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2013年11月20日 (水)

語彙分析の事。

何を悩んでやってるのか? 日夜。

理解を得るのは難しいことです。

今、取り組んでますのが、「カミ」の言葉の詳しい語意変化の事です。

漢字の「神」の本来は見えない働きを言いますので、実体性の濃厚な意味の言葉に「神」を当てると誤訳になります。後世の「国司」に相当する「クニカミ」の「カミ」は、いわば「ツカサ(長官、知事)」のようなものなので、「神」の漢字には当てたらおかしいです。また、アマカミ(神武以前の時代での天皇陛下)の「カミ」もそうですし、崩御なさった後に祖先の偉人についても同様にて、実体のある人物のこと、「神」の漢字に当て付けはそぐわしいものではありません。

漢字国字化されてより、飛鳥・奈良朝ごろに漢訳された文章に大きな誤訳がなされたわけでして、それを、正そうというのが、本当の国学への立学の本志です。つまり、「 ヲシテ 国学 」です。

でも、ヲシテ文献に見る「カミ」の言葉に既に多くの意味合いが歴史的進展とともに内在してます。その詳しいことを縦て横こ(経て・緯こ)の糸に分けて精査してゆかねばなりません。

ズッーット、難しいことにトライし続けています。

2日ほど考え悩んでましたのが、「ヱトカミ」の語でした。

Yetokami

「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」の「ト」と「ヱ」の事を言う用例ですが、実体ある先祖の偉人ととるか? 宇宙の中心から天空を伝っての目に見えない働きを言うのか?

そこには、「なつらえて(なそらえ、準え)」の事があるので難しいのです。

Nasorae

2代アマカミのクニサツチさんは実体のある、アマカミ(神武以前の天皇陛下)です。「ヱ」のミコトの後を受け継いで、弟の「ト」のミコトがアマカミに即位なさいます。そのあとも、「ヱ」と「ト」の子孫が代わる代わるに世を継ぎアマカミに即位なさいました。

この2代目クニサツチさんの「ヱ」と「ト」のミコトでしたら、実体あるアマカミとして認識すべきです。ですから漢字の「神」の語に当て付けは誤訳になります。

Syusinden51

ところが、「なつらえて(なそらえ、準え)」のことで、ナカクタ(天の川、ミルキークィーン、銀河)と季節変化の象徴として昔から「ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ」を例えてあるのです。この意味での「ト」と「ヱ」は見えない働きの事を指しますから漢字の「神」に当て付けしても大きな違和感はありません。が、働き方の意味合いが漢訳の「神」じゃ抜けちゃうので、やっぱりまずいことは間違いないです。

ヲシテ文献にある同じ「カミ」の言葉でも、意味合いが大きく違っているものが混然としてます。それを、詳しく分類してゆこうとしてます。そうすると、思想発展の筋道もわかります。

「なつらえて(なそらえ、準え)」の用例は、以下の通りです。

Naturae2

Nasorae2

「なつらえ」が4例、「なそらえ」が2例です。

 

             ・          ・

 

Yetokami_2

『ミカサ フミ』のこの「ヱトのカミ」の左端の958は用例のリスト番号です。ヲシテ文献中に「カミ」の言葉は優に1000例を超えてます。他にも周辺語の「シモ」や「ウエ」「シタ」、「モト」「スエ」なんかも調べて考えてます。そう言うことで、日夜あれこれあれこれやってます。

地道な考究から少しづつ真実の光は出てくるものなのですね。

                  ・

今こんな感じです。

パソコンがあって、本当にさまさまです。

Kami7

我が国の、国史を、

どう立て直してゆくか?

