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2007年1月13日 (土)

何故、そう謂(い)えるか・根拠のこと

根拠」のこと。

これが、最も大切なのですね。

Photo_252

                <ロウバイの花>

なぜ、その様に謂(い)えるのか。

それには、「根拠」があって、初めて話が成り立ちます。

相互理解の根底が、「根拠」によって成り立つからですね。

          ・

たとえば、

ヲシテ文献が、記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書である。

と、わたくしが謂います。

それは、

厳密に文献比較をした、「根拠」があるから、謂えるのです。

これは、『定本ホツマツタヱ』として公開しています。

また、『ミカサフミ』にある同文個所の表示もしています。

ですから、『ミカサフミ』と、『ホツマツタヱ』ともども、記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書であることが、謂えるのです。

          ・

ここを外すと、

言いたい放題の、レベルに落ちるわけです。

誰も見たことがない「文書」を持ち出してみたり、

あること無いこと、嘘800を並べ立てる…。

そんな人たちは、何時の世の中でもいます。

要は、

選別眼を持ってもらうことが重要ですが、

その、判断の壷・要は、「根拠」の有り無しです。

ここのところを、

しっかりと身に付けて頂ければ、一生涯にわたってオカルトに騙され無くてすみます。

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

2007年1月12日 (金)

沢山のアクセス有り難う御座います。直訳(漢字仮名混じり)は‘クニ’を誤まること。

沢山の、本当に沢山のお方に、このブログをお読みいただけまして、

まことに嬉しく思っています。

            ∽  

もう、アクセス数が28000件も超えてしまっているのですね。

びっくりです。

去年の春4月ごろだったでしょうか、

この頃に始めたブログですので、今ですとたった、約10ヶ月しかありません。アクセスがこれ程にも多くというのは、まさに驚愕と言って良いと思います。

             ・

有り難う御座います。

推敲も、充分には出来ていませんので、お見苦しいような、

そんな読みにくい文章のことを、お詫びいたします。

それでも、ずっと耐えながらも、お読み頂いていますと、

ヲシテ文献は、元の文字、つまり‘ヲシテ(縄文文字)’で読んでこそ!

と、 

この、意味のご理解が頂けると思うのです。

一番大切なことだと思うのです。  この事は!

Photo_247

     <い いろ、の書 (『ホツマツタヱ』31アヤ28ページ)

               ―「い」とは心、心の色を詠むウタ、の意味だった― 

そうしますと、

ヲシテの、安直な直訳(漢字仮名混じり文)は、適切でないこと。

誤訳は、‘縄文日本’の光輝を貶めるものだと、

この、わたくしの強い主張。

この重要性が、順々とお解かり頂けて来ると思うのです。

これは単に、

自慢したいとか、そんな低い次元での話ではないのです。

わたくしたちの‘縄文日本’の高度な文明に、泥を塗るような行為だけは、

どうしても許せないから、

声を大にして叫んでいるのです。

            ・

適切な、真摯な、ご理解のほどを、

どうか、どうか、お願い申し上げたく存じる次第であります。

      ~          ~

縄文日本の、その光輝の燦然と輝けるさま。

この類まれな、尊さを、千年余りぶりに、お解かりくださる同志が、

ここにきて、出現し始めて来ました事は、まことに、嬉しき限りです。

Photo_248

‘くに’を過(あやま)つものは、

「秀真伝」のごとき低俗なたぐいと、『古事記』『日本書紀』など当時の恣意的な誤訳の漢字文献であると、このように考えます。

      ・

とっても、良い事がありました。

それは、

とっても良いおウタを、お寄せ下さりましたのであったのです。

Photo_250

国家の、根底からの本当の意味での再建には、

‘歴史’の再認識から始める事が、

どの様に考えましても必要となされます。

  特に、

今、この、錯乱しつつある現在にとりましては、

正しい‘歴史’を再構築する。

この作業が、どうしても欠かすべからざること。

このように、判断いたします日々を過ごしておりますことごとです。

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2007年1月11日 (木)

