2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近の記事

おすすめ

最近のコメント

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月30日 (金)

「縄文文字ヲシテ」の名称に至るまで

江戸時代には、「ほつま文字(秀真文字)」と、呼ばれていました。

平田篤胤の命名のようです。 でも、彼はヲシテの文献そのものを目にする事なしに、世を去りました。

彼の目にしていたものは、ヲシテの文字形の酷く崩れたものでしかなく、

さらに、数文字だけのもの、それと、「五十音図」(48音図でないと、崩れ伝流です!)でした。  これでは、本物と解るはずもありません。

        ・

江戸時代、溥泉(ふせん)さんがヲシテ文献の研究に取り組み、

『春日山紀』の出版をしています。この時には、特にヲシテ文字について、

特別の名称は付けていませんでした。

       ・

昭和になってから、

松本善之助先生の、発見が起こりました。

松本先生は、ヲシテ文献が記紀の原書であることを、発見なさいました。

そこで、

「日本固有文字」と、命名なされました。

また、

「日本固有文字文献」とも、呼ばれました。

      ・

意味合いは、そのとおりだと思います。

読みにくいでしょうね。 呼びにくいようです。

わたくしは、慣れていますので何ともないですが…。

    ∞   ∞   ∞

考古学の研究成果と、ヲシテ文献の内容との比較をしていましたら、

ヲシテ時代は縄文時代の前期頃に草創期があることが解って、参りました。

そのことから、

一般にも、すぐに解ってもらい易い名称としまして。

「縄文文字ヲシテ」

の命名を、致しました次第でした。 

この名称ですと、

わが国が、

縄文時代に、国家のはじめの建国が興ったこと、

縄文時代は、文明と呼ぶにふさわしい事、

が、

一言で判って貰えそうに思えます。

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月27日 (火)

録音機の見当たらないこと、加古川からの帰宅時

加古川の講演会は、盛況でした。

多くのお方の、奔走のご努力の賜物と、

深く感謝いたしております。

Cimg1146_5

   <ハリマ ノ イナヒ ヲイラツメさま

             (ヤマトタケさまのお母上) の御陵>

              ー 加古川市、日岡 ー

ひょっとすると、未発見のヲシテ文献の発見に結びつく、

かも知れないと、 松本善之助先生のおっしゃっておいででした、‘種まき’のひとつかもしれません。

       ・

さて、

帰宅しまして、録音の処理をしようと致しましたら、

ICレコーダーが見当たりませんでした。

ひょっとすると、

また見つかるかも知れません。

ご迷惑を、おかけします。 すみません。

ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月23日 (金)

"『古事記』読み"のこと

ヲシテ文献の"『古事記』読み"と、 私が呼んでいるのは、

ヲシテ文献を、漢字文献の常識で読もうとしていることを、

指しています。

         ・

漢字以前の時代の成立であったのです!

ヲシテ文献は。

それから考えますと、

漢字文献からもたらされた、常識は、一旦外す必要があります。

         ・

最も、顕著に見られる例として、次のものがあります。

ヲシテ文献での「かみ」の言葉を、

漢字の「神」に直訳して平然としている。

この事が、解かり易い"『古事記』読み"の例でしょう。

なぜそのような事であるかと、申しますと、

『古事記』などの漢字文献では、「天照大神」は、天上世界のいわゆる「神」とされています。

しかし、

漢文への翻訳まえの原書であるヲシテ文献では、

「アマテルカミ」はこの世にご在世であられたことが、

明瞭です。

どちらを、採るか?

大きな違いがあるわけですから、

どちらかに、決めなくてはなりません。

        ・

選択の道は三つあります。

1、『古事記』の説を採用する。 →「神」

2、選択を放棄する。

3、ヲシテ文献の「アマテルカミ」ご在世説を、受け入れる。

もうおわかりですね、

1、のものは、"『古事記』読み"です。

2、は、優柔不断の日和見で、話になりません。

わたくしは、

3、の説になります。根拠は、『古事記』『日本書紀』と、

ヲシテ文献との、厳密な原文比較をした結果、

ヲシテ文献の先行性が確認できたからです。

翻訳前の原書を尊重することは、当然であるからです。

          ・

この、各文献の成立時代の前後の認識が、

はっきりしていない状態、

これが、"『古事記』読み"の段階ですね。

いわゆる、「秀真伝」族も同じです。

はやく、

そんなレベルからは、抜け出してもらいたい、

本来のヲシテのその意味の凄さを理解してもらいたいと、

願っています。

そのためには、

やはり、

原字のヲシテで、原文のヲシテ文献をすらすら読めるようにならないと、難しいのかもしれません。

ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月20日 (火)