の、  その事ですから、

長い長い道のりであることだと思います。 すでにして、漢字国字化時代のその実行されてしまった、この以降でも、さらに本当に長い年月を経て来っております。

長ーい話ですね。  ホントに。

  

       ・      〇      ・

  

ですので、大文明たる我が国は、

相当の試練にも、

未来耐え抜いての事だと思います。

其処に、幾ばくかの力を添え得れば、  ですね。

小さきところの、最小限にはです。

2013年11月17日 (日)

新興宗教じゃなくて、「縄文哲学」ですと説明してます。  思想的な格闘家の事。

興味を持たれた方から、「新興宗教じゃありませんよね」と、

よく聞かれます。

とんでもないことで、ヲシテ時代の盛んな時代の中期の、

アマテルカミのご活躍の頃は、特に哲学なのですね。

宗教じゃなくて哲学を!  なのです。

アマテルカミは、

合理的にどうやってゆくか。 宗教をどうやって凌駕できるか?  に、とことんご苦心をなさっておられたのでした。

Sizennsinnnitaisite

              <『縄文人のこころを旅する』からの引用です>

それは、もっと古くに遡って見てみますと、初代のクニトコタチさんの我が国の建国の当初からの伝統でした。考古学の時代区分で言うと縄文時代の前期の頃です。

だから、我が国はすごいんです!

だからなんです。 

最も大切なポイントが、本当に、この一点、

  此処なのです。哲学にあったのです。文明の根拠が!

「あ・い・う・え・お」の母音が5要素だったでしょう?

      実に「縄文哲学」のそのものです。オカルトじゃないのです。原理なんです!

わたくしは、其処の大光量の文明に光を求めています。

ですから、つまるところは、「脱・宗教」がわたくしのスタンスです。クニトコタチさんやアマテルカミに傾倒しているからです、 ね。

中日文化センターでの連続講義の最終回には、宗教と哲学のその考え方についての論究になります。『縄文人のこころを旅する』に、記して訴えようとしましたのは、実に宗教ではなくて哲学なのですよ、これからの世界に最も必要なのは。

と、言うメッセージです。

いま世界を見ても、ますます、この感慨に思う事しきりだと、そのようには思われませんでしょうか? 世界各地の混乱のはなはだしい事、どうやって落ち着かせ得るのか? キーは、我が国の「縄文哲学」にこそ、これしか有り得ないと、わたくしは、さらに更に思います。

現代人に解りやすい言葉として「縄文哲学」を唱えだしましたのが『縄文人のこころを旅する』の書籍からだったか? とも思います。

ヲシテ時代の草期から中期にかけての精神的な感覚は、現代人に解りやすく説明する言葉として「縄文哲学」がフィットするようなと、考案しましたのです。

ヲシテ文献の発見・研究に伴って生じる多くの新概念を、どう表現していったら良いものか? それで、新造語を創作してます。現代的な新造語には、いやいやながらも漢字は使い勝手が良いです。便利ですね。いわば、あばたも笑窪(えくぼ)の事でしょうかね。本心では「やまと ことは」での新造語を創作してゆきたいのですが、  ね。 情報の受け手との関係もありますので、難しいところです。千年以上も漢字を国字として使ってきていた歴史があります。千年来にもわたる歴史は長いです。

日本人にはそう言うことで「縄文哲学」の提唱で良いと思います。

周辺諸国など民度の比較的に低い場合は、宗教なども必要かも知れませんですね。

 

  

ヲシテに目覚めての事で、

『よみがえる日本語』 でも、突拍子もないほどの多くの新造語を創作しました。国語の縄文時代への遡及も、とっても大切な仕事です。

国語を直してゆくにはまだまだ100倍のそれ以上のやるべきことが残ってます。次代に託せざるを得ないのでしょうか?

