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2013年8月27日 (火)

太平洋戦争に至った、真原因は?  『古事記』にあったと考えられます。上手な文章は、余計に始末が悪いですね。

大悲劇だったと思います。

原爆投下まで招いてのことでした。

それでも、玉音放送の録音盤を奪おうとする暴動もあったほどです。

NHKアナウンサーが死守しましたですね。

何処か? おかしいと思われませんでしょうか?

天皇陛下のご聖断があって、まだ、なお玉音放送の阻止を迫るのですよ。

Asakao

            <秋の花、アサカオは、

             奈良時代頃の外国渡来の植物です。

             はじめは薬用で、観賞用になってゆきました。

             クス(葛)の葉の上にのさばってます>

                ・

この経過には、根底に我が国の歴史の捉え方に間違いが在った、

つまり『古事記』的歴史観が最も悪さをしたと、私は分析します。

          ・           ・

明治期からの少年少女向けの歴史神話物語は、広く一般に読まれました。

でも、よく見たら、オカシイ事だらけの物語です。

唯一マシなのは弟橘媛・宮簀媛の物語ぐらいでしたが、

それも、東征に至る原因の明らかになってもいず、

弟橘媛は海の上の畳をひいてから入水するなど。

止めようと思えば制止できるのに、傍観してますね。

やっぱり、弟橘媛物語もよく見たらおかしいのでした。

                ・

もっともの、問題点は、神武天皇が東征に向かった理由です。

「東に良い所があるから攻め取ろう」だったのでした。

それは、

韓半島、および、大陸に土足で踏み込んで良しとする、

根幹の路線間違いのそのものだったのです。

言語も違って、価値観や歴史も大きく違うのに、

土足で踏みにじって上手くゆくわけがありません。

元寇も失敗したし。秀吉の侵攻も失敗でしたね。歴史を学ばなければなりません。

勝海舟は、優れた人だと思います。良識派でしたですね。偉いと思います。

               ・

思い誤りの、

土足で他国を踏みつけようとする、その、

最もの間違いは、『古事記』的感覚だったのです。

誤訳前のヲシテ文献は、ヤマトウチ(東征)に至る充分な理由が記録されてます。だからこそ、わが国は大文明国なのです。 そこには、「ヤマトウチ」を支持する世論の高まりもあったのです。

本当に『古事記』はけしからんと、わたくしは思いますですね。クニの大切なところ、文明の根幹にかかわる重要点を削除したのですから。

記紀を基にして、特に『古事記』を基にして、上手な文章で物語にしたものは、オブラート包みが上手になっただけで、余計に始末が悪いです。誤訳『古事記』の毒素を、心肝の中心部分にまで届けちゃうのです。そして、毒が回ってきても、自覚症状すら感じなくしてしまうのです。

           ・         ・

記紀に漢字誤訳される前の、本来のヲシテ文献の世界から考えたらどうだったでしょうか?

Kusu

                <クス(葛)のハナが良い香りで咲き始めました。

                 ほの甘いやさしいかおりです。 

                 ヲシテ文献にも出典があります。

                 アマテルカミのお足のヘビの噛み傷を治したのが、

                 クスだったようです。(ホ28-98(7466))>

若しや、

 ヲシテ文献的歴史観を以ってしていればどう考えたか?

ですが、

それは、

勝海舟の考えたように、協調路線でやっていったことになりますでしょう

現在に至っては嫌中・嫌韓もあります。双方に問題があって、もちろん、あちらが度を越してるとは思います。 とはいえ、まずは、我々にも問題が無いわけではありません。文明力がこちらのほうが高いので、自照反省のこと、

よくよく考えて、直すべきを直したいと思います。それは、暴力肯定の『古事記』的歴史観の除染です。

誤訳の記紀歴史観から、我が国本来のヲシテ文献に立ち返る事しか、直してゆくすべはあり得ません。

2013年8月24日 (土)

ヲシテの原初の成立は立体理解でのこと。発見の経緯のこと。  福岡伸一さん『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書1891)

ヲシテの原初は立体理解でのこと。

かく有る理解は、DNAの二重らせん構造の発見に匹敵の事だと思います。

青木純雄さんのアイデアに、わたくしがハタっと気が付いた、と、

そのような成り行きかと思います。

          ・            ・

微妙な最先端の発見の右往左往のはざまは、福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』に詳しく解ります。