「ヲシテ」は、‘哲学’ですね。

ヲシテ時代は、哲学の雰囲気を濃厚に感じます。

現代に言う‘宗教’とは、ちょっと感じ方が違うと思うのです。

ここが大事なところ。

     ・

一時期、

漢字時代に入ってから、特定の宗教を

国教にしようとする動きもありました。

でも、

それは、

‘縄文日本’の大きな文明の存在が、

今現在において、はっきりと実在していたこと。

また、

将来においての展望を、長い年月の先まで見通そうとした場合。

ここが肝心です。

特定の宗教の、もっと包含的な立場にあるものが、

いわば‘縄文哲学’のような‘哲学’であると、

そのようにあったことが解るならば、

特定の宗教の国教化は不要のものと、

わたくしは、考えるわけです。

       ・

一党一派に偏しない。

誰でも、納得してもらえる。    それが、‘哲学’ですね。

私の考えでは、

より普遍性を帯びているもの、 それが、‘哲学’である、と思うのです。

    ∞   ∞   ∞

推古天皇の12年4月に公表された「憲法17条」は、

特定の宗教に、国教を定めようとしたものです。

『日本書紀』に記載されています。

その、第二項、

「篤敬三宝」とは、仏教のことです。

それは、

「何以直枉(まがり)」、つまり、

間違ったことを正してゆくための、根本の考え方を、求めるためでした。

       ・

これ以降、  逆作用が強く起こりまして、

宗教風の感じを強めた、いわゆる‘神道’なるものが、

出てきたりもしたわけでした。

いわゆる‘神道’と、言うものですね。

でも、

漢字以前の時代にさかのぼる、‘縄文日本’の‘哲学’と比較しますと、

その、

漢字時代以降に出来て来たいわゆる‘神道’とは、

まったくもって異質なことが多い!  と、申し上げておきたく思います。

       ・

さて、

ここにきて、

現代、

漢字以前の、膨大な姿の‘縄文日本’の文明の存在が、

ヲシテ文献の発見があり、

また、

ヲシテ文献の 研究が飛躍的に進むにあたりまして、

古来、

漢字以前の、その昔、

はるか、

縄文前期ごろに、国家の建国が成し遂げられ、

その建国の理念に「トのヲシテ」が世界でおそらく端緒と推定される、

高度な国家が、生まれ、

さらに、進化発展の道筋についても、

「ミクサタカラ」にまで、及んできていたのでした。

        ・

この事実を、踏まえますと、

何人も、包含でき得る、

‘哲学’としての「トのヲシテ」に、戻すべきであることは、

良い線ではあるまいか?

   ∞   ∞   ∞

一党一派に、どうしても偏らざるを得ない、

そのようなものでは、

ありませず、

もう一歩高度な立脚点に立っている。

それが、

「トのヲシテ」の立場であろうかと、考えています。  

ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月18日 (日)

加古川講演、付随しての神社めぐり

11月23日・24日、

加古川講演に際しての、付近の神社などの巡拝をいたします。

以下の流れです。

     ・

東条・社IC

住吉神社(加東市下久米)

木梨神社

天目一神社  (アマメヒトツのカミ)

兵主神社  (ツワモノヌシ)

住吉神社(小野市垂井)

日岡坐天伊佐佐比古神社

尾上神社(尾上の松) ・ 『延喜式』に記載の無い神社

高砂神社(高砂の松) ・ 『延喜式』に記載の無い神社

 ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月17日 (土)

実のところ、良い人ばかりの世の中では…

かく、ありたいと、

とても良い世の中に!

そうは思うのですが、

実際はそうは、た易く行きません。

    ・

抜け道を探し出したり、

解らないような誤魔化しを常道としたり、

    それは、

アマテルカミのお悩みであられたことと、

同じであると思います。

  ・  ・  ・

『ホツマツタヱ』の8アヤが、あれほど長く、丁寧に書かれているのはなぜか?

そこには、

止め処もなく大切な、人間のそのもてる真理が秘められているのではあるまいか?

