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2013年5月11日 (土)

「天成神道」では、筋道が、どうしても違うことの意味に付きまして。

神がかりの、そこの、距離をどう保つか?

『古事記』の問題点は、やたら、神がかりにしてしまう所です。

「因幡の白兎」がそうでありますように、

ヲシテ文献と比較して、漢字国字化時代になってから、後でくっ付けた部分は、特に神がかりが酷(ひど)くなってます。『定本ホツマツタヱ』で、一覧できますので、よく御覧下さい。

ヲシテ文献にたったのひとことも書いてない、漢字国字化時代を下ってから、もうずっと後世の付着物の「因幡の白兎」を、ゴチャゴチャに混ぜ込むことは断じていけません。

Unohana

                      <ウのハナです>

               ・

六甲山は、むかし、わたくしの中学生の時から、よく登った山でした。

売布神社や中山寺の上に広がる中山連峰も、よく、登山しました。小学生の時に描いた中山寺の絵が、なぜか、展覧会で優秀賞をもらった珍事もありました。

鉄斎の絵の所蔵で著名な清荒神清澄寺は、小学生の頃から祖母に連れられてよく行ったものでした。中学生に成りましたら、鉄斎美術館に一人でよく通いました。それで、幕末の頃のことにも、思いが至ってきました。天誅組は北摂(摂津の国の北部の地方)にも大きな流れがありました。

また、多田院の多田神社は、源満仲を祭っていて、遠く、わたくしの先祖でもあります。神社の多くが、祖先を祭ったヤシロです。

つまり、漢字以前の時代にまでさかのぼったら、大多数の場合、本来の「カミ・ヤシロ」とは、祖先のお祭りをする為のものだったのでした。

Kiri2

Kiri1

             <今年はキリのハナに手が届かなくて、落花を拾ってきましたら、

                                   とっても良い香りでした>

そのような事で、

まず、神社のことは、『延喜式(えんぎ しき)』を見て下さい。

Engisiki_2

                      <右側が『延喜式』です。

        中の「国史大系」版より、右側の臨川書店版の方は、

          「索引」が付いてるのです!  便利です!

その、神社関係の『延喜式』の「神名帳」の部分の現代調査については、『式内社調査報告(しきない しゃ ちょうさ ほうこく)』が作られていますので、これを、先ず見て下さい。「式内」とは、『延喜式』に記載されてる、1000年は歴史を辿れる根拠を持つ神社だと、そういう意味です。「延喜式の内にある」で、「式内」のヤシロ(社)と言うことです。

『式内社調査報告』は、大きな図書館ならあります。今は、便利で、図書館どうしの貸し借り制度もあります。取り寄せが、簡単に可能になってます。是非、利用して下さい。

Sikinaisya_2

神社の関係でのことですが、ゾーっとする変な拝み屋さんになるのではなくて、神社のこと、歴史を、信用できる書籍で見ておくことが、とっても重要です。私的なお祀りの程度のヤシロ(神社)であるのかどうか? そんな、私祀社(しししゃ)のそれも江戸時代にも遡れないのでしたら、古い歴史には何にも根拠無しと、いうことになります。現代の私的なお社ですね。そんなものは、ヲシテの時代に在ったわけもないです、当然除外のことです。

現代でも、ビルの屋上にお稲荷さんを勧請して小さなヤシロを作ったりしますが、そんな、私的な小さなお祀りの現代版の、そのようなものを見て、「ア! 発見した! 」 だ、なーんて、余りにもあんまりのご気楽さだと思います、ですね。ご気楽の鳥のホトトギスでさへも、それには、想定外のビックリのことで御座いますでしょうね。 いまも、盛んに窓の外で「ほとと・キキス」とやってます。初夏になって帰ってきて早々に、ホトトギスがこんなにも盛んに鳴くのははじめてです。

