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2009年12月10日 (木)

『古事記』の世界観。 わたくしの戦争体験。

半籐一利さんが、ラジオで、ご自身の戦争体験を語っておられました。空襲後の火炎の中での隅田川の水中では、水面がどっちだか分らなかったそうです。

さて、昭和史の中では、幾つもの良くない選択を積み重ねてしまったのか?

これが、戦争への一里塚だったようです。

世界からの孤立方向にむいてしまったのは、なぜか?

ここに、『古事記』世界観が強く作用していたと、わたくしは分析しています。

            ・

よく、お前は昭和30年生まれのくせに、戦争も知らないくせに。 よく言うな。  と、

言われますが、

わたくしの、出生自体そのものが戦争体験なのです。

父は、体力が弱かったので内地和歌山で守備にあたっていまして、命拾いをしました。

母は、結婚1年で戦争未亡人になりました。夫の乗った戦艦がフィリピン沖で撃沈されたからでした。敗戦後、乳飲み子を抱えて苦労する母に、幾つかの縁談を世話して下さる方があって、そのなかから、父を選んだわけでした。その選択理由は至って簡便でした。連れ子あって地味な方がいいだろう。

それで、3人兄弟ですが、長兄は母の連れ子、次兄は父の連れ子でした。

わたくしの出生自体が実に不思議だと、つねに、子供の頃から聞かされて来ていました。あの戦争が無かったら、あなたは生まれてない、と。それで、あの戦争とは何だったのか? 生きるとは何なのか? 私の、生きる上でのテーマでした。

母は、茨城県出身で、大阪に出て来ていました。祖父の事業のとん挫で、兄弟そろって大阪に来たのでした。時代の流れで、手広くやっていた人力車の商売が成り立たなくなったのでした。そうこうするうち、戦争もひどくなった頃に、母は尼崎の農家の一人息子に嫁ぎました。下関まで、一度だけ赤ん坊を見せに行ったのが最後だったそうです。敗戦直前には、農作業の帰り道にアメリカの戦闘機に銃撃され、30センチほどの目の前で銃弾が土煙を上げるプスップスッという光景が忘れられない、恐怖だった、と、何回も聞かされました。

半籐一利さんも、子貝川の堤防で鰻取りの帰り道に同じような経験をしたそうです。ラジオで聞いて、わたくしの母の話を思い出しました。

半籐一利さんの『昭和史』は、とても良い本だと思います。

是非、ご一読為されて下さいますよう、強くお勧め申し上げます。

            ・

西欧の近代生産の革命手法を取り入れたのに、

どうして、焼けのが原にまでなってしまったのか?

国際連盟の脱退は、軍部だけでなくて、新聞論調など世論の方が強硬だったようです。

幾つもある選択肢の中で、神がかり的な唯我独尊の選択を重ねて行った結果、やがての、敗戦の焼けのが原でした。

       ・         ・

『古事記』は、ちょうど、当時の中国の唐における天壇思想に対抗するために作られた書籍です。あちらが、「天」からの統治権の授与をいうなら、こちらも、同等にする必要に迫られたのでした。

『日本書紀』は、神代巻(神代の巻き)は、一書にいわく、という、参考典拠が羅列されていますので、一貫した話になっていません。それでは、天壇思想に対抗できないです。

これが、『古事記』の世界観が明治期の西欧文明流入期にフィットした理由です。

本来の「日本」はお互いの存立を尊重しつつ、より良い方途を探りだす精神であるはずです。

『古事記』の世界観は唯我独尊で神権授与が根拠ですので、事あるごとに傍若無人になります。

『古事記』によって、対、西欧文明対策を講じたために、大切な選択肢を迫られたとき、強硬路線の判断が何回も重ねられてしまった。  それで、 あの焼けのが原。

これから先、どうしますか? 本来の「日本」の精神である、お互いの存立を尊重しつつ、より良い方途を探りだす、こちらの方向に戻したいと思うのです。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。 

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

  

