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2011年7月 3日 (日)

『古事記』の世界観が大間違いの元でした。 神懸かりの迷妄を去って・・・。  ホツマ、ヲシテ文献の爽やかな世界観へ!

『ホツマで読むヤマトタケ物語』にても、言及しました。

ヤマトタケさん(日本武尊)を記載した記述の対比だけでも、漢字文献の恣意的誤訳のひどさが解ります。

『古事記』なんて、ほんとうにひどいものですね。

『古事記』の記述の内容が翻訳削除箇所が多い事と、誤訳のひどさについての事があります。

Photo

               <伊勢神宮、外宮にてフウの実です>

外宮さんの祭神は豊受大御神(とようけのおおみかみ)とされていますが

『古事記』にて調べると、豊宇気毘売神になっちゃって、おかしくなってきてしまうのですね。 あれ程の立派な偉人が、おかしげな神懸かり料理人にされてしまいました。

ヲシテ文献で見れば、トヨケカミのことでして、アマテルカミの厳祖父のことであらせられるのです。イサナミさまの、お父上ですね。

どれほどに立派な人でも、あれこれ重箱の隅を突いたら、ほんの少しのほこりも出ます、よね。 生まれ来てから、一切もすべて罪は無い! なんて人は、これまで、お目に掛かったことも寡聞にしてか、まったくありませんです。

ちょっと、すまなかったな。

あの時、こうしていれば。  なーんて、ことの連続ですね。

毎日、毎日、悔悟の念の無き日はありませんでした。 わたくしには、ですが。

              ・

我が国の本当の精神とは、『古事記』を読めば読むほどわからなくなるはずです。

それは、『古事記』に誤訳の重なりがひどいためでした。翻訳削除個所がとても多いためでした。恣意的でおかしげな挿入文が悪影響を及ぼしていたからでした。

恣意的でおかしげな挿入文の代表選手が「因幡の白ウサギ」の物語です。

何を根拠に言うか!  と、おっしゃいます向きも多くおありかと思います。

『定本ホツマツタヱ -日本書紀・古事記との対比-にて、詳細な内容比較を公開しています。詳しく、そちらをご覧願います。

Photo_2  

まいまいが、クワ(桑)の幹を降りて行ってます。

樹上の上方のまいまいも降下し始めです。

Photo_3

雨が上がったからでしょうか?

まいまいも、どこが眼だか、鼻だか、漸くに退散のようです。

神懸かりの雰囲気から、足を地に付けた地道なしっかりした哲学の雰囲気に戻してゆかねばなりません。

うるわしいヲシテ文献を、事もあろうに「『古事記』読み」するのは、いけません。原発事故の遠因は此処にありましたのでした。

はたして、第二次世界大戦の前哨戦の中国侵攻が起きてしまったのも、元はと言えば「『古事記』読み」に起因するものであろうと考えています。諸悪の根源は「『古事記』読み」にあると言っても大きな間違いはないと思います。

              ・

天地開闢の理解について、哲学的なヲシテ時代の世界を知ることが、大きな前進になります。天地開闢についての新作の日本歌曲を『ホツマで読むヤマトタケ物語』にて添付しました。「天地創造」です。 『古事記』的世界からの脱却の一歩です。

歌の旋律をリコーダで入れたものは、下記でお聞きになれます。

http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/

Photo

上記の「天地創造」のところをお開き下さい。

新作歌曲の「天地創造」の歌詞は下記の通りです。

    池田 満 作詞。
   

  1
ふわふわと ふわふわふわと
ふわふわと こころ力(ちから)の
息の波 
果(は)てない宇宙(そら)の
果(は)てまでも ふわふわふわと
ふわふわと 息吹く風は
火(ほ)を生みて

火(ほ)を生みて 
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ

  2
ぐるぐると ぐるぐるぐると
ぐるぐると こころ力の
息の波 
果(は)てない宇宙(そら)の
果(は)てまでも ぐるぐるぐると
ぐるぐると 風(かせ)、火(ほ)の力
物質(もの)生みて

物質(もの)生みて
果てない宇宙(そら)に
形(かたち)成(な)しつつ
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ

   3
こりこりと こりこりこりと 
こりこりと 中に向かえる 
渦巻きの 
果(は)てない宇宙(そら)の
果(は)てまでも こりこりこりと
こりこりと 物質(もの)は集まる
地球(くにたま)に
 
地球(くにたま)に
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ

   4
あつさむの あつあつさむの
あつさむの 波を放てる
ふたひかり
果(は)てない宇宙(そら)の
果(は)てまでも あつあつさむの
あつさむの 極み集まる
太陽(ひ)と月(つき)に
 