Timeijisyo

              <『大日本地名辞書』で江戸時代の頃での状況が

                               おおよそ判ります。

            此処に無ければ、私的なお祀りの現代版と見れます>

        ・           ・  

そんなような、違いがわからないから、「ねずみ男」の称号なんですね。

              ・

神社のそれぞれが作ってる由緒書きも、まあまあ、ですが、

手前味噌が多いのをちゃんと心得ておいて欲しいです。どうしても、やっぱりお商売さが出て来てしまいますね。

『延喜式』は時の政府が編集したものですから、それなりに、きちっとしたものです。我が国に残る漢字文献での最古の拠り所となる神社資料です。

『式内社調査報告』は、お商売的な神がかりに走ること無く、クールな視線でまとめられてます。信用出来ます。

変テコな、お商売っぽいような神がかりには、くれぐれもご注意をなさって下さいますよう、お願い申し上げます。

                ・

「天成神道」と、直訳して、お商売っぽい「宗教」にとの仕立てかたも、大いに困る図式ですね。

仏教や儒教の来る前には、

その、

漢字国字化のされてしまう前には、

我が国の縄文時代からの大文明があったわけです。それは、言わば「宗教」以前なのですね。

つまりのところは、

「宗教」というものは、仏教・儒教が渡来してから急速にその要素が濃くなったのです。

「宗教」にかぶれる以前の、本来の、うつくしい、わが大文明に!

其処に戻ってこそ、  です。

つまり、ヲシテ時代の中期にも遡るアマテルカミの時代、

そこには、「宗教」臭は極めて薄いのです。

その頃から、もっと前のクニトコタチさんの時代にもなれば、

もっと「宗教」臭は希薄です。それで、「縄文哲学」と、わたくしは呼んでます。

我が国の、本当の文明の在り処は「縄文哲学」に在った!

と、

言う事でございます。

こらからの時代、未来に向かって、

わが大文明の再構築には「縄文哲学」の根拠がどうしても必要になると思います。

                ・

漢字国字化時代以降に強く見られる、

神がかりは、それは、程度の落ちた時代の産物でしかない。

外国風の、そんな、

神がかり『古事記』教を、卒業させてゆく、と、言うことです。

ヲシテの、アマテルカミやクニトコタチさんのお心はですね。

つまり、神がかりの要素を綺麗に除染してゆく事が大切ですね。

『縄文人のこころを旅する』に、「宗教観」のことを、詳しく記述しました。

2013年5月 9日 (木)

安曇川平野の、ミヲの岳山を仰ぎつつ、ここ10年ほどを振り返ってみます。  ヲシテのインフレーションについて。

きちっと、ヲシテの原文を暗唱して、書き取りもちゃんとして、

そんな本格派が出ました! 「ヲシテ一年生」でご検索ください。ブログのプログラムが変になってしまって、この頁ではリンクが貼れなくなってしまいました。すみません。何か、変なことしちゃったようでした。

