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2007年4月30日 (月)

本物はどっち?

翻訳した後と、翻訳前の原書とは、

色々な点で変化が生じるのは、古今東西免れ得ない事実です。

Photo_350

ヲシテ文献の位置が、解かると、

上の図の、水色の線の大きさが判ると思います。

ヲシテ文献は、

翻訳前の、原書なのです。

で、あるならば、

翻訳後のモノは、誤謬を孕んだと考えるしか有りません。

そうなりますと、

誤訳モノの記紀などを根拠にした、推論なんて

全くのところ価値の無いことが判明します。

何しろ、

翻訳後(誤訳が多い)のモノは、すでに、ズレズレです。

特に、記紀の翻訳作業の酷さは、尋常なレベルではありません。

         ・

有坂英世さんの、論も、(『上代音韻攷』昭和30年、など)

結局のところ、空論であったことになります。

『古事記』の記述の仕方は、こうこうで…、と、

『日本書紀』の記述の仕方は、こうこうで…、と、

延々とやっているのです。 お疲れ様。

土台が、狂っていたのですね。

誤訳モノをいくらいじっても、出てくる答えは、決まっています。

          ・

すなわち、

コピー  モノが、本物を規制することは出来ないのです。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

 

    

2007年4月29日 (日)

文明力とは何か? 和風とは何か?

「和風」という言葉が、流行ったりします。

あるは、

‘和服’に求めたり。

あるは、

‘能’に求めたり。

いろいろと、試行錯誤の事が始まります。

      ・

ですが、

‘和服’は、正確には「呉服」であったりもしますから、頭の中が混乱もします。

「呉服」とは、「呉」の服装のこと、つまりは中国からの伝来服の事になりますね。 もっと、古くの‘日本’では、巻頭衣でした。基本の構造は、現在のズボンと上着のスタイルです。

‘能’も、もとは申楽(さるがく)から発展したもので、

さらに、申楽は、伎楽(ぎがく)や舞楽(ぶがく)の変革発展と考えられます。

伎楽(ぎがく)や舞楽(ぶがく)は、またしても、中国からの渡来モノですね。

           ・

さてこんな事を考えますと、

‘和風’とは何か? 

この答えは複雑です。

    ~   ~   ~

そこで、思うのです。

本当の‘和風’とは、文明力の事に尽きるのではないかと。

良い技術を学び消化吸収して、われわれの使い勝手のよいように、

修正変化発展させる、能力。  このことを、文明力と捉えて、

ここにこそ、‘和風’の根源があるのではないかと思うのです。

       ・

言葉の事も同じようなことがいえます。

漢字を導入してから、長い年月が経ちましたが、

すべて、受身の受け売りに終始していたわけではありません。

和製漢語・和製漢字が多く考案されて広まって行った経緯もあります。

これも、文明力ですね。 本来の‘和風’だと思うのです。

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2007年4月28日 (土)

浅野文法の余録

浅野信先生の、著書は読めば読むほどに興味を惹かれます。

基礎がしっかりと、お有りだからですね。

辞典もお作りになっています。『日本文法辞典』(八弘書店、昭和18年)

浅野先生のご著書のうちの、

『日本文法文体論』の一節で、面白いのがありました。

Photo_341

この事からしますと、

阿倍仲麻呂はよほどの努力家だったのでありましょう事が、偲ばれます。

           ・

ですが、酷いほうもあります。

ヲシテ文献を、聞きかじって言う人は、

「うつ」とか「ほま」なんていいます。

また、「やまとたけ」なんて言います。

茶番ですね。

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2007年4月27日 (金)

聞きかじりの、恐ろしさ。 やめて下さい!

初めて、ヲシテ文献の存在を知ると、

どうしても、身の回りの人に知らしめたく思うことは、人情でしょうね。

でも、

ほんとうは、

ここが最も、恐ろしいところなのです。

Photo_347

                   <なるこ ゆり>

従来、30年余りの成り行き(経緯)を省みますと、

錯誤の連続なのでした。

   ~   ~   ~

解からんチンは、 訳せ訳せ! 

と、迫ります。

でも、

時代が何千年も異なっているのですから、簡単な直訳は、“誤訳”でしか有り得ないのです。

本来の、当たり前の事で判断しますと、

縄文時代にも溯ろうと、しなくてはならないのです!

私たちは。  で、どうして、漢字由来語の表現におもねらなくてはならないのですか?   つまり、漢字なんて、そもそもが、外国渡来のものに過ぎないわけです。外来文化に魂を売り渡したままで良いと、思っているのですか?  ひゃー?   ここです!

ここが肝心のところであります。

ですが、

解からんチンは、

安直(あんちょく)に、直訳現代文に、訳せ!訳せ!と、 迫り来ます。 

  安直なことですね。  現代文にの直訳(誤訳)は!

ですが、 こんな、

解からんチンに、迎合すれば「秀真伝」の“偽書”に陥ります!

このなれの果てが、鳥居礼ですね。

酷い話です。 いかほど、‘日本’の光輝を貶めれば気が済むのか?

彼の文章は、一文字を見るだけで、吐き気がしてしまいます。

         ・

はっきりと、

記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書が、

ヲシテ文献である。 との、この位置の根底のところの認識が無いままでしたら、

やっぱり、「秀真伝」です。 貶め族ですね。酷い話です。

この程度では、

やっぱりやめたほうがよいです。

この事だけは、きっぱりと、宣言したいと思います。

つまり、     

「秀真伝」のレベルでは、“偽書”に判定されます。ですから、人に言うのはやめて下さい!

