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2012年8月20日 (月)

『ホツマツタヱ』などヲシテ文献研究のスタンス。 用例に依拠して時代を把握して冷静に考えること。 早合点は良くない事。

私どものスタンスは、

「記紀の原書が奇跡的に発見された、ので、歴史の再構築にどう活かすか?」

ということです。

記紀との対比比較によって、ヲシテ文献(『ホツマツタヱ』・『ミカサフミ』)が、記紀よりも古いものである。  この事実が判明したわけです。

既に『定本ホツマツタヱ』(改版まえは『校本三書比較ホツマツタヱ』)にて公表してあります。主著は『定本ホツマツタヱ』と言うことです。 つまり、12代の景行天皇56年までは、『日本書紀』に変えて『ホツマツタヱ』を第一文献とするべきだ、との主張です。

         ・           ・

『日本書紀』をお読みだろうから、お解かりと思いますが、読者の心得としての事です。『日本書紀』は欽定の国史だからといって、すべてが全て鵜呑みは良くないことがあります。歴史的記述の部分はもちろん多いですが、神話の部分もあります。また、直截的な記述を遠慮する場合は寓話的な記し方をしている場合もあります。すべてがすべて額面通りに受け取るのは、余りに浅はかな読み方と言うことです。

書かれた時代と、背景を勘案して読むのが古典研究のイロハだと思います。寓話的に記載された記述を、直訳したらUFOになっちゃった、というお話です。白髪三千丈を直訳して9kmの毛なら宇宙人だ、UFOだ! と言ってるようなものです。  記述されてる背景を無視する誤謬です。

イロハを無視して直訳すると、とんでもないものに仕立て上げられちゃいます。それで、直訳は止(よ)してくれ! と、常々叫んでるわけです。

『古事記』でも『日本書紀』でも、この事情は同じです。

明らかな「おとしめ古事記」も、最近特に多く見受けられます。これには、いくら私でも義憤を覚えます。『古事記』は『古事記』でそれは大切なモノです。ただ、もっと良い物、本物が見つかったから、直しましょうということです。

『古事記』がなかったら、江戸末期に、おそらくは列強に侵食されて奴隷化の道を歩んだ可能性も大きいと推測します。とは言え、これから今からの未来は、時代が違います、『古事記』ではダメだと思いますのです。

               ・

ヲシテ文献からの導き出せる年代は以下の表にしてあります。

『ホツマ辞典』に掲載してます。時代区分はヲシテ文献に基づいてのわたくしの命名です。 ヲシテ時代草期、ヲシテ時代初期 … といった具合に用いてもらえると良いかと考えます。

Img108

考古学との対比比較で、

そこをどう解釈するか? におきましては、とても難しいものがあります。

1代から3代までは、世襲制の長い長い時代を経ている事だけ申し添えます。ヲシテ時代の草期の時代把握は、同時代資料としては、お隣の「三皇五帝」との対比が最も有効でしょう。「三皇五帝」も諸説紛々となってますが、同時代文献の閲覧は、時代認識には欠かせない大切なモノです。これを欠くと、酷いチョクヤクブツ(直訳物)になっちゃうのですね。。  同時代文献の、ほんの一例を著作権に迷惑の無い程度の一部の紹介だけ掲げます。

Img109_2

Img110

『中国神話人物資料集 (愛知大学文学会叢書Ⅵ)』(中島敏夫、汲古書院)を掲げました。詳しくは、同書などのちゃんとした専門書をご参照下さい。

なお、古い時代の記年のこと、『中国古代紀年の研究』(平勢隆郎、汲古書院)も面白いです。周の穆王と、西王母のこともあり、周辺の紀年のことは考古学以外にも参考にするべき事柄です。

さらに古く、初代のクニトコタチさんの頃まで遡ろうとしましたら、同時代性としては、「ギルガメッシュ」もあげて置いたほうが良いかも知れません。『ギルガメッシュ叙事詩』(矢島文雄、ちくま学芸文庫)が解りやすいところです。矢島先生も苦労なさって居られますように、この時代にまで遡ると、あれこれ解釈が難しいものです。