文書のかたち、「ふだ」とは? その8

このような調子(その1~7)で、延々と、わたくしは調べてゆきますが、

読者の皆様には、これでは、退屈になろうかと思いました。

そこで、

「ふた(ふだ)」の材質が木材であるだろうと、推測できる用例を掲げて、

一件の落着と致しましょう。

Photo_246

        <『定本ホツマツタヱ』349~350ページ>

        <『記紀原書ヲシテ』上巻701ページ、こちらはルビなし>

11代のアマカミに、後(のち)に、御(ご)即位をなさいますのが、

ホオテミさんでした。 この時は、お兄上に嵌(は)められてしまい、

自失呆然と言った日のことでした。

雁が罠に捕まってもがいているのを見て、

思わず逃がしてやったのが、ホオテミさんの行為でした。

それを見た、

シホツツのヲヂが、力(ちから)になってくれたのでした。

そして、目の細かな、しっかりしたカタアミを入れて、

また、‘うた ふた’を付けた‘かも ふね(帆を備えた大きな船)’に、

ホオテミさんを乗せて、「帆 上げ 鞆綱解き放つ」のでした。

そうしますと、風に帆が膨らんで、見る見るうちに、

目的地の、‘ツクシ(筑紫・九州)’の‘うまし の はま(今の宮崎県の海岸)’に到着したのでした。

         ・

この用例にあります、‘うた ふた’は、船に付けるものでした。

つまり、海水がかかっても何ともないものであるはずです。

それは、

木札であると、考えられるのではないでしょうか?

布では、海水に弱いですね。特に文字が染められているなら、なおの事ではないか、と、考えられます。  現在のように、水にも強い染料があれば、話は違いますが…。

         ・

ヲシテ文献の原文には、

「つくし」と、ありまして、これは九州の事であると、

明瞭に解かります。

しかし、『古事記』『日本書紀』の漢字文献には、

故意的に、なのでしょうか? 具体性を無理にも翻訳削除したような感じです。

このことから、竜宮城のようなイメージに取られてしまっているのですね。

御伽噺(おとぎ ばなし)ですね。  貶(おとし)めですね。

ひどい話です。 漢字文への翻訳には、故意的な誤訳でなくても、

大きなリスクがあるのですが、さらに輪をかけて故意に・恣意的に誤訳されてしまったものが、 

『古事記』『日本書紀』の漢字文献であると、このことが判って参りますと、

もはや、過去の遺物としての位置づけにと、

『古事記』『日本書紀』の漢字文献の置き場所を定めるべきであることが順当であると、このように判断すべきでしょう。 

                     ・

誤訳モノにも、

色々あります。

1200年余りの、長い歴史のあるもの。

40年ほどの、短い歴史しかないもの。

ここには、幾分かは優劣をつけるべきでしょうね。

『古事記』『日本書紀』の漢字文献は、1200年余りの、長い歴史があります。

「秀真伝」のたぐいは、たかだか40年ほどの、短い歴史だけしかありません。

そして、程度の低いものです。

これらは、

ともに、‘縄文日本’の光輝を貶める存在です。

そこで、

1200年余りの、長い歴史の『古事記』『日本書紀』の漢字文献は、一時記憶の「ごみ箱」へ。

40年ほどの、短い歴史の「秀真伝」のたぐいは、完全削除の「ごみ箱」へ。

このように、ファイルを移動してはどうでしょうか?

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2007年1月10日 (水)

文書のかたち、「ふだ」とは? その7

‘うた み ’と、だけ記載された用例でも、

「文書」の形式に作られ、染められていたモノであると、

このように判断できる個所もあります。

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        <『定本ホツマツタヱ』138ページ>

        <『記紀原書ヲシテ』上巻194ページ、こちらはルビなし>

ヲヲンカミとは、8代アマカミ(古代での天皇陛下)の

アマテルかみ、のことです。

‘さつさ’と言うモノ(不詳)に、‘うた み’を付けられたのですね。

‘うた み’を付けて投げ込んだ、と言う事からしますと、

この、‘うた み’は、今に言う「文書」であったことは、明瞭な事実と申せましょう。 木簡の形式のものか? 布に染めた形式のものであるか? いずれであってでも、です。

この‘うた み’には、5行のピンク色にしたところのウタが、

染められてありました。

「はたれ も 鼻毛みつ(三本)足らず…」なんて、なんとも

間抜けさを言うウタです。

初めの3音の「さすら」と、

最後の3音の「らすさ」は、3音の‘廻りウタ’になっています。

‘はたれ(悪さをする人たち)’たちは、このウタで単純な

(いか)りを発して、それで簡単に討ち取られてしまうのです。

            ・

「さつさ つづ ウタ」の、‘うた み’は、

どの様なモノに染められていたのでしょうか?

布か? 木札か?

微妙なところでしょうか。

     ~   ~   ~

真名さんの記事が続々と公開されています、

「ミシリツヒコと名を変えて4」久米の仙人で有名な久米寺も出ます。

久米寺は、

聖徳太子の弟皇子にあたる、来目皇子(くめ の みこ)の創建とのことです。

この記事を読んでもらったあと、いよいよ謎解きが始まるようです。

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2007年1月 9日 (火)

