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2010年7月29日 (木)

ヲシテ文献の捜索。 全国どこにも可能性あり。 クニをどうやって直してゆくか?

社会がかつての長い歴史において、延々と構成されて来ましたです。

さて、これからどうしてゆくと、上手くゆくのでしょうか?

それには、未発見のヲシテ文献の捜索も必要です。

何処に秘められている可能性があるのか?

それは、何処にでも可能性はあります。

たとえば、

息速別命のお墓(ご陵)があります。三重県青山町です。

Photo_8

小さな用水路がお堀のように廻らされて、お花も豊かに今も周辺を綺麗にうつくしく保っておられてます。

Photo_6

息速別命のことを阿保親王とも、言うようなことにもなっているようです。

おおよその総称名でしょうね。

阿保親王は、『新撰姓氏録』右京皇別に典拠があります。

Photo

また、『続日本書紀』延暦3年11月21日の件にも出典してます。

Photo_2

共に、垂仁天皇の皇子の息速別命の後裔であることが記録されてます。

ヲシテ文献には、11代イクメのキミ(垂仁天皇)のイケハヤワケさんのミコ(皇子)が出典してます。『ホツマツタヱ』36アヤ8頁。純粋日本古来の系統ですね。

イクメのキミ(垂仁天皇)は、ヲシテ時代です。この事からしましたら。

後裔がお住まいであったはずの青山町に、ヲシテ文献が残っていても不思議じゃないわけです。

宇和島の小笠原家でもあった話でした、が、『ホツマツタヱ』の写本を見せても、調査に来た市の人や大学の教授たちも誰一人として見向きもしないのでした。それはそうですよ、いくら真実だからと解っても、世に流布するまでの雌伏の年数を何年か? 何十年か?? と、計算高く見積もるのですからね。そんな事です。真実よりも打算です。 それで、まだまだ、ヲシテ文献は全国のどこかに残っているかも知れないと言う事も出来ます。廃仏毀釈のような政治の荒波に翻弄されやすい畿内地域の中央部よりももっと遠くの離れた所に、意外に、ひっそりと残っている可能性をうかがい見れますように思います。

            ・

同姓同名の事に、

阿保親王は、もうお一方おいでになります。

平城天皇の皇子としての阿保親王は(792~842)です。 在原業平・行平兄弟のお父上として云った方が、兎に角も有名であるようです。

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「池田 満」にも、同姓同名が多いのでややこしいです。

池田満はありふれた名前ですので、阿保親王よりもややこしくなることが多いです。特殊な名前が良いのか? ありふれて混乱しやすくもあるような凡庸の名前が良いのか? わたくしの場合は、父母の命名であります事ですので、何も言うべき事でもないようにも思えます、です。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

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古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

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