宇宙の創始の事「天地創造」
『古事記』はキリスト教的であるという事は、
『定本ホツマツタヱ』 の始めの方をお読みいただいたらすぐ解る事であると思います。
『ホツマツタヱ』の2アヤ~5アヤぐらいまでの、『古事記』の対応する箇所で即判明します。
『ホツマツタヱを読み解く』にも少しは述べました。『古事記』の成立した奈良時代には、遣唐使の行った長安には大秦寺が、空海(弘法大師)などの逗留地のまさに1km程にも離れてない目と鼻の先にあったのです。遣唐使は西暦630年から、空海の渡った西暦804年までで、18回も渡海してます。景教の影響が、及んでくる事を、これは無かったということはどうしても考えられない状況がここにあります、ね。
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8世紀初め頃に書かれた『古事記』、ここには、
天之御中主神を主神にして、整然と役目が定められた形で、「神」達が並びます。どういう「神」があって、どう言うように祭っていったら良いか? のテーマに依る記述です。拝むためにどうするか? 「神」様の解説本です。
たった4か月間で書いたのだと、序文で太安万侶が自慢してます。これが『古事記』です。
でも、本当は、翻訳前のヲシテ文献には、
アマテルカミはご存生であられまして、
雲上の「神」ではなかったのでした。
「カミ」は尊き偉大な指導者の意味でしたので、雲上の「神」は誤訳だったのでした。『古事記』の最大の誤謬は、生き(生命)のあった人物の息を殺してしまって、「神」に祭り上げてしまったことでしょう。
天之御中主神は、『日本書紀』では主要なものとしての本文には載せられてもいませんでした。格が違うということです。宇宙開闢の創世神とは、明らかに性格が異なるのでした。それでです、単なる参考資料の一つとして第四の一書にだけに、ひっそりと掲載があったのみでした。第四の一書に記載の、天御中主尊は『古事記』の天之御中主神に、何とか対応してます。さらに、ここで、是非ともご注意しておかねばならないのが、天之御中主神(『古事記』)の「神」表記と、天御中主尊(『日本書紀』)の「尊」表記のこの違いの大きさです。
『古事記』は何でも「神」なのですね。これが、恣意的な誤訳と言うものですね。まさに、キリスト教的であるということです。生命のあったものを息を殺封して抹殺してさも尊重したかが如くに祭り上げる手法です。巧妙なるも、ひどい遣(や)り口です。
15アヤの大気津比売神(おおげつひめ)などを見ても、良く解ります。『古事記』のひどさはですね。『日本書紀』にもないものを、正々堂々と作文しているのですからね、あきれかえってしまいますです。これは、作文の例です。『定本ホツマツタヱ』の230ページ~231ページをご参照くださいませ。
恣意的な潤色の方のことでは、
ヲシテ文献での、漢字文への翻訳前の「ミナカヌシ」の意味は、人類初発の「ヒト(人)」の位置になっています。(『定本ホツマツタヱ』17ページ「天地開闢の七所比較」参照)
これを、本来は「アダム」とも言うべきであるはずの「ミナカヌシ」を、キリスト教に言う「ゴッド」に当てはめて漢字文に恣意的な翻訳(誤訳というべき)をしたのが『古事記』です。大きな誤訳の極めての本貫です。これ程にも究極な程の誤訳は、世にも珍しい事でしょうね、ある種の意図を濃厚にもった恣意的なる意図が無ければ、決して為し得ない事であると言うべきでしょうね。
尊い祖先の「ヒト」を、目に見えない「神」に祭り上げて、そこに、何らかの間隙を生じさせて外国由来の「毒」を忍び込ませるのですね。何とも感嘆に値する巧妙な手口です。
スキマ(間隙)こそ怖いものです。
「アルマうかがふ ヲヱもの」
つまり、隙間を生じさせてそこに魔の手を差し込もうとするのですね。
どう防ぐか?
