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2007年2月13日 (火)

陰陽道の事

近々、陰陽道の事が人口を賑わしています。

で、  オカルトに流されそうな危うさを、時々、感じることがあります。

そこの、ところ、確かな線とは何か?

調べてみる指標を、掲示しておこうと思いました。

        ・

最も、中心的に参考になる書物は、『暦林問答集』賀茂在方の著作だと思います。この書物は、「群書類従(ぐんしょ るいじゅう)」に収録されています。

何か、まともなことを調べようとしましたら、やっぱり、「群書類従」ですね。  これは、正編の28輯にあります。

そのほか、

現代の参考書として、お勧めできますのが、

『陰陽道叢書』(名著出版)があります。

       ・

わたくしの、注目している興味の中心は、

どうしても、「古代」の時代にありますので、中村璋八先生の著作を見ることが多くなります。『日本陰陽道書の研究』(汲古書院)は、お勧めです。

   ~   ~   ~

以上に揚げました所を、ざっと、みて頂いて、

その後で、宜しいのではないでしょうか? 近々に流行りの流行本を、お手に取られるのは。  と、思います。

また、

『定本ホツマツタヱ』の緒言には、

『暦林問答集』のことは、触れてあります。

つまり、陰陽道との対比比較を為し行く必要性のあることについてです。

ご参考まで。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。  お間違えなく!

共に、即、廃棄してください!

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

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コメント

初めまして、いつもは政治板しか見ないのですが、気になったのでコメントさせていただきます。
出所年代を偽っいる本=偽書 
となるのでしょうか?
偽書=歴史事実の資料として使えないもの 
ですか。
どうも、拝見させていただいたところ、「文字」について研究されているようですね。
ならば、歴史事実の資料として使えなくても、古代の政権が自らの故事として作った本とも考えられなくはないわけですし、「文字資料」としては、有用なのではないでしょうか?
偽書と認定されている2冊とも読んだことはないのですが、コメントさせていただきました。



記紀の原書であること。新記事に記載いたしました。
http://wosi.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_8091.html
記紀の原書である、ヲシテ文献は、ヲシテと言う、縄文時代に溯る文字によって記載が為されていました。特殊文字のヲシテも多くあり、原字原文での読解でなくては、正確さを期する事が出来ません。それで、ヲシテの復活を、政治的な運動にするべきであると考えている次第です。 ヲシテの、忘れられた時代も、その原因は政治的な成り行きが強かったようです。


 

 
池田先生始めまして、過去に読んでいたものが皆偽書だったと知って少なからずショックでした。昨年師走でしたが急いで御著書を注文し、今6冊目の、「定本ホツマツタエ」を読ませていただいております。最後にたどり着いた世界のように思われます。2年続けて伊勢に初詣し伊勢市駅前でカウントダウンを向かえたのですが、大きな焚き火を囲んで、ねぷた絵を背に木遣りを披露する人たちや大太鼓を打つ人やお接待のテントもあったりで楽しかったのですが、よく見るとアマテラスカミは女性でした。神宮も伊勢市民もいえ、日本中に「アマテラスカミはれっきとした男神ですよ」と呼ばわりたい心境です。



ヲシテ文献で判った真実は、正確に伝えることは、かなりの困難を伴います。
2000年近くもの、忘れ去られ変造されてしまっていた、長い歴史の為でしょうね。
性急な、啓蒙は、かえって誤解を生じさせてしまう恐れもあります。
短兵急で、事を誤ってはなりませんので、ご注意のほどを、お願い申し上げたく存じます。

アマテルカミの、ご存命にあらせられたことについて、
この事の、理解も、難かしきことです。
尋常の、範囲には無いことであると思います。  とにかく、原文にジカにあたって下されることだけが、肚に据わる理解への唯一のミチであると、信じます。

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