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2012年8月30日 (木)

「またもホは出づ」、 真実はその内に…。

ヲシテ文献のこと、記紀との比較対比をきちっとしましたら、

記紀の原書の位置は明白です。

そんなに急いでバタバタしなくても、時が来たら自ずからに真実に赴くと予想されます。こちらは何千年の誤謬を直そうとしてます。そんな簡単なことでは無いと思います。 時代の流れは、作ろうとしても簡単にそうはならないでしょうね。弥生や縄文の遺跡から言葉を伴った文字の幾つかが発掘されるまでは、どうせ、勉強もロクすっぽにしない人達には判るわけもありませんからね。また、解ったにせよ、旧守派に阿(おもね)る人が大部分の事ですね。鳥居礼なんてのが代表例です。「癒し」とか「言霊」とか流行りの言葉に当て付けコピペで我が国の本来の尊さをおとしめて切り売りするのですね。 お手軽のお軽さ、これまであれこれ、流行りに当て付け、よくもまー、と思いますです。『古事記』のお絵かきまでやるのですからね、びっくりです。次から次に、よくも、まー、  です。 過去の最右翼は「言霊」とか「常世」だなんて近世流行りの言葉に、縄文時代からの高貴な理念を当てれるわけないのに、ペタっと貼り付けやる訳ですものね。お絵かき画伯というのは、そんなのでしょうか? 昔、彼に、国家の展望を表すのが「ヱ(絵)」だと、中国の文献を示して経綸の話をしたことを思い出しますが…。彼の国も、当然に偉人も多く輩出してます。 わからないことは、悲しいことであります。それは、彼の本を見ただけでも、悲しいことに、まだ今にさへも目に実感してしまいます。

 

それは、30年もなんなんとする大昔からのこまかい話は、ともかくも、

ヲシテに本当の覚醒のこと、

世間としての大きなことですが、

その時の来るのは何時か? は、発掘のスコップを持つわけないわたくしにはとても分かりませんが。私が奇遇を得たとしてたまたま掘り出しても疑われますから、それは、しないほうが得策ですね。

しかし、目先で焦っての、

小さな事柄の切り売りは、旧守派の悪口雑言の種(ネタ)作りを提供だけに終始するようです。焦っての仕事は、足掬われの無駄走りのようです。訳も解らない人には、説得や説明など無意味で、のれんに腕押しをしてるだけなのですね。時間の無駄というものです。単に「へー 、面白かった」、と 言うだけです。暖簾に腕押しはそんな事です。幾らやっても相手が暖簾の風見鶏でしたら、幾ら真面目に説明しても無駄の事々です。「へー  」で終わる話です。 もしや、ちょっと知ったにせよ、根拠なしだと、グラグラで、それは、偽書だ偽書だと、旧守派からいじめられるだけなのです。こちらも説明してあげた人も、双方ともに何ら利得はありませんです。ちゃんと、解る人にだけじっくりと説明するべきです。ハラから分かる人のみにと! こころからの真面目な人にだけ!  ですね。 売り物は「良心」だというようななんて鳥居礼もどきのような人は、絶対に除外してくださいましね。お願い申しあげますです。

こちらは、大きな世界観をグロスで提示する事が肝要です。縄文建国の初代はクニトコタチさんであるとの事です。我が国は地球上にかつてなく、縄文建国の立派な国家であったこと。この事実が最も大きな提示事項だと思います。さらに、今現在までもアマカミ、天皇陛下の連綿と何千年も繋がって歴史のある国家は、「日本」だけなのですね。この事が、最も大きな事実です。  8代目のアマカミのアマテルカミは中興の祖として理解するのが冷静に見て、真っ当なことであると考えます。 ですから、「日本」は尊いのだ!  と。

大きな流れ、縄文建国、  そして、

中興が幾つも為されたこと、

そして、 奇跡的に現代の現在にちゃんと存続と連続があること、さらに、

もとの理念の「トのヲシテ」は、今後の未来の世界にも大きな役目を果たしてゆくと予想されること、この事々が最重要事だと考えます。

小さな個別事象の切り売り、アマテルカミが男性であったなどとの、謂うなれば、比較的に詳細に関わる話しだけするのは、時代背景や諸事情の切除になるのです。話の事情背景のちょん切りからは、偽書製造に堕落します。相手の顔色を伺うやり方の間違いです。訳も解らない人に、無理やり押し付けるので、迎合が起きて堕落するわけです。自然な成り行きです。ムリを強(し)いる間違いです。ヲシテ文献に徴しましたら「ハタレ」の一種の分類に入れられてもしょうがない悲しさです。本人にとっては良いことしてるつもりでしょうがね? つまり偽書製造に直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」の偽書製造に繋がることです。 ほんの少し眼前の耳目をひこうとして、前提をちょん切って、時代背景をちょん切っての、おもしろおかしげに話をしましたら、何処かおもしろおかしいを売り物にするUFO研究家のお話になっちゃうのですね。 我が国の国家の存立にかかわる基本の理念の事ですから、面白おかしいのお笑いにしてはいけないランクの話だと思います。

あせって、顔色をうかがうから、関心を買おうとすると思いが余って真実も曲げて取りいって墓穴を掘りダメを埋めちゃうのです。どうせ、解らぬ人は、ほおっておく限ります。例をあげればうちの女房も30年たってやっとこせに、です。ヲシテは原文の原字で読んでこそだ!  と、30年ぶりの遅きに余りにもの遅々に失するような、そんな事の発見です。そんな事で御座います。  、です。   とにかくも、1300年ぶりの立て直しは簡単な尋常な事ではありませんであることは明らかです。

旧守派は、鵜の目鷹の目蛇の眼で自家の権益を守ろうと必死ですから、「日本」の将来のことなどどうでも良いスタンスで、幕末の時の金上がりの幕臣なんかと同類なのですね。 とは言いましても、勝海舟なんて偉人も出るわけですから、表面的な事柄だけでは勿論のこと概説すべきではありません。

