上梓の時の、集中で…。 ヲシテ文字を、 ヲシテ時代の文章をヲシテ文字で!
また、閑話休題のようなはなしですみません。
何かを、新発見して、
死しての、のちにも、これは是非とも、何とか何としても残しておきたいと、
このため、
書物に編んでおくわけです、ね。 ですが、それなりに、多くの費用をかけますから、
いろいろ、気になり修正を繰り返し… 繰り返し…、 です。
そのおかげで、より良く、読み易く解りやすくにも、なるわけです。
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次作も、だいたい80%まで行き着きましたでしょうか。あともうちょっとです。
とはいえ 、 これからが、またまた、これからが長い道中です。
まあ、もう少し、お時間をくださいますよう、お願い申し上げます。
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さてさて、
こちらは、日夜、日がな苦労をしてますが、そんな事に無頓着な人もいますですね。パクリのひどいひとたち。
ヲシテ文献は、ちょっと事を聞き齧(かじ)ったぐらいで、どうかこうかしようとか、 は?
どう見ても、変だと思います。
第一には、漢字の壁を超えなくてはなりません。
第二には、奈良朝以前の時代の言葉である、大きな一線を遡及して乗り越えて、真の復古に差し戻さなくてはなりません。ここが、このところが、とっても、重要なのです。 残念なことですが、お解り下さるおひとはほんとに、少ないです。
「秀真伝(しゅうしんでん・インチキ誤訳族)」に過ぎませんですね。かつて、ひどい人たちがいっぱいいました。ヲシテ文字も読めないのに、いっぱしの解説者面(つら)で論断を言うのですね。ヲシテも読めもしないで、何を言ってるの? あほかいな? ですね。彼らは、すべてゴミのようになり果ててゆくようでしょうね。 歴史として、学んでくださいね。 もう、聞きかじりは、やめておいて貰った方が、よっぽどマシです。パクリは、やっぱり、どうやって塗り諂(へつら)っても馬脚を現してしまうようです。ヲシテ文字も満足に読めないで、能書きをたれて言うのは、どう見ても痴呆でありましょうね。
「秀真伝(しゅうしんでん・インチキ誤訳族)」の連中は、要らぬ混乱を作るだけ。 ちょっとも、プラスになりません。ヲシテ文字も満足に読めないでは、100%ダメです。
そんなヲシテも読めないで、言うあなたは、 後世での一流の笑い者。
こちらも、今に、 困って、困りはてるだけ。 ほっとくしかしょうがない。
さらに、重要な事に、世間一般の人々のためにも仇(あだ)なすばかりです。
三者ともに、マイナスばかりです。
ヲシテ文字が満足に読み書き出来ない? では、当然と言うべき当然です。
アルファベットの基本のABCD…Z、 と、こんなことも、まともに言えない人が、英語ではどうのこうのと、わけの分かったような、分からないような解説を言っているようなものですね。はたして、聞く価値があるのかどうか?
口が寂しくありませんか?
自分で自身の痴呆を宣伝しているようなものですね。 おかわいそうに、と、言うべくモノか、 でありましょうか。
ヲシテも読めない、と言うこと、 これは、まったくの、学力不足の何物でもあり得ませんです。(ヲシテ学、についてのことです) お話にも、なんにもなり得ませんですね。
お話以前の、お笑いの事で御座いました。
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
「秀真伝」も「偽書」の一種です。
「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を
漢字表記してるので、スグ分かります。 お間違えなく!
せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、
なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。
共に、即、廃棄してください! 捨ててくださいね。
偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!
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