どうしても、この事だけは、叫ばないでは居られません。

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2007年4月26日 (木)

磁石の構文論

日本語の構文の構造は、諸外国語と比べると違いがあります。

浅野信先生の構文解析の矢印法は、とっても示唆に富んでいます。

わたくしは、「磁石構文」と新規に命名したいと思っています。

            ・

二つの磁石を近づけてみたことが、中学の時の理科の実験などで、

おそらくおありのことでしょう。

二つの磁石は、異極性同士ですと、引き合います。(NとS)

二つの磁石は、同極性同士は押し合います。(NとN)(SとS)

            ・

日本語の文章の構文は、

これに良く似ていると思うのです。

‘ことば’はそれぞれ、周囲に空間を持ってバラバラに浮かんでいます。

それを、‘ひと’の想いに拠って、二つの磁石が相い押し合う形で、組まれるのです。これが文章だと思います。 

押し合う力、その距離、または、引き合う力も働く場合もありますね。

          ・

「が」を「たす」(悪いものを、治める)、の構文構成は、磁石の押し合う力。

「た」「が」(悪いものを、治める)、の構文構成は、磁石の引き合う力。

と、理解してよいかと思います。

       ~  ~   ~

明けのウグイスが鳴いています。

「ほのぼのの そら 見つ行けば」

この言葉も、そんなに変では無いですね。

でも、

「ほのぼの」は、本来は動詞を形容するものです。

ですから、「副詞」の分類になります。 しかし、この場合「見つ」に掛かっているわけでもありません。

ここには、「ほのぼのの (明け行く) そら」

の(明け行く)の省略があるわけです。 よく使う言葉、情景が読み手に浮かぶであろう言葉は、た易く省略できます。 この、省略法が縦横に活用できるのも、「磁石構文」の持つ柔軟性にあると思うのです。

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和製漢語の形成に見る‘やまと ことば’

現在での事でも、耳にすることが、よくあります。

英語をよく知る事で、

逆に、‘やまと ことば’の真実が見えて来る。

というのです。

Photo_340 ヤマ シャクヤク

英語を日本人に教える教師が、‘日本語’についての理解の新見地を開いていることは、かなり知られています。

      ・

それならば、

もうちょっと、溯ってみてもよいですよね。

つまり、

飛鳥時代以降、わが国には外国渡来の文字・言語を取り入れてきた、

歴史が長年にもわたってあります。

このことの、奥にこそ、

実は、

‘やまと ことば’の真実を知る為に、極めて示唆に富んだ情報が隠されていると、見て取れることにもなるわけです。

案外知られていないことでしたが、近々に、

陳 力衛さんの著述が、その解明の糸口を開いてくれています。

『和製漢語の形成とその展開』(汲古書院)

とっても面白い考察です。 是非、一読の程をと思います。

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2007年4月25日 (水)

ヲシテの子音の形状の意味

ヲシテ文字の、その形状には

深い意味が秘められています。  と、

言う事だけは、はっきりしています。

でも、そのヲシテの文字形の持つ意味合いが、

‘やまと ことば’の醸成・発展に関与してきたあり方について、

詳細な考察はこれから開いてゆくところです。

           ・

渺茫たる大きな海が、

解明を待つ事々の、大きな海が広がっています。

たとえば、

「た」「ち」「つ」「て」「と」の子音は、

Photo_338

の形状です。

‘光’が中に集中して入ってきた形ですね。

        ・

これを、上下逆にしますと、

「ら」「り」「る」「れ」「ろ」の子音になります。

Photo_339

これは、‘ひかり’が出て行く形なのでしょうね。

強く発散されるほどのイメージではなくて、

じわじわと、洩れ出るようなイメージでしょうか?

        ・

さて、その形状の持つ意味と、音韻の意味、

さらに語彙の形成に至る過程など、

そのあたりについて考察が及ぼされてゆくことが待たれているのです。

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2007年4月24日 (火)

あらうみに…

何となく、

こんなウタが、ふっと出てまいりました。

Photo_337

続々と、

真摯なお人の出現があります。

漢字以前の‘やまと ことば’の高度さは、ヲシテ文献に拠って初めて解かることですし、この、深い探求こそが‘日本’の純粋精神の将来に向けての根底になるわけですね。 高度な‘やまと ことば’は、荒海です。ひっくり返されないようにしなくては…。

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2007年4月23日 (月)

‘トのヲシテ’の大きさのこと

‘日本’の縄文時代からの歴史を、

素直に見つめて参りますと、

「トのヲシテ」の理念の、秀逸性が改めてハラにどっしりときます。

これでなくては、

今後の世界は、

本当のところとして、うまくやってゆけない。

   と、

     思うのです。

      ~   ~   ~

ヲシテで記述をしますと、

Photo_321

の、

表現になります。

この、大きさに付きまして、正しい正当な理解者の続々の、

思いもよらぬほどの早さの、

近々で、

出現がありました。

頼もしい限りです。

      ・

でも、

先は、殊の他に長く掛かります。

先ずは、『古事記』を糾弾せねばなりません。そして、国史(国文・文学?)からの除去に至らしめなくてはなりません。

次いで、『日本書紀』を糾弾せねばなりません。景行天皇57年以前は除却処分にせねばなりません。

本当に、大変です。 クニの輝きを取り戻すのは。

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2007年4月22日 (日)