DNAらせん構造の一番乗りは1000行にも満たない論文だったそうです。そこに至るには、大ドラマがあったのです。

H25031

詳しくは、福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を御覧下さい。ドラマチックそのものです! 発見の間(はざま)、発明のはざまは!  です。  面白くもありますが、感慨深くもあります。 つまり、真剣な矜持をきちっと持たねばならないと思いましたです。

長寿のコウモリの遺伝子研究も、DNA研究の後を継承してのことです。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2963131/11226203

              ・           ・

それはと云いますのも、

ヲシテ文字の、母音・子音の意味合いをずっと考えていて、

わたくしは悩みに悩んでました。従来からの平面的理解では、どうにも解けゆかないのでした。

その悩みが、わたくしに「プリペアード・マインド」の充分な準備だったわけです。

有る時、たまたま出現した青木純雄さんが言ったのでした。

「頭のなかで、ヲシテをグルグル回してます」

その言葉を聞いて、わたくしは、ハッと気が付きました。

ヲシテは、その、醸成されゆく源流には立体のイメージであってこそだ!

と、  です。

それで、

青木さん一家を東北旅行に誘いました。

勿論、旧・小田郡の黄金山神社です。私にとっては20年ぶり程の再参拝です。

此処がひとつのポイントで、金華山を良しとするのはダメだ! と解ること。

金華山は江戸時代以降の繁華であって、本来のヲシテ時代でのモノは旧・小田郡の黄金山神社であるのです。どちら派なのか? ここで、ふたつに別れます、真面目に取り組んでゆくのか? お商売に泥(なず)んでゆくのか?

やっぱり、青木さんは旧・小田郡派に付きましたですね。ひとつの踏み絵的な感覚も、今にして思えばあるかもと思うようになりました。当時はそんな感覚は少しもなかったです。わたくしは真実追求がイノチですから。

ヲシテ文献を原字・原文で真面目に読んでましたら、いかに我が国の文明が尊くすごいことなのか。 これが解ってきます。それで、Chinaなど他国との比較をしたら、我が国の漢字渡来以前の本来の文明を再顕彰すべきだと、こころざしが立つわけです。ここからの話です、  何事もですね。

どうしても、どう考えても、金華山派はおかしいと思います。

ですから、金華山はおかしくて江戸以降でしょう!  と、主張するのが当然と思います。

ひとつの、踏み絵なのでしょうね。 此処が越せなかったら、どうしようもないと思いますですね。

                 ・

ですので、本当は、旧・小田郡の黄金山神社ですね。

砂金掬(すく)いをしました。10粒ほど砂金を掬えました。焼き物に付着させたらピンク色に発色できる、と、そう、思ってましたが、具体性が無いまま、まだ使ってなくて置いています。

Kokaneyama

           <左は砂金生成母岩、日高見神社付近で拾いました。

             文鎮にしてます。

             右が、砂金です。

             砂金掬いの体験施設で得たものです。

             豪州だかカナダだかの砂金を入れて

             砂金掬いの体験をさせてくれてるのでした>

Bunntin

             <左が黄金山神社、右が琵琶湖の岳山です>

もう8年も前の事になります。

つまり、ヲシテの醸成されゆく源流は立体であったとの、この発見は、青木さんとわたくしの二人合作での発見と、言うと良いかと思います。

                   ・

それから、3Dソフト(3dsMax、オートデスク社製)を高価でしたが購入して、基礎操作方法も何日も受講して「立体ヲシテ」のこと、つまり、ヲシテの醸成されゆく源流を、考究していきました。

この事から、子音と母音の意味合いへの理解は随分と進みました。

 

              ・         ・

 

「ネイチャー」紙の役割のものが、ヲシテ研究にも必要かもしれません。

それは「ヲシテ学会」の会報のようなものでしょうが、

それに至るには、

基礎的学力を備えた人たちがそこそこのボリュームで出現してもらってからの事になります。

まだ、世間的には、直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」と、まともなヲシテ国学との違いに理解の至る人は稀有なことです。

年月は、まだまだ掛かりそうですが、やってゆかねばなりませんですね。

思いを託せるようなWebでのことはBebeさんがよろしいようです。

ただし、後世の神憑りの「日月神示」と同列扱いはダメですね。

卒業できるかどうか?