Awaumi2                           <今日の、琵琶湖です>                   ・

ついに、インフレーション(大拡張)の時代に差し掛かったのかもしれません。

安曇川平野から、岳山の入る日を仰ぎつつ、

Takesann

インフレーション(大拡張)時代の幕開けまでを省みておこうと思いました。

           ・

ヲシテの、ここ10年ほどの
この大インフレーション時期(大拡張時代)の序章の
ことを時間軸に並べてみます。

結局は、ヲシテにいかに純化し得て、で、

特異点が生じることになったのではあるまいか?  です。

       ・       ・
そのはじめの起こりは、狂牛病の問題の頃にありました。
狂牛病(BSE,牛海綿状脳症)の問題の発生で、
どうせ、わたくしは食しない牛肉関係ですが、やっぱり心配でした。
それで、
いろいろ、見てまして、
青木さんと、ふとした事から知り合いました。
2004年の頃だと思います。
何がご縁になるのか? ゆかりとは不思議なもので御座います。
食べもしない牛肉問題で知り合うなんて!
           ・
その頃に、青木さんは、
はじめは神社探訪をして、記紀の誤謬性を見つけられていました。
かかるうちに、「国学」の位置としてのヲシテに目覚められての事が御座いました。
これが、大きな事だと、わたくしは思います。
それで、東北旅行を青木さんご一家と、ご一緒しました。
東北旅行のその時に、青木さんの『記紀原書ヲシテ』は手垢で真っ黒でした、強い強い印象でした。
この頃に、青木さんは言って居られました。
「ヲシテは醸成成立の当初は立体じゃなかったか?」 と言う考え方をです。
これは、青木さんの発想でした。すごいアイデアにびっくりして、一度お会いしたいと、それでの東北旅行でした。 その後、、わたくしはのちに3Dのソフトを購入します。
ヲシテの立体型の、その、縄文時代への遡及の試みのためです。
複雑な使い方も基礎の程度は学んで「立体ヲシテ」に取組んでゆきます。
           ・ 
東北旅行の2~3年後に、安曇川旅行でご一緒しました際は、
青木さんの二冊目の『記紀原書ヲシテ』(つまり2冊2冊で、合計4冊目)が、
もう、手垢で真っ黒けのケでした。
天才は違うと実感しました。努力と集中と、またまた努力ですね。並外れてます。
私がブログを書き始めた2006年頃からは、
平岡さんや、斯波さん、ビーチェさん、合田さんなど、
すごく強力なお人がお出になられました。
此処には書き切れない、ほんとうに多くの多くのお方さまがたの、
良い良い思いの集まった精華だと思います。
それで2009年に『よみがえる日本語』に結実しました。
           ・
 
ヤマ・サクラのハナは、樹によってそれぞれ異なった風情があります。
ちょっと、ピンクで温かみのあるハナだったり。
オオシマ・サクラのように白くて爽やかだったり。
早咲きの河津サクラもありますね。
うちの庭のヤマサクラは、少し八重です。鳥がタネを運んできてくれた樹です。
「ハヤク オソキモ ココロアリ」です。

Kokoroari

ヲシテに取り組む姿勢にも、それぞれの風情の個性が在りますのが楽しいことです。
ビーチェさんは、世間に広めてゆく事に重きを置かれています。
有り難いことで、真面目な線での普及があってこそ、『よみがえる日本語』も、出版が出来たのでした。
平岡さんは、すごい集中力で「ヲシテ索引」を作って下さいました。昔の皿井さんのお作り下さいました「索引」では、こうは能率が上がらなかったです。
と言いますのは、平岡さんは「分詞表」もお作り下さいましたからでした。平岡さんの特徴は切羽詰まっての現実の問題への対応に、例えば、留学生の悩みなどです。その解決策に、ヲシテの知恵を現代にどう活かしてゆくか? を、強く考えられておられます。
斯波さんは、深い哲学にテーマを定めておられます。テーマが大きいので、じっくりと、時間を掛けてこそで、しっかりしたモノを作っていってもらえると思います。
合田さんは、見かけとは大違いで、私同様相当なイラチ(気が急くタイプ)さんのようです。同類項のわたくしとウマが合います。そして、並外れて解明力に長けておられます。
青木さんは、その天才力で言葉の大きな問題を、幾つも解いて下さいました。「分詞表」のアイデアも青木さんでした。
この、総合力の「トのヲシヱ」で、『よみがえる日本語』は出来上がったのでした。 このメンバーは、BeBeさんの道筋を大体通って来ていると思います。平岡さんは、ヲシテ速記憶ソフトも作って励んでられました。みなさん、独創的な工夫家でいらっしゃいます。

この、特異点を生むゆらぎの、この生じる元は、

『記紀原書ヲシテ』を、ちゃんと上梓したから、  と。
つまりは、 松本善之助先生のご慧眼、松本不二子さまのご協力。この、ふたつが大きな転機の引き金を引いてくれたと、
今になってみますと、そのことだと思います。 本当に、尊きことです。 Awaumi1     「ニ」を染めて あさひのわたる     アワウミの もやよりさめる     タケのみやまの