太陽(ひ)と月(つき)に
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ
果てない宇宙(そら)に 
形(かたち)成(な)しつつ

             ・

歌の専門家のバリトンの声で『ホツマで読むヤマトタケ物語』にCD添付してます。

 Photo_5

ユズの実は雨上がりから元気です。

タチハナの近隣種です。

酸っぱい種類はスダチで、「酸いタチハナ」の「ス・タチ」なのでしょうね。

Photo_2

大賀ハスです。検見川遺跡の出土のハスの実からの復活です。

2000年以上前の弥生遺跡発見の実からですね。

もう、爽やかな高貴さの香りが立ち昇ってます。

『ミカサフミ』に「ハス」は出典があります。

Photo_3

「ハス・ケ」「ハス・ヰヰ」ともに、「ハスのご飯」です。

ヤマトタケさんのお祖母さんのヒハスヒメさんも、ひょっとすると「はす」に因んだお名前であったかもしれません。

Photo_4

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。 

     ∞      ∞

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

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コメント

結局のところ「言葉の絶対視」というのが、
古事記教の本体ではないかと思います。

じゃあ言葉は大切ではない、
なんでもありなのか、

といえばそうでもない。
そこには「ミチ」があると。
でも、「ミチ」は、言葉や論理ではない。
言葉や論理で表すことはできるけれど、
それは本体ではない。

ヲシテは尊いが、
だからといって原理主義にすべき
「啓示の書」ではない。

そんな感じなのではないかと。





お暑うございます。
旧暦で「ミナツキ」も三分の一ほどにもなりますと、田舎でもかなりです。
でも、冷たい井戸水を浴びますとさっぱりします。
田舎ならでは、です。

         ・

 『古事記』のひどさは、見るに見かねるものであります。そこに息づく行動原理が、我が国をゆがめるのでした。根底を直さずしては、直りません。
 なぜ、何故に、これが謂えるかと言いますと、ヲシテ文献の『ミカサフミ』と『ホツマツタヱ』と、『古事記』『日本書紀』を厳密に比べたからです。
何がどう違うか?
どの文献が原書であるか?
文献が歴史や神話として、それぞれの、国家を社会を形造る基礎とした場合において、どのように、規範が作用してゆくのか?
そこには、歴史に規範が認められて作用をしてくるからなのです。昔このようだったから、こうして良いのだ。と、歴史に範を徴して判断がなされてゆきます。
 たとえば、
 記紀のとらえ方のように、神武天皇征服説ですと、もっと、強力な軍事力をもつものがあれば、また征服王朝を打ち立てても是とされるのです。
 ちがいます、我が国は、縄文建国が「トのヲシテ」の立憲君主国家としてなされてますから、どんなことがあっても、征服王朝は非とされるべきものなのですね。
ですので、我が国の歴史の理解を、記紀の原書に据え直してこそ始まるわけなのですね。
 カミヨで見まして、『古事記』よりもマシなほうの『日本書紀』のズタズタのちょん切られの様もひどいものです。二割ほどにあるかどうか。八割ちょん切りです。恣意的誤訳や恣意的でない誤訳の氾濫。それで、ヒトノヨの記述も文脈不明になりシドロモドロです。そこに窺い知る規範もズタズタ。神武天皇武力征服説です。
 『古事記』のほうは、さらに、神憑りのバイアスが強く掛かってますので、いつまでたっても、パワースポット巡りになっちゃいます。
 また誰かが言いますね、こっちのほうが、強力なパワースポットだと。声の大きいもの勝ちで、権力の強いもの勝ちで、原発避難の被害の人は忘却されるがままになっちゃいます。
規範を正さねばなりません。
それには、歴史を直さねばなりません。
どの文献が原書であるか?
突き詰めて考えてこそだと思います。
わが民族の規範を歴史に求めなくては、将来が立ち行かなくなってきます。最早、その時流に突入し始めましたような感じです。そのための、歴史の据え直しです。

 
 
 
 
>わが民族の規範

それがいかに成り立っていったのか、いかに見出されたのか、それを物語ってくれるのがヲシテ文献ですね。

しかし、ヲシテ文献の中に、言霊の原理を見出して喜んでる愚か者も山のようにおる訳です。

例えば、

・48音の一つ一つが陽または陰のユニークなエネルギーを表す。=アワの神(陽陰の神)。
・24種の陽エネルギーと24種の陰エネルギーを組み合わすことで森羅万象は生み出される。
・つまり言葉は万物の源であり、創造とは言葉を発することに他ならない。
http://gejirin.com/src/A/awauta.html