                     ・

土台からの、国家の基礎からの築き直しですから、本当に真摯な心根のある人を的にして、怪しげかもしれない人には距離を置いてゆくのが肝心なことかと思います。

過去、怪しげと思われた人は数多(あまた)にいてまして、数えきれませんが、わたくしはきちっと汰(よな)げること選別判断の事を真摯にして参りました。

その結果、青木さんや平岡さんたちのしっかりの人に遭遇することが出来ました。まともな人に遭遇できましたのは千歳に一遇の僥倖の幸せです。此の様なことはマレなる事で御座います。  つまり、ヲシテ文献のように、1300年来の誤謬を正す仕事は、その格式についてワケが判らない人がほとんどであると、ハラからの100%括(くく)った諦観をしてからコトに当たるのが大切だと思います。

実に自戒の念です。

             ・            ・

冷泉家のおウタで、お題が「すすき」でした。

わたくしは、

    みなつきの 望の夕べは

    切られても すすきも無きも

    またも穂は出づ

女房は、   

    十五夜に 波打つすすき

    いつまでか キラキラいろの

    はてはあるかや

         ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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2012年8月20日 (月)

『ホツマツタヱ』などヲシテ文献研究のスタンス。 用例に依拠して時代を把握して冷静に考えること。 早合点は良くない事。

私どものスタンスは、

「記紀の原書が奇跡的に発見された、ので、歴史の再構築にどう活かすか?」

ということです。

記紀との対比比較によって、ヲシテ文献(『ホツマツタヱ』・『ミカサフミ』)が、記紀よりも古いものである。  この事実が判明したわけです。

既に『定本ホツマツタヱ』(改版まえは『校本三書比較ホツマツタヱ』)にて公表してあります。主著は『定本ホツマツタヱ』と言うことです。 つまり、12代の景行天皇56年までは、『日本書紀』に変えて『ホツマツタヱ』を第一文献とするべきだ、との主張です。

         ・           ・

『日本書紀』をお読みだろうから、お解かりと思いますが、読者の心得としての事です。『日本書紀』は欽定の国史だからといって、すべてが全て鵜呑みは良くないことがあります。歴史的記述の部分はもちろん多いですが、神話の部分もあります。また、直截的な記述を遠慮する場合は寓話的な記し方をしている場合もあります。すべてがすべて額面通りに受け取るのは、余りに浅はかな読み方と言うことです。

書かれた時代と、背景を勘案して読むのが古典研究のイロハだと思います。寓話的に記載された記述を、直訳したらUFOになっちゃった、というお話です。白髪三千丈を直訳して9kmの毛なら宇宙人だ、UFOだ! と言ってるようなものです。  記述されてる背景を無視する誤謬です。

イロハを無視して直訳すると、とんでもないものに仕立て上げられちゃいます。それで、直訳は止(よ)してくれ! と、常々叫んでるわけです。

『古事記』でも『日本書紀』でも、この事情は同じです。

明らかな「おとしめ古事記」も、最近特に多く見受けられます。これには、いくら私でも義憤を覚えます。『古事記』は『古事記』でそれは大切なモノです。ただ、もっと良い物、本物が見つかったから、直しましょうということです。

『古事記』がなかったら、江戸末期に、おそらくは列強に侵食されて奴隷化の道を歩んだ可能性も大きいと推測します。とは言え、これから今からの未来は、時代が違います、『古事記』ではダメだと思いますのです。

               ・

ヲシテ文献からの導き出せる年代は以下の表にしてあります。

『ホツマ辞典』に掲載してます。時代区分はヲシテ文献に基づいてのわたくしの命名です。 ヲシテ時代草期、ヲシテ時代初期 … といった具合に用いてもらえると良いかと考えます。

Img108

考古学との対比比較で、

そこをどう解釈するか? におきましては、とても難しいものがあります。

1代から3代までは、世襲制の長い長い時代を経ている事だけ申し添えます。ヲシテ時代の草期の時代把握は、同時代資料としては、お隣の「三皇五帝」との対比が最も有効でしょう。「三皇五帝」も諸説紛々となってますが、同時代文献の閲覧は、時代認識には欠かせない大切なモノです。これを欠くと、酷いチョクヤクブツ(直訳物)になっちゃうのですね。。  同時代文献の、ほんの一例を著作権に迷惑の無い程度の一部の紹介だけ掲げます。

Img109_2

Img110

『中国神話人物資料集 (愛知大学文学会叢書Ⅵ)』(中島敏夫、汲古書院)を掲げました。詳しくは、同書などのちゃんとした専門書をご参照下さい。

なお、古い時代の記年のこと、『中国古代紀年の研究』(平勢隆郎、汲古書院)も面白いです。周の穆王と、西王母のこともあり、周辺の紀年のことは考古学以外にも参考にするべき事柄です。

さらに古く、初代のクニトコタチさんの頃まで遡ろうとしましたら、同時代性としては、「ギルガメッシュ」もあげて置いたほうが良いかも知れません。『ギルガメッシュ叙事詩』(矢島文雄、ちくま学芸文庫)が解りやすいところです。矢島先生も苦労なさって居られますように、この時代にまで遡ると、あれこれ解釈が難しいものです。

                  ・

また、13代成務天皇、14代仲哀天皇からののち、数代にかけても年記のことは何処まで信頼性があるか? の問題もあります。『日本書紀』にある問題点です。欽定の国書でも同様問題点は包含なされているのです。ですから、この問題をもってヲシテ文献の偽書判定には根拠には成り得ません。やはり、時代の理解に努めてゆくのが正道だと考えられます。 ここも将来、考古学に拠っての再考慮が必要な個所でしょう。実学(現物の学問)と、文献学は両輪相補完の事が正しいやり方だと思います。