浅野文法の理解の事

浅野文法は、画期的な国文法の新解釈であると思います。

Photo_335

        ・

近代の国文法の解釈は、

江戸時代に、ルーツを辿ることが出来ますが、

特に、西欧文法の導入に拠って、国文法の解釈に枠がはまってしまったきらいがありました。 

ここに、浅野先生は、大きな一石を投じられたのでした。

        ・

さて、

ここで、申し上げたいと思いましたのが、

浅野文法の理解についての、事です。

浅野文法の斬新さに驚愕した私は、

女房の、叔父さんに聞いてみました。

と言いますのも、松江大学で名誉教授をしていたのが、

女房の叔父さんでしたから…、 それも、文学部。

で、

「浅野さんはよく知っていますよ。学者仲間です」

とだけ。 浅野文法の事については、何ら理解なしなのでした。

「へー」↓  と、思ったものでした。

        ・

そんなものなのですね。

ヲシテ文献の記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書である事実についても、

興味なし、といったところなのでしょうね。

浅野文法についてもそうですが、

ヲシテ文献でも、解かった人が進めてゆくしか無いのです。

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2007年4月21日 (土)

文章の私的な分類方法

若い人に、説明しておきたいと思うのです。

「コピペ」の言葉が、蔓延しつつあるようですので…。

コピー&ペーストのことを「コピペ」と言うらしいです。

Yamasyakuyaku1

            <もうすぐ咲きそうになった、ヤマ シャクヤク

         ・

文章の性質を、3種類に分類するようにしてます。 わたくしは。

1、勧奨文

2、説明文

3、言い訳文

の三つです。

     ∽   ∽

1、の勧奨文とは、

またしても、わたくしの造語です。

読者に、こうしたら良いよ、このように考えた方がよいですよ。…。

と、何かプラスしようとする目的のある文章の事を言います。

     ・

2、の説明文とは、

いわゆる、「コピペ」に代表されるような文章です。

肉声の響きが無い言葉が連なるのですね。

     ・

3、の言い訳文とは、

後ろ向きの姿勢で、取り繕いの事ばかりが、連なる文章です。

    ∽   ∽

  1、の勧奨文の文章でいつもありたいと、

これは、自戒のための文章の区別でもあります。

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2007年4月20日 (金)

『お湯殿の上の日記』のこと

『お湯殿の上の日記』は、面白いよ。

このように、松本先生はおさとし下さいました。

        ・

  ―(お ゆど の の うえ の にっき)―

読んでみると、退屈なものなのでした。

でも、

この頃になって、やっと解かって来たのでした。

『お湯殿の上の日記』の大切さ、 が。

日々、日日、

天皇さまが、どの様なお気持ちで毎日のお祈りをしてきて下さっていたのか?

この事こそが、

‘トのヲシテ’の伝統の連綿たる継承なのですね。

         ・

  『お湯殿の上の日記』

は、

「続群書類従」の補遺3に収録されています。

中には、

天皇さまの直筆の文章も含まれています。

「続群書類従」は、何処の図書館にも、ほぼ無いということはありません。

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2007年4月19日 (木)

『記紀原書ヲシテ』の正誤表の更新

また、誤植が見つかりました。

あいすみません。

上巻の、608ページの23-55、と、

下巻の、253ページの37-13、です。

以下の表をお使い下さいませ。 恐縮です。

Wositeseigohyou1

Wositeseigohyou2

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祝詞(のりと)のこと

祝詞(のりと)は、‘のっと’ともいいます。

ヲシテ時代には、‘のとこと’とも、‘のと’とも記録されています。

お祈りをする時に、奏上する言葉です。

その時、その時の状況に合わせて、文章を綴(つづ)るのが習わしです。

        ・

漢字時代には、遣唐使のための祝詞も書かれています。

『延喜式』の巻8にあります。 約1000年前のものです。

 『校訂 延喜式』(復刻、臨川書店、平成4年)が見やすいので、

こちらを掲げます。これは、索引が付いているので、とっても便利なのです。

Enngisikinotto1

送り仮名を、小さな漢字で表す書き方を、‘宣命体’と言います。

「乃」は、「の」と読みます。

「氏」の下に一本棒のある字は、「て」と読みます。

「爾」は、「に」と読みます。

「留」は、「る」と読みます。

「久」は、「く」と読みます。

「與」は、「よ」と読みます。

「止」は、「と」と読みます。

もう、読めますね。 大したことありません。

   5・7調で無いところを、注目下さい。

『延喜式』は、「国史大系」(吉川弘文館)の刊本が入手しやすいです。どこの図書館にも、99%置いてあります。

         ・

ヲシテ時代では、

正式文章は、5・7調なのです。

従いまして、

「のとこと」「のと」の「祝詞」も5・7調です。

『定本ホツマツタヱ』から、22アヤの例を見て見ましょう。

 約3000年前のものです。

Noto1

とあって、この後、「のと」の引用があります。

長いので、前の方を省略しまして、最後の締めの部分を、

掲げます。

Noto2

声を出して、読み上げてみてくださいませんか?

とっても、調子の良い心持ちになられると思うのです。

「のと」・「のとこと」ならでは、ですね。

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2007年4月18日 (水)

「たこ リ」・「いか ル」の系譜

「たこ リ」・「いか ル」の系譜とは、

初期段階のヲシテ文字の認識の事を言わんとしている、

わたくしの造語です。

        ・

通常のヲシテの文字形は、

「り」は、

Photo_330

最古の写本でも、この形に作られています。

それが、小笠原通当さんの『神代巻秀真政伝』(国立公文書館所蔵)

では、

Photo_331

こんな、文字形にしています。

タコ(凧)のように見えませんか?