        ・      ・

そして、『よみがえる日本語』の初版が無くなってきた頃の、 
2012年に『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の新発見が起きました。
この、ど外れた、濃厚な内容の深い「アヤ」は、よくぞ今に残って下さいましたと、
こころから、感謝のこと、で、他には何も言う言葉も見つかりません。
「アイフヘモヲスシ」の「ネコヱのミチ」の真相がやっと、この新発見の写本で、
テキスト(原・文献)として、解ったのでした。
永久保存の事を強く意識して、緊急出版をすべきだとの、その意味が強くて、
一応の解説書は上梓しましたが、
さらにくわしい縄文・弥生時代への時代への没入しての遡及・解明の方は、
まだまだ、これからの事で御座います。
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』のテキストの出現は、
ヲシテの40年来の現代研究の、一からの見直しにも相当する程の、
大きなインパクトがあります。それほどに、大きな新発見であると思います。
           ・
『ミカサフミ ワカウタのアヤ』に秘められた理念を、
わが血肉に還元収容して解きほぐしてゆこうと、さらに、研鑽を積んでいってと、
そうこうしているうちに、
こうして、BeBeさんなど、ちゃんとヲシテの暗唱からきちっと始められた、
お方もお出になられました。他のみなさまも、大いに良い影響を受けておられるようです。
ヲシテの原文の読み書きが、やっぱり、礎の根底ですから。
本当に、うるわしい限りで御座います。

Kiri                           <今年は、キリの開花が遅いようですが、楽しそうにやってますね>

       ・        ・

おおよそ、

松本善之助先生の現代発見から、現代研究は始まりました。

記紀の原書であると、ヲシテ文献の位置関係を見定めになられた、

大きな功績をお立てになられました。

そこから、ヲシテを純化してゆく内に、

ヲシテは本物なるゆえに、

特異点の発生になってきたように、考えられます。

大宇宙生成時の際には、特異点の発生の後は、大インフレーションが、

起きたわけでした。

ヲシテの場合は、さてさて、どう成りゆくのでありましょうか?

2013年5月 7日 (火)

『深く伝える技術』伊藤真さん、サンマーク出版

またまた、

とっても良い本に出会いました。

Photo

どうしても、見ておいてもらったらと、

それこそとっても良いと思いました。

「ニ」「こころ」の働きの、その、現代での実状のやり方だと思います。

説明は、

野暮なように思います。

            ・

「学問のすすめ」の意味もあります。

文章表現のやり方の事も在ります。

2013年5月 6日 (月)

「まとか」の語彙のことに付きまして。「ヲシテ書」の事に付きまして。

いつも、いつも、意気込んでのことですが、この言葉の真意がやっと解った!

    (いつも、試みの試案程度の「解った!!」 ですけれど)

と、意気込んで(ダメ解釈も、この方がよっぽど多くも在ります、が)

それでの、こころの勢いで「ヲシテの書」にしています。

時代と共に、その理解は、ちょっとずつですが、

時間を積み重ねてゆくことで、数撃ちゃ当たるでもないですが、

そのような事で、試行錯誤の多さにおいて、徐々に深まっていると思います。

                 ・

さて、「まとか」の言葉を「ヲシテ書」にして欲しいと、依頼がありました。

さて、どう考えるか?

「まとか」の言葉は、語彙の形成の成り行きからして、わたくしは、理解が充分には至っておりません。 とにかくも、語彙用例の検索と調査にと、コトは始まります。

「まとか」の語は、結構に思いの外に難解な言葉です。

          ・            ・

ヲシテ文献には3例と、参考個所の1例の、合わせて4例を見てもらう必要が在ります。

なぜならば、「ヲシテ書」をしたためるに当っても、原典の典拠を見とかないと、書きようにも、どうしようにもないからですね。会津八一さんの書き方は、押入れ障子を開けたら、書き潰しが、溢れて落っこちて来そうだったと言います。それは、わたしからすれば行き当たりばったりの、書き書きの書ですね。