  

漢字の悪癖の除染を志してからのこと。『古事記』除染をどうするか?  松本先生の「手紙」の書き方のご教示のこと。

ヲシテ文献を原文で読んでますと、

現代に使ってる漢字の言葉に直接当てはめたら、

マズいと、気が付いてくるはずです。

Bebeさんの記事にも「タミ」の「民」直接当ては気味悪い旨があります。

http://woshite-1nensei.doorblog.jp/archives/26746500.html

わたくしも「タミ」には「国民」とかなどの現代語を昔から振ってます。

「民」じゃ、気持ち悪いからです。

ヲシテ原文は読みにくいですが、それは、しょっぱなだけです。

慣れたら、それほど大変でもありません。

アマテルカミのお使いだったヲシテ文字が読めないで、どうしますか?

この手抜きだけは、ダメです。

                 ・

誰かに「ホツマ」など、話を聞きたいと思ったら、

1,ヲシテ文字がちゃんと読み書き出来るのか? (特殊ヲシテ文字の認識有るか?)

2,記紀との違いが解ってて、『古事記』除染の事に志を持ってるのか? (『日本書紀』など他の漢字文献も含めての大除染)

このふたつぐらいを基準に、選定して下さい。

何と言っても、誤訳の記紀で作った歴史は、直さねばならないからです。

最も重要な、ヲシテ文献での「キモ」の最重要点ですからね。

それが、

何十年もやってても、まだヲシテ文字も書けない人も多いのです。

トホホ、です。

 

           ・            ・

 

手紙の書き方なんかも、

松本善之助先生は厳しかったです。

他人に物を頼むのに「前略」での書き始めは、絶対あり得ませんですね。

疑われます、常識を。

随分の後輩とか、自分の子供にだったら「前略」でも良いかも知れませんが、

それでも、頼み事で「前略」は失礼だと思います。

松本善之助先生は、

「拝啓」ぐらいはちゃんと書け! と厳しかったです。

添え言葉に、「御机下」や「御侍史」などや、「拝」や「再拝」などなど、

頼み事するには、礼を持ってなさねばならない、と、教えて下さってました。

吉田松陰は、誰にでもちゃんと礼節を以って接して居られました。ヒト(人)への尊重・尊敬の思いですね。 子供にも「さん」付けで接して居られた、と聞き及んでます。偉い人は偉いと思います。

  

松本先生の、

当時はワープロでして、ワープロ手紙は頼み事にはダメだよ!

とも、おっしゃって居られましたですね。

そんな常識なくて、松本善之助先生が師匠です、とは、

聞いてて耳が変になっちゃいます。

 

 

                   ・

なお、

「拝啓」  「敬具」 はよいとして、

「御机下」は、つまらない手紙なので、机の下にでもお置きください。

の意味です。

「御侍史」は、秘書さんにと、言う意味で、補佐する人が居られる様な重要なお方に出す場合などです。直接差し上げるのも恐れ多いので、秘書さんに、 の意味です。

2013年8月22日 (木)

ヲシテ国学の萌え出つる時期。  煮干しの特上品 「伊吹いりこ」の香わしさ。「ヤマニ酢」のこと。  「ハス」の意味。

昨日は、アフミのモチ(旧暦7月、初秋の満月)でしたので、

ハスケ(ハスヰヰ)を先祖の霊前にお供えしました。

Hasuke

ウチでは、レンコンの炊き込みご飯にしました。芽の部分の多い所にしました。

わたくしの祖先もそうですが、

ヲシテに尽力されたお方さまにも、感謝です。

                    ・

ヲシテ文献の研究には、過去、幾つもの段階を経てきました。

ヲシテ時代に編纂なさって下さいました、その、多くのお方様。

その後の漢字国字化時代の初期など動乱期を守りぬいて下さいましたお方様。

時代が降って、

江戸時代では、中期の溥泉さんや和仁估安聡さんを始めとして、

写本伝承をなさって下さいました多くのお方様。

見(まみ)え得なくて本当に残念なことにと思います。その、おこころは、しっかりと受け継がさせて頂きたいと、念願致しております。

             ・              ・

現代発見・現代研究の開始は、松本善之助先生からコトが起こりました。

現代研究に至る初期には、現代発見の足で稼ぐ仕事が多くありました。

『ホツマツタヱ』完写本の4本の発見。

『ミカサフミ』和仁估安聡写本の発見。

  (松本善之助先生のお働きに拠って、野々村直大さんが発見なさいました)

