富永仲基のこと、思想の前後関係のこと。 大賀ハス、やまさくら。
再び三度、富永仲基(とみなが なかもと)の事を、言っておきたいと思いました。
記紀の対比比較、さらには、ヲシテ文献との対比比較をする基礎学力として、
富永仲基の「加上(かじょう、加え上げ)」の考え方をマスターするか、そうで無いかで雲泥の差が生じてきます。
富永仲基の『出定後語』からの言葉の「世界随心起」の書です、昭和59年(1984)は事は、もう28年前ですね。思いが余って筆が進み過ぎました、「起」がはみ出てしまいました。仲基に感動のあまりのことです。
各文献類の比較対比してからの、価値判断の事です、考慮の事です、この進める方法についての基礎です。仲基の真価はです、ね。
ただ比べるだけなら、コンピューターで出来まして、その方がミスも無くて何百倍も正確です。
そうではなくて、検出した各文献の違い・相違について、どのように判断を下してゆくか?
これは、ヒト(人間)でなくては出来得ない仕事です。価値判断の事です。
その為には、基礎の考え方を身に付けなくてはなりません。
富永仲基『出定後語(しゅつじょう こうご)』は、天才の仲基ならではの才知がみなぎってます。思考の進めてゆくやり方を知らないでほおっておく手は無いと思います。極論しましたら、仲基のアイデア無くしてはヲシテ文献の真実の光輝には辿り着けないと思います。それ程に、かの、仲基の天才の知恵を知る事が、ヲシテの夜明けだと考えています。
<写真の、中央が『出定後語』(隆文館)、右は『翁の文』のコピーです。
上に仲基の書です。仲基は兼齋と号しています>
つまり、『出定後語』をじっくり読めば、
『ホツマツタエ』と、『日本書紀』と、『古事記』の同内容の表記個所の微妙な相違点について、どれが古くて、どれが後から書かれたものであるかの判別がつくのです。
この差が解ってきましたら、直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」を見てゾッとするはずです。
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この他に、ヲシテ文献に拠る「国学」の再構築に欠かせない書物を下記のアドレスに掲げています。
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/page16.htm
仏説は、シャカの没後、特に大乗説の経説は仏滅後500年の頃に多く作られています。それらは、全部、仏説となってますが後から色々の説が加えられて膨大な量になってきているのです。コンペイトウの芥子の実一つに、何倍ものお砂糖が付いてきて大きくなったようなものです。何層にも重なった経説の、その前後関係を読み解く知恵が、『出定後語』に秘められています。
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「三物五類は立言の紀」
元々の梵語の経典が、多くの人によって漢訳され、その際に付け加えられゆく説もありました。人に拠っての説の変化です。≪言は人にある≫
言語の地方差によっての変化もあります。梵語のGangaに対して鳩摩羅什は恒河と訳し、玄奘は歹(編)克(つくり)・人(編)加(つくり)と訳しました。また梵語のSumeruに対して鳩摩羅什は須弥と訳しました。玄奘は蘇迷盧と訳しました。言語の地方差からの差異が生じている事です。≪言は世にある≫
≪言は類にある≫類には5種類に分類できます、変化の様です。
1、「変幻張大」「拡張張大」に変化させる類。
2、「偏」は偏(かたよ)って誇張する類。
3、「泛」は単純に転用をした類。
4、「磯」は転質をした類。
5、「反」は、悪の意味に用いられていたものを、善の意味に、反値性をもたらした類。
この、分析法によって錯然としていたものが、はっきりと前後関係をもって理解できる、「三物五類は立言の紀」ということです。詳しくは、『出定後語』第11章の「言有三物 (言に三物あり)」をご覧ください。
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「さくら」の花見に近くに行きました。ソメイヨシノのドームです。
写真のシャッターを、居合わせた人に頼みましたら、
外国の人でした、ちょっと面喰ってのことでした。
左右入れ替われとか、腕を組めとか、言葉が解らないでも身振り手振りで理解は出来ましたが、こんな田舎で? と、面食らった状態でした。
もう、そんなに違和感のない事になりましたね。これからは更に加速するのでしょうから、なおさらです。
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大賀ハスの植え付けに遭遇しました。
直根のハスですね。
多少湾曲してるのは、交雑配を防ぐために鉢植えにしてあったためです。
縄文時代のハスの芽吹きです。
とつ国(外国)の人にも、「トのヲシテ」の理念が解っていってもらう事が、これからの「日本」のミチ(道)だと思うのですね。
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それには、もっと、きちっと解明作業が進めての事でなくてはなりません。まだまだ、ほんの序の口に差し掛かったような程度の事ですから。
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ヤマサクラを幾つか。
大賀ハス(縄文ハス)を植えつけている池の畔です。
下の写真は、うちのヤマサクラです。
そして、自生のヤマサクラが次です。
鞍居桃の苗木の、その後の状況です。
ウチに来た鞍居桃(日本の固有種のモモ)は八重のようです。
あと、数日、どんな花が咲くか?