会津八一さんがなぜ押し入れを開けて見せたかは、揮毫の代金が高いと文句を言われたからであったそうでした。会津八一さんとしても、こんだけ費用をいっぱい掛けて一生懸命にやってて、それで、値切ってくるとは不可解だ! と、押し入れを開けて見せたそうでした。

わたくしの目指すところは、会津八一さんとは異なっています。そもそもが金銭のことではありません。 ヲシテ文献の発見を得て、記紀の原書の発見と研究こそが国家のためであり、縄文建国の再理解に拠っての、本当の「国学」の樹立がなりゆくのだと、認識しています。国の未来のためのことをやっています。ですので、金銭のことなんかは、とうの昔に、浮世離れしてます。

普通に考えたら、適当ーもいいとこですね。

「ヲシテ書」に関して言えば、次のさらなるヲシテ時代の大文明の真実の新発見のよすがにでも、少しは役立つならば嬉しい、と言う事です。

                  ・

「ヲシテ書」の意味合いとしては、

わたくしは、このような感じに理解したらどうだろうか? と、言うような、いわば、理解過程の達成表現の書であるような、その表現のための、「ヲシテ書」です。

綺麗さとか、美しさに拘(こだわ)ったりの会津八一さんとはかなりに違う遣り方なのですね。

よくよく考えて、これでどうだと、 やっと、ここ迄解った! その理解達成を示して自分でも納得するための「ヲシテ書」です。 

一般的なるところの、これこそが、綺麗だとか、と、それを主張したいがための「ヲシテ書」では、わたくしのものは、どっちかと言いましたら、そうではないです。ヲシテ時代の真実をもがき苦しみながら遡及してのあとに、何とか仄かな光を見出して、これで少しは解ったと、どうだ! と、言う事で、決して、綺麗さを押し付けようとしての意味では有りませんです。

と、このような、ヲシテの解明の苦しみもがきのさまの時間の瞬間を記録して表現したい。

それでなくては、わたくしとしてのヲシテ時代遡及の仕事に打ち込む姿勢の値打ちも有りませんからね。

                 ・

さてさて、「まとか」の言葉でした。とにかくも用例を掲げましょう。

Matoka1

上は、丸い意味の「まとか」です。

Matoka2

大宇宙出現の当初のサマを表す「マトカ」です。

むつかしいですね。

                 ・

Matoka3

「ウツホ」の要素(アの母音形)を表現しての「マトカ」の言葉です。

Matoka4

「トシウチニナスコトのアヤ」の同季節の個所です。

いろいろ考えまするに、「まとか」の言葉はなかなかに難題です。

はたして「ヲシテ書」にするほどの、そんな理解に至るのであるか?  ですね。

               ・

ウタ(ワカ・和歌)のお題詠みは、ここ20年来の取り組みで、

少しは慣れて来ましたが、

「ヲシテ書」のほうは、

解釈の新発見があってこそ、良いモノになるようです。

2013年5月 5日 (日)

『フトマニ』の本文は128首のわか(和歌)です。   円形表示ではありません。円形表示は「モトアケ」と称した方が良いようです。  最古の写本の「モトアケ(フトマニの図)」のこと。ヲシテ文字の「フ」と「ス」の特殊形状のこと。 円状表現のその起こった時代は?

「モトアケ(俗にフトマニの図、と、言う)」の円状の表現図は、ヲシテ文献のうちのひとつの、 『フトマニ』の書籍の始めの所に記載されています。

Hutomani

こんなに貴重な、アマテルカミのご編纂書籍でありますから、写本を見たこともない人に、話をする資格があるのかどうか? とも、いささか思いますですね。

上に掲げた図は、最古の写本からのスキャン画像です。(野々村立蔵写本、幕末~明治)

そもそも『フトマニ』の書籍としての本文は128首もあるワカ(和歌、やまとうた)なのですよ!

