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2013年12月27日 (金)

渡辺惣樹さん『日本開国』のこと。  「God」の訳語の事。      鳥居礼クンの亜流の人は、「五臓六腑」に直訳でOKと思ってる事。それこそが「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」そのものです。 この誤訳で、せっかくの真書が、偽書になっちゃうのです。だから、そんなおとしめされちゃ困る! と、言ってるのです。

「God」の訳語の事について考えますと、

ヲシテ文献の文章を、ペタッと現代漢字文への直訳の語弊がどう発生するか? のメカニズムが良く解ります。

ちょっと読んで面白い渡辺惣樹さんの『日本開国』を、ご紹介します。

Nihonnkaikoku1

渡辺惣樹さんは、アメリカ合衆国で生活していて、西海岸に砲台がずらりと並んでいるのを見て、ハタッと気が付いたのだそうです。つまり、当時の明治・大正・昭和初期のころのアメリカ合衆国では、我が国に対して非常に恐れをなしていたということを、です。

それから、いろいろ調べるうちに、多くの発見をなさったのです。

私たちは、何を大切にして、ゆくべきか?  

               ・

ここで一つ、

直訳についての問題が説明してありました。

Nihonnkaikoku2

異国の概念の言葉の「God(Deos)」を、我が国において適切に理解するにはどういう言葉が近いのか?

1549年(天文18年、戦国)のころ、ザビエルと日本人の「あんじろう」は、「God(Deos)」の訳語に「大日」を当てました。でも、「大日」では、仏教臭が強いので、ちょっと違うのかな? と、ザビエルは気が付くのでした。 訳語の問題についての試行錯誤が始まります。

時代が下って、1815年(文化12年、幕末)に、ロバート・モリソンは漢語訳の「聖書」を発行します。その際にも、「God(Deos)」をどう訳すか? モリソンもまだまだ悩んで、幾つもの案を検討してます。

Nihonnkaikoku3

くわしくは、『日本開国』(渡辺惣樹、草思社)をご覧下さい。

アメリカ合衆国の領土拡張の歴史や、ハワイの併合に関しての成り行きなど、いろいろ、参考になります。

                  ・

今、現代の日本語で、

「God」をどう訳すか?

本当の所、難しいはずなんですが、

それが、

逆の事で、

本来の「カミ」の我が国の言葉の概念が、大きく変容してしまって来て、

特に、明治の初期と敗戦後の変化が大きいのです。

あるいは、現代語の「神」をもって、 「God」に直訳語だと、

そのように思い込んでる人も多いものです。

              ・           ・

すなわち、

明治の初期に『古事記』を中心にした「皇国史観」が作られて、

「天御中主神」と、「God」との近接的な概念の寄り添いが起きました。

  (それはそのはずで、既に、8世紀ごろにはキリスト教の景教が我が国に入ってきていて、その影響下に『古事記』が作られたのですから。近い概念のはずは当たり前でした。だから、本来の「日本精神」とは、大きな異質性を持ってるのが『古事記』です。その、ちゃんとした翻訳前の原書のヲシテ文献が発見され・研究も此処まで進んだから、だから、『古事記』の世界観からは離れましょう! と、わたくしは、主張しています。)

その後に、敗戦後に特にです、

キリスト教の広まりが一般化するにつれて、

「神」の語と、「God」の概念がさらに近づいて来ました。

クリスマスなんて、キリスト教の人達だけのものだと思いますがね。

でも、

戦国時代にさかのぼってもそうですが、

「God」と、「神」の概念の違いは大きいものです。

「あんじろう」の「大日」訳は、結構いい線言ってると思います。

それ程の違いです。

さらに、

漢字国字化時代のまえの、ヲシテ時代にまでさかのぼると、

「God」と、

Kami1

の、カタカナで記しますと「カミ」ですが、

この、ふたつには大きな違いがあるのです。

ヲシテ文献での「カミ」の用例は、

その多くが祖先の偉人を指します。

また、後世で言う「国司」などの役職を指す「カミ」の言葉も多いです。

こういった意味で、「神」に当てると大誤訳になります。

さらに、

創世神としての「アメミヲヤ」についてを、「God」に直訳当て付けも大間違いです。なぜならば、「アメミヲヤ」は人格性が希薄でヒト(人類)のすべてを守るからです。 「God」には、人格性が濃厚です。ですから「God」の気に入らないと、人間なんて殲滅させられてしまうのです。

この意味で、「God」と、 我が国の漢字以前の「アメミヲヤ」とはイコールでは決して結べないのです。

大きな違いがあるのにペタッと当て付けするのでOKと思うのは、ザビエルに協力した「あんじろう」よりも、深い意味が解ってないという事です。

ひどい、ぺったと直訳の当て付けなど、枚挙に余りあることです。地方紙のコミュニティ・ペイパー(新聞)の人が来てましたが、直訳偽書の「秀真伝」との違いも判らないようでした。しょうがない、という事の事々でした。