        ・

また、

通常のヲシテの文字形は、

「る」は、

Photo_333

最古の写本でも、この形に作られています。

それが、小笠原通当さんの『神代巻秀真政伝』(国立公文書館所蔵)

では、

Photo_334

こんな、文字形にしています。

イカのように見えませんか?

スルメでしょうかね?

    参考→ 「ル」のヲシテの文字形のこと

    ~   ~   ~

小笠原通当さんは、ヲシテ文字に初めて接した際に、

少しでも整えてあげようとしたのでしょうね。

でも、これは、ヲシテ時代を見下した態度ですね。間違っています。

この系譜は、

小笠原長弘さんの初期、

小笠原長武さんの初期、

まで尾を引くことになります。

             ・

通常文字体のヲシテの「ル」は、点々の字体です。

特殊文字体の「仄(ほの)かなナミ」を示す用例を掲げます。

Ruyourei

三角の「ル」はたったの11例だけです。

それに比べて、通常文字体の点々「ル」は2483例あります。

厳然とした区別と言えます。

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2007年4月17日 (火)

「神道 (しんとう)」の言葉の事

「神道(しんとう)」と言う言葉があります。

結構、歴史の浅い言葉なのですね。 日本では。

       ・

『大言海』の、「神道」の条(くだ)りには、

Photo_329   

つまり、「神道」の言葉は、日本においては、

仏教の渡来以降の言葉であるのが主意であるわけですね。

さらに、詳細には、幾つもの語彙概念に区別が為されています。

1、の『易経』由来語と、 2、の天武・文武の頃からの所謂「古い時代の神道」とは、完全な区別が為される概念であるのです。 『易経』からの由来語は、日本「神道」の言葉の概念に直接の関与なしというのが、大槻文彦さんの見解です。 わたくしも、同感です。

さらに、本地垂迹なんてのも出てきたり、江戸時代には垂加神道だなんて、余りにもごちゃごちゃ族の付託が色々とぶら下がって何が何だか? の世界になっちゃってしまいました。「神道」の言葉は、「神代文字」のように手垢にまみれて語彙概念に混乱を包含した混乱語になってしまっていると判断すべきだと思います。

ヲシテ文献の「カミのミチ」

Photo

は、「神道(しんとう)」に当てると、1000年近くで染み付いた言葉の臭いにおいて、へんてこりんのぐちゃぐちゃになってしまうのですね。この、獣肉臭のような、へんてこりん臭によって、気持ち悪くなってのことになり行き果てつるのですね。

ヲシテ文献が発見されたからには、本来のうつくしいモノに、綺麗に秀麗に整理整頓して楽しみたいものですね。 これが、やっとのことで奇跡的に、可能になったわけですから  …    ね。

        ・

先頃も、

「雅楽」は、渡来音楽ですよ、 と、

説明しましたら、 びっくりしていた人も居ました。

とにかく、こちらこそも、びっくりですね。

    ∽   ∽   ∽

漢字以前の、

それも、縄文時代に溯る「日本」の建国について、

遡及をしようと、わたくしは、念願しています。

「雅楽」が外国音楽であるとの認識は、当然ですし、

「神道」なんて言葉も、ヲシテ文献を知る立場から言えば、極めて近い時代の成立でしか無い。

と、

このように思うのです。

つまり、神社のお祭りに雅楽なんてモノの外来文化は違和感を催すばかりだと、感じてみる感性を培(つちか)うことが重要なわけだと思うのですね。

従いまして、冠婚葬祭だけにも限らずお祭りの方法も、ヲシテ文献に依拠した縄文遡及をも勘案したやり方を、これから新たに模索して、試行錯誤の後に策定してゆくべきである、と言う事になるのが順当なところなのではないでしょうか? いかがでありましょうか?

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2007年4月15日 (日)

ヲシテ文献への、きっかけ

「どうして、ヲシテ文献とめぐりあったのですか?」

と、

聞かれることが、しばしばあります。

        ・

あんまり大したことでも無いのでと、

書籍に載せることは、しないでいました。

でも、たびたび聞かれることがあります。

それで、

述べておこうと思いました。

   ∽   ∽   ∽

もう、

35年ほどの昔の事ですが、

新聞の3行広告に、小説の同人誌(『アマゾン』)の集まりが、

ふと目に止まりました。 早速、電話をして、例会に参加させてもらうことにしました。

あとで、知ったことでしたが、同人誌『アマゾン』は、田辺聖子さんの出身誌でもあったそうでした。

  その日は、いつもよく遅れるバスが、スムーズで、30分程早く到着しました。 歩道橋から見ると、階段のふもとに小さな古本屋がありました。時計を見ました、丁度よいな。  それで、その本棚で見かけたのが、この本でした。

Img525

B5版、129ページ、並製本、の、でも、

本の題名は、何と読むの?

安かったし、とりあえず買っておこう。(落丁本だったのでした)

