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2007年1月20日 (土)

広めようとするのには、‘一息’置いてからでも…

今、現在の世間的な評価の事などは、あんまり考えないようにしています。

なにしろ、2000余年ぶりにも、なるような、その様な天地驚愕の出現が、

ヲシテ文献であるのですから…。

そんなに簡単に、解かるはずが無いのです。 普通の人々には…。

これは、当然のことであるのです。

これを、焦って、

無理に、性急に、解かってもらおうとすると、間違ってかえって無理を生じてしまいます。

この路線が「秀真伝」の事々です。  つまり、誤訳です。

焦りの誤訳によって、壮大な‘縄文日本’の高貴な文明を、誤ってしまう のです。 これは、余りにも、悲しいことではありませんか!

知ってか知らずか、「貶(おとし)め」に向けて背中を押してしまっているのです 、ね。

これこそが、酷(ひど)いことなのです、   つまり‘名折れ’です。

折れちゃったのですね。  バカみたい。

この貶(おとし)めの路線だけは、どうしても、回避せねばなりません。

         ・

大間違いであった、この「秀真伝」の路線のことは、既にこの30年来の研究史にみてもらえますと、

明らかなように、ご理解戴けますことでしょう。

大間違いであった「秀真伝」の路線の特徴は、

  可笑しげな物が、へんてこりんに、くっ付けられたりします。

これで、すぐさま判別が付きます。

つまり、

次のようなものが、くっ付けられていたら、

それは、オカルト紛(まが)いにしようとする、「貶(おとし)め」連中です。大間違いであった「秀真伝」の連中の仕業です。

  х  ペトログリフ

  х  神代文字 ・ 古史古伝 

  х  言霊(ことだま)」・「秀真伝(漢字仮名混じり直訳)」

      ― ヲシテ文献には、“言霊(ことだま)”なんて用例は、

                  一例も無いのです!  ―

  х  カタカナ書きの「ホツマ」なんてものは、眉唾です!

      ― ヲシテ文献の生命線である‘特殊ヲシテ文字’が、

            抹消されてしまうではありませんか!―

30年来の、悲しい物語です。

ああ、 なんて悲しいことでしょう。  これらの人々は、どうにも救いがたき事々です。

それらが、さらなる、 それら、

さらなるの、  嫌になるほど、

亜流が“貶(おとし)め”で騒ぐのです。 悲しいことです。 哀れなる事です。

ヲシテ文字の文字形でも解かります。

       

このような、トンマな事は、本当に困りものです。

    ~   ~   ~

さてさて、

真剣に、 考えてゆきましょう。

真面目さが、何よりも、大切なことだと思うのです。  

そうしますると、

何と、明るい未来が開けてゆくのですね。

真摯(しんし)に日本の「国史」の再構築を考えてゆこうとする、

良い方向の、

適切な、Webサイトを、「日本ヲシテ研究所」では推奨しています。

「日本ヲシテ研究所、推奨のWebサイト」

こちらに、推薦されているのが、推奨サイトです。

ここに掲載されていない様なものは、一切お勧め出来ません。

       ~   ~   ~

焦らず、早まらず、

ここは、

じっくりと、構えましょう。

1、ヲシテ文献が、「真書」であるかどうか? この確認作業が、取っ掛かりの前提の条件です。

2、「真書」であると、自らの判断でしっかりと出来るようになったら、

次の段階に進んでください。

3、ヲシテ文献の、内容についてじっくりと、究明を進める。

4、‘縄文日本’の文明の特質について、究明を進める。これは、漢字国字化時代以前の‘日本’の真実の姿についての解明を進めてゆくことです。

5、‘縄文日本’の文明と、諸外国との比較を進める。

6、‘縄文日本’の文明の、その特質について、この把握に基づき、

今後の将来に寄与を出来得る線を考えてゆく。

7、この後の事でよいのでは、と思います。広く世間に真実を勧めようとするのは。

           ・

自分自身の判断として、ヲシテ文献は「真書」である。 このように考える。

このことが、

本当の根拠になります。

他人の考えがどうだとか、

世間一般の常識がどうだとか、

その様な事々は、後からゾロゾロとついて来るモノでしかありません。

物事を決めてゆく、原動力は、先見性のある各・個人個人の見極めに立った理解こそ、であること。  重要なひとつの事です。

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

2007年1月19日 (金)

大笑い、ペトログリフ

なんでも、

数万年の前からあったそうだ?

       ~    ~

ペトログリフと言う、岩に刻んだ文字だそうです。

でも、

江戸時代にそんなものがあれば、誰かが、書き留めていても良さそうなものです。全国を網羅する紀行文が記されていますから!

本当に、何万年もあったのですかね?

風化もしないで?

