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2007年4月13日 (金)

ありのまま…、

『フトマニ』に親しんでいると、

ハッ、とさせられることがあります。

アマテル カミの、おこころの、大きさがわかります。

Photo_328

あよろ、の項目です。

あ よ ろ

あの よろのほしを し

つめて ありのまま  すめ

ば よろこぶ ときそ あ

り け る

   ~   ~   ~

すべて、世界は「アメミヲヤ」の‘ひといき’から生じたのでした。

「ひと」は「アメミヲヤ」の写し替えでもあるのでした。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

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「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

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偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

    

2007年4月11日 (水)

為し行くべき、その先の事。 先人の大変さ。

ヲシテ文献と呼びましょう。

と、 言い始めて20年近くになりました。

そして、そこそこにようやく浸透してきました。    嬉しいことです、ね。

Photo_326

        <鳥が、運んでくれた庭のサクラちょうど見頃ろです

当たり前と言えば、それまでですが、

『フトマニ』『ミカサフミ』があればこそ、ですものね。

クニの、本当の尊さがわかるのは。    

難解ですけれども…。

          ・  

ヲシテ文献が、

記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書であると、

この認識が正確に為されたならば、

次に、行ってゆくべき道筋は自ずと解かるのではないか?

つまり、

‘日本史’の再構築を為し行くべき仕事に幾許かでも力を及ぼすことが、

‘日本’の本当の意味での再建の元を為す、  と。

             ∽   ∽   ∽

このところ、本格の人が出てきております。

写本レベルにまで、辿ろう。

『古事記』だって、『日本書紀』だって、『万葉集』だって、

写本まで辿ると、随分と違った側面が見えてきます。

一般向けには、とてもそこまでの解説はかえって困難さを生じますので、

省くことになって来る事は、自然の事です。

ひと」の出現が相次いできて、

もう一度、しっかりと足元からの定め直しをする時期に、

至ってきたのかもしれません。  「めぐり」ですね。

        ・

何と申しましょうか?  ヲシテの伝承にしても、

実際のところは、

もっと、もっとゴタゴタしているのです。写本でも、人間のやることですから、

間違い、思い違い、親切心がかえってアダを生じさせたり、お茶をこぼしてしまったり、鼠に食われたり、  など、するわけです。 また、江戸時代などでは、和紙は貴重品ですから、そうは、おいそれと沢山の紙の使用は難しいのです。現代の便利な世の中で暮らしていますと、写本を作ることの大変さは、なかなか実感できないものだと思います。

いまは、コピー&ペーストが、当たり前の事になってます、が。

もうちょっと、ひところ前までは、コピーだけが主流でした。

でも、

そんな簡便さの、溢れる時代では無いのですね。  伝承時代といえども、 です。

そうした、成り行きの上で、貴重なヲシテ文献が伝承されてきていた、と、いう事です。  ここのところに、やっぱり、敬意がはらわれてしかるべしだ、と思うのです。

多くの人の努力、

たとえば、

ワニコ安聡さんは、道端の野草を常食していて、「馬先生」と仇名が付いていたと、「伝来由緒書」にありました。そして、奥さんともども、早くして逝去なされてしまったようです。 安曇川への訪問の際は、せめて墓参を致すようにしております。

小笠原長武さんは、家人の理解が得られなくて、

大変な孤独さが、おありのことだと偲ばれます。

このように、 

クニの大事であることを、解かった人が、爪の火をともすようにして、

つないで来て下さっていた事実があったのです。  大変な思いの重なって、それでも、伝承しなくては!  その様な事々でありましたでしょう。

写本者の、 間違いだなどと、 云々する気持ちには、わたくしは、どうしてもなれないのです。

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2007年4月10日 (火)

