2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

おすすめ

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 『古事記』の世界、とは、成り立ちが変わってくる「ヲシテ文献」の世界。 | トップページ | 上梓の時の、集中で…。  ヲシテ文字を、 ヲシテ時代の文章をヲシテ文字で! »

2010年1月27日 (水)

土俵を変えよ。 松本善之助先生の言葉

最晩年の頃、松本善之助先生は、

『土俵を変えよ』 

と、良くおっしゃっておられました。

         ・

それは、

「千日手」から抜け出せる、唯一の方途だからですね。

      ・        ・

「ホツマ ツタヱ」の噂を聞きつけた人が、

よく、訊きに来るのでありましたでしょうね。

『記紀では、斯く斯くシカジカだ、

「ほつま」ではどうなっていますか?』と。

これは、将棋で言いますと「千日手」です。

ここからの、脱出方法は、『土俵を変えよ』しかあり得ませんですね。

          ・

かつて、

小笠原通当さんはじめ、

漢字文献の不備を「ホツマ」で補おうというスタンスでした。

これでは、本物の筋ではあり得ません。

漢字文献と、ヲシテ文献を比較すると、

決定的な違いがいくつも見つかります。

この時、

どちらを取捨選択するか?

決断を迫られます。

漢字文献の不備を「ホツマ」で補おうというスタンスでしたら、

漢字文献が正しいとする方を最終的に選択してしまいます。 大きな誤訳でもです。

これは、まったくの間違いを誘引する事になってしまいます。

             ・

『土俵を変えよ』

漢字文献とヲシテ文献、どちらを、取捨選択すべきか?

この判断を、まずはじめに、付けておいて、

それから、

『ヲシテ文献では、どうなっていますか?』

と、

聞きに来て下さいませ。

『ミカサフミ』『ホツマツタヱ』は記紀の原書であるということ。

この意味を、把握なさって下さってからの事だと思います。 

 

 

 

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

  

« 『古事記』の世界、とは、成り立ちが変わってくる「ヲシテ文献」の世界。 | トップページ | 上梓の時の、集中で…。  ヲシテ文字を、 ヲシテ時代の文章をヲシテ文字で! »

コメント

その通りですね。
漢字カナ混じりでも、同じなのだと思います。

訓読みは、

  漢字の意味を日本語に翻訳したものなのか、

それとも

  元々あった日本語に、漢字を当てたものなのか。


成立当初は、

  ヤマトコトバ → 漢字の訓

だったのに、後世の我々は

  漢字の音 → 漢字の意味(漢字の訓)

と考えるに至っています。


丁度

  ヲシテ原文 → 記紀

だったのに、通当さんたちが

  記紀 → 記紀の意味(読み下し文)

と考えるに至っていることと、
並行していると思います。

 
 
 
 
 
「やまと ことは」でも、色々あります。
江戸時代語の「やまとことば」に当ててたら、これも、「秀真伝族」ですね。
問題は、ヲシテ時代語に、
ちゃんと行き着いているかどうか?
です。
でないと、「秀真伝族」の偽書のお遊び系ですね。


まずもって、
1番目は、
記紀の原書であることを、ちゃんと確認する。
漢字文献との相違の発見の場合、
ヲシテ文献のほうを取捨選択する。
このことを、はっきりと、させる。

2番目は、
ヲシテ時代のことについて、
正面から向き合う。正直に、嘘無く。
このため、ヲシテ時代語のみで読み行く。
 (これが、殊にむつかしい。 いつも、悩みの悩みの連続です)


小笠原通当さんたち、
これまでの人たちは、
ヲシテ文献の位置関係を、はっきり押さえていなかった。
これが、ダメのところです。

ちゃんと、ヲシテ文献は、
「記紀の原書である」
という、位置関係について、
これが、
明確に認識されなくては、
なんにもなりませんです。

すべては、
この、理解、
つまり、
ヲシテ文献は、
「記紀の原書である」
ここから、  が、
第一歩です。
これ、なくしては、すべて、砂上の楼閣、蜃気楼です。


われわれのみが、
ヲシテ文献の専門家であって、
ヲシテを原字で読めもしないような人は、
すでに、過去の人と言う事になります、ですね。

ヲシテの専門家とはなにか?
世には、竜馬のことなどかまびすしいですが、
そんなことより、何倍も大きな仕事に取り組んでいる、
これが、ヲシテの探究者と言う事になりますのでしょうね。

 
 
 
 
ついでに…、
 
「ことば」
と、
「ことは」
では、
違うのです。

ヲシテ時代語では、
清音の「ことは」であることは、ほぼ明確、
確定的な事柄です。

このあたり、
全体像をどうやって纏めてゆくか?
真名さんも一生懸命に考えて下さってます。
次の段階が、
殊の他にむつかしいのです。
 
だから、髪の毛が生えるよりも、早くに抜けちゃうのです、よね。
お尻の方の問題になった人もあるような? (何? 痔? 、いぼ・切れ・ 、  穴、これは大変!)
目のほうも、変で悩む人もあり(わたくし)、 とにかく色々大変です。
いつもいつも、悩みは絶えないのです。
そして、
一方では、
早く知りたいと、せっつかれます。
いつもいつも、が、ダブルパンチなのですね。


 
 
 
 
おまけの、ついでに…。

昨年には、益川さんの「私の履歴書」
の、掲載が「日経新聞」でありました。
まさに、
同じような悩みを、 ヲシテ研究でもずーっと、
やって来て居ました事を、 思いました。
あの、あの、ところが解ると本当にすごいのです。
ここが、 やはり難しい、
解明の完成がなされれば、まさに、ノーベル賞ものだと、
わたくしは、ずーっと、言って来ました。
それは、今でも、心底そう思っています。
それだけに、山は高いのです。
どう上るか?
どやったら、登れるか?
自分で道を切り開くほか、 何にも、ありませんです。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 『古事記』の世界、とは、成り立ちが変わってくる「ヲシテ文献」の世界。 | トップページ | 上梓の時の、集中で…。  ヲシテ文字を、 ヲシテ時代の文章をヲシテ文字で! »