本当に、我が国の尊さの事は、

詳しくは、拙著『縄文人のこころを旅する』(展望社)に述べてあります。さいわいに、今、増刷が出来上がってきたところです。今、アマゾンへも送りましたところです。(H25年12月27日の発送)  一両日中には、定価での供給が再開出来ます。

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Tabisuru                 

       <中古の本で、 定価より50%ほども高値に成っちゃってました>

                ・

つまり、

漢字以前の時代、本来の我が国の伝統に遡ると、

それは平安頃に成立してきた「神道」の以前に遡ってのことです、

そうしますと、

天地自然の恵みに対する感謝、それと、

祖先への感謝、先人の偉人への感謝が、主体のお祭りです。

これが、我が国の漢字以前のヲシテ時代の中期に、アマテルカミの頃にも遡る本当の伝統です。

「アメミヲヤ」は、常に守ってくれてるので、別段・特に祭祀する必要がないのです。キリスト教を信仰するのとは、大きく違うわけです。殲滅されては怖いので、それで、熱心に信仰するのですからね。たしかに拝みも大切な場合もあります。

ですが、我が国の伝統の事、漢字国字化時代以前のヲシテ時代においては、

その、祭祀の理念や方法など、キリスト者などからも、あれこれあれこれ言われるべき筋合いのものでは決して有り得ませんですね。

我が国の漢字国字化時代以前は、

つまるところ、の根幹の祭祀が、

天地自然への感謝と、祖先への感謝ですからね。

人格神としての無色透明の「アメミヲヤ」ですから、信仰するのもヘンなのです。

ちょっと考えて見て下さい、あなたの父母に、信仰しますか? たまには、申し訳なかったと贖罪の意味の手を合わせることはあっても、

本当の意味での、手を合わせるは、亡くなってしまってからの事ですよね。

「あー、 あの時、こうやってれば良かった!」 と。

誰しも、ひとつやふたつ、思い当たる事があるかと思います。

ヲシテ時代での「カミ」の言葉は、

祖先・先人たち・社会的なリーダーたち、の言葉が多くを占めています。

「アメミヲヤ」に関する用例は極めて少ないです。自然神の「カミ」の用例も少ないです。

要は、今現在の生活的感覚とあまり変わらないわけでして、

しもじもは、どうしても、怖いので、見えないものに恐れます。

ですが、

ちゃんと、理化学の探求の成果を勉強してる人たちは、今も・昔も、暗雲には捉えられてません。

西洋史的な把握の中世的な、世界には、そこは、距離を置きましょう!

と、

それは、アマテルカミのおこころと軌を一にしていると思います。

Awanouyamahi

ヲシテ時代の中期には、お正月のハツヒ(元旦)は、「アワのうやまひ」をするのでした。この用例の「アワ」は天地の恵みに感謝する意味ですね。

あるいは、モチ(満月、15日か・16日)にも「アワのうやまひ」をしたのかも知れませんね。

なお、平成26年の旧暦の元旦は、1月の31日になります。

H26gantan_2

            ・

アマテルカミの頃の、その、本来の伝統に遡及しよう、 と、

かねてから、

わたくしは主張しています。

  

せっかくの事に、奇跡的の事に、『古事記』『日本書紀』の本当の原書が発見され、ここまで、研究も進んできたのですよ!   少なくとも、もう、完全消去のように消されてしまう事もありませんですね。ここは、まあ納得のできるところです。もっと、先々に繋げてまいりましょう。国家を直し、我が民族の良さをさらに増して、世界にもさらに根幹からの貢献をしてゆくのが、こんなに素晴らしい祖先の文明を持ったわたくしたちの使命だと考えています。決して武力侵略などでは、有り得ませんですね「トのヲシヱ」なのです。相対しての総合的な幸せをコンポジットするのが「トのヲシヱ」の真実なのですからね。

此処の所の意味合いを「和の精神」と表現しても、この今風の事ですが、ちょっとそぐわないような感じに、と、私は思いつつあります。

「トのヲシヱ(トのヲシテ)」の精神を、やっぱり、今風にもうちょっと工夫して表現して、 これは! 良いな!  と、 はやらせたいですね。  これこそが、「ヲシテ国学」に初めてわかった、本来の「日本精神の神髄」であると。

  

  

何か良い、スパッとした、

表現できる言葉が、  あるまいか  と、  ? 