       ・

怪しい人は、残念ながら、

沢山居ることを、

常に考えの内に、忍ばせておいて下さい。

引っ掛けようとしている人は、

思いのほかに多く居ます。

なむさんなむさん、 心してくださいませ。   

 ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月14日 (水)

疲弊に沈没してゆかないために…

国家、さらに「日本民族」が、おおよそ2000年来の外国の文化の消化に、

ついぞ、ここに来て明らかに疲弊しつつあり、ここにおいて、

その、

「縄文日本」の光輝に、復旧できるその、根底とは?   …。

わたくしたちの本来の縄文日本の建国にまで溯らなくては、

今後の展望を望むべくも無い。

このように、

主張して来ていました。

          ・

つまり、

ヲシテ文字、ヲシテ文献の、

そのままにて、縄文日本の文明を再確認しなくてはならない!

なぜならば、

わたくしたちの、

「日本」国、とは、縄文日本に、

そもそもの、建国があったわけですから。

          ・

このように、

何十年のあいだ、

主張し続けていましたら、そうしましたら、

今では、火付け役であったはずの、わたくしが、もうちょっと、

じっくりとペースをゆっくりとしては?

と、

ブレーキを、掛けざるを得ない、 そんな、すさまじいヲシテ時代解明の意気込みが起きています。

びっくりです、

何よりも、嬉しい事です。

とはいえ、

もとより、

早急な、ヲシテ時代の解明は、しなくてはならないのですが、

コトは、

とてつもなく大きいのです。

ちょっとやそっと、どうやっても、大勢の動くようには、

運びがたきしろものです。

     ・

時間・英知・人数など、多くの努力などを、

思いのほかに必要とすると考えるのが妥当だと思います。

しょっぱなは、風穴を開ける。

このところに集中しては、どうでしょうか?

完全を、希求しますと、どうしても遅延・手遅れに…

われわれの、持てる時間と力は、余りにも小さいわけですから。

 ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月12日 (月)

やまと ことは の「もとの ひとしつく」

私たちの「国語」の成立は、いつの時代でしょうか?

わたくしは、基本の文法の成立が、縄文時代であると、

考えております。それも、縄文時代の前期ごろには、

充分に精緻に整っていたことであろうと、

考えております。

Hitosituku

もうそろそろ、

ヲシテで、つまり、私たちの縄文以来の国の本当の文字で、

ヲシテ時代のことは読み書きしてもらう、そのような時期に、

近づきつつあるように、思います。

是非、ぜひ、ヲシテで、お読み下さいませ。 

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月 9日 (金)

不思議な言葉 「みとり」は色の名称?

「緑」は、現代には‘色’の名称としての区別であると、これは常識として理解がされています。

でも、

不思議なのです。

『万葉集』には、現代用語の「緑・みどり」に近い出例は、

ホントに、ひとつだけ。

2177番にありますが、

     ・

このほかの、関連の言葉としての、

「みどりこ」は、『万葉集』に7例もあります。

「緑」を、カラーの識別・区別のひとつとして、

「みどり」=「緑」と、即断するのには、あやあやあやあやな、

危うさを感じます。

「みどりこ」は、どう考えても「緑」つまり、グリーンでは有り得ませんよね。

「みどりこ」とは言って、それは、やっぱり「赤ん坊」ですよね。

どうして、

「みどり」なので有り得ましょうか?

「赤=緑」 の、この公式は、わたくしには成り立たないと判断するからです。

     ・

この理解のしがたい齟齬について、

判定・解決を得ようとしましたら、

歴史的な、なにか、

言葉の変化がこの時代に起こったのではなかろうか?

そのように、大きく視点を変えて、考えて、きて見ますと、

解明の糸口がほんのひと探り得ることが出来ようか?

と、思うのです。

    ・   ・

つまり、ひょっとすると、

漢語の「緑」の色彩識別の概念が、

漢字の流入期に齎され、

このことから、

「やまと ことは」の「みとり こ」の、萌え出づる雰囲気が、

訳語として当てられ、定着していったのではあるまいか?

そんなふうに、

ずっと、考えてきていました。

「言葉」の新用法、

ここには、「言葉」の意味するところの概念の、

変化がその言葉に付与される事を忘れてはならないと思います。

つまり、

「言葉」の指し示す意味内容の変化です。 これが、付与されなくては、新しい言葉として人々の口数に昇って来るわけがありません。

        ・

結構、

時代の経緯にともなって、

「言葉」の、それぞれの指し示す意味内容は、

驚くほどに変化してきています。

漢字に表されてきた「やまと ことは」においての、

本来の伝統的な「みとり」の概念とは、ズレがあると、

そのように感じて来ていたからの理由です。

詳しい根拠を出せと言われましても、

すぐには、おぼつかないものではありまして、

申し訳ありません。

        ・

ですが、そもそもの、

ヲシテ文献に典拠のある「みとりこ」は、

「産まれ出づる」その有様・状況を表しているわけで、

グリーンには、直接には結びついてはいないのではなかろうか?