しかし、漢和辞典で調べても、書題の「守護?」の、?の文字が読めません。

それで、出版元に電話をして聞いてみました。

そんなことが、縁で、「真の道」に伺いましたところ。

「面白い講義があるよ」

と、

案内を受けました。  それが、松本善之助先生の講義でした。

       ・

初めて、松本善之助先生のお話を、

聞いた時は、何がなんだか?  でも、

復刻版の『ホツマツタヱ』があるよ。

と、お聞きしまして、迷うことなく送ってもらうことを、申し込みました。

   ~   ~   ~

さて、『復刻版ホツマツタヘ』(小笠原長弘本)を手にしてから、

悪戦苦闘が始まりました。 どんな古語辞典を見ましても、

さっぱりです。

意味が取れません。

でも、

『ホツマツタヱ』の原文を声を出して読んでいますと、

なんだか美しいものに触れる感触があるのです。

結局、丸暗記してみよう、と、

進めました。  今でも、7アヤまでならよどみなく朗唱できます。

           ・

もうひとつは、

漢字仮名混じり文への、「直訳」です。

これは、多くの人が、踏んでゆく道なのでしょうね。

一応は全文しましたけれど、どう見てもゴミでしかありません。

私は、3年ぐらいはやっていたように思います。

           ・

さて、

松本善之助先生が、『ホツマツタヘの成立』と題する、

三文献、『ホツマツタヱ』・『日本書紀』・『古事記』の原文対比の、

書籍を出されました。 昭和48年の事でした。

神武天皇さんの個所についての、いわゆる、「三書比較」です。

これを、テキストに毎月びっちしと絞ってもらうことが出来て、

わたくしの基礎が出来上がってくることになりました。

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2007年4月13日 (金)

ありのまま…、

『フトマニ』に親しんでいると、

ハッ、とさせられることがあります。

アマテル カミの、おこころの、大きさがわかります。

Photo_328

あよろ、の項目です。

あ よ ろ

あの よろのほしを し

つめて ありのまま  すめ

ば よろこぶ ときそ あ

り け る

   ~   ~   ~

すべて、世界は「アメミヲヤ」の‘ひといき’から生じたのでした。

「ひと」は「アメミヲヤ」の写し替えでもあるのでした。

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2007年4月11日 (水)

為し行くべき、その先の事。 先人の大変さ。

ヲシテ文献と呼びましょう。

と、 言い始めて20年近くになりました。

そして、そこそこにようやく浸透してきました。    嬉しいことです、ね。

Photo_326

        <鳥が、運んでくれた庭のサクラちょうど見頃ろです

当たり前と言えば、それまでですが、

『フトマニ』『ミカサフミ』があればこそ、ですものね。

クニの、本当の尊さがわかるのは。    

難解ですけれども…。

          ・  

ヲシテ文献が、

記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書であると、

この認識が正確に為されたならば、

次に、行ってゆくべき道筋は自ずと解かるのではないか?

つまり、

‘日本史’の再構築を為し行くべき仕事に幾許かでも力を及ぼすことが、

‘日本’の本当の意味での再建の元を為す、  と。

             ∽   ∽   ∽

このところ、本格の人が出てきております。

写本レベルにまで、辿ろう。

『古事記』だって、『日本書紀』だって、『万葉集』だって、

写本まで辿ると、随分と違った側面が見えてきます。

一般向けには、とてもそこまでの解説はかえって困難さを生じますので、

省くことになって来る事は、自然の事です。

ひと」の出現が相次いできて、

もう一度、しっかりと足元からの定め直しをする時期に、

至ってきたのかもしれません。  「めぐり」ですね。

        ・

何と申しましょうか?  ヲシテの伝承にしても、

実際のところは、

もっと、もっとゴタゴタしているのです。写本でも、人間のやることですから、

間違い、思い違い、親切心がかえってアダを生じさせたり、お茶をこぼしてしまったり、鼠に食われたり、  など、するわけです。 また、江戸時代などでは、和紙は貴重品ですから、そうは、おいそれと沢山の紙の使用は難しいのです。現代の便利な世の中で暮らしていますと、写本を作ることの大変さは、なかなか実感できないものだと思います。

いまは、コピー&ペーストが、当たり前の事になってます、が。

もうちょっと、ひところ前までは、コピーだけが主流でした。

でも、

そんな簡便さの、溢れる時代では無いのですね。  伝承時代といえども、 です。

そうした、成り行きの上で、貴重なヲシテ文献が伝承されてきていた、と、いう事です。  ここのところに、やっぱり、敬意がはらわれてしかるべしだ、と思うのです。

多くの人の努力、

たとえば、

ワニコ安聡さんは、道端の野草を常食していて、「馬先生」と仇名が付いていたと、「伝来由緒書」にありました。そして、奥さんともども、早くして逝去なされてしまったようです。 安曇川への訪問の際は、せめて墓参を致すようにしております。

小笠原長武さんは、家人の理解が得られなくて、

大変な孤独さが、おありのことだと偲ばれます。

このように、 

クニの大事であることを、解かった人が、爪の火をともすようにして、

つないで来て下さっていた事実があったのです。  大変な思いの重なって、それでも、伝承しなくては!  その様な事々でありましたでしょう。

写本者の、 間違いだなどと、 云々する気持ちには、わたくしは、どうしてもなれないのです。

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2007年4月10日 (火)

「やまと うた」の高度さ

実際に、原書を見ますと、

良く解かります。真名さんの、「所はいづこ、水師営」でも、感動を覚えたのですが、

乃木将軍の辞世の色紙は、現物の肉筆のままに見てこそですね。

変体文字での「添意」が、為されていたわけですから。

この伝統も、じっくりと、伝来してきていたのですね。

          ・

従来から懸案の難解な「つつうた」のことで、

和歌山の小池さんが、相当に解釈を進めて来ておられます。

まとまって行くような、

そんなことになって来て貰いたいと、念願しております。

複雑な構造が、「つつうた」には秘められていたようです。

「やまと うた」の高度さに、あらためて、脱帽です。

Photo_323

「やま さくら」の、うつくしさを、

少し、追加いたします。

Photo_324

Photo_325

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2007年4月 9日 (月)

「やまと ことば」の自由度をさらに増すために

自由自在に思い通りに活用出来得ることは、高度さの証(あかし)であるともいえます。

「添意」を自由自在に活用できる「やまと ことば」の構造には、

また、

重文・複文と、連続して繋げていける「やまと ことば」の構造には、

秀でたものがあると思います。

西洋文法にやられてしまってばかりでは、この「やまと ことば」の高度さ・将来へ向けての大切さが解かり難(がた)いことです、 ね。

      ~  ~  ~

‘日本’は縄文時代からの、立憲君主国家としての長い伝統が連綿と続いてきています。漢字文献によって貶められた、1000年余りの歴史観には、決別をしましょう。その為には、自国の文字を、つまりヲシテ文字を復活してゆく必要があります。

折角見つかった、自国の大切な文献を、何の為に、誰のためにランク低下をしてまで「訳す」のか?

筋違いです。  「訳す」というのは。   大間違いですね。

        ・

自国・祖国の貴重な古典は、

いたって、尊重されるべきです。

その、まともな接し方は、原字原文に当たることが当たり前です。

『源氏物語』でも、現代訳文だけ読んでいてもつまらないですよね。

‘古典’は、原字原文で!

ここの、敷居をまたぐ必要が、どうしてもあると思うのです。

大したことでは無いのです、

敷居をまたぐのは。   ちょっとした、勇気だけです。   それに必要とするものは。

この敷居の、事。

超えようとしない人は、

そもそものこと、

古典に触れることはやめてもらうことが、望ましいことです。

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2007年4月 8日 (日)

「そむ」「そめる」の言葉の原意はなにか?

「そむ」「そめる」とは、

ヲシテ文字の記述について記される言葉です。

Photo_322

「染む」「染める」と、‘直訳’して良いものか?

       ・

‘やまと ことば’の源流に遡及しなくてはなりません。

ヲシテ時代の言葉を、正確に解明しようとすれば…。  です。

   ∽   ∽   ∽

はたして、源流への遡及は、

各音韻の持つ原意の理解から出発すべきであると、

かねがね考えてきておりました。

つまり、

「そむ」「そめる」

では、

「そ」の音韻、ひいては、サ行の各音韻にキー ポイントがあるわけです。

そのおおよその意味合いは、

「さ」…さわやかなこと、 「る」におもむかせると、「さる(去る)」になります。

「し」…なしゆくちから のこと、 「る」におもむかせると、「しる(知る)」になります。

「す」…なしゆくちから の うごきゆくさま、 「る」におもむかせると、「する(為る)」になります。

「せ」…なしゆくちから を はたらかそうと するさまのこと。

そして、

「そ」…なしゆき、おわりののちのこと。 「る」におもむかせると、「そる(反る)」、「そる(剃る)」になります。つるっとした感じ、さっぱりとした感じ、すべすべになった感じ、ですね。

   ~   ~   ~

このような、サ行の音韻の持つ原意から考えてゆくと、

「そむ」「そめる」の意味合いの原初の姿が、少しく、垣間見えてきたようには、

思われませんでしょうか?

「揃える」「備わる」「備え」「添える」…  これらは、みんな、おんなじのグループですよね。  どうでしょうか?

         ・

それで、

「そむ」「そめる」とは、

つまり、

浄書の意味合いが強いと、

このようには、思われませんでしょうか?

他の言葉では、清書ですね。

綺麗なもの、

美しくしたもの、

きっちりとさせたもの、

こんな感じの、意味合いから、「染める」の言葉の発生に繋がって行ったのではあるまいか?

‘やまと ことば’源流夢想です。

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2007年4月 7日 (土)

ヲシテ文献の時代の言葉に、どう溯るか?

たとえば、

「そむ」「そめる」の言葉を、

単純に、「染む」「染める」と直訳してよいものか?

との疑問は、常に有ります。

               ・

ただ、初歩的な質問で、「ヲシテ文献は何に書かれていたのですか?」

と聞かれたら、「そめる」とばかりに記録がありますから、紙にではないようです。おそらく、絹などの布に染められていたのでしょう。  何て、答えることになります。

書籍などに、繰り返し述べてきたことの蒸し返しの問いには、

何と入門的なことか、と、  そのレベルで答えるしかないからです。

       ・

でも、

「そむ」「そめる」の言葉が、はたして「染む」「染める」でありえるのか?

これは、時代に齟齬を生じさせてはいないか?

ラフな直訳ではあるまいか?

心しなければならない所です。

たとえば、

角筆文献というものも有りました。

爪楊枝の倍ほどの大きさのスティックで、押し付けて窪ませる記述の方法です。

たった100年前までは、一般によく為されていた方法なのでした。

現在では、

忘れ去られていたのでしたね。

        ・

ヲシテ文献の記述にある、「そむ」「そめる」の言葉の理解は、

まだまだ慎重であるべきだと思うのです。

「そ」の音韻の原意。

あるいは、「さ」「し」「す」「せ」の音韻の原意に遡及しての再考が必要なのでは? とも、考えるのです。

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2007年4月 6日 (金)