                  ・

また、13代成務天皇、14代仲哀天皇からののち、数代にかけても年記のことは何処まで信頼性があるか? の問題もあります。『日本書紀』にある問題点です。欽定の国書でも同様問題点は包含なされているのです。ですから、この問題をもってヲシテ文献の偽書判定には根拠には成り得ません。やはり、時代の理解に努めてゆくのが正道だと考えられます。 ここも将来、考古学に拠っての再考慮が必要な個所でしょう。実学(現物の学問)と、文献学は両輪相補完の事が正しいやり方だと思います。

以上、正確な考古学年代とヲシテ文献時代との対照の考究は、後考に待つべきだと考えます。とは申しましても、最低限の概略は『ホツマツタヱを読み解く』にて執筆当時の考古学データとの対比比較の一例を示しました。 『ホツマ辞典』には、もっと長い年数が経ても色褪せないように気を使いました。 考古学はとにかく現在進展中の学問ですから、あせらずに長いスパンを持って照合をすべきだと考えるからです。立派な御人の出現で、たとえば、あなた様などがきちっと照合をして下さっても有り難いことですね。

わたくしの本分は、解けないあれこれの疑問の解明にあります。国語の源流解明もまだまだ端緒についたばかりですし。タコでもないので、そうは、八方手が及びませんです。考えても見て下さい、記紀の原書の発見、そして究明理解の作業なのです。例えば『日本書紀』の校合の仕事は國學院大學で数人がかりで20年間かけてやってました。一方で、ヲシテ文献の諸本の校合の作業は、わたくしひとりです。写本の虫食い修理も含めてが私ひとりです。本当に、劇団ひとりでもないですが、わたくしひとりで数年前までやってきてました。松本善之助先生のまだらボケが始まってからのことです。青木さんや平岡さんなどの立派なおヒトの出現までは、ですね。此の様な成り行きでしか無いのが事実のトコロです。そう言う事で幾ら何でも、タコでもお化けでもないので何もかもは、どうしても物理的にムリと言うもので御座います。

それはともあれ、

しかし、今見つからないから、を、もっての否定論は暴論だと考えられますですね。 一昨年でしたか、モモの種が巻向遺跡で発掘されて、やっと、奈良朝以前にモモが有ったのだ、  と、なったばかりです。 遡る縄文時代の事なら尚更もっとで使途不明土器のてんこもりがあります。 つまり、発掘はしてても理解不能品が山と積まれてるのに、文献学否定は話が通じませんですね。  冷静になってもらいたいですね。記紀は8世紀にはあったと言うことは事実だと思います。あなたは此れまでの現状の確認も認識拒否をなさいますのでしょうか? それは、幾ら何でも、まともだったらないですね。 承認の事で、どうでしょうかね? よろしいでしょうね。 次に、記紀の原書でしたら、8世紀よりも古い時代に存在してたことになります。  どうですかね? 私の言うことは、間違っていますか?

大局を、俯瞰的な視点で見てみましょう。

要は、新発見の 「記紀の原書をどう解釈するか?」  です。

本来の目的は、我が国の真相の解明ではありませんか?

                 ・

ついでに、琵琶湖の湖底遺跡のことも掲げときます。湖底遺跡はまだまだ発掘途中の状態です。

Koteiiseki

『環境歴史学の視座』(橋下政良、岩田書院)から、引用しました。(引用掲載の稿は大橋信弥さん)

字が小さくなってるので補足しますと、安曇川平野あたりの湖底遺跡の見つかってるのだけで、21,森浜遺跡、22,針江浜遺跡、23,三ツ矢千軒、24,大溝湖底遺跡となってます。千軒の名前の付くものは他の遺跡にもあったように大規模のものと考えられます。 今発見されてるものだけでの、振りかざしの判断は、意味を成さないと思われます。 文献学も勿論、限界があるわけですが、実学の考古学もやはり限界があるものです。何でも限界を知るということは、禅の「足るを知る」でもないですが大切なことだと思います。

           ・           ・    

クリのこと、

「トコヨ」の建国のことですが、

クニトコタチさんは「トのヲシテ」を建国の理念として、此処に立国をしたのでした。

と言うことです。

つまり、社会規範の「トのヲシテ」が建国の理念であってキーワードです。

経済も大切ですが、社会を形つくるその根底の理念を「トのヲシテ」として建国に繋がったわけです。

ミヤコ(首都)が最も栄えていないとおかしい、と言う論理は、一切において成り立ち得ませんです。セブン・イレブンだって本家のアメリカ社は、ヨーカドー・グループの支援で破綻の寸前に持ち直したわけです。 イギリスだってそうです、アメリカ合衆国に国力では完全に凌駕されてます。  ローマだってそうですね、「文化はローマから」という言葉もありますが忘れられそうに、「Shall We ダンス?」の映画で『イギリスでダンスが創作されて』と言ったような解説が挿入されてて欧米人には皮肉のユーモアかと大笑いになった事もありました。悲しいことに、欧米人が大笑いしてる脇で、日本人がきょとんとしてるのです。

