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2007年1月10日 (水)

文書のかたち、「ふだ」とは? その7

‘うた み ’と、だけ記載された用例でも、

「文書」の形式に作られ、染められていたモノであると、

このように判断できる個所もあります。

Photo_240

        <『定本ホツマツタヱ』138ページ>

        <『記紀原書ヲシテ』上巻194ページ、こちらはルビなし>

ヲヲンカミとは、8代アマカミ(古代での天皇陛下)の

アマテルかみ、のことです。

‘さつさ’と言うモノ(不詳)に、‘うた み’を付けられたのですね。

‘うた み’を付けて投げ込んだ、と言う事からしますと、

この、‘うた み’は、今に言う「文書」であったことは、明瞭な事実と申せましょう。 木簡の形式のものか? 布に染めた形式のものであるか? いずれであってでも、です。

この‘うた み’には、5行のピンク色にしたところのウタが、

染められてありました。

「はたれ も 鼻毛みつ(三本)足らず…」なんて、なんとも

間抜けさを言うウタです。

初めの3音の「さすら」と、

最後の3音の「らすさ」は、3音の‘廻りウタ’になっています。

‘はたれ(悪さをする人たち)’たちは、このウタで単純な

(いか)りを発して、それで簡単に討ち取られてしまうのです。

            ・

「さつさ つづ ウタ」の、‘うた み’は、

どの様なモノに染められていたのでしょうか?

布か? 木札か?

微妙なところでしょうか。

     ~   ~   ~

真名さんの記事が続々と公開されています、

「ミシリツヒコと名を変えて4」久米の仙人で有名な久米寺も出ます。

久米寺は、

聖徳太子の弟皇子にあたる、来目皇子(くめ の みこ)の創建とのことです。

この記事を読んでもらったあと、いよいよ謎解きが始まるようです。

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コメント

いや、それほどたいしたことは書けません。
しかし、やはゃタケヒトさん以降は、少し理解しやすいようです。

今回改めて痛感したのは、古事記の記述のひどさですね。 驚きです。
本居さんは何とも思わなかったんでしょうかね? 

本居宣長を責める事は難しいと思います。
当時、フセンさんの『春日山紀』を見たとしても、これは、どうしようもない「秀真伝」のような類ですから、偽書の扱いとする事こそ、正しいと。わたくしも、このように考えます。 原文の伝承としては大金星ですですが。
『古事記』『日本書紀』の、その酷さが解かるのは、精密な文献比較を根拠としてからの事ですので、『定本ホツマツタヱ』(前版は、『三書比較』)の以降の事となります。
とにかく、『古事記』の酷さは尋常のレベルではありませんね。 一日も早い、「ごみ箱」投入を願うところです。

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