たのしみです。
切り花では見てても、ちゃんとしてのイノチ(生命)のつむぎのハナはとても楽しみです。 葉芽の伸び行き方が、何倍にも大きいです。切り花では、花芽ばかりが突出してのいびつな開花でした。それは、これで、綺麗ですけども。生命を繋ぐには、ちょっと違う要素が強くなり過ぎです。活力の元の葉っぱが無くては、寂しい限りです。
この、わが国の固有種のモモの鞍居モモ(桃)のハナとミ(花、実)のなりゆくさまを、じっとじっと見つめ続けていたら、これ迄、どれ程に、考えに考えて来ても解らなくて困っていたことの幾つかが氷解して来るかも知れません。ゾクゾクの楽しみです。
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追記
4月15日の朝の開花の状況です。
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追記
-うるう(閏う)のヤヨイの事-
今年は閏月でして、3月の閏うです。
もう、今夜か明日の夜はお月様もスエ(末)のユミハリ(弓張り)ですが、新月のツキタチ(朔月)になっても、次の月の呼び名が変わりません。3月のままです。ヤヨイのウルウですね。「閏う」のヤヨイはスローペースの季節の流れなのかもしれません。ムメ(梅)も半月遅れでした。おヒさま(太陽)と、おツキ(月)さまのめぐりは、我々に深い及ぼしを常に常に片時も外すことなくヒタヒタと恵んできていることを思います。
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直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、
として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。
原文を読みますと、本当に麗しく、感激します。
でも、一端、漢字仮名交じり現代文に直訳しましたら、偽書になってしまう。
何故ならば、言葉の経年変化の時代性を無視するので、誤訳になるからです。
1300年来の誤訳です。
1300年来の事、この間に、国語は大幅な変化を経て来ております。
1300年来の、国語の変化を無視して直訳するから、偽書になるのです。
字(本来のヲシテ文字)も読めない人の言う事は、無視してください。
現代訳はありますか? なんて言う、いかれた魂胆が偽書の始まりです。
そんなあなたは、偽書を求めて、そして「偽書だ!」「偽書だ!」と騒ぐのです。
ちゃんと、原字で原文でお読みなさいよね。わたくしは、当たり前のことを言ってます。
古典は、元々の原字原文で読むべし! わが国の古典ですよ。
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
直訳偽書の「秀真伝(しゅうしんでん)」も「偽書」の一連と同等です。
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新しく出た本を買いました。
ネット注文でまだ届いていませんが、楽しみです。
はじめまして‘おもち‘と名乗らせてください。
前に出されている本も買いました。あまり理解できていませんが・・・。歴史だとか縄文だとか(池田先生には重要だとおもいます、ごめんなさい)あまり考えずに読んでいます。
はじめて見たとき縦書きの丸や三角やら、その中にある点・直線、直線をうける横線などが何か意味を持っていて縦になったとき下に下に流れていくのを見て気に入りました。ひとつひとつの音の文字が連なっていくのが楽しく感じ、濁点や数字はイマイチ解らないのですが夏目漱石や石川啄木・芥川龍之介の文をヲシテ文字で書いて、ちょっとやれば出来る?ような気分に浸っています。
歴史の人物名を一通り濁点抜きで書きだしたりもしました。単語の意味とかも抜いて、とくがわいえやす のヲシテ文字の並びが好きです。幼名の たけちよ も好きです。
こいつ何が言いたいの?と言うコメントですが、私はヲシテ文字が好きです。生まれてくる感じがしてすきです。これからもいっぱい本をだしてください。まとまりのない文章でごめんなさい。
鞍居桃の蕾、かわいいですね。
投稿: おもち | 2012年4月15日 (日) 06時03分
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愛(め)でて頂き有り難うございます。ご注文も有り難うございます。
「ホツマ」から、本格のヲシテ文献への道はけわしいので、ぼちぼち、出来る範囲でお進みくださいませ。ヲシテ時代の、あの爽やかな源流の時代のお人のお名前などが、ヲシテ表記にふさわしくうるわしい事でしょうね。 でも、現代にも、ヲシテの文字形からくるイメージは、濃厚に残っています。動詞の活用や、発声する際の口の形にも、ヲシテのイメージ(概念)は、知らず知らずのうちに活きて現存して活躍してます。
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うちに植える事の出来ました「鞍居桃(くらい もも)」は偶然に珍しい品種で八重でして、今朝は8輪咲きました。「鞍居桃」は、ほとんど全部の花が実を結ぶそうです。たのしみです。
写真を、ブログに追記掲載します。
投稿: いけだ | 2012年4月15日 (日) 06時19分