こんな事書いてる。

前半2つはかろうじて許容範囲ですが、そこからいきなり「つまり言葉は万物の源であり、創造とは言葉を発することに他ならない」となって、カルト化します。

こういう錯誤は、ヲシテを真書・原典と見極めても、それだけでは解決しないのです。

 
 
 
 
ヲシテ文献の、初心からの路行きは困難なものだと思います。
ヲシテに言う「め・を」の概念、つまり重いもの・軽いものの捉え方を、「陰陽」で直訳したらもう、おかしくなりますです。
      ・
われわれ千数百年来の漢字国字化時代の因習をどうやって掘り抜けるか?
それには、漢字文献との対比比較がなければなりません。

    ◎    ◎
 さて、
漢字文献とヲシテ文献との詳細な真面目な比較をしてから、
その違いについて、よくよく考え抜いて、
しかるべくどうしてゆくべきか? の、話について、
私は語ってきております。
第一には、ヲシテ文字でちゃんと当時の心を読めなくてはなりません。(直訳の「秀真伝族」はダメです)
第二には、ヲシテ文献と漢字文献との比較をして、差異の認識をすること。
第三には、価値判断です。記紀とヲシテ文献のどちらがマトモか?
第四には、勇気です。正しいと解ったら、そこに価値を見出す勇気です。誰がどう言っても、価値判断して決断するのは自分しかいません。

 
 
 
 
 
>ちゃんと当時の心を読めなくてはなりません。

のここですね。
キモは。

ルソー・マルクスで逝かれていると、ここんところでアカンようです。この解毒、2年かけました。ほぼ終わりです。その結論が、

>結局のところ「言葉の絶対視」というのが、
>古事記教の本体ではないか

です。

 
 
 
 
 
  『古事記』の大罪につきまして

  細部にわたって言い出すとキリがありませんが、私の思い至るところの三大大罪をあげます。国家・国民からの視点です。

 1、アマテルカミを天上界の存在としたこと。
(オシホミミさん以前をすべて天上界にしてしまった。『日本書紀』も同罪なので漢字訳の際に発生したと認識されます)
 2、建国の為された理念と時期の誤認。
(初代クニトコタチによる立憲君主国家の建国を、神武天皇の武力征服建国にすり替えた事。『日本書紀』も同罪なので漢字訳の際に発生したと認識されます)
 3、何でも崇拝の対象にしてしまうこと。
(天地開闢から始まる歴史を、空想神話に改変して崇拝すべき「神」をあまたに創作した事。『古事記』独自の大罪)

            ・

『古事記』は国家を迷妄に陥れるモノです。
ですから、除染作業をしなくてはならないのですね。

 
 
 
 
>神武天皇の武力征服建国

は、秦の始皇帝になぞらえたんでしょうかねぇ。


とにかく、除染ですね。

私たちのこころと、
そして歴史的事実の。

 
 
 
 
 大体におきましての目安で、『日本書紀』はセシウム137か、ストロンチウム90の程度。『古事記』の毒素は、プルトニウム程の猛毒のように考えなぞらえても良いように思います。
 変な例えですけども。
         ・
『古事記』頒布者は、
どう見ても、汚染を及ぼし広める拡散者としてしか、把握できないと、
わたくしには、思えております。
オカルト・まやかしに幻惑をもたらすものですね。古(いにしえ)のハタレ達の輩の類です。
幻惑して、あざけり、一般の人々を窮地に追いやって、うまい汁を吸った後、被害については「想定外」だ何だと、雲に巻くのです。ムラクモの煙幕ですね。「原発は安全だ!」なんて、予備電源も用意せずに、よくぞTV宣伝なんて大々的にやってたものです。これが「ムラクモ」の実態ですね。現代において、やっと、ハタレ達の真相が明白になったと言うべきでしょうか。
つまりは、再発すると、またまたの、
福島原発被害のまた更なる続出の広域拡散者です。
これが、ハタレの真相であるのか!  と、思いますです。
原発避難の方々に、やっと、4か月たって30万円ほどの見舞金が配られるそうです。お涙金ですね。 有り難いという人が、10人のうち、おひとりぐらいは、あるのか? ないのか? 調べてみてもらいたいものですね。
         ・
原発の再稼働は、
福島原発の避難などの被害者の人々の、
少なくとも50%ほどの納得が得られて、
それからの事ではありませんでしょうか?
ほんとは、
90%ほどの納得・理解が得られてからだと思いますが………。
福島基準に、原発の今後は考えてゆくべきだと思います。

 
 
 
 