セブン・イレブンは数十年ほどの例です。イギリスは100年程度の例です。ローマは1000年ほどの例です。もう忘れられかけるのが1000年の桁ですかね? 「It's Greek to me」と言うところまで踏み込まないでもです。今現在のギリシャは泥濘(ぬかるみ)のようですけれど。でもヲシテ文献は、ヲシテ時代の草期など、まさに現代人にとって「It's Greek to me」の世界そのものなのです。「三皇五帝」や「ギルガメッシュ」と同様の時代ですから理解がむつかしいのです。グリークよりももっと以前なのですからね! シェークスピアでも解らなくてお手上げな「チンプンカンプン」の言葉や時代なのです。Greekでさへもシェークスピアは「チンプンカンプン」とお手上げなのです。もっともっと古い時代の、そんな難しい文章を、低俗なご気楽のレベルで単純直訳したらば、偽書作り100%だ!  と、言わざるを得ない所以(ゆえん)です。

直訳のコピペはやめてくださいまし、ね。 

わたくしの主張が、間違っていますのでしょうか?

                   ・

そして、求めに応じて各地方にミコ(御子)を使わす際に、

Kikusa

として、「き・くさ」を「つと」に各地方に、

お土産ですね。 良い木の実、良い草の種を、

それは、各地方に於いて種の種類が違って当たり前です。

クリの育ちの良い所には、クリですが。

地方ごとに適不適が有ることも考えられます。クリが「キ・クサ」の一種ではないか? と、わたくしが気がついたのは三内丸山遺跡で栽培種のクリが植えられていた発見が、あっての事です。もっと他の例があっても良いわけです。ヲシテ文献での用例は上に引きましたように、「キ・クサ」を「ツト」であるのです。クリだけに限ったことではありません。またまた、ひょっとしたらクリは「キ・クサ」の一種とは言えないと言う論断も出てくるかも知れません。その時には、わたくしは頭を下げます。

いずれにせよ、ヲシテ時代も草期のような古い時代のことは、

それこそ「神話時代」でしょうね。 ヲシテ文献にも詳しい記述は少ないです。謂わば、殆んど忘れ去られの時代です。

その事情もありますから、考古学の発掘研究の成果によって補うことが望まれます。

「記紀の原書の発見があったので、きちっと、考えてゆきましょう!」

と、言う事なのです、ね。

前提をはっきりさせ無くてはならないと思います。

文献があればこそ、古い時代の精神も哲学も判ります。

掘っただけでは、いまだ、縄文土器の使途不明土器があまたに多く残ってるのですから、どこまで何年たっても解明できるかですね。我が国の縄文時代からの真相を知るには解明するには、記紀の原書の事があればこそだと思います。 が、どうでしょうかね?

記紀の原書なんですよ!

   

                 ・

そして、

直訳の現代語彙の漢字仮名交じり文への単純当てつけは、偽書を作っているだけだから止(よ)しましょうね、 と、 主張しているわけです。 古典に接するイロハである書かれた時代と背景を理解しながら、の心遣いのない場合は、どうしても、どうにもならないものだからです。 推奨出来得る書籍は 「日本ヲシテ研究所」の欄に掲載してるものだけで御座います。

                  ・

「トコヨ」を「常世」と直訳して、それをもって、江戸時代の偽書だ、というのはおかしいです。直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」は酷い話で、最もお笑いだったのが、吾郷清彦の「それ若葉」でした。『ホツマツタヱ』開巻当初の「それわかは」を、直訳で「それ若葉」とやっつけてました。「ワカ(うた、和歌、やまとうた)」についての記述ですから、「若葉」はありませんですね。若葉マークの直訳偽書をもって偽書の証拠とはなりませんです。 何回も出してる例では、「ヰ・クラ、ム・ワタ」を「五臓六腑」に直訳するてあいです。シナ思想の流入があったから偽書だと言うのと同じで、直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」が偽書仕立てをしてるのです。ヲシテ文献での「ヰ・クラ」は言わば「ココロ(精神)」の構成物を指します。直訳の「五臓」は目に見える内臓器です。明らかに相違があります。直訳の誤訳です。ですから「若葉マーク」を付けての区別を提唱してます。 『古事記』でも明らかに「おとしめ古事記」の諸書のモノも多くあります。原書は漢字で記録がしてあることにも一切触れないようなマンガ本なんかも多いです。ヲシテ文献の『ホツマツタヱ』などで言えば、鳥居礼とか鏑邦男なんてのがそれに該当します。  古典は原字原文から離れたら、単なる、初歩的参考物でしかありえません。特にヲシテ文献の場合はこのあたりの事情が顕著です。何故ならば、考古学と同様に今まさに解明の作業中の時代であるからです。

  

                  ・

どっちにしましても、ヲシテ文字がヲシテ文献が記紀の原書だ!

と、こちらは、ちゃんと根拠を持って主張してるのに、

見もしないで、若葉マークの直訳偽書なんてヒドイモノを見ただけで、ちょこちょこちょっと斜め見に否定論をぶつなんて…、 ですね。笑われてもしょうが無いと思いますね。真摯さが疑われます。

最低でも『定本ホツマツタヱ』は見てからの、ことですね。主著のスローはあんまりにもあんまりですね。 別に、買えと言ってるわけではありません。『定本ホツマツタヱ』もそうですが、特に『校本三書比較ホツマツタヱ』は、とにかくあっちこっちの図書館何やらに寄贈しまくりましたのですよ。送料だけでも大変でしたです。まだいっぱい残部も残ってます。でも、広く世間に撒くために、一冊本の『定本ホツマツタヱ』に改版しました。  あなたの住所は知りませんけど、けっこう、全国あちこちにありますからお近くの図書館などなどに行って見てくださいましね。本当はご自分自身の手で対比比較をするのが、本当に、確然とはっきり判る王道です。  が、ね。   所詮、 他人頼りは、お祖母様育ちの日向日傘の三文安のそしりを受けないではありませんからね。

ここでも、

「ト」に先行するのが「ロ」だと言うことです。

Rote

まったくヲシテ文字に歴史的根拠を見なくてはワケが解りませんですね。

Totoro

「ト」と「ロ」です。

左右もそうですが、上下もまた相似形でしょう。下方の「ロ」は自立を意味しています。下方の「ロ」のしっかりした確定のようなものが無いと、上にさらに築いてゆく事が難しいのです。

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稲作伝播のこともありました。 追記します。

お米のこと、ヲシテ文献では「ウルソ」のタネのことです。

Uruso

Uruso2

「ア」に「コエは(ば)」

「ア」に「クタス」です。

つまり、カタのカミと並列関係の「ア (リーダー的な存在)」からの齎されたものと解釈できます。

時代は3代目のトヨクンヌシの、何代もの世襲制の時です。

4代目ウヒチニさんスヒチニさんの時になって、「ハツホ」を献上するまでに成功したのでした。とは言え、「ウルソタネ」が詳しくはどんな品種であるのか? それ以前にも別品種のイネが在ったのかどうか? など、よく解らない事々が山積してます。 ウケモチさんの「ナカクニ」は畿内地方の特に京都盆地の南のフシミ(伏見稲荷)を想定するのが妥当だと考えられます。カタのカミの祖先がウケモチさんだからです。では、「ウルソタネ」を齎してくれた「ア」とは、一体何であるか? これが、難しいところでして、稲作先進地の九州の北部であったかも知れません。また、中国大陸であるのかも知れません。このあたりの事情は、考古学に見てゆくべきだと言うことです。 考古学的時代のことも、発掘物との比較・考証が必要です。古い時代の記述の理解は難しいものなのです。

欽定国書の『日本書紀』にも、年記の問題点はヲシテ文献時代以降にも見られるわけですので、当該時代までの凡時代的特質です。『上世年紀考』(那珂道世)や、近々にも春秋年説など、トライしている先学も多いです。 事情が複雑なものを、直訳したら変になっちゃいます。時代をよくよく考えて理解してゆくべきです。

                 ・

もう明日明後日に本来の7月7日のタナハタです。

用例を掲げておきます。

Tanahata

Tanahata3

Tanahata4

Tanahata2

     

         ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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