 

                    ・

 

本式のヲシテ時代への遡及・考究は、

まだまだ、

哲学の巨人のアマテルカミのおこころに、もっともっと肉薄すべく、さらにさらに日夜格闘をしてます。まだまだ、アマテルカミのおこころの幾分にかは達して理解し得たとは思いますが、まだまだです。 もっともっと、やらねばならないと、一生懸命やってます。この意味で、わたくしは、思想的な格闘家と、そのようなところでしょうか。

とっても奥深いので、アマテルカミのお心の事です。本当に難しいです。

2013年11月14日 (木)

お火焚きのこと。 お花のこと『仙伝抄』。 ヌルテ(白膠木)の事、厩戸皇子(聖徳太子)についての不思議のこと。  ショウロのこと。

急に寒くなりました。

あれこれ忙しいこともあり、今年はうちのニワ(庭)でヌルテ(白膠木)を焚(た)きました。去年に切って乾かしてました。

Kanatuki1

ヌルテは、勢い良く燃えてのパチパチです。

一緒に燃やしたクワの枝とは、大違いでした。ヌルテは違います。

油分を多く蓄えてるのがヌルテですね。それで、ニスになる膠(にかわ)の意味の白膠木(しろ にかわ、素のにかわ)と漢字が当てられてのこと、「やまと ことは」では木材保護のニス(ヌルデ ウルシ)を塗る意味の「ヌリ テ」の名前ですね。

「ヌル テ」を焚く意味は、ヒトの身体の保護にと、

そういう意義になるのでしょうか?

焚いた炎の香りが身体に残ってます。

Nurute

寒くなってきた、カナツキ(カンナ、旧暦10月)に、

ヌルテを焚いて「モチヰ(しとぎモチ)」を施して、寒さ除(よ)けの病い払いをしたのがオホナムチだったのでした。

Kanatuki

  その伝統を受け継いでか、今、現在に京都では、新暦(西暦)11月に入ったら、京都盆地のあちこちでお火焚きがおこなわれています。

近々では、お粥の振る舞いの事が多いです。

http://www.e-kyoto.net/saiji2/610

Kanatuki2

ニワでの事で、うちもお粥にしました。 味付けは、シオ(塩)のひとつまみです。

温まりました。

「カミアリ」の用例を掲げます。

Kamiari

           ・      ・

サクラのモミチ(紅葉)も映えてきました。季節は、フユ(冬)です ね。

Sakuramomiti

               ・                  

トクサのボンボンが、揺れると胞子をたくさん振り撒きます。曲げられても曲がっても、トクサは、お元気ちゃんです。 

Kaki

      ツキのコも 強くおよびて

      トクサ穂の タネはけむりと

      カンナ ソヒ(11)のカ(日)

カキの自生種でしょうか? 甘くて美味しいです。直径は4cmほど。

              ・

それが、20年来毎日通ってる道の脇にあったのに、自生種のカキらしきを、なんと、今年になって初めて発見しました。モミチ(紅葉)の出具合も極めて繊細で複雑でうつくしいです。  花器は女房の作です。

気が付かないこととは、こんな事なのですね。 そんな事なのです。

Kaki3

               ・

ヲシテ文献研究では、

毎日毎日あれこれとなく、新しい考え方など発見の夜に昼にです。

           ・          ・

お火焚きで気になりました。

ヌルテの事で、思い出して気になりますのが、厩戸皇子(うまやどのみこ、聖徳太子)のヌルデ(白膠木)の話です。秋7月(西暦での9月ごろ)ですから、真っ赤な紅葉にはまだ至ってない頃です。

動乱の時代、崇峻天皇さんの即位前紀『日本書紀』の岩波版から引用します。

Nurute2

厩戸皇子のヌルテの事、何の意味だか?  まだ良く解らないでいます。

       ・       ・       ・

解らない事だらけです。

         

ビワのハナは、別物にて香り良くって、よく咲いてます。

Biwa2_2

ビワのハナの香りは、本当に良い匂いです。ハナ(鼻)もすうっとするような。

今抱えてる難問が、ちょっと、通ったような、

これが、ヨシ(OK)なら、スキッとするところです。

検証にまだまだ費やさねばなりません。

                 ・

タケのアオ ハ(青葉)の群がりが美しいです。Takemura

                  ・

お花のこと、

『群書類従』に『仙伝抄』が収録されてます。正編の19輯です。

序破急の事など、参考になります。お時間のある時など、ご覧下さい。

Sendenshou1

Sendenshou2

              ・           ・

ひょっとして、ショウロがあるかも?

