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2012年9月20日 (木)

亥の子餅(いのこ もち)のこと、私の国史との出会いの端緒のこと。

もう季節は、釣瓶落としですね。お亥の子餅の季節も段々と近くなります。亥の子餅に近い「赤福」はいつでも食べれますが、源流は応神天皇の御代に遡るようです。わたくしの故郷ではそう信じられてます。応神天皇は15代ですから、ヲシテ文献の記録終わりの12代景行天皇から、たったの3代後のことです。この時代は、漢字国字化時代にと大変革の起きる、まったくの、激動期です。 『群書類従』の塙保己一(はなわ ほきいち)の弟子で、『古今要覧稿』屋代弘賢(やしろ ひろかた)は、能勢(のせ)からの応神天皇の御代からの献上は「よく解らない」と言ってますが…。

Higannhana

                <もう、ヒガンガナです>

大阪府の北端部の京都にも程近い、かつての東能勢村(ひがし のせ むら)で、今は豊能町(とよのちょう)です。「豊能町民話」 の記事があります。

下記は、水資源機構の紹介ページです。写真が綺麗に入ってます。

http://www.water.go.jp/honsya/honsya/pamphlet/kouhoushi/2011/pdf/1106-06.pdf

お亥の子餅と、国史との関連とは、何のことか? と、思われますでしょうが、この疑問からわたくしの国史への興味は始まったのでした。私の故郷の能勢の木代(きしろ)では「お」を付けて「お いのこ」と呼んでます。

それは、お亥の子餅は『日本書紀』の麛カゴ)坂王のことに由来があるようなのですね。「カゴ」の文字が珍しい字でむつかしいなので、所々カタカナにさせて頂きます。 

                       ・

『日本書紀』神功皇后摂政元年2月条

爰伐新羅之明年春二月。皇后領群卿及百寮。移于穴門豊浦宮。即収天皇之喪。従海路以向京。時麛坂王。忍熊王。聞天皇崩。亦皇后西征并皇子新生。而密謀之曰。今皇后有子。群臣皆従焉。必共議之立幼主。吾等何以兄従弟乎。乃詳天皇作陵。詣播磨山陵於赤石。仍編船絙于淡路島。運其島石而造之。則毎人令兵而待皇后。於是犬上君祖倉見別。与吉師祖五十狭茅宿祢。共隷于麛坂王。因以為将軍。令東国兵。時麛坂王。忍熊王。共出菟餓野。而祈狩之曰。祈狩。此云于気比餓利若有事。必獲良獣也。二王各居仮庪。赤猪忽出之登仮庪。咋麛坂王而殺焉。軍士悉慄也。忍熊王謂倉見別曰。是事大怪也。於此不敵。則引軍更返屯於住吉。 
                     ・ 

どう言う事かと、申しますと、神功皇后が韓半島から帰国なさった際に、カゴ坂王と、忍熊王が反抗の軍を上げたのでした。カゴ坂王と、赤のイノシシが、どうも、お亥の子餅の元祖の由来であるようなのですね。カゴ坂王の麛(カゴ)の文字は「鹿の子」の意味で「カのコ」の「カゴ」だったのです。意味深(シン)のところですね。赤イノシシとは、一体何を意味しているか? そして「鹿の子」が「亥(猪)の子」に変わったとも読み取れます。ダイレクトに記載すると、諸方に迷惑がかかる場合には、例え話にしたりボヤッと茫洋態に筆先を丸くするのですね。それで、長い年月が経って、当時の常識の忘却されてしまった時代になると、解りにくいのです。  菟餓野(とがの)の地名も諸説入り乱れていて現在地の対比比較は判然としません。神戸のあたり、あるいは大阪北区の天満の天神の北野辺あたりのぐらいには絞れそうですが、此処という決め手には欠けます。

あるいは状況証拠は結構強いものです。能勢からは、お亥の子餅がずーっと、1600年間も献上されてまして、明治天皇にも献上したのでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A5%E3%81%AE%E5%AD%90%E9%A4%85

私の曽祖父も献上したのだと聞かされてました。祖母の父ですから、曽祖父でよろしいですね。能勢の木代村(きしろ むら)には走落神社という『延喜式』に記載のある神社があります。『延喜式』には神社名が漢字表記されてるばかりですから、今に伝わる詳しい祭神なんかや由来の事々は後世の付託も多いので注意が要(い)ります。神社名だけは、1000年前に遡及が出来るわけですね。

どうも、カゴ坂王との関連か? と、も、思えるのですが、詳しい事情は何のことやら? です。この疑問から国史に触れてゆく端緒になりました。『日本書紀』は、言外、行間に何か言おうとしているようなのですが、私の理解・解明はいまだしの所ではあります。

『古事記』は、麛坂王を、香坂王だなんて読み易い字に作ってますが、「鹿の子」の意味をはぐらかして消去しようと企んでのことかも知れません。そもそも、漢字の国字化時代以前の末期のことですから、漢字表記は後世の当て付けでしかありません。後世の筆記者の思惑に染まってることだけはよく考えるべきですね。 

