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2012年10月26日 (金)

『ホツマツタヱ』の巻の立て方の変遷のこと。 「ヱ」は「ye」としたいとこです。  俊成卿の忌日会のお花のこと、稲荷山のマツタケのこと。

小笠原長弘さんの写本も、小笠原長武さんの写本も、

三分割の巻次の区別が立てられてありました。

「ア」と「ワ」と「ヤ」の三分割です。

写本の伝承は → 『和仁估安聡本 ホツマツタヱ』の解説、こちらへ

全体の解説は → こちらにリストです

               ・

小笠原長弘本は、

Nagahirohonn

それぞれ「ヒマキ(1巻)」と「フマキ(2巻)」の別の巻が建てられて、6巻6冊に写本されていました。

「アのヒマキ」

「アのフマキ」

「ワのヒマキ」

「ワのフマキ」

「ヤのヒマキ」

「ヤのフマキ」 (上に掲げました)

の計6冊です。

「ア」「ワ」「ヤ」の三分割は「天」「地」「人」に対応しているようです。

さて、巻次が「ア」「ワ」「ヤ」と「ヒ(1)」「フ(2)」の二重構造になってるのがなにか変なことです。

              ・

小笠原長武本は、わたくしの預かってる「ア」の4冊では、以下のようです。長武本は全部で12冊に写本されています。

「ア」の1~4、「ワ」の1~4、「ヤ」の1~4の都合12冊です。

Nagatakehon_2

Nagatake2

この写本の途中からは「タコリ・イカル」の文字形は直ってゆきます。初歩の頃の文字形ですね。

長武さんの始めの頃の写本であることがよく判ります。

宇和島の長武さんの写本です。長武さんは、嘉永4年の生まれで、大正10年の没です。

Nagatakehon5

Nagatake3

                   ・

国立公文書館の内閣文庫本(小笠原長武本)も12冊に記されていました。

Naikakubunnko

             ・      ・     ・

そうしているうち、平成4年に写本の親本の和仁估安聡本(わにこ やすとし)が発見されました。江戸時代中頃の写本です。その巻次立ての二重構造のなり染めが判明します。

Yasutosihon

Yasutosihon2              

最も古い完写本の和仁估安聡本では、24冊の和本に写本がなされていました。巻のナンバーリングの記載も漢字に拠って為されています。伝承時代の付加物である事が明瞭です。

杉箱の3箱に8冊づつが収納されていて、それぞれの箱ごとの区別が「天」「地」「人」に立ててありました。和仁估安聡本では漢字文の翻訳が付されているので、行数が倍になっていて写本の厚みも大きいためです。1ページにヲシテ原文の4行が記されます。

小笠原長弘本では、漢字訳文が付されていないので、1ページにヲシテ原文が8行記されています。6冊に記録されてます。

小笠原長武本では、漢字訳文なしで、1ページにヲシテ原文が8行記されています。12冊に記録されてます。国立公文書館の所蔵本も同じ体裁です。

           ・          ・

結局のところ、「ア」「ワ」「ヤ」の区別は、

杉箱の3箱の区別の事だったのでした。江戸時代頃に付けられた区別のようです。漢字訳文を付けたことから、3分割の杉箱に入れる必要性が発生したこと。このため和仁估安聡さんは「天」「地」「人」として箱の区別を付けたのでした。小笠原長弘さんは、その「天」「地」「人」を、ちょっと古代風に「ア」「ワ」「ヤ」としただけのことですね。大した意味はありません。

また、その下の巻次の「ヒマキ」「フマキ」などの区別も、小笠原長弘さんが和本に写本した時に付けられた巻次立てでした。これも、こだわるほどのことではありません。

われわれ、ヲシテ文献を「国学」の再構築に役立てる意味で究明をする者としては、ヲシテ文献の成立時の形に再現をしてゆくのが正しい道筋です。「国学」の基礎においてのヲシテ文献の位置するものであると言う理解が、最も重要なところです。  だから、現代語直訳は駄目だ! と、言うわけなのですね。 アマテルカミのお使いであった「ヲシテ文字(ホツマ文字)」をちゃんと読んでこそ! と、言う訳です。

