『古事記』の誤謬、 神武天皇の征服王朝説のこと
「日本」とは何か?
『古事記』『日本書紀』を読むと、どうも、武力征服で国家建国をしたようにしか読み取れませんですね。
これは、誤訳の漢字文献に求めようとしていたから、おかしくなっちゃってただけの事でした。
「何地(いずれのといころ)にか坐(ま)さば、天下の政を平(たいら)けく聞(きこ)しめさん。なお、東行(ひがしのかたへ いでまさん)と、思(おほしたまふ)」
上が、『古事記』の神武東征の理由です。大した理由もなく、武力征服をする、これが『古事記』での主張です。
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違いますね。
『古事記』『日本書紀』の翻訳前の原書のヲシテ文献では、
2朝廷並立の、兄のほうのアスカミヤ(当代はニギハヤヒ)に落ち度が度重なって、
世が乱れてしまったので、これを、正すためのヤマト討ちでした。非は、ニギハヤヒにあったのでした。
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原書を読めばすぐ解ると思います。
『定本ホツマツタヱ』では、3段組みで、各文献の詳細比較をしてあります。
解説なんかより、
実際にご自分の目で確かめになるのが、一番確かです。
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『古事記』や『日本書紀』の神代の記述にはあんまり信用を置かないで、
その後の長い歴史の流れのうちに「日本」の独自の価値観を見つけようとする、
そんな人も出て来ました。 教条主義的な、捉われ方とくらべれば、よほど良いことだと思います。
でも、これでは、やはり説得力に欠けると言わざるを得ません。
ボヤーッとしか解らない。
神武天皇の征服王朝説について、なんにも、反論の一言もいえませんですね。
落語のこんにゃく問答のようですね、足場がグニャグニャの上に建築物を建てるようなモノです。
免震構造とかで、良いかも知れませんが、コンニャクですから、
大きな建物は支え切れません。
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本当の「日本」の根底を定めるには『日本書紀』『古事記』に翻訳される前の、
原書のヲシテ文献に当たらざるを得ません。
これが、本来の「日本回帰」です。
ここまで、「日本」のなんたるかが不明瞭になって来ましたからには、
原点への回帰がどうしても必要ですね。
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ヲシテ文献は、「ヲシテ」の受け入れをしっかりとしてからでないと、
また、漢字文献のような誤訳の連鎖に陥りかねません。
ここが、はじめの敷居が大変です。
そして、ヲシテ時代語での読み書きですね。
「ヲシテ」が使えるようになっても、使用語彙がちゃんと、ヲシテ時代の「ことは(言葉)」にまで、遡れなくてはなりません。
現代語を、ヲシテで書いてくる人がいまして、これは、困っておりますです。
現代語だけにある音韻は、ヲシテ文字をフォントで作らなかった方が良かったか?
なんても、思いますが。
そうしましたら、自分の名前さへもヲシテで書けなくなる人も出てきちゃいます。
これは、可哀想です。
ちなみに、わたくしの「いけだ」の「だ」も、
ヲシテ文字として当時に存在したのかどうかも、微妙なところです。
最低、JISの第一基準の音韻は要りますね。
それで、
外二点濁点の点々の形状は、近現代的な形に作りました。
時代の区別を、少しは付けておきたいとの願いです。
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
「秀真伝」も「偽書」の一種です。
「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を
漢字表記してるので、スグ分かります。 お間違えなく!
せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、
なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。
共に、即、廃棄してください! 捨ててくださいね。
偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!
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