以上、正確な考古学年代とヲシテ文献時代との対照の考究は、後考に待つべきだと考えます。とは申しましても、最低限の概略は『ホツマツタヱを読み解く』にて執筆当時の考古学データとの対比比較の一例を示しました。 『ホツマ辞典』には、もっと長い年数が経ても色褪せないように気を使いました。 考古学はとにかく現在進展中の学問ですから、あせらずに長いスパンを持って照合をすべきだと考えるからです。立派な御人の出現で、たとえば、あなた様などがきちっと照合をして下さっても有り難いことですね。

わたくしの本分は、解けないあれこれの疑問の解明にあります。国語の源流解明もまだまだ端緒についたばかりですし。タコでもないので、そうは、八方手が及びませんです。考えても見て下さい、記紀の原書の発見、そして究明理解の作業なのです。例えば『日本書紀』の校合の仕事は國學院大學で数人がかりで20年間かけてやってました。一方で、ヲシテ文献の諸本の校合の作業は、わたくしひとりです。写本の虫食い修理も含めてが私ひとりです。本当に、劇団ひとりでもないですが、わたくしひとりで数年前までやってきてました。松本善之助先生のまだらボケが始まってからのことです。青木さんや平岡さんなどの立派なおヒトの出現までは、ですね。此の様な成り行きでしか無いのが事実のトコロです。そう言う事で幾ら何でも、タコでもお化けでもないので何もかもは、どうしても物理的にムリと言うもので御座います。

それはともあれ、

しかし、今見つからないから、を、もっての否定論は暴論だと考えられますですね。 一昨年でしたか、モモの種が巻向遺跡で発掘されて、やっと、奈良朝以前にモモが有ったのだ、  と、なったばかりです。 遡る縄文時代の事なら尚更もっとで使途不明土器のてんこもりがあります。 つまり、発掘はしてても理解不能品が山と積まれてるのに、文献学否定は話が通じませんですね。  冷静になってもらいたいですね。記紀は8世紀にはあったと言うことは事実だと思います。あなたは此れまでの現状の確認も認識拒否をなさいますのでしょうか? それは、幾ら何でも、まともだったらないですね。 承認の事で、どうでしょうかね? よろしいでしょうね。 次に、記紀の原書でしたら、8世紀よりも古い時代に存在してたことになります。  どうですかね? 私の言うことは、間違っていますか?

大局を、俯瞰的な視点で見てみましょう。

要は、新発見の 「記紀の原書をどう解釈するか?」  です。

本来の目的は、我が国の真相の解明ではありませんか?

                 ・

ついでに、琵琶湖の湖底遺跡のことも掲げときます。湖底遺跡はまだまだ発掘途中の状態です。

Koteiiseki

『環境歴史学の視座』(橋下政良、岩田書院)から、引用しました。(引用掲載の稿は大橋信弥さん)

字が小さくなってるので補足しますと、安曇川平野あたりの湖底遺跡の見つかってるのだけで、21,森浜遺跡、22,針江浜遺跡、23,三ツ矢千軒、24,大溝湖底遺跡となってます。千軒の名前の付くものは他の遺跡にもあったように大規模のものと考えられます。 今発見されてるものだけでの、振りかざしの判断は、意味を成さないと思われます。 文献学も勿論、限界があるわけですが、実学の考古学もやはり限界があるものです。何でも限界を知るということは、禅の「足るを知る」でもないですが大切なことだと思います。

           ・           ・    

クリのこと、

「トコヨ」の建国のことですが、

クニトコタチさんは「トのヲシテ」を建国の理念として、此処に立国をしたのでした。

と言うことです。

つまり、社会規範の「トのヲシテ」が建国の理念であってキーワードです。

経済も大切ですが、社会を形つくるその根底の理念を「トのヲシテ」として建国に繋がったわけです。

ミヤコ(首都)が最も栄えていないとおかしい、と言う論理は、一切において成り立ち得ませんです。セブン・イレブンだって本家のアメリカ社は、ヨーカドー・グループの支援で破綻の寸前に持ち直したわけです。 イギリスだってそうです、アメリカ合衆国に国力では完全に凌駕されてます。  ローマだってそうですね、「文化はローマから」という言葉もありますが忘れられそうに、「Shall We ダンス?」の映画で『イギリスでダンスが創作されて』と言ったような解説が挿入されてて欧米人には皮肉のユーモアかと大笑いになった事もありました。悲しいことに、欧米人が大笑いしてる脇で、日本人がきょとんとしてるのです。

セブン・イレブンは数十年ほどの例です。イギリスは100年程度の例です。ローマは1000年ほどの例です。もう忘れられかけるのが1000年の桁ですかね? 「It's Greek to me」と言うところまで踏み込まないでもです。今現在のギリシャは泥濘(ぬかるみ)のようですけれど。でもヲシテ文献は、ヲシテ時代の草期など、まさに現代人にとって「It's Greek to me」の世界そのものなのです。「三皇五帝」や「ギルガメッシュ」と同様の時代ですから理解がむつかしいのです。グリークよりももっと以前なのですからね! シェークスピアでも解らなくてお手上げな「チンプンカンプン」の言葉や時代なのです。Greekでさへもシェークスピアは「チンプンカンプン」とお手上げなのです。もっともっと古い時代の、そんな難しい文章を、低俗なご気楽のレベルで単純直訳したらば、偽書作り100%だ!  と、言わざるを得ない所以(ゆえん)です。

直訳のコピペはやめてくださいまし、ね。 

わたくしの主張が、間違っていますのでしょうか?