文書のかたち、「ふだ」とは? その6  涌谷町の黄金山神社のこと

ヲシテ文献の世界は、とっても広大ですね、

「文書」のことを、一つ調べようとしただけでも、ゾロゾロと、

まだまだ、 まだまだ、

(と)め、処(ど)も無く続いて行くわけであります。

         ∽

そんな中、極めて珍しい金属での「文書」なる‘かな あや’の、

こと、

これは、とっても面白いので、ご紹介しておきたいです。

これは、

『ミカサ  フミ』の貴重な文面を、江戸時代の溥泉(ふせん)さんが

残してくれた、引用文(『春日山紀』にある引用文)にあります。

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           <『校註ミカサフミ・フトマニ』120ページ>

           <『記紀原書ヲシテ』下巻、577ページ(こちらはルビなし)>

時は、縄文時代と、弥生時代の狭間のような頃です。

8代アマカミ(古代での天皇陛下)のアマテルかみ、の

その、妹君(いもうと きみ)の、ヒルコ(わかひめ)さまは、

とっても優秀なお人であられたのでした。

「にふ」とは、水銀のことです。

水銀のアマルガム法による、金メッキの技術を、

祖父のトヨケかみ、からの技術伝授に与(あずか)ったほどの、

それ程に素養と、努力の極まってのおいででのお方であらせられたと、

わたくしは、理解しております。

水銀のアマルガム法による、金メッキの技術は、‘そめ ふた’と呼ばれたのですね。

伊勢神宮の建築で、木口の防腐と装飾を兼ねた金飾りが付けられてあります。

この金飾りの、実在の根拠としての事は中世(奈良時代もつい、中世といってしまいます、わたくしです)の文献にも残っておりまして、

正倉院文書に、文章が見られます。これは天平19年(747)のご遷宮の為の記録です。

また、絵図は『永禄遷宮金物図』(天正13年・西暦1585年)があります。

詳しい調査報告は、『伊勢神宮の建築と歴史』(福山敏男・日本資料刊行会、1976)が良いでしょう。

銅に、金(ゴールド)の水銀アマルガム法によるメッキ技術で現在にも連綿と受け継がれているのは、この『ミカサフミ』記載の伝承通りとして理解できます。

(ゴールド)のことは、‘こかね’と呼ばれていまして、

『ホツマツタヱ』に典拠があります。

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      <『定本ホツマツタヱ』206~207ページ>

      <『記紀原書ヲシテ』上巻、277~278ページ(こちらはルビなし)>

    ―大意―

ワカヒコ(あま の こやね)さんが、東北地方にご出張であったときの事です。

当時の、首都は東北地方にありまして、

8代アマカミの、アマテルカミの後を、

その皇子のミコの、オシホミミさんが、9代アマカミとして御即位に、

なられて、都は、「たか の かう」と呼ばれ東北地方に置かれたのでした。

そして、ある日の事、

ワカヒコ(あま の こやね)さんが、宮中に伺候した時、

「こかね の はな」の詳しい話を質問したのでした。

そこで、

9代アマカミのオシホミミさんの、

義理の父に当たるタカギ(7代タカミムスビ・ウホキミ)さんが、

答えて述べたのでした。

‘ヒノキミ(アマテルカミ)’の宮を護っているカラスが、

(くち)に銜(くわ)えた‘こかね(ゴールド)’を吐き出して飾るのです。

それで、アマテルカミのお宮は‘こかね(ゴールド)’でピカピカになったのです。

イサコ(イサナミ・イサコヒメ)さまは、アマテルカミの御母上であられるのです。

我が祖父のトヨケカミは、

「イサコ(イサナミ・イサコヒメ)産み子も しかしか と 

と、おっしゃっておられたのは、

この事でした。

砂金の産出は、黄金山神社に見られます。

また、日高見神社の近くにも砂金の産出があります。

ワカヒコ(あま の こやね)さんでなくとも、

「ひさみるやまと 讃えたまひき」

と、

叫びたくなるようです。

      …   ・   …

そんな中、

金属での加工の技術を習得なされておいでであった、

8代アマカミ(古代での天皇陛下)のアマテルかみ、の

その、妹君(いもうと きみ)の、ヒルコ(わかひめ)さまは、

「文書」を、金属で鋳造することを創出なされたのでした。

これを、‘かな あや’と名付けられてもおられます。

     ~   ~   ~

面白いですね、

かな あや’なら、これは、ひょっとすると、

約3000年ぶりの出現も、もしかすると可能かもしれません。

深く・密かに・フツフツと、わたくしの期待しておりますところです。

こがね(金・ゴールド)の輝きに溢れる千木(ちぎ)の、その光り輝く様な、

そのような輝きの‘ヲシテ’を、本当のところ是非とも目にしたいと思います。

それが、

かな あや’なのですね。 金属による「文書」なのですね。

ワカ ヒメ さまの、ご努力に一目遭遇したきものです。

一日も早い発見を、

このことを、祈りおります日々で御座います。

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2007年1月 8日 (月)