『カクのフミ (ミ・ハタ)』

 「フトマニ」

  (松本善之助先生のお働きに拠って、野々村直大さんが発見なさいました)

 「トシウチニナスコトのアヤ」

  (龍谷大学にて松本善之助先生が発見なさいました)

こうして、

基本書籍の発見が起きたのでした。

もしや、松本善之助先生の駆け巡られての事が無くば、

大半の書籍の発見・出現もなくて散逸霧散の憂き目にあったものと推察されます。

           ・              ・

しかるのち、

昨年の暮に宮崎貞行さんのお知らせ下さいました事から、本庄元直さん所蔵の『ミカサフミ』のほとんど一冊が発見されました。「ワカウタのアヤ」ですね。

これほど重要な内容のアヤは、特別のものです。

                   ・

さて、

これだけの材料が揃ったからには、

ヲシテ国学の構築には問題ない事になります。

あとは、託された我々のその所にあります。

これだけ揃って、何も成し得ないでは、

それは、いくら何でも、言い訳のひとつも立ちませんですね。

あとは、

やるだけです。

わたくしたちの仕事です。

 

              ・                ・

 

長生き元気の秘訣として。

煮干しをお酢に漬けて、だしがらを食してます。

それで、良い煮干しを探してました、ら、

今日来ました。

「伊吹いりこ」です。 臭みが完全にゼロでした。驚きました。お腹も一匹とて破れてません。

Ibukiiriko

鮮度イノチにやって下さってる「いりこ(煮干し)」の島の伊吹島があるなんて、

初めて知りました。四国の観音寺市の伊吹島です。http://www14.ocn.ne.jp/~ibuki/question.html

アマゾンから注文出来ました。伊吹漁協から送って頂けます。

右の白っぽいビニールはフリーザー・パックです。ダンボール箱に入れて下さってました!

冷凍庫に入れとけば、良い状態で長い期間保管出来るようです。

                  ・

ついでに、お酢のこと、ウチでは使用量が多いので、一升瓶入りを使ってます。

まろやかな味でとっても美味しいので、お気に入りが「ヤマニ酢」の茶色ラベルです。

一升瓶一本600円ぐらいです。

本当においしいお酢です。

Yamanisu_2

津市のお酢屋さんで、雰囲気のある明治の建て物です。お酢の菌の活きてる、お酢屋さん建て物です。

http://www.yamani-vinegar.com/

一升瓶の茶色ラベルは、商品リストにありませんが、

頼めば宅急便発送してくれます。

   注、 若草色ラベルは、食塩入りなので塩辛いです。

お酢は長持ちしますから、6本送りがお勧めです。

    おいしさに 訪ね来たらば

    風も良し お酢も館に

    うるおいを得て

             ・          ・

 

なお、

「ハス」のこと。

ヲシテ文字の構成原理のイメージから考えますと、

Hasu

「ハス」となりまして、

「ハ」は増えてゆくイメージです、そして、丸のウツホは茫洋とした雰囲気を表します。

「ス」は、横棒が上から来たものを止めるので、広がる事を示します。三角はまさに、今そのコトの時制の現在進行形を表します。

つまり、これから先々の事をどうやってゆくか?

先祖や過去からの、その成り行きを踏まえて、

未来を、これからどうしてゆくか?

の、 その意味なのかも知れません。

    

 

2013年8月20日 (火)

