ルビなしの本の事、『記紀原書ヲシテ』
「ルビなしの、ヲシテだけの書籍を出すように」
と、
松本善之助先生に言われていなかったら、
まだまだ、まだまだ、ぐるぐるやっていたわけでした。
その時は、
何で、私だけに厳しく売れない本ばかり出させるのだろうか?
と、 思わない訳でもなかったのでした。
でも、 考えてみましたら。
自分用の書籍だけ、ホワイトでルビを消して使っていました、のでした。 これは、当然のことです。 何しろ、ヲシテこそが縄文時代に遡る我が国の「国字」であり、
その、立派な文献が発見されたのですから。
カタカナのルビなんて、消し去るのが、 当たり前と言えば、当たり前です。
でも、
自分用で、ホワイトで消していては、 それでは、他の人にまで、及びません。
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本質を考えてみます。
ルビなしで、ヲシテだけで読むと、
やはり、
格段に違いが生じます。
どうにも、
ヲシテ文献は、ヲシテの元の文字で読まないといけません。
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松本善之助先生の功績について、考えてみます。
そこには、冷静な判断が光るのではないかと思います。
偽書の「神代文字」のゴミゴミの中から、宝石を拾い出して下さったのです。 これは、なかなかに困難な仕事です。
砂漠の砂の中の、一粒のダイヤモンドです。
つまり、この発見についての、ご尽力。 が、大きい所です。
また、関連しますが、記紀の原書である、事を見定めて下さった事。 確定作業ですね。 ここが、根拠になります。
その、根拠を基にすると、ヲシテは、「日本」本来の国字であることの、大きな再認識。
大きく捉えまして、称賛すべき三点として、以上を掲げたいと思います。
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古史古伝、は「偽書」です。 お間違えなく!
「秀真伝」も「偽書」の一種です。 お間違えなく!
共に、即、廃棄してください! 捨ててくださいね。
偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!
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