「色」の概念ではなくて、もうちょっと、違う範囲のことの形容、

それが「みとりこ」ではなかったのか?

漢字の、外国語からの理解ではないもの、

それが、縄文遡及においてのベースとしてのスタンスではないか?

つまり、 それは、次のような思いになると考えます。

            ・

ヲシテ文字の形状から、その、「ことは」の意味合いを考え・類推してゆかねばならないものと、 このように、基本の考え方が底に据えられないといけないわけです。

漢字に於いての「緑」の概念と、

「やまと ことは」それも、ヲシテ時代にまでもの、

遡及を為し行かんとした場合での、われわれの

認識としての「みとり」の概念とは、

どうも、大きく異なるのではないか?

その、選別依拠の判断の根拠は、縄文日本に溯り得る「やまと ことは」に探るしかないと思うのです。

つまり、 ヲシテ文献の典拠。  ここが、根底で有り得ましょう。

       ・

縄文日本への、

日本文明の縄文成立に、その、

根拠確立の足固めは大変に骨の折れることであろうと、

思っております。

でも、

ぷやぷやには、流されず。  難儀でも、ちょっとずつの、

一歩が、強い足場となり得て来ると、

そのように、信じます。

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月 8日 (木)

「やまさ なす」考え方の進化のこと

物事は、常に変化します。

多くの場合、進む方向が多いのです。 これは順行と言えますでしょう。

この事は、ヲシテ時代にも多く見られます。

2130hutakamikoteni

2131yamasanasu_3

いずれも、『古事記』『日本書紀』には、翻訳されていない個所です。

初代クニトコタチさんの時、この時代から、「日本」の文明が明らかに起こりました。

その後、時代を経るごとに、進化発展を遂げてくるわけです。

7代アマカミの、イサナギ・イサナミさんの頃になると、

「やまさ」  が付け加えられて考えられてきます。

さらにさらに、この後の、

10代アマカミのニニキネさんの時代には、具体化されてきまして、

トリ(鶏)を門屋にて飼う事が、さらに付加追加されます。

この、

もともとの、精神・理念を受け継ぎ、さらに発展させる、

このことが、「順当な進展」を理解されるわけです。

        ・

江戸時代、の中ごろ、

日本に大きな思想分析家が出ました。富永仲基といいます。

彼は著書の『出定後語(しゅつじょうこうご)』のなかで、

この「順当な進展」のことを「加上(かじょう)」と表現しました。

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

2007年11月 1日 (木)

加古川の講演のこと

兵庫県の加古川には、ヤマトタケさんの、お母上の御陵(ごりょう・みささぎ)が御座います。

そんな事からもありまして、

加古川講演の機会を得ることとなりました。

11月24日、13:30開場、14:00開演

加古川市の、日岡神社の社務所2Fです。

すぐ上が、ヤマトタケさんの、お母上の御陵です。

ヲシテ文献には、ご葬送のときの詳しい記事が、

記されています。 それも、解説させて頂こうと思っております。この個所は『古事記』『日本書紀』ともに、漢字訳出が為されていない所です。「きび はりま」この言葉がヲシテ文献にありますので、日岡御陵の実在とぴったりと一致するのが千数百年ぶりに解明できるわけです。おそらく、ヤマトタケさんの、お母上のイナヒ姫さまにもご安心戴けます事でしょう。

          ・

また、ヲシテ時代に濃厚なご縁のある土地ですから、ひょっとしますと、未発見のヲシテ文献の発見に結びつく可能性があるかも知れない。 と、ひそかに胸を膨らましています。

昔、

松本善之助先生の、安曇川講演のことがあって、最古の写本の安聡本の発見に繋がって来ていた故事もありました。

                  ・

加古川講演は、

以下のような内容になろうかと、

今のところの、練り上げ中での雰囲気です。

   1、ヲシテ文献の尊さ。

   2、ヤマトタケさまの、人格の立派さ。

         -記紀に見る、改変の酷さ-

   3、ヤマトタケさまの、お母上の、ご葬送の次第。

   4、カミヨ(上代・神代)に溯る、加古川流域の繁栄。

             ー 鉄のこと ー

ご声援くださるお方は、クリックを! ブログ・ランキングに投票をお願い致します。

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

 

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »