付くでしょうか?

Kaki

ウ(卯)の花が美しいです。

Unohana

ナツ(夏) の到来です。

Natu1

ドングリの樫などの堅果類の新芽が、花かと見まがいます。

Natu2

うつくしいものです。

ありがたきものです。

楽しいものです。

もう、季節は初夏ですね。「トホカミヱヒタメ」でのトシノリでは、「メ」の季節です。

わたくしも、半袖なんかを、出してきました。初夏は気持ちいですね。

初代クニトコタチさんの時代の制定の「トシノリ」ですから、「メ」は芽吹きの芽の「メ」の意味をも込められてあったのかも知れません。冷たさの棒が最後の一本まで、地面の下にもぐっちゃった意味に合わせてです。

Tosinori

           

                     ・

海上保安庁の計測データがあります。

ご参考に、なさって下さい。

http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KANKYO/OSEN/housha/ho2012.pdf

 

 

2014年5月 1日 (木)

「ト」と「ロ」の事。 漫画の「トトロ」じゃありませんが。

毛のいささか少なくなった頭に日が直接に当たるとボーっとして寝ちゃいますから、日よけに、南の背中の窓に「トトロ」の吊り下げカーテンをしてます。だいぶ前から、そんな年頃になっちゃいました。

Huti

                      <自生種のフジ(藤)は、香りもいいですね>                           

日除けを下げるのは、パソコンの画面が見えにくいのを改善するためでもあります。「トトロ」の牧歌的な雰囲気は、ホッとします。別に深い意味は、ありませんですが、偶然に、「ト」と「ロ」、と言う、ヲシテ時代中期のビッグ・ワードに一致なーんですね。不思議な事ですね。 「トトロ」は、この場合、ヲシテ文字の意味合いで「ト」と「ロ」を考えて下さると幸いです。

Totoro

それを言って来たのは、

数日前に来宅した、フリーのライターの若い女性の人でした。「トトロ」好きなんですか? と。

Tori

              <トリ達が語らってるようです>

その、人は

ヲシテを初めて知って、衝撃を受けたそうでした。私の書籍を1冊ぐらいは、予備勉強をしてきたようですが、あまりにも、深淵な広大なヲシテ文献の世界には、大海原で一人ぽっち状態のようでした。

『何がどう有って欲しいのでしょうか?

あなたの、希望は?』

そう訊かれまして、それは、即答に、

わたくしの高校生の時からのテーマですから、0秒の即答ですね。

            ・

『初めっから決まってまして、

ヲシテでの国立の研究所の設立。

ヲシテでの大学の設立。

それで、教員の養成。

それにともなって、国家の根幹からの立て直し。

初等・中等教育にのヲシテの組み入れ。

そう言ったところです。

それが「国学」としての立ち位置です』

そのように答えました。

わたくしは、高校2年生の時にヲシテに出会って、その目標のためにずーっと尽力して来て、これからもそうなんですね。

昨年には、103歳の生々(いくいく)たる岡山の平安時代語をやっておられる大坪併治先生に、ご長寿の秘訣も伝授してもらってきました。それなら、わたくしも、あと、40年は有りそうに思います。

Syokanokamo

              <池のカモは、水草がまだ初夏でもこれからでした>

                

本筋が、こう、きちっとの事に考えましての「ヲシテ国学」です。

何故ならば、当たり前の事です。記紀の原書なのですから。

これが解らなくって、は、どうしましょうか?

一番重要な事ですよ。

記紀の原書の発見・研究の事実において、どう対応しますか?

その、問いなわけですね。

まじめに、記紀の原書なら、国家の根底の礎からの見直しが必要だ。

そう考えるのは、あまりにも、当たり前な事でしょう。

この道筋に外れてたような、そんな人が寄って来たら、どうしても避けてゆかざるを得ませんです。100%の困りものは「オカルト」チャンです。これは絶対に忌避です。当然の成り行きです。

違いが、解んないのは、ちょっと、根底の考え方からの違いがあったという事ですね。他意はありませんです。

                ・

「ヲシテ国学」とは、

いうなれば江戸時代に興った「国学」のさらに、

もっと、さらにの、

バージョンアップの、記紀の原書に拠るヲシテ文献での「ヲシテ国学」樹立なのです。そこの立ち位置が解ってないと、どうにもならないのですね。

Yamasakura1

            <やまさくらの盛りです。

              10日もしたら、

              もう、

              初夏の装いになります。

              大きな、装いの変化です。

              ちょっとのことで、

              びっくりするほどの、進展・変化が現れるのも

              とっても面白いことですね>

Sakura

          ・            ・

もっとも、忌避すべきの対象が「オカルト」連盟です。いわずもがなですね。説明は、もちろんのこと不要ですね。

Takenoaki

             <この季節、タケのアキ、とも、言います>

次いでの問題のグルーピングは「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」のレベルです。入門の当初に、おおよそ、すべての人がおちります。初心の内には、どうしても、すべての人がくぐる門です、ね。抜け出るのには、相当の努力を必要とします。それはそうです、私たちの、いつも使ってる言葉は江戸時代以降の言葉が中心ですからね。

奈良朝以前、もっと前の漢字が国字化にされちゃう以前にも遡ろうとする、大きな敷居を超えて、大変な事です。 そこを、脱皮してこそ、やっと「ヲシテ国学」なのです。

思えば、『万葉集』に取り組んだ契沖さんも同様の苦労をなさったことですね。われわれは、もっと大変なんですけど。

                 ・

しかし、

何十年と、倦(う)まなくまじめに真摯に延々とあくなき努力を絶え間なく続けてきてましたら、

やっと、

真面目な人が、続々と、い出(で)て来てくださいつつあります。

決して無駄な努力でなかったと、やっと、ホッとしてますところです。

Katatumuri

ですが、

簡単には行きませんです。

まだまだ、やっておくことは、多いです。おおよそ9割方の大仕事の残ってますような今現状の状態です。

H25134

わたくしは、あと40年ほどしか有りませんから、それに備えての、最適有効のより良い仕事を残しておきたいと思ってます。向後においては、あとは、それぞれ、ちゃんと解ってこられた皆様が、「ト」と「ロ」、の精神に基づいて、自立的に仕事を進めて言って貰いたいです。

何よりも、「ト」の実現には、「ロ」の自立の事が有ってこそです。

「トトロ」の日除けは、気持ちをホッとさせてくれるばかりか、重要な概念の「ト」と「ロ」にも、偶然に通じるのも不思議で、何と言いましょうか、表現もむつかしいです。世の中は、そもそものところが、世界の発生の初めからにも同様に不思議な事ばかりです。それが、おもしろくも、楽しい事です、ね。  だから、汲めども尽きない面白さと楽しさなんでしょうね。

Sinanoki

                <信州では昔からシナのキが、

                  今現代での税金に相当するような、

                  材木の拠出の代名詞でした。

                  それで、シナのキです、シナノのクニです。

                  ヨーロッパでは、いわゆる菩提樹です。

                  写真はセイヨウシナノキ、つまり菩提樹です。

                  もうすぐ咲いてくるほのかな黄色の花がきれいです。  

                  シューベルトの歌もその事を言ってるわけです、かね?

                  若芽の新芽など、気持ちを和らげるハーブ・ティーにも、

                  好まれてます。初夏のホント気持ちいい事です。

                  もう、旧暦ではウツキ(4月)に入りまして、

                  ウのハナも、早いのは咲き始めてます>          

自立的に、能動的に、ヲシテについてちゃんと解って来た人は自信をもって前に進んでいって欲しいです。それで、進めてゆくうえで、困った事、あるいは何か、私に添えの事が出来るようなことがあれば、要請してもらうと言ったことがよろしいかと思います。それは、とにかく「ヲシテ国学」の前途には、やってゆくべき事々が山積していて手一杯であるからの事情によりますです。

 

 

 

 

 

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