                   ・

そして、求めに応じて各地方にミコ(御子)を使わす際に、

Kikusa

として、「き・くさ」を「つと」に各地方に、

お土産ですね。 良い木の実、良い草の種を、

それは、各地方に於いて種の種類が違って当たり前です。

クリの育ちの良い所には、クリですが。

地方ごとに適不適が有ることも考えられます。クリが「キ・クサ」の一種ではないか? と、わたくしが気がついたのは三内丸山遺跡で栽培種のクリが植えられていた発見が、あっての事です。もっと他の例があっても良いわけです。ヲシテ文献での用例は上に引きましたように、「キ・クサ」を「ツト」であるのです。クリだけに限ったことではありません。またまた、ひょっとしたらクリは「キ・クサ」の一種とは言えないと言う論断も出てくるかも知れません。その時には、わたくしは頭を下げます。

いずれにせよ、ヲシテ時代も草期のような古い時代のことは、

それこそ「神話時代」でしょうね。 ヲシテ文献にも詳しい記述は少ないです。謂わば、殆んど忘れ去られの時代です。

その事情もありますから、考古学の発掘研究の成果によって補うことが望まれます。

「記紀の原書の発見があったので、きちっと、考えてゆきましょう!」

と、言う事なのです、ね。

前提をはっきりさせ無くてはならないと思います。

文献があればこそ、古い時代の精神も哲学も判ります。

掘っただけでは、いまだ、縄文土器の使途不明土器があまたに多く残ってるのですから、どこまで何年たっても解明できるかですね。我が国の縄文時代からの真相を知るには解明するには、記紀の原書の事があればこそだと思います。 が、どうでしょうかね?

記紀の原書なんですよ!

   

                 ・

そして、

直訳の現代語彙の漢字仮名交じり文への単純当てつけは、偽書を作っているだけだから止(よ)しましょうね、 と、 主張しているわけです。 古典に接するイロハである書かれた時代と背景を理解しながら、の心遣いのない場合は、どうしても、どうにもならないものだからです。 推奨出来得る書籍は 「日本ヲシテ研究所」の欄に掲載してるものだけで御座います。

                  ・

「トコヨ」を「常世」と直訳して、それをもって、江戸時代の偽書だ、というのはおかしいです。直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」は酷い話で、最もお笑いだったのが、吾郷清彦の「それ若葉」でした。『ホツマツタヱ』開巻当初の「それわかは」を、直訳で「それ若葉」とやっつけてました。「ワカ(うた、和歌、やまとうた)」についての記述ですから、「若葉」はありませんですね。若葉マークの直訳偽書をもって偽書の証拠とはなりませんです。 何回も出してる例では、「ヰ・クラ、ム・ワタ」を「五臓六腑」に直訳するてあいです。シナ思想の流入があったから偽書だと言うのと同じで、直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」が偽書仕立てをしてるのです。ヲシテ文献での「ヰ・クラ」は言わば「ココロ(精神)」の構成物を指します。直訳の「五臓」は目に見える内臓器です。明らかに相違があります。直訳の誤訳です。ですから「若葉マーク」を付けての区別を提唱してます。 『古事記』でも明らかに「おとしめ古事記」の諸書のモノも多くあります。原書は漢字で記録がしてあることにも一切触れないようなマンガ本なんかも多いです。ヲシテ文献の『ホツマツタヱ』などで言えば、鳥居礼とか鏑邦男なんてのがそれに該当します。  古典は原字原文から離れたら、単なる、初歩的参考物でしかありえません。特にヲシテ文献の場合はこのあたりの事情が顕著です。何故ならば、考古学と同様に今まさに解明の作業中の時代であるからです。

  

                  ・

どっちにしましても、ヲシテ文字がヲシテ文献が記紀の原書だ!

と、こちらは、ちゃんと根拠を持って主張してるのに、

見もしないで、若葉マークの直訳偽書なんてヒドイモノを見ただけで、ちょこちょこちょっと斜め見に否定論をぶつなんて…、 ですね。笑われてもしょうが無いと思いますね。真摯さが疑われます。

最低でも『定本ホツマツタヱ』は見てからの、ことですね。主著のスローはあんまりにもあんまりですね。 別に、買えと言ってるわけではありません。『定本ホツマツタヱ』もそうですが、特に『校本三書比較ホツマツタヱ』は、とにかくあっちこっちの図書館何やらに寄贈しまくりましたのですよ。送料だけでも大変でしたです。まだいっぱい残部も残ってます。でも、広く世間に撒くために、一冊本の『定本ホツマツタヱ』に改版しました。  あなたの住所は知りませんけど、けっこう、全国あちこちにありますからお近くの図書館などなどに行って見てくださいましね。本当はご自分自身の手で対比比較をするのが、本当に、確然とはっきり判る王道です。  が、ね。   所詮、 他人頼りは、お祖母様育ちの日向日傘の三文安のそしりを受けないではありませんからね。

ここでも、

「ト」に先行するのが「ロ」だと言うことです。

Rote

まったくヲシテ文字に歴史的根拠を見なくてはワケが解りませんですね。

Totoro

「ト」と「ロ」です。

左右もそうですが、上下もまた相似形でしょう。下方の「ロ」は自立を意味しています。下方の「ロ」のしっかりした確定のようなものが無いと、上にさらに築いてゆく事が難しいのです。

                                 /

稲作伝播のこともありました。 追記します。

お米のこと、ヲシテ文献では「ウルソ」のタネのことです。

Uruso

Uruso2

「ア」に「コエは(ば)」

「ア」に「クタス」です。

つまり、カタのカミと並列関係の「ア (リーダー的な存在)」からの齎されたものと解釈できます。

時代は3代目のトヨクンヌシの、何代もの世襲制の時です。

4代目ウヒチニさんスヒチニさんの時になって、「ハツホ」を献上するまでに成功したのでした。とは言え、「ウルソタネ」が詳しくはどんな品種であるのか? それ以前にも別品種のイネが在ったのかどうか? など、よく解らない事々が山積してます。 ウケモチさんの「ナカクニ」は畿内地方の特に京都盆地の南のフシミ(伏見稲荷)を想定するのが妥当だと考えられます。カタのカミの祖先がウケモチさんだからです。では、「ウルソタネ」を齎してくれた「ア」とは、一体何であるか? これが、難しいところでして、稲作先進地の九州の北部であったかも知れません。また、中国大陸であるのかも知れません。このあたりの事情は、考古学に見てゆくべきだと言うことです。 考古学的時代のことも、発掘物との比較・考証が必要です。古い時代の記述の理解は難しいものなのです。