文書のかたち、「ふだ」とは? その5

もうひとつ、「のこし ふみ」もあります。

7代アマカミ(古代の天皇陛下)のイサナギきみ、そして、イサナミきみの、

つまり「フタカミ」の御遺勅(ご いちょく)です。

7代アマカミ(古代の天皇陛下)と、言いますと、

8代アマカミのアマテルかみ、の、そのご両親であられるのですよね。

尊き、ことでございます。

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この文章のあとに、

さらに、5・7調で12行の文章が続きます。

末っ子の、ソサノヲ(スサノオ)の、不出来のことを悔いてのご遺勅です。

やっぱり、どう贔屓目に見ましても『古事記』、『日本書紀』には、適切な訳文が抜けています。

特に、『古事記』の酷さは、目を覆いたくなるような、惨状です。

ここに、ここを、どうしても、

勇気を持って、目を開いて見て頂きたいのです。

『古事記』を、‘クニ’の第一の書物だなんて、

そのように思っているのが、悲しきことに現在の実情であるのです。

そんなことでは、

新聞紙面を毎日賑わしている、現実面での、目を覆いたくなるような事件の続発は、

避けることが出来ない。 と、 このように強く思うのです。

クニの混乱のその根本は、歴史を度外視した『古事記』偏重にあると、

このように考えております次第です。

            ・

「文書」について、調べてまいりましょうと、

‘ふだ’の事…。

この、初めの路線を忘れないようにしてゆこうと思います。

ただ、ただ、

現代は、

根本の大切なことが、忘れ去られること100%に余りにも近いので、

どうにも、一言、言いたくなってしまいますことをご容赦願いますばかりです。

詳細にすればするほど、漢字文献に対しての追求は強くなってしまいます。

でも、 そんなに、悪くは思っていないのです。 私としましては。

単に、成り行きの事を率直に積み上げただけの事です。

なんら、悪意は毛頭御座いません。このことだけは、ご理解願いたく存じ上げます次第です。

            ・

この「のこし ふみ」は、5・7調で16行ほどの長文でもありまして、

また、

7代アマカミ(古代の天皇陛下)のイサナギきみ、そして、イサナミきみの、

御遺勅(ご いちょく)であるという、大切な‘ふみ(文書)’ですから、

おそらくは、絹のように高級な素材に染められていたのであろうかと、

想像しております。

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2007年1月 7日 (日)

文書のかたち、「ふだ」とは? その4

お神楽などでも、お馴染みの「さやけ おけ」のウタは、

ヲシテ文献に、その源流を溯ることができます。

Photo_235

この文章のうちの、ピンク色にしましたところは、

「みち すけ の うた」と、言われていたのでした。

すなわち、

広範に流布されていたであろう、ことが想像されるところです。

後々(のちのち)には、漢字文献にも記載が残されるほど。

それは、

「文書」として、一般の人々にまでも浸透していった、

と、

そのように考えるべきかと思います。

この個所は、残念にも『古事記』にも、『日本書紀』にも記載が洩れたところでした。 よくある事でもありますが。

でも、

『古語拾遺(こご  しゅうい)』という、斎部広成(いんべ ひろなり)さんが祖先からの古伝を記したフミには、

ちゃんと、しかるべくの記載がなされていたのでした。

『古語拾遺』は、西暦の807年に成立した事が解かっております。

         ・

不思議なことです。

那智の大滝で有名な、那智大社のお祭りも、このウタが千年以上も使用され続けてきた事実もあります。

でも、

正確さを期するとすれば、

ヲシテ文献に根拠を据え直す必要がある…、 と、

つまり、

伝承があっても、文献に漢字文献にその事の記載があると、

仔細は引っ張られてしまうのですね。 残念なことに。

でも、その、基となる伝承の伝わりが無くては、

つまり、「たね」が無くては、尾ひれの伝承も残らないのですよね。

         ・

なにはともあれ、

この、「みち すけ の うた」は、何らかの「文書」にしたためられていた、

と、考えて良さそうな文章です。

何人もの歌い手・舞い手・楽奏の人たち、この合体によりまして、

所謂、交響楽のような演奏が実現するわけですから、

歌詞、そして楽譜に相当する何らかの「文書」の存在があったのではなかろうか?

この、事例においては、根拠とすべき文面・文章を見出すことは困難ですが、

大きく、ヲシテ文献の全体を通しての世界観からしますと、

ここにも、何らかの実在した「文書」の存在の香りがすると、

このようにも、わたくしには、思えるのです。

        ・

このように、大切な個所も

『古事記』にも、『日本書紀』にも、本当に記載が一切されていないのですね。

悲しいと言いますか、呆れ返ると言いますか、そのような事情です。

これが、真実の状況なのです。

二千年来に近い、誤謬なのですよね。 大きな、間違いなのですよね。

目を、ぱっちりと、して、見てくださいまし、

と、

大きな声で叫びたくなります。

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