仮名遣いの歴史の事

仮名遣いは、現在「歴史的かな遣い」を、当然の事として、

理解されています。

で、 あるのですが、

仮名遣いが、「歴史的かな遣い」に修正されたのは、江戸時代から明治にかけての事だったことを、思い出して欲しいのです。

それ以前は、藤原定家の流儀の「定家流かな遣い」が、主流を成していました。

「定家流かな遣い」は、上の「お」は、こう書く。  と言った内容です。

その、通用の期間、実に400年ほどもあります。

さらに、それ以前は混乱状態でしたから、仮名遣いに、おおよそ800年近くの混沌とした時代が続いていたのでした。

          ・

さて、

縄文時代からの、仮名遣いの歴史的な俯瞰を考えて見ましょう。

これは、ヲシテ文献が発見され・研究が積み重なってきたから解かることなのです。

1、ヲシテ時代

ヲシテ時代は、ヲシテ文字が使われていて、上層階級が主に使っていたわけです。ヲシテ文字を使うと、動詞の活用のルールはすぐに解かります。

その上で、「添意」による、他の意味の付加が行われていたわけです。

2、漢字の国字化時代の初期

カタカナ・ひらがなの一般に用いられるようになる以前の事を、漢字の国字化時代の初期と、呼びましょう。外国渡来の漢字の使い方を、国民全体が、苦心していた時です。

この時代には、ある程度の、仮名遣いのルールは残存がまだあったと考えられます。

3、漢字の国字化時代の中期

カタカナ・ひらがなの一般に用いられるようになる頃からを、漢字の国字化時代の中期と、呼びましょう。紀貫之が『土佐日記』を書いた頃から、‘やまと ことば’の国語の復活が本格化してきたのでした。

ところが、この時代になりますと、仮名遣いのルールは殆んど消え去ってしまっていた。、と言うことです。ひらがなでは、動詞の活用があることなど、中々解から無いことに、原因を求めることが出来ましょう。

3、漢字の国字化時代の晩期

江戸時代になってからの事でした。

動詞に母音の変化での活用があることを、初めに、発見したのが、佐々井祐清さんでした。この後、契沖さんの発見で、仮名遣いの奈良時代での法則性があることが明らかになってきます。歴史的仮名遣いの発見です。時に、江戸時代の初期の事でした。

江戸中期に活躍した、賀茂真淵、富士谷成章、本居宣長、などの業績は言うまでも無いことでしょう。そして、明治期になって、歴史的仮名遣いは一般に普及します。

    ~  ~  ~

このように、歴史的な成り行きを考えて見ますと、

ヲシテ文字の備えている理論性が、

ヲシテ文字の使用を停止したことから、忘却と・国語力の低下が始まったことが解かります。

忘却の後、1000年近くの時を経て、

契沖さんたちの、努力で復活が始まってきたのが、ようようの事だったのです。

でも、

根本的なことを再考して見ますと、

本来の、論理性を備えているわが国の独自のヲシテ文字を、

復活せしめれば、

さらに、国語力の活力は何倍にも倍加するのではないでしょうか?

このことを、

強く思うのであります。

      ・

山田孝雄先生は、歴史的仮名遣いの普及を求める著書の、

『仮名遣の歴史』(宝文館、昭和4年)のなかで、

「国語の理解と国運の消長」と題する文章を述べておられます。

 -国語を尊重するといふ事だけではまだ足らない。国語を正当に理解する事がその上に大切であるといふのである。-

わたくしも、

そのように、思うのです。

記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書、わが国の本来の縄文時代にも溯る文字の発見があったのです。これを復活せしめないでどうしますか?

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2007年4月 5日 (木)

「添意」の言葉、その3

「添意」の概念を応用して用いてゆきますと、

たとえば、

「う・る(得る)」の言葉についても、

ヲシテの文字遣いの意味合いが解かってまいります。

                      ・

「う・る(得る)」の言葉の「う」は、ア行が基本形式です。

でも、

よく、ヲシテ文献内の言葉で、「う・る(得る)」の言葉が、

ヤ行の「ヱ」に作られている事があります。

従来の感覚では、仮名遣いの、酷い混乱だ。

と、

頭ごなしに排除する方向で、考えられてしまいかねない、

きらいも多かったのでした。

でも、

「添意の概念を、取り入れてみますと、

これまでには無かった、

もっと、もっと、

高度な‘縄文日本’の本質に迫れるように思うのです。

「う・る(得る)」の言葉が、

ヤ行の「ヱ」に作られている事の意味は、

ヤ行の一本のカミの立ったヲシテ文字の意味合いの「添意」の付加がなされていると、考えられるのです。  こちらにも詳しいです。

            ・

よく云われますが、

「歴史的仮名遣い」なんて、

本当のところその歴史は、とっても浅いのです。

契沖(けいちゅう)さんの発見から、事は起きたのでした。明日に、また解説を加えます、が。

つまり、

江戸時代になって、やっと、解かってきただけの事に過ぎないのですね。

金科玉条に振りかざすのは、ある意味、滑稽です。

わたくしたちの、求めようとしているのは、‘やまと ことば’の源流です。

ヲシテ時代の、‘やまと ことば’です。 縄文時代・弥生時代の、‘やまと ことば’です。

「歴史的仮名遣い」は、極めて近々に見つかった、その様な、近世での発見のことです。

まして、

「8母音説」なんて、バラエティー番組のレベルと、このように考えて、

大きな間違いはありません。なにしろ、ヲシテ文献からずっと時代の下った、漢字文献を根拠にしているに過ぎ無いのですから。

          ・

‘日本’の漢字以前の、その、

本当の高貴さ・素晴らしさを、どうしても、復活せしめなくてはならないと思うのです。すでに、ヲシテ時代には「歴史的仮名遣い」は充分に熟知されて運用が為されていたのです。その上で、さらに高度な「添意」のヲシテ時代の国文法が行われていたのでした。