128首のウタ(和歌)を、ちゃんと、読んでから初めて『フトマニ』について語る資格が出来てきます。当然の話ですよね。当たり前も当たり前の事ですよね。本文を読みもしないでどうなの?  ですから、 ね。

円形図形は、ヲシテ時代の中期に遡れるのかどうか?  不確かなものです。でも、128首の『フトマニ』の本文のワカ(和歌)は、アマテルカミのおんお手ずからにかかわるとっても大切なご編集の宝物だと認識できます。

『フトマニ』写本は、本当にとっても、貴重です。アマテルカミのおこころを詳しくおそそぎになられたる貴重なご編集にかかわる書物なのですから!  ね。  小笠原長武写本(明治40年写本)と、野々村立蔵写本(江戸時代末期)があります。

「フトマニ(モトアケ)」円状の表記は、

序文と、本文の128のウタの間にあります。

でも、  この円状の表現が、本当に、ヲシテ時代からあったのか?

それが、ずーっと長い間、気になってました。

         < 上掲げた円形の図は、ヲシテ文献内での用例から「モトアケ」と、

        呼ぶにふさわしいと判明します。(俗には「フトマニの図」とも呼ばれています)

        『フトマニ』の最古の写本、野々村立蔵本からの「モトアケ」。

        原典の写真活字本の『校註ミカサフミ・フトマニ』の版起こしで、

        写本した時代の若い小笠原長武本を、底本(基本写本)とした意味理由は、

        小笠原長武写本の方が、ヲシテ文字形に充分に手馴れていること、でした。

        それは雲泥の差にあったからです。

        それで、小笠原長武本の画像を主に一般流布にしました

上に掲げましたのは、野々村立蔵本からです。『フトマニ』の書籍の本文は128首のワカ(31音ウタ)です。 ネットや何かでちょろちょろ説明できる範囲から、大きく逸脱してる、巨大さが『フトマニ』に、ベースの世界観を伴って実在してます。 詳しくは 『新訂ミカサフミ・フトマニ』 を ご覧下さいと言うほかありませんですね。歴史に深く刻もうと、解ったことは書籍にして刻み付けてます。

さて、円形表現においての、その遡及についての事々で、

どうして、疑問か?

この事ですが、「ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ」の、

「フ」と「ス」の母音形が三角よりも逆ハート形に丸くなっています。

他の、ヲシテ文献の5・7調で1万行以上にも及ぶ本文の文章の例では、「ウ母音」の三角がこのように丸く作られている例は有りません。

この「ウ母音」の逆ハート型形状をどう理解するか?

決定的な解決案がないまま、今に至っているわけです。

ヲシテ文字に不慣れな人は、とんでもない形状に写すことは、昨年末に富士山の御師の旧家で発見した『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の写本の文字でも、そうでした。写真版も付けましたので一度ご覧願いたいですね。

              ・

ひとつの解決案としては、この、円状の表現は伝承時代になってからの付加物であるとの推考案、が出て来ます。

もうひとつは、見えない世界だから「フ」「ス」は逆ハート形にふわっとするイメージで作られた、とする説。ですが、それなら、ヲシテ文献の文章中の「フ」「ス」も逆ハート形であるならスッキリ理解ができます。でも、文章中の「フ」も「ス」も、普通の形状の三角に作られています。つまり、円状に作ったこの表だけが、どうにも異質性を拭えないということが残るわけです。

Aihuhe

よくよく考えましたら、「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の位置は、この円状表現の通りに理解できる根拠がヲシテ文献の文章中に在ります。しかし、「ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ」も「ミソフ・カミ」も、この円状表現にある位置にすべき典拠はヲシテ文献に有りません。ホントに? ヲシテ時代からの円状表現であったのか?  大いに疑問なのですね。江戸時代ごろでの、ぺたっと貼り付けの解釈では? あるまいか、も、  です。