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コメント

偶然でしょうかね。

私の祖父の弟(大叔父)が、
フィリピン沖で戦死しています。
南方への兵員輸送船が撃沈されたためでした。

父方の祖父はニューギニア戦線に配属され、
ポートモレスビー付近の山中で死亡しています。
餓死か病死らしいです。

母方の祖父は、ビルマ戦線から帰還しました。
インパール作戦に従軍したようなのです。
しかし、復員後は戦争のことを決して語らなかったそうです。

祖父は一線級の化学技術者だったのです。
それを歩兵として配属するというのは、
馬鹿のやることですわ。
神がかりの恐ろしさが骨身にしみてわかります。

私が歴史に少し興味を持ったのも、
ご先祖の戦死、というか犬死が理由です。
先生と似たところがありますね。

 
 
 
 
それは、大変に不幸な、
累々でしたですね。

松本先生も、戦線で大変だったと、おっしゃっておられました。
中央大の中退は、前線に行って戦うため。クニを思ってのことだった、とおっしゃっておいででした。
もっと、
くわしくお聞きしてたら良かったでした。
2・26事件の事の朝のことだけは、松本先生の印象をお聞きしてました。あの朝、あそこを歩いて行ってたよ、と。もっと、もっといろいろ、お聞きしておけば良かったです。

冷泉家も、立派な後継ぎが、
犬死にだったようです。

それにひきかえ、私の父の家のほうは、
父の兄弟が男四人女3人ですが、
なんと、敗戦まで皆生き延びました。
平々凡々でしたから、ですか。
戦国時代の伝えで表立たないようにしていたのでしょうか。
清和源氏の逼塞末端末裔ですから、目立たない事を宗としていたか?
いや、祖父が村の名誉職の助役をしていて、大きな借金を作り、窮していたからであったようです。そして、祖父は急逝してますので、一挙にがたっと傾いたようでした。
敗戦後、父の兄弟たちは、
原爆症のお嫁さんをもらったりしたり、それなりには、苦労をしてますが。
  
  
  
ここに至っては、なんとしても、
神憑りからの脱却をはかりたいです。

        ・

想い出しました。
わたくしの父は、心臓に障害があって、小さい時から「怠け者」扱いされて心理的に苦しんで来ていました。
とくに、わたくしの中学生の時あたりは、心臓障害の発作がひどくて、いつお迎えが来るかも? なんて。 それで、手に職を付けておいた方が良い、と、工業高校に進みましたのでした。そしたら、学園紛争です。この時に、胆力が培われたのですのでしょうね。
http://wosi.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-27b1.html
 
今から、想いますとこの時の経験こそタカラものだと。ようもまあ、生徒会の副会長なんてやっていたものでした。あの時は苦しかったですが、タカラです。
中学生時代に、死と生について、直面してましたので、
プラトンは、文庫本になっているのは全部読みました。ニーチェなんかも愛読書でしたですね。これが、ヲシテ文献と出会う下地だったのでしょうね。
高校2年生になって、ヲシテ文献に出会って、もうそれからは、ヲシテ一色です。大学には、皇學館をと念願しましたが、父母の反対でついえました。「ホツマ」なんてやるな。ということでした。そうして、モンモンとするうち、上野一郎さんの経営学に感動しまして、産業能率短大の通信に入りました。でも、ヲシテの解明が、私にとりまして尚もっと重要でしたですね。また、やっぱり、ヲシテ一色の生活になりました。
習い事には、官休庵のお茶と、ダンスをやりました。
女房との出会いは、松本塾ででした。
それまで、どの女性もが、ライフワークはヲシテです。 と、の話をするたびに逃げられていました。ヲシテに取り組むことを賛成してくれる人でないと、上手く行くはずがありません。
15歳年上だった女房は、母の唖然とした落胆だったでした。
女房は、何の意味か? 理解できないようでした。
でも、一緒に暮らすうちに、母は「好きになった」と言ってくれたのでした。


 
 
 
 

うちは、父方も母方も教育一家でしたので、
戦地に赴かずでした。

しかし、叔母の嫁ぎ先は、広島の原爆で亡くなりました。
若い叔父・叔母たちは、学徒動員でした。

父も母も、奇跡的に実家が焼け残りました。
防空壕と空襲が原体験です。

でも、学校は焼けてしまいました。
ゼロからの再出発でした。

家内の実家のほうは、義父は朝鮮総督府関連、義母は満洲鉄道関連。
国策に翻弄された人生です。


神がかり、これは中華なんでしょうか。
景教なんでしょうか。
あるいは、軍国主義を装った共産主義なんでしょうか。

 
 
