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« 加古川講演、付随しての神社めぐり | トップページ | "『古事記』読み"のこと »

2007年11月20日 (火)

「ヲシテ」は、‘哲学’ですね。

ヲシテ時代は、哲学の雰囲気を濃厚に感じます。

現代に言う‘宗教’とは、ちょっと感じ方が違うと思うのです。

ここが大事なところ。

     ・

一時期、

漢字時代に入ってから、特定の宗教を

国教にしようとする動きもありました。

でも、

それは、

‘縄文日本’の大きな文明の存在が、

今現在において、はっきりと実在していたこと。

また、

将来においての展望を、長い年月の先まで見通そうとした場合。

ここが肝心です。

特定の宗教の、もっと包含的な立場にあるものが、

いわば‘縄文哲学’のような‘哲学’であると、

そのようにあったことが解るならば、

特定の宗教の国教化は不要のものと、

わたくしは、考えるわけです。

       ・

一党一派に偏しない。

誰でも、納得してもらえる。    それが、‘哲学’ですね。

私の考えでは、

より普遍性を帯びているもの、 それが、‘哲学’である、と思うのです。

    ∞   ∞   ∞

推古天皇の12年4月に公表された「憲法17条」は、

特定の宗教に、国教を定めようとしたものです。

『日本書紀』に記載されています。

その、第二項、

「篤敬三宝」とは、仏教のことです。

それは、

「何以直枉(まがり)」、つまり、

間違ったことを正してゆくための、根本の考え方を、求めるためでした。

       ・

これ以降、  逆作用が強く起こりまして、

宗教風の感じを強めた、いわゆる‘神道’なるものが、

出てきたりもしたわけでした。

いわゆる‘神道’と、言うものですね。

でも、

漢字以前の時代にさかのぼる、‘縄文日本’の‘哲学’と比較しますと、

その、

漢字時代以降に出来て来たいわゆる‘神道’とは、

まったくもって異質なことが多い!  と、申し上げておきたく思います。

       ・

さて、

ここにきて、

現代、

漢字以前の、膨大な姿の‘縄文日本’の文明の存在が、

ヲシテ文献の発見があり、

また、

ヲシテ文献の 研究が飛躍的に進むにあたりまして、

古来、

漢字以前の、その昔、

はるか、

縄文前期ごろに、国家の建国が成し遂げられ、

その建国の理念に「トのヲシテ」が世界でおそらく端緒と推定される、

高度な国家が、生まれ、

さらに、進化発展の道筋についても、

「ミクサタカラ」にまで、及んできていたのでした。

        ・

この事実を、踏まえますと、

何人も、包含でき得る、

‘哲学’としての「トのヲシテ」に、戻すべきであることは、

良い線ではあるまいか?

   ∞   ∞   ∞

一党一派に、どうしても偏らざるを得ない、

そのようなものでは、

ありませず、

もう一歩高度な立脚点に立っている。

それが、

「トのヲシテ」の立場であろうかと、考えています。  

ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

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コメント

「縄文時代」という名称について、ずっと違和感を持ち続けています。これは弥生時代の前は何も無かった、[縄を結んで文字の代わりにしていた」という魏志倭人伝の受け売りだろうとは察しますが、文字が無く顔に刺青をしていたのはアイヌの習慣であって、日本人のものではないと思うのです。ましてヲシテ文献の研究に携わる先生方が、「縄文文字」とお使いになるのはまったく解せないのですが如何なものでしょうか。ご見解をお伺いしたく存じます。

      
  
  
       ・

ヲシテ文献と出会って、30年は優に過ぎました。
ヲシテ文献の、本物である根拠は、
1、『古事記』『日本書紀』との比較によって、漢字文献の原書である事が解った為です。
さらに、
2、記述内容の精査から、縄文時代にはすでに、ヲシテ文字による何らかの文献のせいりるが成されていた事、が解ります。

詳しい事は、
『ホツマツタヱを読み解く』をお読み下さい。
また、
『定本ホツマツタヱ』を、お読み下さい。




先生の御著書は全て読ませて頂いております。私が申し上げたいのは、天地開闢から、弥生時代と言われる大陸からの侵略が始まったと思われる時代までの、計り知れない永く美しく調えられたかみがみの時代を表すのに「縄文」と言う名称はふさわしくない、間違っていると言う事なのですが。
コメントの意味がお分かり頂けなかったように思われます。
「縄文文字」「ホツマ文字」「ヲシテ文字」等色々有るようですが、此れも統一されるべきではないでしょうか?



お読み頂きまして有り難うございます。
発見の当時の時代は、
   「ホツマ文字」の呼び名でした。
それが、本来の名前が、
   「ヲシテ」であることが、
判明してまいりました。

わたくしは、「ヲシテ」で良いと考えております。
ただ、
世間一般に、どの様に形容すればわかりやすいか?
との、
配慮から「縄文文字ヲシテ」と、形容してみましたものです。
もっと適切な表現できる言葉がありますでしょうか?



>たつこ様、池田先生。

横レスにて失礼致します。

「縄文」という言葉ですが、私の記憶に間違いがなければ、その時代の土器の飾りに由来していたと思うのですが。

つまり、発掘された土器に特徴的な縄で付けた美しい飾り文様があり、他の時代にはなかったので、
「縄の文様の時代」ということにな
ったと記憶しております。

Wikiからの引用です。

「縄文」という名称は、エドワード・S・モース(Edward S.Morse 1838-1925)が1877年(明治10)大森貝塚から発掘した土器を Cord Marked Pottery と報告したことに由来する。
この用語は谷田部良吉により「索紋土器」(さくもんどき)と訳されたが、後に白井光太郎が「縄紋土器」と改めた。そして、「縄文土器」へと続いてきた。
「縄文時代」に落ち着くのは戦後のことである。

ちなみに「弥生時代」の弥生は、
上記時代より年代も形式も新しい土器の発見場所によっているそうです。
東京市本郷向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)で、その発見は明治17年とのことです。

Wikiからの引用です。

「縄文」という名称は、エドワード・S・モース(Edward S.Morse 1838-1925)が1877年(明治10)大森貝塚から発掘した土器を Cord Marked Pottery と報告したことに由来する。
この用語は谷田部良吉により「索紋土器」(さくもんどき)と訳されたが、後に白井光太郎が「縄紋土器」と改めた。そして、「縄文土器」へと続いてきた。
「縄文時代」に落ち着くのは戦後のことである。

ちなみに「弥生時代」の弥生は、
上記時代より年代も形式も新しい土器の発見場所によっているそうです。
東京市本郷向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)で、その発見は明治17年とのことです。

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