お月さまが、あんまりにも綺麗なので、ホッとしました。 あすは、アフミ(旧暦・7月)モチ(満月)です。言わば初秋の名月です。

今年の猛暑は大変でした。 暑かったです。 もう過去形に言いたいですね。

旧暦の7月は「ア・フミ」と言って、秋のフミツキの意味です。

空の天空がスキっと晴れ上がって、おツキさまも綺麗になるのが「ア・フミ」です。

明日は、ア・フミ(7月)のモチ(満月)です。

とは言え、今年は暑かったので、往古の竪穴式住居だったら過ごしやすかったのかな? なんて思いました。

Hiahuki6

           <ヒアフキが朝の咲きかけです。

            茶色の細い落ち葉はコウヤ マキです >

究極のエコ生活ですね。 現代人にはどうでしょうか? 実のところは、もって、2日でしょうね。 おそらく多分、暮らしにくくて音を上げますネ。

現代・クーラー生活は何と言っても快適ですね。

Kyuu7

Ahumi

            <「アフミ」の用例です。

             「鐙」の用例なども混ざってます。ご注意願います>

それには、エネルギー問題です。公害活動家は、大きな流れを無視してほんの目先でのことだけに言ってるのですね。究極のエコ生活するならば、最も長い年月暮らしてきていた竪穴式住居です。そうありたいです。  でも、実際はつましく貧しくて、今から思うと大変なのです。冷蔵庫も無い生活なんて、考えられますか?

Ahumimoti1_2

      <「シムのモチ・ホキ」が盆踊りの源流なのですね。

       この用例での「シム」は生命をつなぐ働きの事、

       総じて言い表わせば、ご先祖様の意味です。

       旧7月ユミハリ(おおよそ7日)に、お迎えして、

       モチ(満月、おおよそ15日、たまには16日)に、

       お送りです>

Ahumimoti2 

江戸時代の暮らしもつましくて大変でした。もっと、遡ったら、平安時代の生活でも、今から見たら、とっても貧しくて大変でした。平安貴族だって、夏に氷を食べれるのは年に一回あるかどうか? です。 さらに、もっとさかのぼっての古墳時代の庶民の生活は、更にさらにつましくて、今現代とは比べるべきもありません。 現代生活の有り難さを分からない人は、数日ぐらいは、竪穴式住居暮らしをしてみたら良いかも? ですね。  おそらく、3日は持たないでしょうね。

ベトナムで40年隔絶生活の人が発見されました。夏は何とかなっても、気候の寒い我が国では、冬が越せるかどうか大変でしょうね。http://www.asahi.com/international/update/0810/TKY201308090419.html

Yamaimo

             <ヤマイモのハナです。

               ヤマイモ掘りは大変です。

               自生のヤマイモは親指太さほどしかありません>

原発事故以降での、現代生活の弊害は大きくて、横浜の下水汚泥処理灰の放射性物質汚染の事も、どうするか? http://toyokeizai.net/articles/-/17656

勿論、直接被害を甚深に被られておられるお方様に、もっと、マトモに救済をと思います。http://toyokeizai.net/articles/-/17223 そうでなかったら、原発再稼働なんて、どこも、実現不可ですね。そういう流れになりつつありますが。

悩み多き事態が続々続きます。小出裕章先生の主張が正しいのかもしれませんですね。事実は事実として明らかに提示してからの事でして、隠され・隠蔽されてたら考慮の判断材料もありませんもんもね。

放射性物質関連はさておいても、化石エネルギーのジャブジャブ使いは、大きく危惧されます。 でも、抜けれないんですね、われわれは。 此処を、ちゃんと理解するべきだと思います。 皆んなが皆んな、この時代に生きてるわけです、から。社会がこのベースに動いてます。 当面は石炭にも比率を上げざるを得ない状況なのでしょう。

絵空事じゃしょうがないですし、直面する問題点は山積です。

縄文建国の原点に立ち返って、そこからの、立て直しだと思います。

クニトコタチさんの大精神にしか、解へのキーは有り得ないと思います。

Okome

           <こちらでは、豊作です。

            稲作が主食になってきたのは、

            ヲシテ時代の中期からです。

            国祖のクニトコタチさんの頃には、

            クリやトチ等の堅果類が主要な食料源でした>

                     ・

それら、事実の提示が為されてから、どう判断するかが、

その、判断の根拠に漢字国字化時代以前の本来の「日本」の規範が役立つわけです。

まずは、

①、現状認識がありき。

そうして、ルールや規範としてのこと、

すなわち、

②、「トのヲシヱ(ヲシテ)」の理念が光ります。

そうあって、

③、今後どうしてゆくか?

この3段階が「カカン・ノン・テン」の事なのでしょうね。

2013年8月15日 (木)

「アキツ」のこと、トンボじゃないですね。 『日本書紀』の誤訳からの話です。  残暑も、もう少しです。

女房がウタを詠むのに、トンボの事を「アキツ」と言ってたのか?