で、

海岸を散策しました。

Syouro1

さわやかです。

Shouro2

完全防備で、ショウロ探索でした。

珍品は、そうは、容易く見つかる筈もありませんですね。

楽しみは来春の3月ごろか、 と    。

2013年11月 5日 (火)

ホツマやヲシテ文献の常識の事。 どう説明したら良いか?  「あ・か・は・な・ま」の順の事。「国学」の始まりの事。佐々井祐清(ささい すけきよ)さんのお偉いのこの事。  陰陽道についての事。

先日、「あ・か・は・な・ま」の48音図の音列の順番の事を、

『バラバラだ』と、言って聞かれました。

どう説明して良いものか?

Sakuramomoti

                 <サクラのモミチ(紅葉)です>

取り敢えずは、ヲシテ文献研究での最新の考え方を説明しました。

現代的のおかしげな現状の「あ・か・さ・た・な」の順序は新しくて平安時代頃ですよ、と、いう事。 これも、説明しました。詳しいことも、もっともっと初心者レベルのやさしくて手取り足取りの説明が必要かもしれません。それは、教育者にゆだねるべきかと思います。わたくしのような開拓・解明者は、どうしても、普及家には距離があるようです。

とは言え、解ったことは残すように努力してます。

ヲシテ時代の解明の最先端の真実は、最新刊の『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ』に詳しいです。

昨年の暮れに発見の『ミカサフミ ワカウタのアヤ』の紹介・解説の緊急出版書です。

Yosoyakoe

昔の事を思いますと、子音にも、母音にも、理解・解釈は随分と進みました。

格段のこと、ビックリ進歩です。 自画自賛的には格段の進展だと思います。

さて、

深いヲシテ時代の深奥に、迫ることも大切ですが、

漢字文献類との、接続の事も、

やや、諸事情もありますから、考慮しなくてはなりません。

Biwa

              <ビワの初咲きです>

「五十音図」のこと、『国語学辞典』から掲げます。

Gojyuuonnzu1

Gojyuuonnzu2

それら、漢字国字化時代のもっと前の、

ヲシテ時代の事を、そこの時代にまで、さかのぼってわたくしは解明をしています。ですから、「五十音図」の「あ・か・さ・た・な」の音韻の順番は、平安時代ごろからのものですねと、説明しときました。最古のモノが寛弘年間(西暦1004~1012)ごろ、安倍晴明の没した頃です。外来思想にまみれた時代です。

安倍晴明の著作とも仮託されたような『簠簋内伝(ほきないでん)』は、「群書類従」の続編の31輯上にあります。一度、お読み下さい。オカルト的に発展させたもので、詳しい題名には、「三国相伝」の事が冠されています。すなわち、三国ブレンドです、インド・China・我が国です。詳しい書名は、『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでん おんみょうかんかつ ほきないでん きんうぎょくとしゅう)』とも内題に記されています。仏教臭がプンプンで、何とも…、 

 ですね。

Hokinaiden1

Hokinaiden2

これは、室町時代頃じゃないかとも言われるような、あやしげ成立です。

仮託の作でしょうね。

こに比べて、

賀茂在方『暦林問答集』は、信頼性が強いです。

「群書類従」正編の28輯に所収されてます。

応永の甲午は、応永21年で、西暦1414年です。

Kamoarikata1

Kamoarikata2

暦の方の、天文の分野の方に、脱線しましたが、

陰陽道のこと、根本は我が国にありまして、

それが、仏教的にまぶされてオカルト的になっちゃったのです。

賀茂在方『暦林問答集』が、漢字文献の中では信頼できます。

安倍晴明の著作とも仮託されたような『簠簋内伝(ほきないでん)』は怪しいです。で、最近のオカルト的陰陽道も、その、同類項の線上にあります。ためしに読んでみて、「ゲーッ」となる感覚を味わってみて下さい。