ヲシテ時代の中期にも遡る時代からの深い理解だったら、文章中の「アイフヘモヲスシ」にも、その逆ハート型の母音音韻形状がしっかりと残されて記されていてこそ、当然にしかるべしだと思うのです。

「ハナ・ヲシ」の例もありました。はじめの端の意味の「ハナ・ヲシ」の序文の意味での「ハナ・ヲシテ(始めに添える・文章)」を、ぺたっと貼り付けやっちゃって後世の「花押」くっ付けの事例もありました。よくよく考えねばなりません。

Hanawosi   

         ・           ・

そういうことで、「モトアケ(フトマニの図)」の「フ」「ス」の逆ハート型形状には、疑問符が付いてきているわけです。大体が、あんな丸い図なんて、どうも、江戸時代っぽいようにも感じられるのは、私だけでしょうか?

もとからの、ヲシテ時代ではどうであったのか?

その遡及的な求めをずーっとしてきています。

なぜならば、秘されての、か細い伝承経路の、ホントに消え入る寸前で、奇跡的にやっとのことでの残ってくださった写本たちですから、ね。あれこれ大きな紆余曲折が有ってしかるべしです。昨年の暮に発見された『ミカサフミ ワカウタのアヤ』も、写本の表紙には『神代和字』と記載がありました。この題名だけ見たら、変な写本! と、見られてしまいます。  それで、あれこれ、誤字や虫食いもそうですが、本当のヲシテ時代に戻れてこそが本当の本意であると、今の我々は遡及的な復元をキチッと目指してゆきたいものだと念願しています。本当の本物の「国学」を打ち立ててゆくための本物の道筋です。

それには、ヲシテ文献の全体像を把握してからの、巨視的な視点がどうしても必要だと思います。

もちろんのこと、直訳程度のレベルでは、なんともお話しにもなりません。江戸時代の頃の「言霊・教」直訳では、ちょっと違うんじゃない?  と、 もう、多くのお人が気付いてくださいます時代にとなりました。

近代・現代の神がかりでも、変ですものね、

アマテルカミなど、漢字国字化時代以前の、

そんなとっても古い我が国の根底に関わる、そんな話に於いて、漢語の意味をどうかかわるってのことで考えるのかは、大きな間違いだと思います。

我が国の本来の「やまと ことは」の原意に基づいて考えをつみかさねてゆかないと、マトモだとは思えません。

ちゃんと判るなら、今回発見の『ミカサフミ ワカウタのアヤ』でも、神示や霊視で示してもらってればこそですが、そんな事では一切においてまったくなくて、たまたまの偶然の成り行きでの発見でした。それで、わたくしは、神がかりは信じませんですね。 解明の作業にだって、地道な長年の研究の積み重ねが100%でして、神がかりは全くの処に於いて寄与などしてませんですね。

どうあっても「縄文哲学」じゃないと、真実・真相に行き着いたわけには参りませんね。やっぱりね。本当の我が国のエッセンスなる「縄文哲学」に、行き着くためには?   …ですね。

その先にある総合解釈だけでも、やっぱり、届かないのです。ヲシテ時代の文明力が余りにも大きいからですね。ヲシテ時代の真相の真実を理解してゆくにはですね。ヲシテ時代への腰を据えたガシッとした遡及の集中した地道な努力こそ、 なのです。つまりのところが、円状表現の「モトアケ」の図は、江戸時代の頃の付加物ではあるまいか? と、斟酌してゆく力、学力のそのものです。

昨年末に新発見の『ミカサフミ ワカウタのアヤ』は、ヲシテ時代の中期の頃を彷彿とさせてくれます。時代遡及への、大きな手掛かりです。此処にも、「アイフヘモヲスシ」の季節や方角との関係つけるような概念は有りませんでした。まだまだです。本格的なヲシテ時代への遡及の仕事は、取っ掛かりの段階です。わが大文明のこと、いかに大きいか! ということだと思います。その、現代への再現には、伝承時代での付着物を綺麗に取り除いてゆく作業が、丹念な努力において必要なのです。

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