 
 
 
 
こんにちは、突然お邪魔します。 民主党が政権交代して、よい事もありますが、外交や安全保障は混乱しています。
そして民主党内の旧社会党議員は「外国人住民基本法」を通そうとしています。
この法案は3年間不法にでも滞在していれば、選挙権や生活保護を日本人と同じに与えようとするものです。
そして5年間の不法滞在で,国籍まで与えようとしています。あまりにも優遇しすぎます。
今の不況下、お金を使うなら我々のために使って欲しいものです。
もし、あなたの、あるいは将来のお子さんの事をお考えなら、ぜひ下の語を検索して調べてみてください。   失礼しました。      松田

 
 
 
  
ひらおかさま、

どうやってクニを守って行くか?
松本先生は、この、三井甲之さんのウタを、
研究会の開催前に、みんなで朗誦する事を常とすることになさっていました。
「ますらをの かなしきいのち
 つみかさね つみかさねまもる
 やまとしまねを」
クニとは、なにか?
これを、本来的に把握し直すのが、
ヲシテの役目だと思います。

アメミヲヤの性質は、絶対神であって、創造神であって、無色透明です。
他の、一神教との違いは、ここにあります。 と、わたくしは、発見して認知しました。
絶対神であるのに、憎みなどの人格性が強く備わるのが、ゴッドなどの性質です。
若い時から、アメミヲヤに接して来ていたわたくしにとりまして、びっくりでした。 この違いが、彼我永遠の障壁で永遠に埋まる事無き壁であると。
詳しくは『縄文人のこころを旅する』に詳説しました。

このあたりの、ことから、我が国のヲシテ時代は「縄文哲学」と言うようにしている理由です。

神憑りと、哲学との違いは、
絶対神において人格性が、有る? か、 無い?
か、の違いから起きると考えています。

     ・

 松田明さま

ほんとに、困った事です。
ちゃんと、帰化すればよいだけのことです。
我が国はこれほど、寛容な国ですから、基本構造は、これ以上変える必要はないと思います。

でも、将来において、
どういう国家にするべきか?
その、根底に関わる礎を築いて行きたいと、
何十年来苦労をしてまいりました。
ヲシテの根拠を築いてから、やっと、
国家再建の本当の一歩が踏み出せると、
確信しています。 いくら、付け刃的なモノをやっても、
右往左往を繰り返し続けるだけ、と、言ってさし障り無いかと思えます。哲学的な信念無しの右往左往は、言ってみましたならば、時間の浪費にしか過ぎないように思いますがどうでしょうか?
せせらぎの川原の小石の石積みの作業を、毎年毎年やり続けていても、毎年流されるのです。台風の大水もありますし、100ミリ降っただけで崩れる土手もあります。目先の努力の割には、100年たってもなんにも変わりはないことかも知れませんです。
とにかくも、わたくしは、100年か、もっともっと1000年先の処を見据えて努力するのみで御座います。応援賜りますこと、お願いできますれば幸せの極みに思います。

 
 
 
 
 
>神憑りと、哲学との違いは、
>絶対神において人格性が、有る? か、 無い?
>か、の違いから起きると考えています。

そうかもしれません。

リーダーが私をさるというのも、哲学的にそれが根幹にあるように思います。

そして、それは理屈ではなく、親が子に接するとき、本能においてそうなっているということなのかもしれません。

アメミカミではなく、アメミヲヤと呼ばれている理由。アマキミはタミのヲヤであるとされる理由。なぜ、ヲヲヤケにワタクシがないのか、確かにそこかもしれません。

ヲヤコをモデルとして、世の中をくみ上げる。中華では、そこに専制君主が介在するので、訳が分らなくなってしまったのでしょう。キリスト教も同じですね。

アメミヲヤが観念上の親でなく、また、まったき親とはいかなるものかという洞察に、この国の文明はささえられているのでしょうね。

ただただ、ありがたいことです。

  
 
 
 
本来の「日本」の素晴らしさに目覚めて、
より良い未来を、創って行こうと、
多くの人がご理解くださいますのが、
本当の力(ちから)になると思います。

いつの日にか、
芽は伸びて荒れた土地にうるおいを齎す事でしょう。
それまでは、じっくりと、為すべき仕事をひとつずつ。

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