稽古の事、「一から十へ、そして、また、一から」
稽古は一から始まって、十に終わって、また、一から始まる。
というのは、
お茶の先生が、よく仰っておられた事でした。
ホツマツタエなど「ヲシテ文献」は、遠い千年以上もの埃(ほこり)を被(かぶ)ってたものを、
一からの手探りでの、解明ですから、
本当に、十に終わって、また一から始めて…、 そうしてこそ、
本物のレベルに解明が進んでゆくと思います。
それは、我が国の本来の文明力がとても大きいからです。
なん順も、何順も、繰り返して考えて考えて、大きな発見に繋がるのだと思います。 ヲシテ時代の国語の解明も、今まさに、もう一歩前進の雰囲気もあります。
ヲシテ時代からの、それも初期などの頃からの連続しての国語の発達を、
わたくしは、20歳前からずーっと考究を続けてきてました。牛歩のような蝸牛の歩みの様なものですが。
浅野信先生の解明を、突破口として見つけ選びました。それは、今にしましても我ながらにも良い目星しだったと思います。浅野信先生には常に感謝の念が絶えません。
あれからもう、40年近くにもなりますが、ここに、今春の初めに一つのアイデアが浮かびました。あきらめずに、「倦まずたゆまず」考え続けて来ていたからでしょうか? そのうちには、もうちょっと目鼻を付けてから公開したいと思っています。今春のアイデアが若しも100個にひとつの当たりだったとしたらですが… 。
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直訳誤訳の困りものの人達の行為に対しまして、
として、表現をしておきますと解り易いかと考えました。売国のレベルだと言うと、言い過ぎでしょうか? ねずみ男の様だと言うと、ぴったしかも知れません。
原文を読みますと、本当に麗しく、感激します。
本来の「日本」の源流はこんなにも尊いものであったか!
です。
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でも、一端、漢字仮名交じり現代文に直訳しましたら、偽書になってしまう。
どうして? こんなに、劇的な変化が生じてしまうのか? ? ?
それは、簡単明瞭な原理です。 つまり、言葉の経年変化の時代性を無視するので、誤訳になる、と言う因果のこと、原因ありて結果が生じると言う事です。普通に良く見られる当たり前の因果関係の、法則でした。
漢字仮名交じり直訳とは、冷静に勘案するとしますと、次のような判断になるようです。
1300年来の極めてきつく厳しく、100%に近い程の誤訳です。
1300年来の事、この間に、国語は大幅な変化を経て来ております。
1300年来の、国語の変化を無視して直訳するので、完全に純粋な100%ピュアーな偽書になると言うことで御座います。
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
「秀真伝」も「偽書」の一種です。
「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を
漢字表記してるので、スグ分かります。 お間違えなく!
せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、
なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。
共に、即、廃棄してください! 捨ててくださいね。
偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!
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