欽定国書の『日本書紀』にも、年記の問題点はヲシテ文献時代以降にも見られるわけですので、当該時代までの凡時代的特質です。『上世年紀考』(那珂道世)や、近々にも春秋年説など、トライしている先学も多いです。 事情が複雑なものを、直訳したら変になっちゃいます。時代をよくよく考えて理解してゆくべきです。

                 ・

もう明日明後日に本来の7月7日のタナハタです。

用例を掲げておきます。

Tanahata

Tanahata3

Tanahata4

Tanahata2

     

         ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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2012年8月18日 (土)

8月15日には、色々と思いますです。 『ホツマ辞典』のあとがきの更新のこと。  根拠のこと、大きい小さきの差のこと。

もう、東北地方太平洋大地震から、600日を経ようとしてます。

福島原発事故の際に、安定化ヨウ素の配布が為されなかったので、

危機感を覚えて、及ばずながら、せめて海藻類の摂取を!  と、

あの時期ほぼ、一ヶ月はこの事ばかりに集中していたのを思い出します。

賞賛すべきの独自判断で、わずか一町村だけが、安定化ヨウ素剤の配布をしただけでしたね。

除染のことも、初動の取り組みの遅れが悔やまれます。

当時、文部科学省の説では「除染なんかするな!」と言ってた報道を聞いた覚えがあります。酷(ひど)い話でした。

             ・

不幸中の幸いに、最悪の事態の事故には至らなかったこと、

今になって、胸を撫で下ろすばかりです。

       ・          ・

諸事の問題の根底は我が国の歴史や、我が国家のことを誤って認識している、事が真因と考えられます。

国家のしっかりした立ち位置の見直しのことは、

こういう意味で緊急の事態です。 ここで間違った方向の、

『古事記』教の神話に戻ってしまっては、

またぞろ、同じ轍を歩むことになるように予想されます。

記紀の原書の発見があったので、

やっと、本来の我が「縄文日本」の精神に立ち返ることが可能になったのです。

             ・

『ホツマ辞典』のあとがきを、3版になりまして更新しました。

東北地方太平洋大地震の災害のこと、お悔やみ申し上げます。

もっと早くに気付いていればと、悔やまれます。

Img107

                 ・

今日から、旧暦のアキ(秋)の始まりです。

あらたに、しっかりとしたものを、作ってまいりましょう。

ヲシテ文献の国史の国学の再構築のこと、

本当に1割か2割か、

端緒に取り掛かっただけの事です。

あまりにも、多くの仕事が山積で御座います。

                               ・

ヲシテ文献の根拠は、

記紀との対比比較を厳密にしましたら、

記紀の原書であることが明らかになった事にあります。

さてどうするか?

考古学との照合も必要ですが、「マサカキ・コヨミ」の事も我々現代人には理解が困難であって、照合以前に理解・解読に手こずるわけです。

モモだって、渡来物だと、つい先年まで言ってたのが考古学です。弥生は500年遡るとかと、漸次進展中の結果との厳密照合は困難です。

モモはヤマモモだったのではないか?  など、解釈も悩み悩みに試行錯誤してましたのを思い出します。 本来は、記紀の原書の発見がありこの認識にたって、考古学はその担当分野で真摯に判断の事が望まれます。

また、

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」族が跋扈する事も困りものです。

三段目ロケットとしての位置のものは、「日本ヲシテ研究所」に推奨書籍として掲示します。ここに、掲示のない書物は無視をなさって下さいますことを願います。『古事記』だって『日本書紀』だってひどい人達にかかったら、オカルトや「萌え系」書物に仕立て上げられちゃいます。

解明理解におきましては、例えばラテン語の言葉も、時代によっては、大きな変容が生じています。

ヲシテ時代語も同様で、長い年月には変化が及んでます。それを、現代語にしかも漢字かな交じり文へ直訳なんかしたら、全く以て原意を損(そこな)なった奇妙奇天烈の直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」です。

少なくとも、直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」と一緒にされては迷惑です。わたくしなどは真面目に取り組んでいます。

直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」はおとしめ族ですから、排除のことは、わたくしも賛同で御座います。応援致したい所で御座います。どんどんやって下さいませ。 お願い申し上げます。

                 ・

何はともあれ、原文を原字で読んでもない人には、

ワケがわからないことです。特殊ヲシテ文字の使い分けさへ分からない人が、直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」をねずみ男のように作って貶めてきているのです。困ったことです。

最低でも、記紀との比較の『定本ホツマツタヱ』を見てからの事ですね。 

第一番目の一丁目一番地の記紀の原書としての根拠を見ずに、では、何も理解など出来る訳がありません。

また、誰かに? 誰かに?  と、有名な人に縋(すが)る「誰かに病」も間違いです。周囲はみんなが旧守派です、殊に著名な人ほどそうです。 加倉井隼人は、乾退助(板垣)の横押しの企みを読み切って、江戸を戦火から守りました。考えてみましたら、海舟や西郷隆盛だけで事が上手く運んだわけではありませんね。

                 ・

「黒書院の六兵衛」もどうなってゆくか?  ですね。

勝海舟が活躍の原泉は、どうしても必要になった蘭学を一生懸命に修めたことにあります。日本が列強に蚕食されなかったのは、海舟のほまれだと思います。

           ・         ・

女川原発が震源から近いのにもかかわらず、近辺の被災の人達の避難地と成り得た違いは何だったのか?

と、疑問に思っていましたら平井弥之助さんという、偉い人物があったおかげだと知りました。何時の世にも偉い人は居て、その役立ての仕方の問題をどうするか? のことでしょうか?      