と、聞いて来ました。

複雑なところなので、説明しとかないと分かりませんですね。

『日本書紀』の漢字訳での大誤訳の個所のことです。

明らかに治まるの「アキツ」の意味を、トンボの交接して飛んでるに、貶め漢訳やっつけられた個所です。

Akitu2

                  <『定本ホツマツタヱ』から引用>

カンヤマトイワハレヒト(神武天皇)が、晩年になられて、

ワキカミ(奈良県御所市掖上)のホホマのオカに登られての国見のところです。

「アナニヱヤ ヱツハウツユフ

 マサキクニ カタチアキツノ

 トナメセル コレアキツシマ」

の件(くだ)りが、

姸哉乎國之獲矣姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。由是、始有秋津洲之號也。昔伊弉諾尊目此國曰」

と、漢訳された訳でした。 勿論いつものように『古事記』は一行も訳さずズボッと翻訳カットの個所でした。今更ながらにも『古事記』信奉者の頭の中身を見てみたいものですね。

『古事記』のように完全に全文翻訳削除もヒドイですが、

『日本書紀』の、漢訳しても大誤訳じゃしょうがないのでした。

どっちもヒドイとしか、言いようがありませんですね。

『日本書紀』など、

漢字で書いてると何だかちょっと良さそうにも見えちゃいますが、

よく見ると、ヒドイもんなんですね。

此処が、ヤラレの端緒です。

最も重要な個所の「トナメセル」の意味は、「トのヲシヱ」に拠って統治せる、

なのですが、

『日本書紀』での漢訳文は「蜻蛉之臀呫」、「トンボが尻を舐めて(交接)」に変えちゃってるわけです。

こんなヒドイのを、誤訳と言わないでどうしましょうか?

酷くてヒドくて、表現のしようもありませんです。

縄文哲学に裏打ちされて、我が国家の建国の理念の「トのヲシヱ」の大精神に再び依拠して政(まつりごと)をおこなって、国家再建を果たした。

の、意味合いが、

どうして?

「トンボが尻を舐めて(交接)」いるのに似ている。 になっちゃうのでしょうか?

貶めの誤訳も甚だしいと

此処が、わたくしの指摘しまする個所です。

幾ら何だって、こんな大誤訳はヒドイでしょう!  です。

                     ・

そうなんですね、

『古事記』はヤッタラ削除しまくりで、

『日本書紀』はちょっとはマシでも、誤訳にかけては『古事記』と同類項なのでした。

皆々様、漢字文献のChinaまぶし低俗劣化のひどさのこと、

よくよくごろうじられて、イマ現在にもヒドイことですものね。

よくよくお考えになられて下さいませ。

            ・            ・

トンボのこと「アキツ」と、言ってたのでしょう?

そう聞かれますと、

その当て付けについては、どうしても避けたい個所です。

と、言うのが私の立場です。

このわたくしの判断を、

みなさまは、頑(かたく)なだと、そう思われますのでしょうか?

 

                  ・

我が国の真実に戻す石据えは、漢字誤訳からの、

ひとつひとつの脱却しか無いと思います。

「トのヲシヱ」は、ヲシテ文字で考えなくては、

スキっとしません。

すべて、ヲシテ時代の事柄は、ヲシテ文字の復活からです。

どんなに大変でも、わたくしは節を曲げません。

アマテルカミのおこころに、逆らうわけにはゆかないからです。

ゆくゆくは、

小学校の先生や、中学・高校の先生には、

トンボと「アキツ」の、この違いを解ってもらう必要があります。

さて、さて、

この、大きな山道を、どうしたら良いのでしょうか?

 

         ・          ・

さて、

結局のところ、

女房のウタは、「きせわた」を詠みましたようです。この言葉なら平安頃にもあります。

あと、ふた月ほど後の旧暦9月9日のキク(菊)の香りをワタに染ませての行事です。今、旧暦での7月の上のユミハリ(上弦)をちょっと過ぎた所です。残暑はまだきびしいですね。とは言え、旧暦9月の声を聞けば、肌寒くてセーターも探すようです。

「きせわた」の事、ホントは、ヲシテ時代の「チリワタコ」なんですけどね。

H25030

左が、女房です。

また、左の勝ちでしょうか。

チリワタコは『カクのフミ』の「トシウチニナスコトのアヤ」にあります。

Tiriwatako

『ミカサフミ』には「ココノミハ」の名称です。

Kiku2

平安寺時代語程度しかわからない所では、

「きせわた」しかしょうがないですね。

2013年8月10日 (土)