 
確かに、ハタレのムラクモですね。

一方で、ハタレの大本をたどってゆくと・・・、ソサノヲに行き当たり、あるいは、シラヒト・コクミに行き当たる訳です。

そこには、アメノミチを語らってのヨコシマがある。実は、反原発屋たちは、この類なのではないかと思っています。彼らは決して善人ではない。敗戦に日本にあって、安全だとか、非原発だとかに敏感な人だったんだけど、そこに「安全絶対主義」とか、「基準絶対主義」だとかの言葉の絶対視を持ち込む訳です。

ソサノヲさんでいえば、おそらく、ナガサキを万人にというのなら、ハタレにもナガサキを、みたいな勘違いです。

そもそも、不完全なものを絶対的だと言い出せば、こわれるのは、社会であり、人間になります。そういう勘違いは、さらにそれに適応しようとした、電力会社たちの過剰反応を海・・・。無理に無理を重ねて訳のわからぬ状態になってしまう。

今回の原発事故というのは、ハタレの乱のようなはなしではあるけれど、その起こりは何で、対策はなんなのか、アマテルさんの見極めに我々は深く思いをいたす必要があると思います。

 
 


ヲシテ時代の中期、カミヨでのコトの起こりは、怠政に端を発してました。
 
ホ6-12
「チタルクニ マスヒト(の)コクミ
 おこたれは タマキネつけて」
 
ホ6-20
「チタルクニ ミチお(を)さためて
 をさむ(治)のち ヤソキネのおと
 カンサヒお(を) マスヒトとなし(為す)
 またオトこ(弟の子) ツワモノヌシと
 コクミそえ(副マスヒト)」


ホ7-2
「(ネのクニの)
 マスヒト(シラヒト)が タミのサシミメ
 ツマとなす …
       コクミ、ハハコお(を)
 おかすツミ カンサヒこれお(を)
 たたさねは(正さねば)」

ホ7-21
「チチにこふ アカツチ、ミヤに
 トツガんと いえとミヤなく
 …     おりおりやとる
 ネのツホネ …
 ソサノヲが たたゑかねてそ
 ツルギもち ゆくお(を)ハヤコが
 おしととめ いさおしならは
 あめがした」

クーデター計画にまで発展しました。
ハタレたちがムラクモを起こして押し寄せます。
そして、ハルナは捕らえられて白状します。

ホ8-65
「      ハルナこたえて
 ヤツカレ(私)に ネのマスヒトが
 をしえけり イサオシならは
 クニツカミ これソサノヲの
 ミコト(ノリ)なり」

このあと、ソサノヲはツミを悟って回心します。
イフキヌシの差し伸べのおかげもありました。

          ・

歴史を消し去って、空想神話に仕立て上げられては、
困ったものです。『古事記』も『日本書紀』もですね。
天照大神と素戔嗚命とが密通だというのですよ。
何を、バカな。  です。

          ・
アマテルカミの述懐のお言葉です。
ホ23-26
「      サホコのクニの
 マスヒト(コクミ)が ミチお(を)みたれは(乱す)
 …      サ、お(を)えて(得る)のかる(逃れる)
 またのガ(罪)に …
 ヒトもこれ ひとりゆるせは
 ヨロむれて そのミチもとる(悖る)
 さしおけは ついにはヨモの
 みたれなす これミナモトお(を)
 たたさねは(正す) オオミツ(洪水)なして
 ふせかれす(防がれず) …」
 
    

 
 
 
 
ありがとうございます。

原発騒動も、そもそも、原発推進側に怠慢があった可能性か・・・。そこをハタレにつけいられ・・・。さらに、国を売る扇動家も現れて・・・。

戦後日本の場合は、原子力がタブーだったということが、さらに事情を複雑にしてしまいました。

 
 
 
 
怪しげなところに、取り入ると商売になると、群がるハタレ達。
その、怪しげのモトを作ったのが混乱の原因です。
前の福島県知事の佐藤栄佐久さんの事件を見たら、群がるハタレ達の手練手管がわかります。
しかして、さらに広く今回の被害者のお方々につきまして、何とかしてゆかねばならないのが、目下の緊急の喫緊の為し行くべきことだと思います。
原発被害の避難のお方々へ…。
      ・
飯館村などは、自立しての立派な運営をしてきてきたところです。追い出され、お涙金の拝領を有難く思えとは、いくらなんでも、あんまりだと思います。
原発事故で追い出された方々が、それなりに、納得為されますまでは…。