Nuhatama

               <ヌハタマのカラスアフキの実です>

                 ・

漢字文献類は、いわば、しょうがないレベルですから、どう説明しようにも、困ります。

とは言え、煙は残ってるものです。

そんな、レベルの事はさて置きたいものですね。翻訳前の原書が見つかったのですからね。

           ・           ・  

大きな断続にしての接続のこと、説明も必要ですね。

「五十音図」より、

ヲシテ時代の「ヨソヤ・コヱ(48音韻)」の方が、より古代の我が国の伝統の根幹に近いと、そう解ってくる人も、少しずつは出てきてます。すなわち、「アワウタ(アワのウタ)」が典拠になります。

Yosoya1

Yosoya2

それには、ヲシテ文字が読み書き出来て、ヲシテ時代の文章がスラスラ読めるのが、最低条件にはなりますでしょうね。古典に向かう、当たり前の矜持です。

この事、別段に、わたくしが無茶を言ってるとは思えません、ですよね。

我が国の、大切な本当の意味での古典です。

Mikan_2

           <カク(日本固有種のミカン)が来ました。

            カクわしいです。ツクハ(筑波山)のミです。

            とっても、今年は尚更カクわしく香り立ちます>

            ・          ・  

定家仮名遣いのことは、見といて欲しいですね。

仮名遣いの事、平安時代にはもうゴチャゴチャだったのですね。

その、事実を、見据えないといけないと思います。藤原定家さんですら、困って困って、苦しんでいたのでした。ヲシテ文献が隠されてしまっていたからですね。

Teikakanatukai

『仮名遣研究史』(木枝増一、賛精社、昭和8年)から、掲げました。

今でも、冷泉家のお歌には、定家流仮名遣いにてのお詠み歌も寄せられます。一つの時代性の刻印だと思います。それほど、仮名遣いも混乱のはざまに翻弄されて溺れようともしつつあるのが、悲しいことでした。

そこに、

佐々井祐清(ささい すけきよ)さんが登場します。

彼は、どう見ても天才だと思います。著書の『仮名遣拾芥抄』は、2冊だけが現存してます。

東は「静嘉堂文庫」、西は「神宮文庫」です。

両方わたくしは拝見しました。紹介するには、江戸時代の仮名文字は読み難いので、活版書を、掲げます。

やっぱり、『仮名遣研究史』(木枝増一、賛精社、昭和8年)からがそぐわしいです。

Sasakisukekiyo 

佐々井祐清さん『仮名遣拾芥抄』は、宝永3年(1706)、富士山の宝永山噴火や、浅間山の噴火の年の出版でした。

今と、時代風景が重なります。富士山の噴火は、まだ先のようですけども。

                  ・

佐々井祐清さんはとってもとってもお偉いと思います。

初めてですものね、動詞活用があると、発見の事です。

此処の他には、佐々井祐清さんの他には、だーれも辿れません。すなわち、佐々井祐清さんの大発見と見て良いわけです。

ビックリするほどの、近々の事で、

たかだか、今から、僅かやっと307年前の事でした。

国語方面における本当の「国学」樹立の端緒にして創始だと思います。此処がです!

でも、縄文時代の前期の頃の大昔もおお昔しっから、動詞の活用は国語の基礎に据えられてあった、この偉大さをして、本当はこっちにこそ驚嘆すべきだと思います。クニトコタチさんへの大尊敬を思います。

            ・             ・

さらに、ここに今現在に至って、

ヲシテ文献が記紀の原書だと、この事実が解って、

今に、

わたくしたちが、この大きな根拠を据え見て、

ここから何を発見し!

後世に残すことが出来るのか?

そのことを思います。

                    ・  

佐々井祐清さんは発見者としての端緒ですから偉いと、わたくしは思っての、その事で御座います。「国学」の黎明的開拓者です。

契沖(1640~1701)も出て、『万葉集』に取り組みます。原字原文の『万葉集』は、とっても読み難いですからね。ここから、本格的な国学の国語学的考究が始まったわけでした。端緒を開き得たのは佐々井祐清さんにあったと、そう、わたくしは理解してます。

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