学問の起きにし所。  大坪併治先生の尊き現役のご宝寿103歳、ご拝眉のこと。 「キヒ・タカシマ」、「ミのクニサツチ」さんの事。

   ももみとせ きくと香れる
   たちまひの かろかろはこび
   恵み込めつの

椅子を軽々とテーブル越しに手渡して下さいました。

103歳の大坪併治先生は。

そんな事で御座います。とってもお元気であらせられます。

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さらにヘルパーさんにも、とっても、感謝をなさって居られるので、もっともっとの好循環にと巡るような成り行きで御座います。それが、またまた不思議にも、高齢臭はついぞのことにちょっとも気にも付きませんでした。お気持ちの事もですが、お耳のすぐ傍まで声をお掛けしましても何にも香りさへ匂いませんでした。この、大猛暑での事でもです。

岡山のヘルパーさんはとっても良いようでもあるようです。

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                   <女房と一緒の方がお楽しそうです>

Kiku

       <冷泉家のおウタに、お題が「菊」でして、

        このウタを寄せました。 平安時代頃にも解る、

        そうなると「キク」でもフィットしませんし、

        漢字で「菊」と書かねばしょうがないですね。

        ヲシテ時代語ウタ会も作りたいものですね>

         ・            ・

お酒は毎日5酌、燗をして。食事が終わったら、もう覚めちゃいますが。  と、

大笑いなさって居られました。

大笑いが、とっても良さそうなヒントに思いました。

仕事に支障が無いように、と、 そのご配慮の事であられました。

もうひとつ、身体と、心のことの、気持ちの方ですね。

大坪併治先生は、平安時代語のことに深く研究を為されておいでです。また、今日も、新聞でこれはと思った擬声語をノートなさって居られました。ふたつの方向でと、他の人に言われたそうですが、わたくしは、そうは思いませんです。擬声語は、国語の醸成創成の当時からの原初的なモノだと思うからです。平安時代の訓点語も、飛鳥・奈良時代の時代漢字の強烈影響下から、わが国語の本来への揺り戻しの現れだと考えています。

併治先生、今日も昨日も、その前も、毎日の事に新擬声語のメモを取られておいでであられます。お気持ちが、やっぱり、お若いのです。どうやってゆくか?  ここには、萌芽の兆しばかりが充満してます。学問の起きる間(はざま)です。これが重要なポイントですね。

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それにしましても、絵はなかなかに達者であられました。

本当は、青春時代の夢に絵描きになりたかったと、

でも、平山郁夫さんの絵を見て、

その方向に進まなかってよかったと、ご述懐なされておられました。

芸術とスポーツは天性の才能が無くてはダメだと。

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           <給水活動のスケッチだそうです。

            China当地の水は、 

            硬水の極端なことで、沸かして冷ますと、

            白くミネラル分が沈殿するので、

            飲料水に処理して浄化した水を給水活動のことです。

            日本の国土は有り難いことだと、おっしゃっておいででした>

鉄砲をひとつも撃ったことなく、で、 早い時期の昭和14年に帰還命令で帰国なされての事が、

めぐり合わせの、幸いのことであられたようです。

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すべて、巡り合わせの妙です、ね。

昭和14年の暮にご帰国のことであられた、との事でした。

                     ・

大坪先生の平安時代語のご研究と、

わたくしたちの為しゆくべき、ヲシテ文献研究と比べますと、

もうちょっとと言うか、こちらは、だいぶ前のと云うかの、さらに大昔の漢字以前の事ですけど、

漢字国字化時代の導入当時の混乱期、や、奈良朝・平安朝などやっと、漢字国字化の彷徨いの抜け切ってくる頃など、その、揺り戻しのバウンドは結構見るべきものが在ったのでは無かったか?