 

          ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

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2012年8月14日 (火)

国家のあり方を、原点に立ち返って見直すこと。『古事記』ではダメで、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の尊さについて。

『古事記』に依る「神話」がどうして、良くないかのことです。

これまでの、わたくしの

遍歴のことから考えてみます。

                ・

今から40年ほど前のこと、『ホツマツタヱ』を読み進めていたわたくしは、『古事記』も見てみました。岩波書店刊「日本古典文学大系」の『古事記・祝詞』でした。これは、『古事記』だけでは薄っぺらいので、「祝詞」の『延喜式』など所収の30篇が付け加えてある。「古典文学」の範疇に纏められたものでした。「古典文学」ですね。よく考えますと違和感を覚えますね。国史じゃなくて文学なんという範疇ですかね? 「神話」ならば、そうなのでしょうけどもね。

当初の、40年ほど前には、わたくしも『古事記』を読んでも、特に、際立った感想を持たないでいたことを思い出します。

ただ、

『古事記』に対しての認識が、だんだんと変化をしてきたのは、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』と、『日本書紀』『古事記』との、対比比較を全文で終えた頃からだったと思います。 「三書比較」の初稿の完成は、昭和55年(1980)の事でした。 わたくしがヲシテ文献に取り組み始めたのが昭和47年(1972)ですから、8年後のことでした。ちょうど、毎日新聞社『秘められた日本古代史ホツマツタヘ』の刊行の頃です。

どう変わったかといいますと、

『古事記』は神武東征を、「何処か、良い所があるので、そこを攻め取ろう」という構図で描いていました。『日本書紀』も同様です。ところが、既に、わたくしが『ホツマツタヱ』などの「ヲシテ文献」で知り得ていた本当の事情とは、『古事記』記述は全く異なったものであるのでした。

第二次世界大戦で、日本は、もっとこうしたら良かったのにと今にして思い返すことは色々あったにせよ、有色人種の開放を掲げました。  その一方で、同盟を結んだナチスドイツは、他民族の隷属的支配と民族浄化を意図しました。

この二者間では大きな違いがあると見て取れます。 

ヨーロッパ戦線での、残忍な戦争被害を見ますと、同盟を結んだがために、一緒にされては困ると思うのは、私だけでしょうか? とは言え、『古事記』教的な世界観を持っていたままでは、また、同様の不幸に未来苛まれる事が起きるとも予想されます。

根底の違いは、『古事記』の「神武東征神話」と、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」での「タケヒト・ヤマトウチ」の伝承との、その精神の違いに当てはまる大きな基本精神の相違点です。

ダース・ベイダーと、 同盟軍との違いです。

                ・

「ヲシテ文献」の「タケヒト(後のカンヤマトイワハレヒト、神武天皇)」は、世論の沸騰する後押しによって、「ヤマトウチ」を敢行しました。兄たち三人も戦死してのやむにやまれぬ強行軍でした。

「ヤマトウチ」の敢行の直接のきっかけは、

「のり・くたせ」(法の鉄槌を下せ)の世論が沸き起こったのでした。

ヨ(世の中)を混乱におとし入れるナガスネに、法の裁きを下せ! の、世論です。ナガスネが法を犯し、世の中に戦乱を起こしたのです。ナガスネを指導するべきキミのニギハヤヒは黙認でしたから、ヲヲヤケに対しての責任放棄の罪があります。

Nagasune1

Nagasune2

ダース・ベイダーとは全く事情が違うのが、「タケヒト(神武天皇)」のヤマトウチです。

秩序の再建の為の解放戦なのです。つまり、言わば同盟軍の英雄的な進軍が「ヤマトウチ」だったのです。 何十年と、ナガスネヒコの軍事的な専横に、国民があえいでいたのです。それで、「のり・くたせ」のウタが流行ったのです。

苦難に満ちた「ヤマトウチ」の、

その結果、ニギハヤヒはいよいよの所でハラ(腹・肚)を括(くく)ってナガスネヒコを処断して、マツロイ(恭順・降伏)ました。 

Nagasunehiko3

ニギハヤヒの子孫は、のちに、モノノヘ(後の物部氏)となって皇室を守ります。

単なる政権奪取などとは、わけが違う深い理念がここにはあるのです。

道に悖(もと)る軍事制圧だったら、臣に降って物部氏として、何代も何代も代々に仕えることなんてするわけがありません。

それは、古く、縄文時代からの統一国家の伝統の重みがあっての、歴史的なルールの存在があったからです。

詳しくは、 『ホツマで読むヤマトタケ物語』にも紹介してます。

いい加減に、『古事記』のインチキ神話の騙しの世界から目を覚まして欲しいと念願します。

『定本ホツマツタヱ』に、ちゃんと比較対比してますから、目を見開いてご覧下されば、はっきりわかるはずです。また、ご自身でちゃんと比較をなさってみる事の方を、もっともっとお勧めします。 わたくしは、単なる手助けだけです。

さらに、

『古事記』流では、どうして? 伊勢神宮が伊勢の土地にあるのか? 説明がつきません。高千穂に天下った九州の豪族が、どうして? 祖先神を伊勢に祭るのか?  ワケが解りません。 何ら、伊勢の土地とは繋がりが皆無なのです。恣意的な改竄書が『古事記』ですからね。だから、『古事記』はダメなんです。

そうではありません。

我が国は縄文の太古の昔から、北は青森から、南は九州南端まで由緒正しい統一国家であったのです。その伝統と歴史の長さは、実に、地球上で最も永く久しい長久の国家であり、全世界で唯一現在までもに太古からの命脈を受け継いでいる貴重さだったのです。厳密に少ない目に見積もっても6000年、建国の茫洋としている間(はざま)の特定はむつかしいですが、おおまかに言えば10000年はあるかとも思われます。

たまたま、12代ウカヤフキアハセスさんが九州の農業指導に行幸の際に崩御あそばしましたことから、ミコ(皇子)のタケヒトさんがご臨終にご遺勅を聞くためにミヤサキ(宮崎)にお出かけ為されたのです。

伊勢は、かの名も高き8代アマテルカミのミヤコ(皇居)の尊い土地でした。ヲシテ時代の中期の高度な哲学・文明の育まれた土地としての尊さです。ですから、本当の「日本」のふるさとのひとつなのです。尊いことです。

詳しい事情をすべてブツブツにちょん切り抹殺して、 我が国史を貶(おとし)めた『古事記』は良くないと判別出来るのです。

           ・            ・

我が国の尊さは、

「ヲシテ文献」をクニの歴史として取り戻すこと、これが唯一のミチ(道)、

と悟るようになりました。

『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」は記紀の原書なのです。もとに戻すのに、何を逡巡することがあろうか?