 

                    ・

  

なかなかに、良い理解に至ってきてくださった、千葉のある人に、

返事のメールを出しました。

掲載します。

Arumeru

「ねずみ男」のこと、詳細は、こちら。 代表選手は鳥居礼くんですね。その亜流の人なんかは、まだ「ヰ・クラ、ム・ワタ」と、「五臓六腑」の違いも解っちゃないのです!   ビックリですね!

「ヰ・クラ」は、目に見えないものの世界での事柄でなくっちゃ、17アヤは解けませんよ。

Yasukarasu

    

 

 

2013年12月23日 (月)

国民の幸せの事。 天皇陛下の尊さ。我が国柄のこと。  「いかに」・「いかん」の「か」とは、疑問の助詞の「か」であるべし。   「時代の旅人」のこと。

Kanamemoti

ご宝寿の御80歳のご傘寿に、

歩まれられておいででした、年月の映像をテレビで拝見させて戴いてました。

国民の幸せを思い、さらに、世界の平和を願ってのこと。

に、あらせられておいでの事。

ヲシテ時代の草期や中期のからの伝統のままに、

ずーっと、何千年も変わらない事を、

やはり感動を持って拝察させていただいておりました。

      <上の写真は、カナメモチの実です。自生種です。

       扇の要だからとの説もありますが、少々根拠は弱そうな、です。

       しっかりしたカナメとは、実は本当の所はモノ(物質)では無くて、

       精神であったり、目に見えないものであるべきだと思います>

 

            ・           ・

    

ヲシテ文献の研究から、ヲシテ国学の樹立を進めてますが、

長い長い路のりです。これをマトモな筋道に持ってゆくには、実に真面目に、急がば回れのことわざの通りに徹する事だと思います。

この意味で、Bebeさんの真面目な進め方はとっても良いと思います。

つまりの所、

ヲシテの文字も、ヲシテ文献の原文も読めない人を、いくらたくさん集めても、しょうがない訳でして、真面目に古典に向き合うには礼儀と言うものがあると思います。アマテルカミのお心に、ちゃんと、そぐわないとダメだと思いますのですね。 何故ならば、アマテルカミは、漢字なんて見たことも聞いたこともない時代のお方様です。時代がずっと違います。それで、漢字のフィルターを掛けたらおかしくなってしまうのが当然の帰着です。

アマテルカミのおこころを、そこに理解を至るとするには、ヲシテ文献の原字で原文をスラスラが、当たり前の事だと思います。幾らなんでも、この、ヲシテ文献に対しての原字・原文主義は、これを崩すことは出来かねます。アマテルカミのおこころを、少しでも知るわたくしとしての判断です。

要は、本当にまじめに我が文明の根源のルーツの光り輝やきについて、求めようとするのか?  の、  その心構えの事ですね。

やっとのことで、千何百年ぶりに、2000年近くもの以前のちゃんとした文献が発見されて、研究もこれほどに此処まで進んできているのに、 どうして? 放棄してしまって、よいものか? の事です。 他国の国籍の人などあぶない人たちが盛んにあれこれやってきますが、そうはゆきませんですね。もはや千年先にもちゃんとしたものを残すべきだと、わたくしはこの仕事をやり遂げます、もう、おおよその所の基礎の固めは終えています。

 

そして、さらに地道に研究を通してわかったことは、書籍などの時代を経るべき手段にゆだねて残してゆきます。

本当は、今に生きてる人々にお解かり下さることこそとは、そうは願ってはおりますが、難しい事情もありますので、後世に託すための手段が書籍です。

             ・        ・

 

Kuromame

      <旧11月の末のユミハリ(下弦)に、と、ちょっと早いですが、

       クロマメのお粥です。

       貝類はカキにしました。キクのハナがもうこれで最後になります。

       「くろまめ」の用例を下記にしめします。

       ヲシテ文字の読みはこちらにあります。http://woshite.com/code200_2.pdf

Kuromame3

               ・ 

さて、

我が国の国語の醸成期の事、つまり、ヲシテ時代の草期の頃の事ですが、

あれこれ、地道な努力を重ねてますと、いくつか発見が出てきます。

今日の明け方には、「イカン」の言葉のどういう成り立ちであったか?

の、ひとつの試案が見出せました。

Ikan1

Ikan2

「いかに」の用例個所です。

Ikani

つまり、

「いかん」の「か」とは、疑問の助詞の「か」であろう、とする考えです。

『大言海』大槻文彦さんも、この考えには、まだ至ってないようだったみたいです。

「いかん」の「か」の、疑問の助詞の「か」であろうとする考え方は、あれこれやってまして、今朝の明け方にひらめきました。

 

                    ・

 

わたくしは、ずっと何をやってるのかと、それは「時代の旅人」かな?

と、いうような事かと。

女房も、そうかも、似つかわしい表現のことかもと言ってました。

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