其処に、平安時代語の、詳細なデータの解明が、漢字以前のヲシテ文献研究においても、大きな要所としての伝承のラインに乗っているわけです。

平安時代語の、事。

奈良朝の時代頃には逼塞してきていた「ヤマト コトバ」ですが、 訓点資料の発見で死に絶えることも何とか防げて生き永らえてきていたことの解明も随分進みました。平安時代語の解明での、大坪併治先生は立派な立役者であらせられたのでした。築島裕先生より、ひと世代前で、言わば大先輩の大坪併治先生には、築島先生も頭が上がらなかったのでした。この事情が、なかなか分からないでいたので、訓点語の研究のこと、仄聞的に築島先生のご著書だけを拝見してきていても、大切な要点が掴みかねていました。

富永仲基でもないですが、コトの起これる元、詰まり「学の起これる」其処の場所にキチッと焦点を当てなくてはならないと思います。

            ・            ・

大坪併治先生は、

今年中には、次期の刊行の書籍の完成のことにと、お励みになられておいででした。

索引のこと、パソコンで作成なさって居られました。

                   ・

こここそ肖(あやか)りての事です。

ヲシテ文献のこれを「ヲシテ国学」にまで高めねばなりません。

その、ヤマの大きさを、一頻り感慨に、と、

大坪併治先生を拝して二拍手の事でと思いました、

が、

門まで、さらに、

自動車が見えなくなるまで、ずーっと手を振って下さいまして、

まことに恐縮なことに、ずーっとの見送りを、こちらが為されしまいました。

女房の叔父さんが森亮さんで、島根大学時代の同僚で心好くなさって居られたこともあられたのかも知れません。親友だとおっしゃっておいででした。

           ・          ・          ・

漢字国字化時代から前の、其処に国史の基準を据えようとしたら、

そこには、ビックリする程の多くの解明や啓蒙事業も必要となってきます。

さて、

それよりも、解明作業の方も、これまた前段階として重要です。

岡山城の烏城と言われる黒い姿は、

姫路の白鷺城に対比してのシロ・クロのカラスの烏城(うじょう)の名だそうです。

ホテルの窓から、眺めつつ、はたと気付きました。

Okayamahyou

そも、

「キヒ・タカシマ」のこと、

「ミのクニサツチ」さんの事、

そして、

トヨスキイリヒメさんの4年ものご滞在の名方の浜の宮の事をです。

この、三者のベストマッチが有るようです。

Kihitakasima

「キヒ・タカシマ」には諸説のいろいろがありますが、

あちこち訪ねても、せんじる所、JR高島駅付近のほうが、最もふさわしい様に思います。

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「宮浦」など、さびしい泊まりでしか無いためです。

                  ・

以前に、

伊勢宮の、吉備の伊勢神社、

つまり、トヨスキイリヒメさまの名方の浜の宮を参拝してました。

昨日も再訪参拝を致しました。

Isemiya

よく良く考えますと、

「ミのクニサツチ」さんの「ミ」は、ここ岡山の「御野郡」であった可能性が有るのではなかろうか?

その、アイデアに思いが至りました。

『延喜式』に御野郷に「天神社」があります。

山を登って参拝致しました。

酷暑の日には相当な山道です。

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入り口までの道路が細いので、もしや参拝為される場合は、よくよく調べてからにして下さい。ちょっと大きな普通車だと、通過が困難だと思います。

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Tennjinnjya

もう少し南に、伊勢神社との中間ぐらいに天計神社もあります。

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Amehakari1

中世・近世からの伝承はとても不確かですが、『延喜式』には、ちゃんと、

天神社も天計神社も御野郷に有る訳です。つまり、平安時代以降の国乱の戦国時代の戦乱混乱の時代に衰亡の時代を経たと理解するべきです。

            ・         ・

さて、この、解のことですね。

時系列に考えますと、

遠く、初代クニトコタチさんからの、その時代に、

ミのクニサツチさんが、「ヱ」と「カ」の間の方角に派遣なされました。

その後、

スヘラギ(人の世)の時代になる頃に、

タケヒト(のちに神武天皇)さんは、ヤマトウチの途上に「キヒ・タカシマ」に3年おわしまして、イクサの準備が整ったのでした。深いユカリが無くては成り行きません。

そうして、

スヘラギ(人の世)11代、の時トヨスキイリヒメさんは、

アマテルカミの想い出深い土地を巡られた際に、

ここ、ミのクニサツチさんのユカリの(御野の里)里に4年間もお留まりになられたと、そういう事です。すなわち、「ミのクニサツチ」さんゆかりの土地なら、すべてが納得ゆくわけです。

詳細の事柄は、これからも心して検証してゆきますが、読者の皆様にも、お心当たりの事が御座いましたらお教え願いたく思います。

 

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