     ~   ~   ~

さて、

         ・

長く思ってきておりました、ことですが、

あ・い・う・え・お

の謂わば、源位置の音韻の意味合いは、

特殊なものがあると、 常々考えておりました。

「あ」は、「有る」「荒る」と言う意味におもむきます。

「い」は、「居る」・「入る」・「射る」・「要る」・「炒る」などの意味におもむきます。

「う」は、「得る」・「売る」などの意味におもむきます。

「え」は、「得る」などの意味におもむきます。

「お」は、「折る」・「居る」・「降る」・「織る」などの意味におもむきます。

このような、源位置の音韻の意味合いを付加させたのが、

文献名の『ホツマ ツタ』の表記の別の表現方法の、

『ホツマ ツタ』の表記であったのではないかと思うのです。

基本のヲシテの表し方は、勿論のこと『ホツマ ツタ』になるのですが、

「へ」のヲシテ文字としての意味合いが、尊き文献名にはそぐわない事から、

「添意」のヲシテ時代の国文法に拠って、ア行の「え」に「添意」表現が為されたのでありましょう。あるいは、ヤ行の「ゑ」にも「添意」表現が為されたのでもありました。

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2007年4月 4日 (水)

「添意」の言葉、その2

‘日本’の漢字以前の時代、 つまり、ヲシテ時代です、ね。

     そこには、国語の文法も、

   さらに、高度なものがあったのでした。

Photo_320

現代には、既に、忘れ去られて久しいのですが…。

その間、2000年以上の忘却期間が横たわってしまっていました。

        ・

「添意」そこに根拠を求めてみると、

色々な疑問点が、解決できます。

「スヘラギ」(古代の天皇陛下)の言葉にも、

「へ」には、特殊ヲシテ文字がよく使われています。

Photo_313

この文字は、「ヘ」と読むべきか?

またあるいは、「メ」と読むべきか?

かなり微妙なライン上と思われていました。

でも、

「添意の言葉、その1」で説明しましたとおり、ヲシテ文字に特別に付加される横棒は、「ひと(人)」を尊んで表現する意図があったこと。 つまり、‘こころば’の備わりに対して、のもの。  このことと、共通していることが解かってまいります。 ‘こころば’の言葉につきましては、『ホツマ辞典』をご参照下さい。

通常のヲシテ文字での「へ」では、敬意が表されにくいのですね。

Photo_317 

このヲシテ文字では、意味合いからして寂しいのです。

        ・

そこで、特殊ヲシテ文字での、「添意」が用いられるわけです。

「スヘラギ」に用いられる特殊ヲシテ文字の、

Photo_314

は、「へ」と読むべきことが自然である。 と、

「ひと」あるいは、「フトマニ」などの、共通する特殊ヲシテ文字との対応比較と、

「添意」の考え方から、根拠が得られる事になりました。

           ・

どうぞ、みなさま、

ヲシテの、その深奥に、自分の学力を信じて立ち向かっていってみてくださいませ。  きっと、素晴らしい発見が待ち受けていると思います。

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2007年4月 3日 (火)

「添意」の言葉、その1

昔から、ずっと思っていたことですが、

『ホツマツタヱ』の文献名にある「ヱ」の文字遣いも、

「添意」の考え方で、判然となります。

                ・

ベースには、歴史的仮名遣いの「へ」を用いるのが基本理解としてあって、

さらに、別の意味合いを「添意」させる意図があって「ヱ」に染められていたのです。

そもそも、

‘つた・ふ’の言葉の、「みず体(命令形)」は‘つた・へ’になります。

最後の「へ」は、ヲシテ文字では、

Photo_306

の形です。 この文字の持つ意味合いは、「下の方向」を指していたりしています。

高貴な文献の名称には、余り使いたく無い文字なのですね。

それで、ヤ行の「ヱ」の文字、つまり、

Photo_307

を、『ホツマ ツタヱ』の文献名に染められる「ヱ」に使われたわけです。

歴史的仮名遣いは、充分に解かっている上で、

なお、運用面で、高度な「添意」を付加せしめていた、事になります。

なお、ヲシテ文字の「ヱ」の、子音を表す、

Photo_308

この、形状の、横棒は「あまねく(普く)」の形で、

たて棒は、

季節の場合では、「温かさ・寒さのカミの棒」の形ですが、

この「ヱ」のヲシテ文字の場合では、「尊きもの」の表現に充てられているのでしょう。

            ・

また、『フトマニ』の文献名に出る、

特殊ヲシテ文字についても、

「添意」の考え方で、判然とさせることが出来ます。

特殊ヲシテ文字の「フ」の使われた形、

Photo_309

は、大切なものであるとの、思いが込められた形です。

それは、

「フ」の音韻のヲシテ文字の子音の形の、

Photo_311

では、高貴さの表現が出来にくいからです。

例えば、

「人」を表す時、ヲシテ文字では、

特殊ヲシテ文字を使って、このように表現するのが一般的です。

Photo_312

それは、

「ひと」だけが、‘こころば’を持つ、

尊い存在であるからです。

横棒の付加は、‘こころば’の意味合いなのですね。

それで、『フトマニ』も、下のようには記さないのですね。

Photo_310

これでは、ラフな感じが強くて、

尊さがそこなわれているからです。

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2007年4月 1日 (日)

ひとひらの…    み を ぞ  むすべり

桜の花は、  ひとひら

ひとひら…

Photo_303

ミクサタカラ(三種の神器)を、お届けする旅の途中に、

アマノコヤネさんは、

伯父さんのフツヌシさんに、初めて会うことになりました。

この時、

さくらの実(サクランボ)を、おつまみにして酒盛りをした故事がありました。

Photo_304

沢山の、

花が咲き、

沢山の、

花びらの舞い落ちて、

本当に満足の出来る酒宴のあてに…、

        ・

 「添意」の言葉は、

そのうちに、大きなキーワードになってきそうです、 ね。

たのしみです。

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