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2009年1月28日 (水)

ヲシテ文献へのハードル。 「秀真伝」と50歩100歩。 いわゆる『古事記』読みのこと

アマテルカミの実在説についての理解、

を如何にするか?

この事が大きな、ハードルとしてあります。

「いさわのミヤに おわします」と言った出例が、

幾度も、幾度もあるわけです。

ちゃんと、目を見開いて読めば、

Photo

アマテルカミのご存世の事、 はっきりと解るのです。

これが解らないのでは、

それは、漢字文献類に引っ張られたままでの、

悪影響化の支配下での読み方。

  まったく、素直な読み方とはいえません。

真っ赤な真っ赤なサングラスを掛けたままで、ヲシテ文献を読んでも、

マカッカに染まったたままなのですね。

これが、 ちまたに、「いわゆる『古事記』読み」 と、いわれるシロモノです。

気持ち悪いモノの、ひとつの、代名詞ですね。  ゾーっ と背筋に走ってしまいます。 ほんとうに、気持ち悪い代物ですね。

「いわゆる『古事記』読み」とは。

結論を、先に自らの脳裏にイメージしてしまって、

  それで、ヲシテ文献を読むのですから、

     これが、本末転倒と言うモノですね。

         ・

「いさわのミヤに おはします」と言った出例が、

幾度も、幾度もあるわけです。  よ。

これは、

無視してしまうのでしょうね?

他の沢山の類証も。    彼女らは、彼らは。

如何にも、ズレズレの、恣意的読み方の極みです。

漢文訳した時代の悪影響を除外しようとする、気概がないのでしょうか?

あるいは、

そんな事にも、気が付かないのでしょうか?

どっちにしても、どちらかなのでしょうね。

         ・

此処が、「いわゆる『古事記』読み」の低い程度が、

越せないのは、

   ちゃんと、「三書比較」(ヲシテ文献・日本書紀・古事記)の

文献比較を目を見開いてちゃんと見ていないからです。

どっちを、どれを重んじるべきか?  どの文献を?

     はっきりと、定めるための、「三書比較(ヲシテ文献・日本書紀・古事記)」です。 『定本ホツマツタヱ』として再出版してます。

これが、この役目・意味が分かっていないのでは、

   これは、ダメのレベルです。  ゴミの「秀真伝(syu-sinden)」と、50歩100歩。

悲しいことです。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

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コメント

 ヲシテ文献を知ると、「古事記」「日本書記」が空虚なもの見え、「万葉集」もヲシテ文献のウタの格には到底及びません。
 カルトな文献でないことが、ゆっくり読み込めば自然に日本人の血が流れているのであればわかってくるはずです。
 ヲシテ文献は日本の哲学の宝庫といっても過言でないです。
この事実の発見を、素直に向き合わなければ国の未来に立ち行かないでしょう。

  
  
  
  
ゆっくり読めば解る。
と云うような、単純なものではないと思います。 そんなに簡単ではない。 断じて。

まずもって、
文献批判をしなくてはならない。
   ○ヲシテ文献は、まともかどうか?
   ○その、位置はいかに?
此処がしっかりしてないと、
流し読みの、「秀真伝(誤訳の貶め族)」
で、何で悪いの?
と言うのです。

大切さが、ちっとも解ってない。
それで、存外に扱ってなんとも思わない。
一杯ゴミが出来ちゃいましたね。「秀真伝(誤訳の貶め族)」のゴミゴミ。 ゴミゴミ。

  ほんと、涙が出ます。   あわれです。


その次に、と、云うか?
酷いのが、「いわゆる『古事記』読み」族ですね。 どっちもどっち、ドングリの背比べ。

ゆっくり読めば解る。  なーんてことは、間違いでしょうね。

ちゃんと、
「三書比較」でもって、ガチッとヲシテ文献の位置確定を把握する。この前段階なくしては、砂上の楼閣だと言う事でしょう。   です。
流し読みの、  …、 それで、貶め族ですね。
     努力に比しての結果が、哀れむべきほどにムザン。
       逆に、足引っ張り- の、 大迷惑族です。
何回読んでも、何十回読んでも、ダメなのです。
何故ならば、どの文献を用いて、どの文献を除去すべきか?
この、基本の認識が解っていないからです。
 簡単な篩の事項です。ふたつ。
    ○信頼すべき文献を、一番にする。
    ○信頼すべきでない文献は、除去すべき内容として認定する。
       (ゴミ箱行きの内容を、どう区別して、どう探すか?)
いつまで経っても、
  『古事記』にはこう書いてあって、重んじるべきだ。
   なんて、言っちゃってるわけです。
     言っちゃてて、わかんないのですね、その、アホさ加減が。
除去するために、読むなら解りますが、
  ゴールドか宝石と、鉛か石とを、並列比較して何になる? 
   さらに、 サラサラその上に、
   参考にするのは、サラサラ間違っていますでしょう?

      でしょう?  !

    こんな簡単な事が、わからないのです。  ね?

宝石は残す。 駄石は捨てる。   これが、取捨選択と言うモノです。
贋金を集めてどうするの?

    ・
「いせの会」では、「三書比較」をテキストに、一通り講義しましたね。 5年間かけて。これで、大体の大切さが通い詰めて来て下さった方は、理解できたようです。
今は、二巡目で、「大意」を使ってますが。一巡目抜き・前提抜きの場合は、やっぱり、大切なところが解りにくいでしょうね。
大学院に行っているんです。と言う人が、単位をくれ。と言うのでしたが。一年弱か、数回来ただけ。いくら言っても、ヲシテを書いて、自分で勉強しようとしない。勉強する為のアドバイスをするのが、私の役目ですよ。いくら言っても、ヲシテを書こうともしない。読もうともしない。いつまで経っても、満足にヲシテも書けないのでは、私としましては、10級にも認定できませんですね。よくもまあ、大学院なんて、そんなようなモノの処もあるのでしょうかね?


       ・

おおよその級や、段の認識は、以下のようかと。
10級 ヲシテの読み書きが出来る。「秀真伝(誤訳族)」はダメだと解る。
 5級 2~3回は通読した(原字原文で) 。
 1級 だいたい、何処にどのような内容が記されているか解る。
初段 自分で研究を進めようと思う。

これって、

勉強は、多くの意味での「学習」です。
記憶・暗記などが、大きなウエィトを占めます。
先人たちの、仕事の辿り・再確認ですね。
  「勉強」とは、級レベルですね。


研究は、新規に発見を為し行くこと、
が、ほとんどの意味です。
  「研究」とは、段レベルでしょう。
オリジナリティの、あること。 これが、新規発見ですね。
研究においては、他人のアイデアに、パクリをしてはいけませんね。
御法度ですね。

      ・
 
 

なによりも、何よりも、
美しくないモノは、遠くに避けましょう。
     違うわけですものね。
 こころざしが。   つまり、
  何のために、身を尽くし、夜も昼もなく頑張り続けるのか、
    死んでも、なおやり抜こうとする。
      
   と言うと、
現在・未来の、国民の幸せのためであり、
現在・未来の、クニの良きようにのためであり、
現在・未来の、全世界の人々の幸せのためであることに、
目指しているところがあるわけですね。

ここを、忘れては、何にもなりませぬ。

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