          ・

わたくしは骨董が、昔から好きでした。

女房も、けっこう選別眼があります。

ある時、骨董屋で、良い時代の出物がありました。

書物などで、見て知っているものと、そっくりなのです。

時代も付いていて…。(茶渋が、いい具合に深く染み込んでいるのです)

でも、何だか、変なのです。全体の雰囲気が…。

それで、

女房に見てもらいましたら、

「おかしい」との、判定でした。

          ・

実際、

贋作を作ろうとする人も居るには居るのですが、

習作として、勉強のために、模作する場合も多いのです。

それを、

骨董屋が安く仕入れて、茶渋や何かで時代を付けるのですね。

一丁完成です。

          ・

茶碗のように、虫眼鏡で点検されるモノでも、

多くの人が、贋作掴みをさせられてしまいます。

まして、

雨ざらしに放置されている、天然の岩なんて、

全くのところ、やりたい放題です。

ペトログリフは、大笑いのシロモノです。

特に日本では、そうです。紀行文や、地誌などの蓄積が、うず高く山のようにあります。そこの現れないのは、どうかしているのです!

骨董品でもそうですが、

贋作掴みをなさらないよう、くれぐれも、ご注意ください。

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2007年1月18日 (木)

写本における、誤写の文字の多さ

写本においての写し間違いは、どんな文献でも付き物です。

所謂(いわゆる)誤写の文字です。

誤写の事は、長年来の、そして永遠の問題でもあるのでしょう。

この対策としまして、

近代研究の定礎として、それぞれ、漢字文献にも「校本」「定本」が作られています。

Photo_256

『古事記』は、『校本古事記』として、一巻本(写真左)で、

     倉野憲司・古事記学会・続群書類従完成会(昭和40年)にて、刊行されました。 

『日本書紀』は、『定本 日本書紀』として、4巻本(写真右)で、

     国学院大学 日本文化研究所・角川書店(平成7年)、として刊行されました。

それらを見ますと、、

結構な数の写本の文字使いの違いが有るのですね。

一般の、流布本(る ふ ぼん)しか見ていなかったり、

さらに、現代文への翻訳文しか見ていなかったりしますと、

そこそこ安定した、書物であると錯覚しておられる向きも多いのかも知れません。

ところが、諸写本の、伝来の文字の違いは、思っておいでである想像以上に大きいと言えます。

              ・

たとえば、

「ト」と「ホコ」

(『ミカサフミ』76ページ、『記紀原書ヲシテ』466ページ、<11054>

『ホツマツタヱ』2アヤ19ページ、18アヤ3ページ)

の漢字訳の文字にしても、

驚きの事実がありました。

『古事記』は、「矛」としている、と、思っていますのが当然とされています。

ところが、どっこい、

実は、古い写本は「矛」に書かれていたのです。筆で書くと、良く似ているのです、「矛」と、「矛」とは。特に行書だと、酷似です。

つまり、もともとは「矛」と書かれてあり、「おさめる ほこ」と読ますべしだったのです。

それが、現在では、

矛」で、‘ほこ’が一般になってしまっている。

これは、伝承時代に起きた誤謬であるのですね。

矛」の文字を書き写す時に間違って、「矛」と書いちゃったのでした。

間違いが見つかっても、未だに直せないでいるのですね。問題です。

でも、もう『古事記』の命脈はそろそろ尽きようとしていますので、

積極的に修正に動く必要はないのかもしれません。

また、

『日本書紀』でもこの個所で、伝承時代に起きた誤謬があります。

そこは「戈」と記されていますが、

その読みについて、古い写本の主流が、「ほこ」だったのでした。

ところが、流布本は「ほこ」にしてしまっています。

酷い話です。

『古事記』の誤写に引っ張られて、面白そうな読みを、

取ってしまったのですね。「ほこ」の方が面白いですものね。

詳しくは、『ホツマツタヱを読み解く』の173ページに記しました。

         ・

このような事実に付きまして、ご理解いただけますと、、

ヲシテ文献に、殊の他に多くある写本の詳細な文字の違いについても、

それなりに、正確な理解が得られるのではないか?  と、思っております。

ヲシテ文献は、消え行く間際の、ほんの小さなともし火によって、

何とか・かんとか、ようやくにして残りえた事情もあります。

社会的に是認されている文献よりも、伝承が粗雑になってくる傾向は強く及んでくるはずです。 つまり写本の、写し間違いの発生の割合は、多くて当然と考えるべきでしょう。

そもそものところ、誤写の事は、何時の時代にもあります。

恥ずかしながら、

現代にも、誤植は少なからず発生しているのです。

と言いますのも、

何年と、使ってきていても、まだまだ、誤植の発見は、

あれ!  と、思うほどに、見つかるものです。

活字に起こしたとしても、その様なものです。

まして、写本ですと、その何倍かの発生頻度があると予想されます。

何事も、ゆめゆめ… 、

簡単にはお思い召さる事の無きように、と、存じます。

             ・

訂正シールを、

頼んだ矢先、この翌日に、

また、さらに、二つも見つかり、追加発注をしましたのが、

一昨日の事でした。

ゆめゆめ… 。

           ・

今日の「日経新聞」の文化欄に、富永仲基『楽律考』の記事が掲載されました。

富永仲基の難解な文章を、現代文に読み解いてくださった、

印藤和寛さんのこぼれ話です。

面白いです。

           ・

真名さんの、 「ミシリツヒコと名を変えて5」がUPなされています。

解かりやすく、楽しい記事になっています。

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2007年1月17日 (水)

「加上(かじょう)」の考え方の事

わたくしたちの‘縄文日本’の文明は、成立時代が古く、

そして高度なものでした。

縄文時代前期には大要の完成が見られ、

縄文時代末期から弥生時代にかけて、

さらに深化の度合いを高めた事が理解されます。

          ・

さて、その外の、世界各地を見渡してみますと、

BC500年ごろに、釈迦が仏教を始めます。

仏教の進展の歴史を調べますと、面白いことが解かります。

日本には29代の欽明天皇の御世の時(AD510~570)に、

仏教が伝わったとされています。

この頃には、すでに、大乗仏教にと進展していたのでした。

小乗仏教と、大乗仏教とは、その趣が大きく異なります。

このあたりの、仏教の進展の歴史を究明して、

あるひとつの原理を見出したのが、富永仲基(1715~1746)でした。

あるひとつの原理と言いますのが、「加上(かじょう)」の考え方です。

と、考えますのも、そもそも、釈迦の死後何百年も経ってから、

大乗仏教が成立してくるのです。

日本に到来した仏教・仏典は多くの歴史的な「加上(かじょう)」が

様々に包含されている。と、このように分析しますと、すんなりと解かる。

 このように、富永仲基は発明したのでした。

さらに、文明比較において富永仲基の慧眼は炸裂します。

Photo_255

     <『出定後語(しゅつじょう こうご)』

       (隆文館・昭和57年、元版は延享2年版・国立国会図書館の所蔵刊本)>

竺人つまりインド人は、「幻」に傾く。

今、現在にも数学の能力の突出性はつとに知られています。

漢人つまり中国人(Chinese)は「文」に傾く。

現在もそうです、決め事・形式に偏重する傾向があります。

東人つまり日本人は、「絞」に傾く。

日本人は、「じゃあ、どうすればうまく行くか?」実質・将来を重んじる傾向があります。

           ・

文明比較の論も極めて参考になるのですが、これは、さておき、

「加上(かじょう)」 の考え方、

これが、 ‘縄文日本’の文明の発展進化の歴史考究に つきまして、

大きなツールになるのです。

仏説の、その多くの蓄積は、これも膨大なものです。

たとえば『大日本仏教全書』は、古書店でたしか260万円の販価が付いていました。それら、仏教哲学の深遠なまでヘの進展を分析考慮するのには、「加上(かじょう)」の考え方が有ってこそとっても有利になり得ます。

このことは、引きまして、‘縄文日本’のこの高度な文明の歴史的な発展の状況を、解明する為にも、欠かすことの出来ない考え方であるのです。

シナ仏典の程にはうず高くは積み上げられていない、ヲシテ文献ですが、成立時代がさらに遡及すること何千年にもわたる古さがあります。その内包する先行文献の「海」は時間軸も大きく拡がっており、内容の特定作業にも困難さがあります。

このことは、さらに複雑な様相を秘めている事でもあります。このため、「加上(かじょう)」の考え方の必要性は、さらに高いと申せますのではないかと思います。

『出定後語』の流布本には、岩波書店,日本思想体系,第43巻があります。

解説本としては、隆文館『出定後語』を、お勧めします。

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2007年1月15日 (月)

‘かみ’の言葉。 『ヲシテ時代編、時代別国語辞典』

国語辞典では、『大言海』をお勧めしています。

古語辞典も含めて考えても、やはり、『大言海』が宜しいでしょう。

Photo_254

                <つばき(ヤブツバキ)

でも、

それでも、どうしても限界があります。

と言いますのも、

『大言海』といえども、漢字文献を土台にした辞典であることを、

避けることができないからです。

       ~   ~

たとえば、「かみ」の言葉を例にとって見ましょう。

   「かみ」の“やまとことば”として、『大言海』では、

       ‘神’ ‘上’ ‘長官’ ‘頭’ ‘髪’ ‘紙’ 