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漢字文への翻訳前のヲシテ文献の『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』では、好き嫌いの意思の希薄な創造神であるアメミヲヤの吹き始めの「ヒトイキ」から、大宇宙の形成が始まったと把握されていました。それは、物理学的な要素に依る宇宙の始まりなのでした。重いものは自ずからに中心に集まり、軽いものは外側に浮かび集まる。この結果として、「クニタマ(地球)」も「ヒ(太陽)」も「ツキ(月)」も生じたのでした。物理的現象としての世界の創世です。
創造神の性質が、彼我(ひが)、大きく異なっているのでした。詳しくは『縄文人のこころを旅する』に記しました。
『古事記』的世界観と、ヲシテ文献で新たに判明した「縄文日本」の世界観との、大きな異なりです。
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さて、本当の「日本」の真実に近付くには、
これが、最も大切な事だと思うのです。 和魂洋才だなんて言って来ていたのも、本当の「和魂」がズレていたのですね。千数百年間も、の、長い間の事でした。「和魂」が、ズレズレにズレていたらば、またゾロ、国の行くべき方向を見誤ってしまいます。外国渡来の「毒」を去るには、ヲシテのこの時代の尊さを再発見しなくてはなりません。
宇宙創成の成り染めについての把握をヲシテ時代のモノへと理解を進めなくてはなりません。それで、「天地創造」の歌を作ったのでした。この歌を歌う事は本当の「日本」の根幹を定め直す事になると思います。目指すは、キリスト教的なモノからの脱皮です、離脱です、本来の「縄文日本」の精神のモトへ帰りましょう! 「天地創造」の歌は『ホツマで読む ヤマトタケ物語』にCD付録しました。
本当の「和魂」を知ろうと志すのでありますならば、
ヲシテ時代に遡らなくてはならないといった、この、事情にご理解いただけましたでしょうか?
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また、文献の価値をみまするに『魏志倭人伝』は、当てになんぞならないこと、
これは、『ホツマツタヱを読み解く』に記しました。根拠のないものに振り回されるのは無体な事であります。
誤訳を積み重ねて、さも興味本位に惑わして、本来の美しさや輝きを狂わせ曇らせる「秀真伝(しゅうしんでん)」と同じ類(たぐい)ですね。祖先の偉人の意味の「カミ」の言葉を「神」に当てる暴挙の誤訳! 司(つかさ)の意味の「カミ」の言葉を、とんでもなくも「神」に当てる、アホかバカみたいな誤訳。 これが「秀真伝(しゅうしんでん)」の体たらくの背筋のちゃんと立ってない狂いです。
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
「秀真伝」も「偽書」の一種です。
「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を
漢字表記してるので、スグ分かります。 お間違えなく!
せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、
なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。
共に、即、廃棄してください! 捨ててくださいね。
偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!
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コメント
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アメノミナカヌシオオンカミで検索しまして各サイトを散歩しておりました。例の如くピンボケ話のオンパレードで終わりにしようかなと思うと!ヤヤッ!これは中中の文章ではござらぬか!さて著者は何方かなと見ると池田満仙人でした。私は20年位仙人の文章の中をウロウロしてるから、当然ビビッ!と来る訳なり。サコクシロミヤに帰る日までホツマ・ミカサフミ・フトマニの中をウロウロするなり。楽しけれ。嬉しけれ。宜しけれ。
投稿: 片野 亮宏 | 2010年11月21日 (日) 20時00分
「サコクシロ」また、「サコクシ」の言葉は、ヲシテ文献に以下の用例があります。
極めて難解な言葉に属します。ヲシテ時代の語彙の意味としまして。
ホ28-33(7208)
ホ28-42(7243)
ホ28-51(7278)
ホ36-26(9302)
ホ36-34(9334)
ホ36-36(9343)
ホ40-19(10471)
ミ6-12(11386)
ミ6-14(11392)
ミ6-31(11461)
フ0-3(11940)
フ-56-ヲヨロ(12409)
投稿: いけだ | 2010年11月21日 (日) 20時30分