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2012年10月 4日 (木)

漢字国字化時代の始まりの頃に付きまして。 『ホツマ』などヲシテ時代の終焉の動乱の時代を見てみましょう。 その3。  及び 『「Gゼロ」後の世界』イアン・ブレマー

『日本書紀』以前の時代は、ヲシテ文献の『ホツマツタヱ』が成立した時まででも長い話です。 

漢字国字化時代の始まりの頃に付きまして。 その2 までお読み下さいましたら、我が国の尊さは、漢字国字化時代以前にこそ厳然としてあった事がお分かり頂けるかと思います。

さらに、16代の仁徳天皇から、『日本書紀』完成奏上の720年までは、ざっと400年ほどの年月があります。16代から、44代まで、相当な長年月です。

16 仁徳(にんとく)天皇
17 履中(りちゅう)天皇
18 反正(はんぜい)天皇
19 允恭(いんぎょう)天皇
20 安康(あんこう)天皇
21 雄略(ゆうりゃく)天皇
22 清寧(せいねい)天皇
23 顯宗(けんぞう)天皇
24 仁賢(にんけん)天皇
25 武烈(ぶれつ)天皇
26 繼體(けいたい)天皇
27 安閑(あんかん)天皇
28 宣化(せんか)天皇
29 欽明(きんめい)天皇
30 敏達(びだつ)天皇
31 用明(ようめい)天皇
32 崇峻(すしゅん)天皇
33 推古(すいこ)天皇
34 舒明(じょめい)天皇
35 皇極(こうぎょく)天皇
36 孝徳(こうとく)天皇
37 齊明(さいめい)天皇
38 天智(てんじ)天皇
39 弘文(こうぶん)天皇
40 天武(てんむ)天皇
41 持統(じとう)天皇
42 文武(もんぶ)天皇
43 元明(げんめい)天皇
44 元正(げんせい)天皇

ゆっくり解説したいトコですが、後に纏める書籍の楽しみにとっときまして、ここでは、特別に大きな出来事だけピックアップ致します。

          ・       ・       ・

17代、履中天皇

 住吉仲皇子(すみのえのなかつみこ)を殺す。

20代、安康天皇

 後継争いで、皇太子を滅ぼす。

 眉輪王に弑逆(殺される)される。

21代、雄略天皇

 眉輪王、黒彦皇子、市辺押磐皇子など殺される。

 新羅への援助の軍を使わして、高麗を撃つ。(雄略8年、464)

 新羅を撃つ。(雄略9年、465)

 高麗が、百済を撃ちて殆んど滅す。(雄略20年、476)

 任那の一部を、百済に与えて立て直しをさせる。(雄略21年、477)

 百済に援軍を派遣する。(雄略23年、479)

 この他にも、誅殺事件多し。

22代、清寧天皇

 星川皇子の誅殺。

23代、顕宗天皇

 市辺押磐皇子の子、清寧天皇に皇子無きに拠って招かれる。

 任那での、紀生磐宿禰の乱。(顕宗天皇3年、487)

25代、武烈天皇

 暴虐の為せる業の記述多し。真偽の程はいかなるか?

26代、継体天皇

 10代近くにも渡った、血で血を洗う混乱のため、お世継に立つ人がなくなった。

 応神天皇の5世の孫を迎えることになった。父は、彦主人王。母は、垂仁天皇の7世の孫の振媛。遠く、越前の三国から迎える。

 継体天皇の即位なさって、20年にして、大和盆地に遷都される。

 韓半島への派兵、九州の磐井の乱も起きる。

28代、宣化天皇

 任那への援助の派兵

29代、欽明天皇

 「『帝王本紀』に多有古字」の文章。この時代にはヲシテ文字の残簡はあったかも知れない。 (欽明天皇2年、541)

 韓半島への派兵。

 仏教の公伝。(帰化人の渡来に伴っての、仏教私伝は古くからあった)

 難波(なにわ)の堀江に仏像を流し棄て、寺(伽藍)を焼く。

 任那の滅亡(欽明天皇23年、562)

30代、敏達天皇

 韓半島への派兵。

 仏殿を焼き、残る仏像は難波(なにわ)の堀江流し棄てる。

31代、用明天皇

 仏法を主に尊ぶ。

 三輪氏(三輪君逆、さかう)を弑逆する。

 仏教受容の推進の間に、2年で崩御。(9月即位、翌年4月に崩御)

32代、崇峻天皇

 後継争いの混乱で、物部守屋が撃たれ物部氏が滅亡。穴穂部皇子、宅部皇子殺害される。廐戸皇子(聖徳太子)の白膠木の四天王の像のこと。

 蘇我馬子による、崇峻天皇の弑逆(殺害)事件。(崇峻天皇5年、592)