                ・

そもそも、

江戸時代の写本は当時の記録のやり方に沿って作られました。写本者がその時々に応じて、巻次の区別を付けて整理しただけのことでした。

でも、本来のヲシテ文献の完成した当時にはどうだったでしょうか?  それは、「アヤ」の別に巻物として記録されていたと推察されます。

つまり、40巻の巻物が40アヤとして記録されていたと考えるのが素直なところでしょうね。

『ホツマツタヱ』の序文にあたるところです。

Yosoaya1_2

『ホツマツタヱ』の最後尾になるところです。

Yosoaya2_2

「ヨソ・アヤ」つまり、40アヤとだけの表現が為されているだけです。

「天」「地」「人」の区別は当たり前にそうですし、「ア」「ワ」「ヤ」などの巻次立てのナンバーリングとは、伝承時代の付加物として判断するべしです。

なお、オオタタネコさんも「フソムのアヤ(26のアヤ)」として、アヤ毎のナンバーリングの整理の仕方はなさって居られます。

Husomu

タタネコさんもアヤのナンバーリングをなさってますから、今の我々もアヤのナンバーリングの整理の仕方は有用であると考えます。

                ・

『ホツマツタヱ』だけにとどまることなく、ヲシテ文献として我が国の漢字以前の時代を理解するべきです。『ミカサフミ』もあり『フトマニ』もあります、からですね。

さらにさらに、古い先行文献の事にまで遡ってこそ、アマテルカミのお心に近づいてゆくことが可能になるのですね。その先には、初代のクニトコタチさんの大哲学があるわけですからね。

           ・          ・

こうして考えましたことから、

江戸時代などの伝承時代に付加された巻次の区別は、取り払うべきだと、考慮を致しましたのでした。

また、和仁估安聡さんの直訳的漢字訳文も、ヲシテ時代への純粋な究明には災いを齎すだけなので外すことこそ必要だと考えます。ヲシテ時代の「モチコ」さまを「持子」だなんて、どう見ても誤訳だからです。  敢えて言うなら「望」か「餅」の意味の方が、まだマシでしょうね。「サコクシロ」の「精奇城」もヒドイ訳ですし、「ヰ・クラ、ム・ワタ」の「五臓六腑」の直訳もダメですね。

ヲシテ時代のことは漢字以前の時代ですから、ヲシテ文字で考えなくてはいけません。

現代語の直訳当て付けは断じていけません。直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」作りは、Chinaに、我が国の尊さを売っぱらってる行為なのです、よ。 実物の国土のたたき売りよりも、尊厳のたたき売りの事はもっとひどい話なのです。  と、わたくしは主張しています。 この主張に対して、何がどう間違ってるのか?  はっきり言って欲しいものですね。わたくしは、きちっと、逃げずに真面目に40年来やって来ております。今後もそうです。

 

                                    ・

 

   追記

今日(10月27日)は、

藤原俊成卿の忌日会でした。

Syunnzeikyou

 おハナ(花)がとっても良かったので掲げます。

お参りの際に、ビワの花と、キフネキク、ホトトギスでした。

Akinohana

帰路に伏見稲荷大社にお参りしました。

立派な参集殿が昨年に、ご鎮座の1300年記念とかにて竣工していました。ヲシテ文献の立場からしたら「中世での鎮座の記録にある」1300年とするべきです、が。   すなわち、おイナリさんの歴史は、さらにさらに、とてもとても長くてもっともっと尊いものであるからです。 『古事記』の記されてからの年月と比べるのが、そもそもの、大間違いなのです。漢字文献は、China思想にかぶれてますからですね。いけませんです。

 (ヲシテ文献の発見・研究が進んできてから「時代区分」は、変更を余儀なくされてゆくと思います。つまり、漢字国字化時代に入ってから「中世」と呼ぶのがふさわしい、と、そのような事かと考えられます