すなわち、『古事記』の神話は、ダース・ベイダー的であって、過去にも間違いを経験したように、また未来に災いを招来するものであり、これをどのようにして、本来の美しいものにと直してゆくか?

これが、わたくしの長い長い苦難の道の主眼点になったわけです。

  

『古事記』に尻尾を振る鳥居礼くんなどと、 全く違う立ち位置が、わたくしの立場です。 それで、彼とはマッタク歩み方が違うのです。 これからも同様の長い長い苦難の道です。 ですが、わたくしは逃げはしません。誤魔化しも致しません。歩みはのろくとも、迎合は一切致しませんですね。 何しろ何があっても逃げないのがかねてからのわたくしの信条です。

「ト・コ・ヨ」のこと、

長鳴鳥は、誤訳もいいとこです。記紀それぞれ共に大間違いの直訳誤訳です。

『定本ホツマツタヱ』を掲げます。

縄文精神の高貴な「ながさき」(あなたの幸せを祈ります)の「おとり(舞踊・ダンス)」を、長鳴鳥だなーんて、あまりに低俗です。だから『古事記』はダメなんです。

Tokoyo3

               ・

松本善之助先生にご指導を賜った事が、

わたくしは頻繁でしたから、

毎日新聞社版の『秘められた日本古代史 ホツマツタヘ』には、

原稿の清書のお手伝いをさせてもらいました。

ヲシテ文字の「よしのすけ」は松本善之助先生の、「善之助(よしのすけ)」です。

「ぜんのすけ」と、一般に呼ぶ場合もありますが、

藤原定家を、本当の呼び方の「さだいえ」と、今では、ほとんど聞いたこと無いのと同じですね。

Photo_62

                 ・

数日先に、本来のミナツキ・スエのミソギです。

Minatukisue

秋に向かって、より良い仕事が出来ますようにと、

ミソギ(禊ぎ)をいたしましょう。

Minatukisue2

Minatukisue3

 

          ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

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2012年8月 3日 (金)

勝海舟、『氷川清話』の「きせん院」の行者のこと。 「ほつま」の広まる3段階。

あらためて、勝海舟のこと、『氷川清話』を読み直しました。

本所の「きせん院」の行者がキーポイントの海舟の心の師匠だったとのこと、

よくよく、理解できてきました。

恬として恥ずべきの無いことが、それは、つまり、ウタの出来る生成の間際の「まこと」と同じ意味だと言うこと、その様な感じかと思いましたですね。

               ・

恬として、という、意味合いはヲシテ文献の時代にはどう言うことだったのか?

「アメのミチ」と呼ぶ事と近いのかも知れません。

Amenomiti1

よくよく、考えなくてはなりません。

まだまだ、まだまだ、先は長いことで御座います。

なお、「カミノミチ」の言葉は、ヲシテ時代の中期に遡れるのはアマノコヤネさんのお言葉のたった一例だけです。

Kaminomiti

         ・          ・ 

また、副島隆彦『そもそも仏教とは何者か? 隠された歴史』(PHP)も、

そこそこ、面白いものです。富永仲基を見てたら、驚くこともないですがね。

1000年はもとより、何百年なんてちょっとも、ちょっとも、ですね。

             ・

なお、高取正男さん『神道の成立』1979 平凡社選書
も、見ておくと良い本ですね。当然のこと、『大言海』は勿論、同様の認識です。下記に引いときます。詳しくは、ご自分でお調べ下さい。

Sinntou

漢字渡来以前に我が国は文明国だったことを、ヲシテ文献で判明しましたから、さらなる「縄文日本」の構造の解明と、顕彰・普及を目指しているわけです。

その故に、「神道」なーんて、漢字渡来以降の物事に心を奪われてはなりません。もっともっと、我が国の根底にはさらに尊いタカラが秘められているからです。

           ・       ・

さて、ヲシテ文献の名称を使い出して10年は過ぎました。「ヲシテ」の言葉は、怪しげな人達対策で商標登録はしてあります。

と、申しますのも、過去の、広めゆく時代には、大きな区切りがあったことを思い出します。

「ギアー ギィアー」と、鳴く声があって、

今、女房が、アオサギの翔びゆく鳴く声だと、教えてくれました。優雅な飛翔の姿だったとの事でした。

ひどい人達がこれまでとても多くて、だいぶ痛い目に遭わされ続けたのでした。わたくしも知らぬ間に防御の事を勉強しました。何でも勉強とは言え、そんな事は…  、 ですが。

                 ・

①、第一期は、他の怪しげ「神代文字」と味噌もクソもごった煮の状態。「古史古伝」とごちゃごちゃ状態の、ひどい名称。

      吾郷清彦にはじまり、鳥居礼の時まで。

Toriikosikoden_2

   「古史古伝」か、あるいは、オカルトの範疇のひどい時代。

   Okaruto_3

  国史の範疇に入れなくてはならないのに、どうして?

   「超常現象・オカルト」なの? 

