2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

おすすめ

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2006年12月24日 - 2006年12月30日 | トップページ | 2007年1月7日 - 2007年1月13日 »

2007年1月 6日 (土)

文書のかたち、「ふだ」とは? その3

今で言う、遺書に当たるものもありました。

ここでは「おして」として、表記されています。

ワ行でなくて、ア行の「お」で記載してあるのです。

どうして、ワ行でなくて、ア行の「お」なのか?

何かそこに込められた事情がある、と、

わたくしには思えるのです。

Photo_234

不祥事があって、「みはた」つまり朝廷からの、「さおしか」と言う勅使が使わされての呼び出しがあったのでした。

呼び出しに名を連ねたのが、

今の出雲のところを治めていた、カンサヒさん。

その、臣下であった、コクミさん。と、美人の妻のサシミメさん。

それに、娘さんのクラコヒメさん、の4人でした。

           

今で言えば、検察官・裁判官にはカナサキさんが、その任にあたりました。

カナサキさんが、問い質します。

コクミさん、あなたが美人の妻のサシメさんを、迎えることにも問題があると聞いています。

また、クラコヒメさんを、蔑ろにしていることも問題であると聞いています。

この点につきまして、事情を説明してください。

           ・

そこで、コクミさんが申し開きをするわけです。

サシメは、正式にわたくしの妻として公認されています。

その根拠には、わがキミ(公)クラキネさまの、「さります の おして(遺書)」に記してくださってあります。

           ・

と、

コクミさんが反論しますが、

穴だらけの、こじ付けばかりでしたので、罪せらることになります。

また、この場合の「さります の おして(遺書)」の物質・形態についての、

詳しい形状につきましての推測は、今のところ進み得ないでいます。

           ・

それはさて置き、

「おして」と、ワ行でなくて、ア行の「お」で記載してあるのは、

謙譲の意味を表している、と、

考えてみてはどうでしょうか?

詰問する場に呼び出されて、

わがキミ(公)クラキネさまの遺書を根拠にする、コクミですが、

そもそも、わがキミ(公)クラキネさま、と言っても、

地方統治のキミ(公)ですから、今で言えば、県知事のようなものですよね。

その、公式文書は、

「みはた」つまり朝廷の格式よりもずっと低いところにあるわけです。

今で言えば、県の条例のような位置になるのでしょうか?

それで、

「ヲシテ」とは、言い難くて「おして」として表現し、

そのように記載がなされていった。 と、考えてよいのではないでしょうか?

        ・

この、「さります の おして(遺書)」の、物質として、その形状は、

詳しく知るすべが今のところない状況です。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

文書のかたち、「ふだ」とは? その2

「みそき の ふみ」というのが、『ホツマツタヱ』5アヤに、あります。

この、「みそき の ふみ」は、

現存のヲシテ文献の、内に引用がなされている、文章です。

つまり、現存のヲシテ文献には先行文献があったことが解かります。

この「みそき の ふみ」は、現在発見されているヲシテ文献よりも古い文書であったことになります。

当時の、宮中(都・首都)に諸臣が集まった時に、

‘まくら ことば’のことについてのことを、教えて欲しいと、質問が出ました。

これに、答えたのが、前回の『文書のかたち、「ふだ」とは? その1』でラブレターを手渡された人物でした。この方は‘オモイカネ’さんと申し上げます。天文学者でもあり、建築家でもあり、また、国語にも造詣の深い人物であったことが窺われます。

Photo_233

と、これより、

アチヒコ(おもいかね・おもひかね)さんが、「みそき の ふみ」についての、

詳しい解説を述べてゆかれます。

当時においても、相当に難解な、高度な文章であったのでしょうね。

今では、その詳細な文面の理解についても難しいのですが、

その、「みそき の ふみ」の本体・実物の内容は、

想像されうるところの最少の分量でも、

5アヤ25ページから、30ページにかけての文章であったと、

このように、

考えられます。つまり、5・7調で20行あまりの分量と言うことになります。

と言うことは、240文字余りとなりますので、

記されていた物体は、樹の板よりも、絹などの布を想像するのが自然なところであるのでしょうか?

このように、見てみてはどうでしょうか?

長文の文章の表記には、絹などの布を用い、

また、改まった正式の時にも、絹などの布を用いる。

一方で、

和歌のような、短文の表記には、樹の板を用い、

通常の手紙や、告知文などにも樹の板を用いることが一般的であった。

と、このあたりの状況をこれから調べてゆきましょう。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

2007年1月 5日 (金)

文書のかたち、「ふだ」とは? その1

実際の世界として、

これは、バーチャルではなくて、

つまりリアルのものとして、わたくしたちの‘くに’の古い時代の真実を読み解いてゆこうと、そのように、考え続けているわけです。

そこで、

「国家」の運営にとって、‘文書’はどのような位置づけをもって存在していたか?

また、人々の生活のそれぞれの、シーンにおいて、、‘文書’はどのような位置づけをもって存在していたか?

この事を、希求してゆきたいわけです。

        ・

‘文書’とは、これは漢字由来の言葉ですから、明瞭に奈良時代以降の呼び名です。

漢字国字化の時代以前には、‘文書’の意味合いのことは、別の呼び名で表されていました。

つまり、ヲシテ時代では、‘ふみ’と言われていました。

また、ヲシテ時代は高度な文明の時代でしたから、幾つにも名称があって、

‘ふみ(文書)’のことを、‘あや’あるいは‘ふだ’、‘うた’、

さらには‘ヲシテ’の言葉で表現されていたこともあります。

で、

今回は、その形状についての概要を見てゆきたいわけです。

内容や、文章の形式ではなくて、

「文書」が何に記され、どのような使われ方をしていたのか?

この、

ワンポイントに、視点を集めて見ます。

               ・

それは、

ラブレターの‘うたみ’でした。

Photo_230

8代のアマカミ(古い時代の天皇陛下)であられたアマテルかみ、

その、御妹君(おん いもうと きみ)であられた、‘わかひめ’さまは、

かねてからの、その、お思いをお寄せになられておいでであった、

‘あちひこ’さんに、この機会を逃しては 、    と、その強きお心によりまして、

おウタを、どうぞと、

そのように、なさりましたのであったのです。

お手渡しのなされました場所も判っております。

今の、和歌山県和歌山市の名勝の所、「わか の うら」でした。

Photo_232

                 <わか の うら>

この時の…、 これが‘うたみ’に染められた「文書」であったのでした。

濃いピンクの三行の31文字のところです。

上から読んでも同じ!  下から読んでも同じ!  すごい、和歌です。

とっても、高度な技術、

そして、

とても、ご勇気・お思いの極まっての事であられたこと、

今の、今日のわたくしにも、その、ご発念のお気持ちはそれとはなくもお察しもうし上げれるようにも、存じ上げる次第に御座います。

このときの、

‘うたみ’とは?

これは、絹などの布や、あるいは、樹木の板であることも想像のうちにあって不都合の無い様に考えてもおります。しかしながら、詳しくその形状や・その素材・材質の特定に寄与しうる様な、根拠となる詳細なる記述には、この典拠の出典個所では恵まれていませんでした。

           ・

この‘うたみ’が、どの様な形態の‘ふみ’であったのか?

それを‘ふだ’と言うのです。  形状を。

で、

何に、染められていたか?

そして、染め道具は何だろう? 染料は?

これを、どうやっても知りたいものなのです!

歴史を辿りつつ究明に歩を進めてまいりたいと思います。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で! 

2007年1月 4日 (木)

朧月、大きな‘カグ(かく)’の実

今夜のお月様は、

「おぼろ」でした。 何とも言えないふくよかさ。

そして、良い匂いがそこはかとなく。

これは近くにある、‘ザボン’の大きな実からの、かおりか?

あれ?

お月様からの香りか?

Photo_229

振り返ってみると、飾り棚の上に朧月があって…?

これは、‘ザボン’ですね。

ヲシテ文献の出典の用例に厳密であると、柑橘あるいは橘の種類の‘たちばな’および‘かぐ’は、

両方とも清音での記載が当時の正確な記載の主流であったように、考えられます。つまり、‘たちはな’および‘かく’となるわけですね。でも、5・7調の文章からここだけ切り離してしまうと、‘たちはな’および‘かく’では読み難くなってしまいます。難しいところです。 どうしましょう…、 解かり易く、さらに、正確さを込める為には。

今宵は、また、お酒が過ぎるような…。

そこに‘ふくよか’の月、そのお光。

これだけ、力を授かったら、さぞ良い‘アイデア’が浮かんで来てくれるやも知れません。

        ・    

昨日は初詣、と、

そう思っていましたのに、今日が十六夜ですから、太陽暦は二度楽しめます。

太陰太陽暦での、一日は「朔日」ですから、お月様は新月で全く見えない日なはずなのですね。つまり、古来での元旦は、お月様の見えるはずがないのです、太陰太陽暦でなら。  でも、現行の太陽暦は、お月様の満ち欠けには関係なしの暦ですから、元旦の2日ののちに満月! なんて、 こんなギャップも生じるわけです。

今年は、あんまり寒くない‘しもつき(旧暦11月)’で助かります。

冷え性ですので。 

縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で! 

2007年1月 2日 (火)

‘国史’としてのこの大切な位置

あけまして、おめでとうございます。

新年は、この初日は、アマテルかみの

ご誕生の日でもありました。

つまり、元祖・天長節ともいうべき日、そのように理解しますと、

なおのこと、おめでたきことです。

Photo_228 

      <『定本ホツマツタヱ ―日本書紀・古事記との対比―』>

この事実を、

私が理解いたしましたとき、

‘国史’の再構築が必要である。

と、

このように強く思ったわけでした。

これは、ひとつの仕事が、課せられているのだと…。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で! 

« 2006年12月24日 - 2006年12月30日 | トップページ | 2007年1月7日 - 2007年1月13日 »