とても大切な稲荷大社です。 真新しい参集殿でいただきました、美味しいお弁当、

ここには、マツタケがちゃんと添えられてありまして、麗しいことでした。長さ2cm余り、厚み0.3mmほどの2枚でした。香りは上等でした。初物です。 後にも先にも、今年はこんな事で御座いましょうね。初物にして、今シーズン最後のマツタケです。 感動して、「稲荷山のでしょうか? 」と、聞きましたら、お隣の冷泉貴美子先生は「えへっ」と笑われておられました。わたくしも、もらい笑いでした。

     尊きか イナリのヤマの

     マツタケの さわに生え出つ

     日々を思ひて

ウケモチさんの時代には、相当に上等のマツタケが生えたことでしょうね。当時のことを、偲びますと、色々と嘆息ばかりがついつい出てしまいます。 時代は、随分と変わりましたが、ウケモチさん当時の「縄文哲学」にこそと思いますです。これこそがトヨケカミのお志を継ぐ事だと思いますのですね。 『フトマニ』の「モ・ソノ」の項目を見て戴けますと、当時の時代の雰囲気がよく判ります。

俊成卿のお墓のあたりにも、今では、住宅が立ち並んでますから、住宅地図でお墓を探すようなことです。 とても、マツタケの生える環境にはありませんでした。

荷田東丸(春満)旧宅は、玄関に鏑矢の飾りが添えられてました。伝統は残ってても、ヲシテ文献は既に失われていての事だったわけですね。

カブラヤの飾りの写真を撮りそこないました。

                   ・

 

 

 

 

 

             ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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2012年10月24日 (水)

ホツマなどヲシテ文献の時代のこと。 漢字以前の時代のこと。

わたくしは、記紀の原書の発見があったことから、漢字渡来以前の本来の「日本」の精神を解明しようとしてます。そこには、大文明の輝きがあるからです。これからの、我が国の行く先を見直すためにどうしても必要だからです。   「日本」のこと、これは、「ひのもと」と読んだほうが良いのですが…。

Susuki2  

      冷泉家のウタのお題がススキでした、俊成卿の忌日会に献歌です。

                  今年は、伏見稲荷に参拝も合わせてとのことです>                 

時代を言いますと、縄文時代に始まって、古墳時代の初めの頃までの期間に相当します。

ヲシテ時代の終焉は、大体、2~3世紀迄といったあたりです。

                 ・

ですから、6世紀や8世紀の話は、ヲシテ時代解明にはずーっと、後々の後世とのつながりを見るだけのことです。

このあたりのことが、どうにも、理解が難しい場合が多いようです。

          ・           ・

「6世紀ころに、Chinaからこんな思想が来た」なんていわれても、

それは、ずーっと後世の話ですね。  と、我が大文明のヲシテ時代の精神を知る私には、歯牙にもかけないお話なのですね。毅然とした判断だと思います。

                ・

一方での、

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」には、漢字渡来以降に「日本」文化が出来たと即断しかねない構造が隠されているのです。それで、ダメだと常に言い続けてるわけです。後世になってから渡来した類似思想に単純当てはめするのは、間違ってるからです。 後世に渡来したChina思想にまぶし付けてはいけません。 

折角の尊い、我が国のタカラものに、泥を塗りたくっているだけなのです、現代語への直訳当て付けは、ですね。だらか貶(おとし)めの行為そのものなのです。

             ・         ・

ヲシテ文献の、ヲシテ国学へのミチ(道)とは、

守ってゆくべき、真実の「日本」の伝統や精神とは?  一体何であるかを、見定めなおしてゆくミチ(道)です。

それは、『よみがえる日本語』の後半部分に新解明のエッセンスが明示してありますのでよくよくご覧ください。

ヲシテに拠って我が国の言葉の再建を果たすのです。

あと、歴史についてもしかりなのです。

縄文日本が素晴らしく、次いで、弥生日本でして、あとあと、2~3世紀にまでも降るとまあまあということですが、漢字国字化時代以降については、落ちて堕ちてゆくばかりなのですね。  これが、大きな時代の把握だと思います。

 

 

 

             ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

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古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

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