それはそうとしまして、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后と、ヲシテ文献の記録終わりからは、記述内容がそれ以前とは風が随分と変化していることに、みなさまお気付かれてますでしょうか? ガラっと変わった、なんとも言えない文化度の低さと私は見て取ってますが。

このテーマも、時代のギャップの事も、やってゆかねばならない問題ですね。

結局のところ、我が国の文化度は高かったのに、

近隣諸国との行き来が頻繁になるにつれて、

段々と大変な事にになってきたと、

そのようにと、理解するのが正確な所かと思われます。

安岡正篤さんに言ってやらねばなりませんね、彼の言う「我が国」にこそ、道を説くべしでしょうねと。つまり、安岡正篤さんは読者を間違えたのですね。

Susuki

         <ススキの開花初めはつややかです>

            ・             ・

お亥の子餅のこと、よく似た近い餅は一般に広く普及して「赤福」や「御福餅」など、いつでも食べれるようになりました。わたくしは「赤福」を食べる際に、いつも、お亥の子餅を思い出します。  お亥の子餅を、明治天皇は、また食べたいとおっしゃいましての事であったと、仄聞致しましてございます。

奈良時代だったら、ミヤコへの運搬も大変だったでしょうが、今の現代でしたら東京でも半日で行けますですね。 折角1600年も歴史があるのですから、お亥の子餅の献上の復活も考えても良いとわたくしは思いますが、 如何(いかが)でしょうかね?

                   ・

それは、もっと古い時代からのベースにあった伝統にも則(のっと)っていると考えられるからです。

ヲシテ時代の中期に遡りましたら、「モチヰ ほとこし」(餅の施し)の、事があります。トヨケカミの時代です。考古学に言う縄文時代か、弥生時代の時の話です。長い長い伝統が根底になっていたのですね。

Kanatuki

旧暦の10月は、現行の西暦での11月半ばあたりからです。カナツキですね、温かさのカミ(来たりて生じる)の最後の1本までもが地面の下に潜(もぐ)ってしまうので「ミ」の季節です。それでカミナシツキ、カンナツキです。ヲシテ文字で見てみないと判然としませんですね。

Mi

縦棒が、温かさのカミ(来たりて生じる)の棒で、横棒はこの場合には地面です。

カンナツキ(カミナシツキ)の場合も「カミ」を「神」の文字に当てるのはおかしいです。変化を齎(もたら)す働きであるのが「カミ」で、直訳当て付けの「神」では意味を取り違えさせるからですね。

Kami3

「カ」の縦棒は繋がりや来ること行くことを意味します。「カ」の丸はウツホ(気体)の茫洋とした様を表します。

「ミ」の横棒はベースを表していて、この場合は現状と捉えるのが良いでしょう。「ミ」の縦棒は生じてくることを意味しまして、「ミ」のドームの傘の形はウツホが上空の冷たさで冷やされて降りてくるような意味合いで、この場合は一旦完了の時制を意味していると見ると解り良いでしょう。

季節が最も寒くて厳しい時期に、ヲヲナムチはモチヰ(餅、しとぎ餅か?)を配る行事をしたのです。寒さに拠って起きる病気の軽減化の対策ですね。

何かの拍子に、ヌルテ(白膠木)を焚いてのモチヰ(餅)が、お亥の子餅に変化して広まったと、見て取れます。それが、天下を揺るがしたカゴ坂王の反乱に依拠したとしても、半分ぐらいはウーンと唸る話だと思います。 漢字国字化時代への大変革の維新の決行時代です、天下の世論の沸騰時代と捉えるべきだからですね。 今に比して謂(い)うなれば第二次大戦での大敗戦の混乱期に匹敵すると、わたくしは思い考えます。

                  ・

それはそうと、ヲシテ文献に遡っての解明として、

ヲヲナムチの焚いた「ヌルテ」は白膠木の事でしょうが、何の意味があるのか?

お歯黒も、今にして思えば、変わった風習でしたですね。これは、何時まで遡る風習なのか? 考古学の出番なのかも? 古墳時代の初期頃の遺物もあるとかです。ヲシテ文献ではわたくしはかけらも見たことありません。

木代(きしろ)の善福寺は大阪市内に移転したとかです。明治維新の余波です、東京奠都ですからね。献上のお亥の子餅の行事が無くなったら、加持祈祷料もきませんから、とても、数軒の家だけでお寺の維持は出来ません。時代の波は、こんな山奥のトコロにも押し寄せるのですね。 故郷の家では遠い所の別の真言のお寺にと、客分で祖先は祭られてます。 善福寺関連で、そう言えば、聖徳太子も白膠木の樹を使ったということでしたが、何の意味であるのか?

分からないことは多くあります。

でも、考えていると、分からないことの解答が、フッと浮かんで来ることに遭遇します。

 

 

 

             ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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