    ・    ・
さらなる、再発の防止と、
これからの国家を思いましたとき、
『古事記』『日本書紀』のけがらわしきのモノを除染すべきことは、中長期にみて必要であり欠くべからざるものだと考えます。
        ・
歴史を消し去って、空想神話に仕立て上げられては、
困ったものです。『古事記』も『日本書紀』もですね。
天照大神と素戔嗚命とが密通だというのですよ。
何を、バカな。  です。
  このような事を、放置しておいて、
 どうなのでしょうか?
 わたくしには、許容できる範囲の外にあります。
『古事記』を広めようとする人たちを、わたくしは、どう見ても汚染拡散者として理解してしまいますですね。汚染の除去とは、まったくの真逆の方向です。
我が国のうつくしさの光輝を、もとに戻したいです。
        ・
ここを直さなかったら、
また、後の事に、ズボズボの悲惨さの再発が起きちゃいますのです。
本来ならば、「日本」が、世界の先を行ってこうしてあるべきだよ、と、為すべき立場であらねばならないのです。それが、尊さであると思います。

 
 
 
 
物事の間にある「すきま」。

そこに魔物が入り込む。


心の隙、イメージの隙、原子力をみようみまねで扱わざるを得なかったことから生じた「スキ」、理論上の詰めにもなんらかの甘さが。そこに「ヨコマ」が差す。

原子力開発は、田中角栄による推進でした。はじめから、利権誘導が絡みついた事業。事業は彼の手にかかった時、ヨコシマとなったのではないでしょうか。いま、そのスエツミは民主党に大量移動。その民主党政権が災いを巻き起こす。因果は巡ります。

 
 
 

 
 
   仏の手のひらの上で咲く花
  と言う譬えがあったように思います。
        ・
 明治以降の政治機構、それ以前についてもいえると思いますが、基本の所からの見直しをすべきだと考えます。
 その手のひらの根底、つまり此処では、ホトケ(仏)の原理が良いかどうか?  の問い掛けです。
     ・     ・
 いま、「日経新聞」で長谷川等伯のコラム小説が連載されています。朝廷の光輝の戦国時代での凋落を改めて感じて読んでいます。これまで寡聞にしての把握では、信長側の視点からが強く喧伝されていたように思います。
 原発導入派にしても、勝てば官軍のような勢いにタケル(絶叫)ばかりだったのは、いささか、森を見ずして木を切るような…。
 少しは、ちゃんと安全について対策を講じておくこと。
 若(も)しもの事故発生の時の、対処方法の事前準備。
 (その内には、補償基準の策定があらねばなりませんですね。「田舎だらか、もしもの時には捨てたらよい」と肚に決めていたのでは? と詮索されますね。
 どれ程の大きなリスクを近隣住民に押し付けて、原発を作るか? です。 100km以内や、300km以内など、さらに、もっと全世界的な被害の発生にも及ぶ大事故の際など、ちゃんと解っての事なのかどうか? なのかです。
 これが、もっとも詰問にさらされるところなのだと思います、が、如何なのでしょうか?) 
        ・
 統治機構のこと、これを、論じて行かなくてはならないと思います。
 河野太郎さんが今になってから、やっと注目されて、でも、まだまだ殆どの評価で「ごまめの歯ぎしり」なのでは……?   全く機能が不全であると思います。それは、統治機構に問題があると考えざるを得ないのではないでしょうか?
           ・
 その、原因・根底は何に拠るか?  ですね。
 その前の根底とは、統治原理のこと、その、究明と構築が目下の最重要の為すべきことかと考えています。

 
 

武田邦彦先生は信頼できると思います。

         ・
  
秋津遺跡から、ヒスイの管玉の美しいのが発見されたとのこと。
見てみたいと思いました、明日から公開だそうです。
ちょうど、良い都合です。 珍しくも、ひょんなことでの発見ですね。
  うつくしい「たま」。
写真で見るもそうですが、実際に目に見て、と思います。
ヲシテでもそうですが、
現物を見ると、 何かがひとあじ違うと思います。
明日に、拝見にと思っています。
縄文晩期だそうですね。

 
 
 
 
これですね。

2800年前の翡翠の管玉発見 奈良県御所市のの秋津遺跡で
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/2011071301000583.htm

>今回のものは大きさから集落の長やシャーマン(呪術師)の首飾りとみられる。

こういう紋切り型の解説も、除染しなければなりせんねぇ。

 
 
 
 
こちらが、よく解ります。毎日放送です。
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110714060100474539.shtml
      ・
『古事記』『日本書紀』など、漢字文献類は除染すべきモノが多くあったことは、これまでの調査で分かりました。
さて、では、本来の我が国の輝きの真相はどうなのか?
まだまだ、未解明で解らないことだらけです。ヲシテに拠る「本当の意味の国学」の樹立は、胸突き八丁が続きます。

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