の6項目を、立てて説明しています。

でも、

ヲシテ文献に視る、「かみ」の言葉の説明としては、

この6項目の分類では、適切ではなさそうなのです。

最も大きな差異は、‘神’の項目について見られます。

              ・

立脚点の根底の文献に変更がなされるときには、

辞書についても、作り変えなくてはならないのですね。

『ホツマ辞典』を、さらに詳しく、拡充してゆきまして、

『時代別、国語辞典、ヲシテ時代編』と銘を打つような書籍にすることも、ひとつの仕事です。

それには、まだまだ、気の遠くなるような作業が必要です。

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2007年1月14日 (日)

「やまとことば」の‘かみ’、しかし、中文(China語)との大きな違い

今日は、近くの神社に行って来ました。

古いお札(ふだ)を焼く‘とんど’に、もう何年来の溜めてしまったお札を土に返すためでした。

「この神社の、ご祭神は… 。    …   」

宮総代のお役の人が火の番をしながら、説明をして下さりました。

「はー、そうですか」

あり難く、拝聴しておりましたわたくしです。

        ・

宮総代の人に、教えてあげようか、とも思いましたが、

やっぱり、やめときました。  一般の人たちには、

あと30年ぐらいの年数が経たないと、 これは、このヲシテの真実は、ほんの少しの理解でさえも無理なことと言うものです。 簡単そうで、やっぱり難しいのですね。   無理難題を強く要求するのは、これは「はたれ」ですもの、ね。    無理は、いけません。

それほど、 ヲシテ文献の発見と究明は、革新的な出来事であると云うことなのです。

        ・

根本のところから、緻密に考えますと、

大きな、ステージの違いの事で、理解しやすいような事を言いますれば、‘かみ’と‘神’との言葉の包含する意味合いの違いで説明いたしますと、宜しいでしょうか。

        ・

端的に、解かりやすいこと、それは、

「やまとことば」の‘かみ’と、  「漢字」の‘神’の違いについてであると思うのです。

これを、例にとって説明しておきましょう。

漢字の「神」の文字に当てて問題のなさそうな言葉は、ほんの少しに限られます。 「やまとことば」の‘かみ’のうちでは、のことです。  そうですね、10分の1にも満たないのではないか?

そんな感じです。

  ~

国語辞典を、ちょっとも視てもいないような人たちには、この、詳しい語彙の違いについて、理解はできないのでしょうが、それは小学生程度の以下のレベルとして、除外してくださいませ。(直訳・誤訳族の、「秀真伝」のもろもろです)

  ~

さて、

そこで、外国語である、漢字の「神」、この言葉の意味を見て見ましょう。

日本では、国語辞典は、定評のあるところも色々ありますが、

わたくしは、『大言海』を高く評価しております。

     「かみ」の“やまとことば”として、『大言海』では、

       ‘神’ ‘上’ ‘長官’ ‘頭’ ‘髪’ ‘紙’ 

   の、6項目が立てられてあります。

英語では、『オックスフォード』が、定評のあるところです。

漢字では、『康煕字典』が、最もスタンダードといえるでしょう。

Photo_253

これが、『康煕字典』の「神」の項目です。

この記事の、大要は、「目に見えないもの、大きな宇宙的な働き、鬼や魂のこと」

と言ったようなところと、理解してよいでしょうか?

        ・

でも、

でもですよ、

ヲシテ文献に見る、「かみ」の言葉は、

この、『康煕字典』に出る言葉の概念とは大きく違う!

このことは、

ヲシテ文献の原文に、素直にぶつかってみた人には、

共通の認識ではなかろうか?   と、思うのです。

みなさま、よくよく、

この事実に付きまして詳しくごろうじになって下さりませ。

結局のところ、

中文(China語)と、漢字国字化以前の‘やまとことば’とは、

全くの根底からの成り立ちを異にする異国語であった。

この、結論に達っしてのこと、この事であります訳でございます。

           ・

これからの事です、

中文(China語)と、古い時代・漢字国字化時代以前の‘やまとことば’との、

詳細な比較検討の、仕事が待たれてもいます。

ヲシテ時代の‘日本語’と、漢字国字化時代以降の‘日本語’とは、

こんな違いがあります。  その、変化の変遷について…。  など、これを極めてゆき、調査してゆくことは沢山あります。

        ・

さて、それはそれとしまして、

一般の人々には、

「神様」としての、認識は未来においても必要なのかな。

と、思ったりもしておりました。この事は、アマテルかみも、矢張りお悩みであられた事でもあったことが、推察せられるからです。

‘縄文哲学’での明解な解析によりまして、オカルトはその影を収めさせることができたのですが、そこは、人の世の中です。不安もあるわけですね。

 アマテルカミが、お悩みであらせられたことの、その事情がわたくしにも、

目の前に浮かんでくるようになりました。

何か良い解決方法を、模索してゆきたいと思っております。

デキのあんまり良くもない、わたくしなりにの事ですが…。

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