33代、推古天皇

 混乱が余りにもひどくて、敏達天皇の皇后の額田部皇女が、御位(天皇位)を継いで推古天皇と呼ばれてゆきます。額田部皇女は欽明天皇の皇女でした。推古天皇のご即位は、女帝としての天地開闢以来の初めてのことでした。 国史を改竄する必要が大きくあった時代です。仏教の導入を図る際に、大きな動乱が生じました。推古天皇の第二子に廐戸皇子が生まれていました。母上を立てるのは、推古天皇は、風除けの看板の意味も大きかったのかも知れません。 仏教導入派が決定的勝利を遂げて、滅ぼした物部氏の財産を自由に使うことが出来たのでした。四天王寺など、巨大な寺を造営してます。大きな変化には隠れ蓑も必要なのかも知れません。

 任那の再興のための派兵。

 憲法(うつくしきのり)の17条を作成。

 小野妹子を隋(唐)へ派遣する。

 『天皇記』『国記』など「本記」を録(記)す。(推古天皇28年、620)

 廐戸皇子ご逝去。(推古天皇29年、622)

35代、皇極天皇

 山背大兄王が蘇我入鹿に攻め滅ぼされる。蘇我入鹿を殺戮する。 蘇我蝦夷の誅殺に関わり、『天皇記』『国記』が焼かれる。一部を船史の恵尺が救って中大兄皇子に捧ぐ。

36代、孝徳天皇

 古人大兄皇子が謀反を起こそうとして(?)殺害される。

 国家主権を大きくする「大化の改新」。

37代、斉明天皇(皇極天皇の重祚)

 有間皇子が謀反を起こそうとして(?)殺害される。

 阿倍比羅夫の粛慎、蝦夷遠征。

 百済の事実上の滅亡。(斉明天皇6年、660)

38代、天智天皇

 百済の復興のために、新羅への派兵・交戦、対唐戦争をして大敗する。(白村江、天智天皇2年、663)

 百済の遺臣、遺民たちの大挙しての来朝帰化。

40代、天武天皇

 天智天皇の皇子の弘文天皇との、勢力をニ分する戦争。勝利した大海人皇子が、即位して後に天武天皇と呼ばれる。

                ・

ここ迄きましたら、もう、誰がどう言っても「歴史時代」ですね。

ヲシテ文献の発見研究で、やっと解りましたことは、隣国との接触が濃厚になればなるほど、我が国は混乱して疲弊の事々に陥っていたのです。

隣人が大変だから助けてくれー、と言うことを、

人の良い我が国の国柄から、まじめに受け取って、ひどい目にばかりあわされてきていたのですね。ヲシテ文献の記述終わりからの時代を見ると、よくよく、この事が判ります。漢字国字化時代になっていってからは、結局のところ、血を血で洗う動乱が収まらないのでした。 それは、ヲシテ文献の忘れ去られの事があったためと、私は考えます。

さて、それが、何時の時点か?  ですが、徐々にスーッと忘れ去られるような、そんな感覚ではなかったか?  兎に角も、ヲシテ文献理解は、難解です。「語彙の索引」が自由自在に使えるようになっての、今にしても、かれこれ何十年と呻吟苦難に喘いでも、これほどの程度にしか、まだ以って解明が進んでいません。

漢字国字化時代が、自然とやってくるのも、段々と解るような気がしてきました。

          ・              ・

なにはともあれ、

我が国の漢字国字化時代以前の、ヲシテ時代こそが大文明の立派なクニであることだけは、わたくしの言える結論で御座います。

特に、カミヨが素晴らしく、アマテルカミの尊さです。さらに、アマテルカミが常に尊敬して居られた初代クニトコタチさんのとてつもなく尊い事です。

現代になって、ますます混迷を深めてゆく世界に、我が国とは?  その根底を、クニトコタチさんの高貴さに拠って見つめ直す必要がある、と、私は考えますのですね。

                 ・

また、

世界の今後の趨勢に関して、

『「Gゼロ後」の世界』(イアン・ブレマー、北沢格訳、日経新聞社)

が面白いのでお勧めします。

過去もそうでした、1600年ほど前、1300年ほど前、

大きな転換期は、視点を広くしてみないと路線を誤ってしまいます。

あとがきの「謝辞」で、イアン・ブレマーさんは言ってます。

「たいていの本は、小論文で十分。たいていの小論文は、ブログで十分。たいていのブログは、ツイィターで十分。そして、たいていのツイィターは、そもそもツイートするほどの価値はない。

昨今、本を書くというのは、期待では収まらない行為だ  ―それだけ価値あるものが求められるからだ」

ドキッとします。かくあらねばと、あらためて心してます。

わたくしは、読者を裏切っていないと … 、  過去についても、そしてこれからも   …  …  …  と。

ヲシテ文献の場合は、数年の内にどうなるか?  と言うようなものでは、無いように思います。長い年月をかけて、徐々に常識に再認識を迫るものですから、喫緊には、解り解明できたことだけは、広く理解者を求めることこそ重要なためです。それには、より良い格式にだけは気を使うことがどうしても必要です。また、此処に気がついてくださりましたお方には、将来において、世間の賞賛の事が為されることと思います。

                                           /

青山繁晴さんが興味ふかい話をしてくれています。

http://www.youtube.com/watch?v=WJrnzgtjcfM

竹島問題のこと、下記アドレスをご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=bW7BxpUkCoM&feature=related

政府がもっとやるべき仕事だと思いますが  …  。

             ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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