      これは、とても信 んじる事など100%出来ない仕打ちです。

   おとしめも、いいとこですね。  此処まで来たらかえってあきれかえって笑えます。彼らは、『古事記』も何もかも混合です、特に、重んじるのは『古事記』のところですね。どっちが原書で尊ぶべきか? も、ヲヲヤケの立場に立って解ってない。 天照大神を『古事記』根拠に絵に書くのですから  …  ね。外宮さんの遷宮記念館の絵にはびっくりです。 鳥居礼くんは『古事記』のお絵描き画伯と称するのが最も適切です、 ね。  そう言えば梅原猛さんの学研M文庫の『古事記』にも鳥居礼くんが表紙をやってました。

Umebarakojiki

私なんぞには、絶対に話も来るわけもありませんが、 万が一にも大金を積まれても、『古事記』教の頒布への加担へは、まず、するわけが無いです、  ね、 。

でも、彼らは完璧な相違を呈するようです。 いわば、人種の違いと言うべきかと思います。民族とか国家よりも、もっと相剋の深い何か違う原理で動いている人達のような気がします。『古事記』大好き人間のところなのでしょうね。何故に? 『古事記』的なアマテルカミを絵にするのか? です。驚きもいいとこです。

それで、せっかく見つかった奇跡の大発見の宝物の本物をコケ(虚仮)にするのですね。売られて損するのは、我が「日本」の縄文からの大文明です。そして、未来の人類の幸せです。

その気持は、ヒトとして最も大切なところを、渡来人に売り渡して何とも思わないような事々ですね。何しろ『完訳ホツマツタヱ』だ、なーーんて、「我こそは! 」  と、大上段で振りかざしてたのは?  何だったの?  確信的な遣り口の解っててやってるのか、理由(わけ)もわからず、魂を売り渡してるのか? わたくしには即断が出来かねます、  です。 どっちにしても、酷(ひど)い話です。 

    

              ・

この意味でも、

まだまだ、神道記念館は、良いです。

せっかく行くならですね。 神宮文庫のお隣にありまして、原初からの我が国の儀礼が冷静に展示されてます。ついでに、神宮文庫もいろいろ、面白いものが多く所蔵されてます。徴古館(ちょうこかん)も、勿論お勧めです。農業館も、です。

Webで見といてよかった部類ですね。

せっかく見つかった、わがヤマトコトバの大文明が、

どうして? Chinaの許に組み従えられなくてはならないのか?

それは、間違ってるでしょう!

ということが、私の主張です。

 

                 ・

②、第二期は、漢字かな交じりの直訳偽書「秀真伝(しゅうしんでん)」の状態。漢字にかぶれての事が抜けないのですね。どうして、China卒業が出来ないのか? それは、記紀との比較対比をまともにやってもないし、見たこと無い不勉強のためですね。Chinaが好きなんでしょうね、彼らは、本質的に。

 尊いわが「縄文日本」の大文明を、Chinaまぶしに包める魂胆がけしからんと、わたくしは思います。美味しい安全な国産小豆のアンコを、どうして? China皮に包むのか!?  ?  です。  絶対疑問です、ね。

      鏑邦男のあたりから、今まだまだ、抜け切らない状態。

      鏑邦男は、直接に行くと難しいから、ちょっと曲がって、直訳でと、言います。

      それが、優しそうで、実はインチキ取り込めの詐欺まがいなのですね。

      根底の我が国のタカラのヲシテ文字を、また、消去しようという陰謀です。ヒト(人)をコケ(虚仮)にしようと企(たくら)む悪しき奴らです、ね。 漢字かな交じり文なんて、直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」のコトですが、そんなモノを見たら、フツーの人は偽書だ偽書だ!と、判断するのが当たり前です。 貶め族の位置です、直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」はですね。   

                 ・

③、第三期は、ようやく、ヲシテ文献は、本来のヲシテ文字の原字原文で読んでこそだ、と、いう段階。

      ここの、3段ロケットの発射をしようとしますと、2段目の切り離しをきちっと終えてからと言うことです。何時(いつ)になったらかなー、 と、点火準備は整えつつ首を長くして待ってる状態です。

この、3段目ロケットの段階に到達した書籍は、 「日本ヲシテ研究所」の推奨書籍の欄に掲載いたします。  首を長ーくして出現を待ってます。種々の良い書籍の出現を、です。  言っときますが、他の人の著作も、ちゃんと掲載してます ヨ。ヲヲヤケの立場にたって「日本ヲシテ研究所」の運営をしてゆきます事ですから。

 とにかくも、なにか変だな?  と、思ったら、「日本ヲシテ研究所」のページをご覧くださいませ。

こちらは、真面目に誠実に進めてきております。「きせん院」の行者に誓っても誠だと言えます。

勝海舟の思いは尊いと同感に思います次第です。

何故ならば、記紀の原書が発見されたから、本来の「日本」の精神に拠って、未来をより良くするためにあれこれと直してゆこうと言う思いなのです。

               ・  

さて、UFO研究家のこと、「うさぎ」さんなどなどのことなどですが、

有りもしないことを論(あげつら)うのは、これは、直訳の偽書製作の以前の問題です。

直訳偽書よりも低いえげつないレベルの事でして、何とも、表現方法に良い案が出て来ませんです。煙にも無い事を、付け加えて、其処を根拠と言い論(あげつら)うなど、言語道断です。此処まで来ると、どう言って良いか表現の言葉がひとつとして浮かびません。わたくしの能力が不足して語彙の処理能力が少ないからでしょうか?

わたくしの推奨します書籍は、 「日本ヲシテ研究所」の推奨書籍の欄に掲載いたしてます。 よくよく何十年もひどいめばかりに遭遇して参りました。

      ・        ・

此処は、置いておいて、気を取り直して、の、前向きにですね。

          ・   

冷泉家の「すすき」のお題でのウタです。

  

  みなつきの モチの夕(ゆう)へは

  切られても ススキも無きも

  またも穂は出つ

 

あと、10日程で、ミナツキのハライ(6月末の禊ぎ)です。

今年の暑さも、もう少しで越せそうです。

Minatukisue

 

  

          ∞     ∞     ∞

直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、間違った方向はマイナスですから、逆方向です。

ひどい人たちにつきましては直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」

として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

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