ヲシテ文献は、そもそも、美しいものです。文章があってこそです。
いつも良く間違われやすいので、
ひとこと。
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ヲシテ文献は、初めて接してもらいます時、
その根拠について、よくよく、ご理解くださいませ。
これが、大切。
この、全体が12万字にも及ぶ、文章こそが大切です。
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その、根拠とは? なにか。
ヲシテ文献の根拠は、『古事記』や『日本書紀』などとの、
文献学的手法での対比研究で、結果が出たのです。
その結果は、
『古事記』『日本書紀』の元(もと)の原書が、ヲシテ文献である。
と言う事実でした。
-詳細な内容の比較対比を、全文にわたって遂行しました-
この事実が判明したことに、よくよく、
ご理解くださいませ。 できれば、おなかの底からのご理解をお願い申し上げます。
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そのあとで、しっかりと、原字(元からの文字)で、つまりヲシテで、
原文をお読みくださいませ。 美しい長歌体の文章です。
文章の、その物語の中にこそ、
きらめく、たからが秘められています。
たとえば、現代語に云う「龍」は、
ヲシテ時代での本来の意味の 「たつ」とは、こんな感じです。
決して、単純当て嵌めの現代語直訳は絶対にダメです。
ヲシテ時代の「たつ」は、高貴なうつくしいものです。
「龍」では、あり得ません。 まったく、意味が異なっています。
ヲシテ時代の美しい「たつ」を、
「龍」に当てはめてしまうのは、大きな大きな誤訳ですね。
この意味で、
決して、決して、ダメなのです。 単純直訳は。
現代語の言葉に直訳、それも時代照合も無視して、
そのような事では…、
そうしますると、大間違いになります。
縄文時代の物語りに、江戸時代の言葉の概念を当てはめたら、
奇妙奇天烈、。
このような大間違い族は、馬脚が現れるのですね、
かれらは、「秀真伝」とよく表記してます。
それで、判明します。 怪しげかどうか?
それらを、ちゃんとしたヲシテ文献、シッカリしたものと、
馬脚の、時代錯誤の誤訳の連中を、区別するために、
単純当て嵌めの現代語直訳は、つまり、「秀真伝(誤訳の貶め族)」と呼んでいます。 聞くのも汚(けが)らわしい「しゅう しん でん」族です。 気持ち悪いです。
それは、時代を錯誤させて縄文文明を再度抹殺抹消しようと、する、
不逞の輩に陥るものです。
・
かれらは、
良い事をしようと思って、 か?
かえって悪い事をしていると言う、
「ちょっとした親切、大きな迷惑」の人達ですね。
お願いします。
はっきりと、区別して下さいませ。
・ ・ ・
簡単な、見分け方は、
ヲシテ時代の人名を、漢字表記している。 → 「秀真伝(しゅうしんでん)」
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ヲシテ時代の人名は、カタカナ表記している。→「ヲシテ文献」
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
「秀真伝」も「偽書」の一種です。
「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の
誤訳 創作性 偽書です。 お間違えなく!
せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、
なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 誤訳 創作性 偽書ですね、気持ち悪いですね。
共に、即、廃棄してください! 捨ててくださいね。
偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!
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本物に出会った時の感動が、大切です。
初めて本物の芸術作品を観て受けた感動は、素晴らしいものです。
ヲシテ文献は、読めば何か感じるものがあります。
ヲシテ文献を原文で読みましょう。これは、ルターの宗教改革以上の運動の序章です。
投稿: M.Ueki | 2008年11月24日 (月) 21時15分