「やまと うた」の高度さ

実際に、原書を見ますと、

良く解かります。真名さんの、「所はいづこ、水師営」でも、感動を覚えたのですが、

乃木将軍の辞世の色紙は、現物の肉筆のままに見てこそですね。

変体文字での「添意」が、為されていたわけですから。

この伝統も、じっくりと、伝来してきていたのですね。

          ・

従来から懸案の難解な「つつうた」のことで、

和歌山の小池さんが、相当に解釈を進めて来ておられます。

まとまって行くような、

そんなことになって来て貰いたいと、念願しております。

複雑な構造が、「つつうた」には秘められていたようです。

「やまと うた」の高度さに、あらためて、脱帽です。

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「やま さくら」の、うつくしさを、

少し、追加いたします。

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2007年4月 9日 (月)

「やまと ことば」の自由度をさらに増すために

自由自在に思い通りに活用出来得ることは、高度さの証(あかし)であるともいえます。

「添意」を自由自在に活用できる「やまと ことば」の構造には、

また、

重文・複文と、連続して繋げていける「やまと ことば」の構造には、

秀でたものがあると思います。

西洋文法にやられてしまってばかりでは、この「やまと ことば」の高度さ・将来へ向けての大切さが解かり難(がた)いことです、 ね。

      ~  ~  ~

‘日本’は縄文時代からの、立憲君主国家としての長い伝統が連綿と続いてきています。漢字文献によって貶められた、1000年余りの歴史観には、決別をしましょう。その為には、自国の文字を、つまりヲシテ文字を復活してゆく必要があります。

折角見つかった、自国の大切な文献を、何の為に、誰のためにランク低下をしてまで「訳す」のか?

筋違いです。  「訳す」というのは。   大間違いですね。

        ・

自国・祖国の貴重な古典は、

いたって、尊重されるべきです。

その、まともな接し方は、原字原文に当たることが当たり前です。

『源氏物語』でも、現代訳文だけ読んでいてもつまらないですよね。

‘古典’は、原字原文で!

ここの、敷居をまたぐ必要が、どうしてもあると思うのです。

大したことでは無いのです、

敷居をまたぐのは。   ちょっとした、勇気だけです。   それに必要とするものは。

この敷居の、事。

超えようとしない人は、

そもそものこと、

古典に触れることはやめてもらうことが、望ましいことです。

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2007年4月 8日 (日)

「そむ」「そめる」の言葉の原意はなにか?

「そむ」「そめる」とは、

ヲシテ文字の記述について記される言葉です。

Photo_322

「染む」「染める」と、‘直訳’して良いものか?

       ・

‘やまと ことば’の源流に遡及しなくてはなりません。

ヲシテ時代の言葉を、正確に解明しようとすれば…。  です。

   ∽   ∽   ∽

はたして、源流への遡及は、

各音韻の持つ原意の理解から出発すべきであると、

かねがね考えてきておりました。

つまり、

「そむ」「そめる」

では、

「そ」の音韻、ひいては、サ行の各音韻にキー ポイントがあるわけです。

そのおおよその意味合いは、

「さ」…さわやかなこと、 「る」におもむかせると、「さる(去る)」になります。

「し」…なしゆくちから のこと、 「る」におもむかせると、「しる(知る)」になります。

「す」…なしゆくちから の うごきゆくさま、 「る」におもむかせると、「する(為る)」になります。

「せ」…なしゆくちから を はたらかそうと するさまのこと。

そして、

「そ」…なしゆき、おわりののちのこと。 「る」におもむかせると、「そる(反る)」、「そる(剃る)」になります。つるっとした感じ、さっぱりとした感じ、すべすべになった感じ、ですね。

   ~   ~   ~

このような、サ行の音韻の持つ原意から考えてゆくと、

「そむ」「そめる」の意味合いの原初の姿が、少しく、垣間見えてきたようには、

思われませんでしょうか?

「揃える」「備わる」「備え」「添える」…  これらは、みんな、おんなじのグループですよね。  どうでしょうか?

         ・

それで、

「そむ」「そめる」とは、

つまり、

浄書の意味合いが強いと、

このようには、思われませんでしょうか?

他の言葉では、清書ですね。

綺麗なもの、

美しくしたもの、

きっちりとさせたもの、

こんな感じの、意味合いから、「染める」の言葉の発生に繋がって行ったのではあるまいか?

‘やまと ことば’源流夢想です。

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