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2007年11月 9日 (金)

不思議な言葉 「みとり」は色の名称?

「緑」は、現代には‘色’の名称としての区別であると、これは常識として理解がされています。

でも、

不思議なのです。

『万葉集』には、現代用語の「緑・みどり」に近い出例は、

ホントに、ひとつだけ。

2177番にありますが、

     ・

このほかの、関連の言葉としての、

「みどりこ」は、『万葉集』に7例もあります。

「緑」を、カラーの識別・区別のひとつとして、

「みどり」=「緑」と、即断するのには、あやあやあやあやな、

危うさを感じます。

「みどりこ」は、どう考えても「緑」つまり、グリーンでは有り得ませんよね。

「みどりこ」とは言って、それは、やっぱり「赤ん坊」ですよね。

どうして、

「みどり」なので有り得ましょうか?

「赤=緑」 の、この公式は、わたくしには成り立たないと判断するからです。

     ・

この理解のしがたい齟齬について、

判定・解決を得ようとしましたら、

歴史的な、なにか、

言葉の変化がこの時代に起こったのではなかろうか?

そのように、大きく視点を変えて、考えて、きて見ますと、

解明の糸口がほんのひと探り得ることが出来ようか?

と、思うのです。

    ・   ・

つまり、ひょっとすると、

漢語の「緑」の色彩識別の概念が、

漢字の流入期に齎され、

このことから、

「やまと ことは」の「みとり こ」の、萌え出づる雰囲気が、

訳語として当てられ、定着していったのではあるまいか?

そんなふうに、

ずっと、考えてきていました。

「言葉」の新用法、

ここには、「言葉」の意味するところの概念の、

変化がその言葉に付与される事を忘れてはならないと思います。

つまり、

「言葉」の指し示す意味内容の変化です。 これが、付与されなくては、新しい言葉として人々の口数に昇って来るわけがありません。

        ・

結構、

時代の経緯にともなって、

「言葉」の、それぞれの指し示す意味内容は、

驚くほどに変化してきています。

漢字に表されてきた「やまと ことは」においての、

本来の伝統的な「みとり」の概念とは、ズレがあると、

そのように感じて来ていたからの理由です。

詳しい根拠を出せと言われましても、

すぐには、おぼつかないものではありまして、

申し訳ありません。

        ・

ですが、そもそもの、

ヲシテ文献に典拠のある「みとりこ」は、

「産まれ出づる」その有様・状況を表しているわけで、

グリーンには、直接には結びついてはいないのではなかろうか?

「色」の概念ではなくて、もうちょっと、違う範囲のことの形容、

それが「みとりこ」ではなかったのか?

漢字の、外国語からの理解ではないもの、

それが、縄文遡及においてのベースとしてのスタンスではないか?

つまり、 それは、次のような思いになると考えます。

            ・

ヲシテ文字の形状から、その、「ことは」の意味合いを考え・類推してゆかねばならないものと、 このように、基本の考え方が底に据えられないといけないわけです。

漢字に於いての「緑」の概念と、

「やまと ことは」それも、ヲシテ時代にまでもの、

遡及を為し行かんとした場合での、われわれの

認識としての「みとり」の概念とは、

どうも、大きく異なるのではないか?

その、選別依拠の判断の根拠は、縄文日本に溯り得る「やまと ことは」に探るしかないと思うのです。

つまり、 ヲシテ文献の典拠。  ここが、根底で有り得ましょう。

       ・

縄文日本への、

日本文明の縄文成立に、その、

根拠確立の足固めは大変に骨の折れることであろうと、

思っております。

でも、

ぷやぷやには、流されず。  難儀でも、ちょっとずつの、

一歩が、強い足場となり得て来ると、

そのように、信じます。

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

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偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月 8日 (木)

「やまさ なす」考え方の進化のこと

物事は、常に変化します。

多くの場合、進む方向が多いのです。 これは順行と言えますでしょう。

この事は、ヲシテ時代にも多く見られます。

2130hutakamikoteni

2131yamasanasu_3

いずれも、『古事記』『日本書紀』には、翻訳されていない個所です。

初代クニトコタチさんの時、この時代から、「日本」の文明が明らかに起こりました。

その後、時代を経るごとに、進化発展を遂げてくるわけです。

7代アマカミの、イサナギ・イサナミさんの頃になると、

「やまさ」  が付け加えられて考えられてきます。

さらにさらに、この後の、

10代アマカミのニニキネさんの時代には、具体化されてきまして、

トリ(鶏)を門屋にて飼う事が、さらに付加追加されます。

この、

もともとの、精神・理念を受け継ぎ、さらに発展させる、

このことが、「順当な進展」を理解されるわけです。

        ・

江戸時代、の中ごろ、

日本に大きな思想分析家が出ました。富永仲基といいます。

彼は著書の『出定後語(しゅつじょうこうご)』のなかで、

この「順当な進展」のことを「加上(かじょう)」と表現しました。

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